文化祭二日目は部活の方に顔を出す約束になっていた。二日もあんな動きにくいドレスを着ていたくなかったから逃げの口実だったのだが、部活に顔を出したら先輩たちどころか全員に残念そうな顔をされた。


「なんでお前ジャージ着てんだよ」

「何でって、バスケやるんですよね?」


 バスケ部は賭けバスケをやっている。一対一の勝負で、先輩後輩関係なしで対戦相手がくじ引きで決まる。レギュラー同士の戦いと合って会場は賑わっているのだがなぜか対戦カードに聖の名前がなかった。準備運動しているチームメイトに理由を訊こうと思ったが、その前に勝春先輩が「舞依と仲直りしたんだって?」と言いながら寄って来て体育館から追い出された。


「お前はクラスに協力してやれ。お人形ちゃん可愛かったぜ」

「……見たんですか?」

「舞依が写真見せてくれた。舞依ー!お前もいいからクラス企画行ってこいよ」


 中で集計をとったりしていた舞依が、兄に呼ばれてパタパタ駆けてきた。選手の人数は足りているが、客が捌ききれるほどマネージャーも手伝いもいないはずだ。けれど勝春は笑って「一般部員にやらせるから平気」と言って舞依も体育館から追い出した。
 ぴしゃりと重い扉を閉じられて、完全に遮断された。一体何の恨みがあるのか疑問におもったが、結局舞依と顔を見合わせて教室に戻る事にした。


「逃亡失敗残念だったね」

「だよなー。折角今日はアレ着なくていいと思ってたのによ」

「今日は衣装替えがあったらしいじゃん」

「あぁ、なんか色が違うドレスがあったからそれ着ろってさ……あ、メール」


 短い着信音が鳴って、聖はジャージのポケットから携帯を取り出した。着信音を特別に設定していないので誰から来ても初期設定のまま無機質な音が鳴る。携帯を開いて、差出人に少し驚いた。優一か光る君辺りだと思っていたのに、メールは茜からだった。『今度ダブルデートしよう』と一瞬見逃しそうなほど普通のメールだった。けれど一度目の違和感を二度読みして打開する。ダブルって、誰とだ。


「鈴原君?」

「や、茜」

「……聖って小野寺さんと仲いいよね」

「何、妬いてんのかよ?安心しとけ、お前のことも好きだから」

「嬉しくないし!それにそういうことが言いたいんじゃない」

「照れんなよ。もちろん部活仲間って意味だから」


 聖が笑うと、舞依が赤くなって大げさに顔を逸らした。何かを誤解しているのかと聖が一応訂正すれば、安心したようにホッと肩をなでおろされる。なんだか嬉しくない反応だ。今まで会った女性は、みんな聖の特別になりたがった。特別な二人きりの関係に。だから、仮令お互いに偽装だと分かっていたとしても恋人だった。


「それはありがたいんだけどね、美鈴って独占欲強いって言うか……そんな感じだから」

「……あぁ」

「聖が女の子と仲良いの良く思ってないって、言うか……」

「そんなこと言われてもなー」


 ぽつりと言って、聖は会話を区切る為に茜の携帯に電話を掛けた。受話器を耳に当てると、数コールで茜が電話に出た。背後の雑音が少ない事と声がしないことから少なくとも少人数で準備室あたりにいるようだ。


「もしもし、聖?」

「おう、これから行くからさくらちゃんに言っといて」

「部活は?」

「クラスに行けって。ところでお前、さっきのメール何だよ?」

「あぁ、あれね。この間さくらとダブルデートしたいねって話になったの。さくらも彼氏できたんだって」


 実に嬉しそうに茜が話してくれたので、聖はギクッとしながらも安堵した。怒ったり疑ったりしていないということは漏らしていないと言う事だろう。そして茜もさくらに自分の彼氏の名をばらしていない。「同じ学校らしいから、当日に会ってびっくりだよ」と言うのを軽く流しながら、正直にいける訳ねぇじゃんと思った。
 兎に角これから行くと言って電話を切って、思いも寄らぬ事態に溜め息を吐き出して青い空を見上げた。










 更衣室代わりになっている準備室に行くと、さくらが一人で準備を整えていた。聖が着るドレスは今日はピンクのこっちらしい。勘弁して欲しい。
 聖が入ると、さくらは嬉しそうに顔を綻ばせて聖の手を握った。二人きりになったのがそんなに嬉しいのかにこにこ笑っているので、小さな唇に悪戯に唇を寄せた。衣装担当はさくらなので、ここにいたとしても怪しまれない。だからこそ、ここで密会しているようなものだ。


「聖くん、湊さんは?」

「舞依なら教室行ったけど、何で?」

「仲良いよね。本当に好きじゃない?」

「舞依は部活仲間。俺が龍巳とつるんでるのと一緒」


 少し不機嫌な顔でさくらは「聖くんて女の子の友達一杯いるもんね」と納得したような素振りを見せた。衣装の準備をするために後ろを向いてしまった彼女にそっと近づいて、後ろから軽く抱きしめた。不安を取り除いてやらないと、あとで面倒くさいことになりかねない。少し一肌も恋しいし。
 さくらは短く悲鳴を上げて、けれどすぐに大人しくなった。顔を真っ赤にさせている。耳元に唇を寄せて、息を吹きかけるようにして囁いた。これでどうにかならなかったことはないという自信が、ある。


「茜から聞いたんだけどさ、今度ダブルデートするんだって?」

「……どうして、知ってるの?」

「さっき茜が嬉しそうに言ってた。さくらちゃんの彼氏が俺だって知らないでさ、思わず吹くかと思った」

「そ、そうだよね……」

「疑った?」

「……少し」

「さくらちゃんがいるのに?」

「ごめん、なさい」

「いいよ、衣装着ようぜ」


 俯いて蚊の鳴く声で呟いたさくらに聖は苦笑して手を離した。赤くなったままのさくらが、慌てて衣装を準備してくれる。デートは聖の都合に合せてくれるらしい。お互いに彼氏が忙しいということしか知らないらしい。どっちみち行けるわけがないので適当に返事をした。
 手早くジャージを脱いで、ドレスに腕を通す。やっぱり良い気持ちはしなかった。角倉に引き取られる以前に女装させられたこともあったが、あの時の比じゃない。やっぱりこれも成長だと思いながらジャージのポケットから携帯と煙草を漁りだす。


「やっぱり似合うね」

「そっか?あんま嬉しくねぇけどな」

「私は羨ましいな。さ、行こ」


 着替えも済んだしとさくらが聖が脱いだジャージを脇に置いて率先して教室を出た。途端に、足を止める。携帯と煙草をどこに入れようかと考えながら聖が入り口から出ないさくらに近づきながら声を掛ける。


「さくらちゃん?」

「聖さん、そこにいらっしゃいますか?」

「美月さん」


 声の主は、姉だった。さくらの肩を引いて前に出ると、いつもと変わらない制服姿で隣に少年を従えて不安そうな顔で立っていた。適当にその少年に会釈して美月に事情を聞くべく顔を覗き込む。
 この少年は美月の許婚である常陸宮紀仁だ。聖と同い年で、体育祭の時に一度会った。名前のとおり皇族だが、美月と一緒になり降嫁するらしい。男に嫁もおかしいが。


「美月さん?どうしたんですか」

「お兄様が、いらしてるんです。それで、ご挨拶をと思って……」

「探しに来てくれたんですか?ありがとうございます。分かりました、行きます」


 こういう行事に病弱なくせに出てくる理由が分からなかった。今まで、鬱陶しいだけだった。けれど夏休みに入るあの日、その認識は大きく変わった。彼は心配してくれている。弟が何をしているのかを厳しい目であっても見ている。未だ彼の前では体が竦むけれど、逃げる気は起きなくなっていた。
 カフェになっているメインの教室はは二つ隣だ。歩きにくいドレスの裾を持ち上げて、聖はずんずん歩き出した。けれど衣装が重いので歩調は遅い。


「聖くん、どうして女装してるの?」

「さぁ。さくらちゃん、なんで?あ、聖で良い、兄弟になるんだし」


 聖は紀仁を見て軽く笑った。美月の許婚ならばいずれは聖と義兄弟になる。同い年だし、別に気を使う必要もないだろうと思った。紀仁も「気楽に付き合おう」と言ってくれたのでだいぶ楽になった。兄として対応しろといわれたら逃げ出す所だった。
 さくらに聞いたけれど、さくらはしれっと「似合うから」と言っただけだった。あまり機嫌が良くないようなのは、二人きりの密室を邪魔されたからだろうか。


「聖……のクラスの鈴原君は直衣着てたよね?なんで?」

「なんか和洋折衷だか小野小町の伝説だか」

「ようはアンバランス?」

「そういうこと」


 教室の前まで来て聖は手の中の携帯と煙草に思い当たった。携帯はまだしも煙草はまずい。非常にまずい。けれどドレスには隠す場所もないので、さくらに頼むか後ろから入って煙草をさっさと隠すかするしかないだろう。後者は怪しい行動になりかねないので、やはりさくらか。振り返った瞬間に、舞い降りた神に助けられた。


「聖!角倉様がお見えになってるのにどこ言ってたの!?」

「光る君!マジ良いトコ来た!!」


 直衣を身に纏った少年に聖は抱きついた。驚く光る君こと鈴原源二の袖に煙草と携帯を滑り込ませて、耳元で預かっててとだけ囁いた。それから、服を直して教室に入る。
 見回して兄の姿を探すと、着物の青年が優雅にお茶を飲んでいた。あそこだけ空気が違うと一瞬逃げたくなった。完全に浮いている。そこに入っていくのは心底嫌だったが、先に兄が気づいて微笑を浮かべたから逃げる訳には行かなくなった。近づいて、頭を下げる。


「兄上、お忙しい中お越しくださりありがとうございます」

「……まず、どうして女装しているのか聞かせてもらおうかな」

「あーっと、クラス企画の、一つで」


 周りから超見られている。恥ずかしい。普段見られなれているけれど、これは違う種類の恥ずかしさだ。辱めだ、羞恥プレイだ。聖はしどろもどろに説明しながら逃げ出したくなって背後を振り返った。教室中の視線が集まっている。
 これ以上の答えは聖自身分かっていないので見つからない。黙ってしまうと、一瞬でも沈黙が怖ろしい。けれどそれを怖ろしく感じる前に、さくらと茜が揃って助けてくれた。


「聖くんには宣伝をお願いしてたんです」

「鈴原君とセットで深草伝説を模してるんです」

「……楽しくやっているようだね。君たちも、愚弟をよろしく頼むよ」


 不可解そうに眉を顰めはしたが、結局兄は何も言わずに帰ってしまった。それがいいことか悪いことか分からないけれど、その後を追った美月を見送りながら嵐が去ったと軽く思った。
 一気に緊張が抜けて、その場にへたり込んでしまった。夏を過ぎてからも兄に会うことを避け、家に帰っても夜中とかこっそりとかそんなことをしていたので、大会開催の長い間、先輩たちから色々言われていた。今までにない緊張を感じたら、立てなくなってしまった。クラス中も角倉の次期当主というものすごい偉い人が来たのに半ば放心している。


「大丈夫か、お前」

「……正直、あんまり」

「俺は兄貴に会ったところでそんなに緊張しないがな」

「お前はな」


 龍巳がさり気なく手を出してくれたので、聖は素直に出された手に捕まって立ち上がった。まだ少しふら付いて、体を支える為に龍巳の胸に腕をつく。彼の胸に納まる形になって、教室中が悲鳴を上げた。けれど聖は龍巳の腕の中で悔しそうに眉を寄せた。身長差六センチがしっかり分かる。同い年でバスケ部レギュラーで、こんなに身長差があるのはムカついた。晃が百七十六センチもあって聖とは十七センチも差があるが、あれは次元が違いすぎてもういい。


「なんだぁ、中坊の分際で」

「……誠」

「えぇ!?」


 突然入ってきた顔に虎の刺青を入れた男が、嘲るように大声を上げた。その声の主に龍巳が唸るような声で己の幼馴染の名を呼ぶが、当の誠は予想外すぎて悲鳴に似た声を上げる。いきなり羽織袴で現れた九条院砂虎は、隣に普通の洋服の美人を連れていた。いつも屋敷にいる組員は今日は来ていないらしい。
 彼の許に走って理由を誠が問うたが、返事は近くなくても聞こえるくらい大きかった。


「可愛い弟の文化祭に来ねぇ手があるかってんだ」

「来んなよ」

「俺に逆らうってか。良い度胸だ……なんだ、マブい女連れてんじゃねぇか」


 ずんずんと進んできたヤクザに、教室中の空気が固まった。けれどここの父兄なので無礼は働くまい。それが暗黙の了解なのか、誰もが出て行こうとはしなかった。
 砂虎は龍巳すぐ横に立つと、龍巳の胸の中にいて動けなかった聖の顎に手を掛けて上を向けさせた。生憎今はさくらによってメイクを施され自前の長髪をブローしてある。何度か九条院の屋敷に行っていてあっているはずなのに、分からないのか彼はにやりと口の端を引き上げた。


「俺の女になれ」

「無理ッス」

「姉貴の前で馬鹿言ってんじゃねぇよ」


 聖は顔を歪めて低い声で答える。男にこういう風に見られるのには慣れているけれど、その都度殴ったり怒ったりしていた。昔は偶に寝たりもしたけれど、相当ナーバスになっているときで最近はトンとない。
 兄の手を外させるように龍巳は腕の中の小柄な体を力強く押し、聖はよろけて壁ではなく近くではらはらしていた光る君の腕の中に飛び込んだ。「悪い、大丈夫か?」と顔を上げると、彼はテンパりながらも聖の無事を確認するように肩に手を置いた。


「姉貴、こんな馬鹿相手にしてないでさっさと離婚しちゃえば?」

「うーん……そうしたいのは山々なんだけど、大人の事情でそんな訳にもいかないの。龍巳、今回もこの人我儘でごめんねー」

「……軽い」

「帰ったら森の旦那に好きなもの作らせるから、ね!」

「おい、高子。何勝手に決めてやがんだ」

「あんまりアンタなんかが長居したら迷惑だし、帰りましょ。龍巳、今夜は千藤との会合でこの人いないからどこか食べに行きましょ」


 正に嵐。否、荒し。九条院関係者は一人の女性の手に寄って強制的に返された。苦々しい顔をした龍巳は、いつまでの彼らが出て行った扉を見ている。アレはなんだったんだと教室中が落ち着きを取り戻す頃になって、漸く彼は舌を一つ打ち鳴らして顔を逸らした。
 光る君から煙草と携帯を返してもらって、聖はそれをてのひらで弄びながら心配そうな誠に尋ねた。


「何、あれ」

「九条院高子姐さん。頭の奥様だ」

「へー。強いな」

「お強いぞ。頭も若も頭が上がらない」

「誠、余計なことべらべら喋ってんじゃねぇぞ」


 唸る声で龍巳が振り返って誠を睨んだ蛇に睨まれた蛙よろしく、誠は縮み上がってクラスの仕事をこなすべく教室を出て行った。宣伝係らしく、手には看板を持っている。
 傲岸不遜な龍巳にも頭の上がらない人間がいるのかと思ったら、少し嬉しくなった。自分ばっかり情けないと事を見られていたんじゃあ割に合わない。思わずニヤニヤしてしまって、龍巳に睨まれた。


「お前も働けよ」

「へいへいっと。その前に一服」


 そろそろ限界だと、聖は煙草とライターだけを持って屋上に行ってくると言い残して教室を出て行った。この期に及んで追いかけてくる人間はいないが、廊下に出たら出たでギャラリーの悲鳴が煩かったので、諦めて踵を返して教室で大人しくしていた。
 けれど初めて、文化祭が楽しいものだと感じた。





−続−

消化不良☆