正月は時間の流れが違うと思う。それまで慌しく動いていたはずなのに正月に入った途端その流れはゆったりと、もしかしたら止まっているのではないかと思うくらいにゆっくりと時間とが進んでいる。それが嫌で、聖はたった一日家にいただけなのに我慢できなくなって初めて自分から仲間全員に出かけないかと誘いのメールをだした。
 色よい返事が返って来たのは残念ながら寿季からだけで、後は正月に家を開けられないという返事だった。金持ちなんてそんなものだと思っていたから予想はしていたが、それでも肩は落ちた。それでも寿季から来たメールは嬉しかった。


「聖、悪い待った?」

「あー、超待った」

「うっそだ、俺時間ピッタリだもん」


 寿季と初詣の約束をし、聖は原宿の駅前で約束よりも二時間近く待っていた。ずっと待っていたわけではなくコンビニで雑誌を読んでいたりして時間を潰してはいたが、けれど待っていたのは嘘じゃない。几帳面な性格なのではなくただ家にいたくなかったというのが理由だが、寿季は全く気づかずに笑い飛ばした。寿季が来たのは約束の時間ピッタリだから確かに寿季の非でもない。
 男二人と言うのも味気ないが、それでも二人でのろのろと人ごみに乗って歩き出した。


「聖、お年玉いくら貰った?」

「まだもらってねぇや。欲しいとも思わないけど」

「マジで?そういうもんかなぁ……いや、金ないと困るじゃん?」


 寿季に言われてそういえば正月と言えばお年玉だと思い当たったが、それまではすっかり忘れていた。確かに昔は正月にもらえるお年玉が嬉しかった。ただ角倉に引き取られてからは正月は部屋に引き篭もるようになっていた。正月らしいこともなく、何もしていなかったから本当に忘れていた。初詣だって久しぶりなのだ。家族や親戚などに貰ったと嬉しそうに語る寿季は少しだけ羨ましい。


「そういやさ、ハンニバルって知ってる?」

「ゲームの?」

「そーそ。昨日買ったばっかでさ、家来てやる?」

「迷惑じゃなきゃ行く。面白いのか、それ?」


 正月に発売したという噂のゲームにあまり興味はなかったけれど、持っているのならば見てみたい。寿季は発売日にお年玉を有効利用して手に入れ、昨日一日中やっていたらしい。
 歩きながら思わずゲームの話で盛り上がって、気が着けば参拝の列に並んでいた。正月の二日はやはり混んでいるが、やはり着物を着ている人が多い。誰も彼もが笑っていて幸せそうだった。自分は笑っているだろうか、クリスマスから部活以外で笑ったことはあっただろうかと考えてみるが、考えるまでもなく笑っていない。だから今笑ってみようと思ったがぎこちない笑みになってしまったようなのが筋肉の動きで分かった。


「何、百面相してんの?」

「別に。ところでお前補習でた?」

「それ言うな!出はしたけど、分かんないもんは分かんないって」


 分からないものは分からないとは素直で良いが、多分成績的にはだめだ。一月は入試で休みが多いけれど部活は休みじゃあない。だから暇ではないけれどそれでもどこかでみんなで遊びに行けたらいい。三月の頭には学年末のテストがあるが、もしかしたら寿季は成績不良で不参加になるのではないだろうか。


「何であんな問題分かんないかな」

「うわ、頭いい奴ムカつく」


 わざと嫌味ったらしく言えば、寿季が笑って聖の肩を叩く。それに笑って、聖はポケットから財布を取り出した。賽銭に十円と五円を一枚ずつ取り出して順番を待つ。人がたくさんいるから時間が掛かりそうだけれど、意外に列はじりじり進んですぐに最前列に出た。そこで賽銭を投げる。二枚の小銭は賽銭箱に吸い込まれた。


「聖、何お願いする?」

「内緒」


 すっと手を合せて目を閉じる。それから何を願おうかと考えた。今年一年で、欲しかったものが手に入ってしまった。去年のこの時期は友達が欲しかった。一緒に出かけられる人が、冗談を言える人が、隣にいるだけで十分だと思える人が欲しかった。女性たちと一緒にいても友達じゃあないから決して満たされなかったが、その願いは今年一年で叶ってしまった。だったらもう、願うことなんてない。
 何も願わずに聖が顔を上げると、先に顔を上げていた寿季に肩をつつかれた。何事かと顔を見ると、すぐ隣に着物を着た茜とさくらが一緒に拝んでいた。


「茜とさくらちゃん?」

「聖!?」


 列の外に出ながら声を掛けると、顔を上げた二人が大きく目を見開いた。着物を着ている彼女たちは華やかで可愛らしいが、その瞳に映る聖は普段着で、ジーパンに白いダッフルコートはどこか女の子のようだった。男物のブーツがやけに武骨に見えた。
 列から抜け出して少し広いところに出て、改めて茜とさくらを見る。似たような着物だが二人とも可愛らしく、特に茜は久しぶりに会うからか余計可愛く見えた。


「あけましておめでとう、聖。今年もよろしくね」

「おめでとう。茜もさくらちゃんも着物可愛い」

「ありがと」

「ちょっと聖!この子たちに俺を紹介してくれる!?」


 茜とさくらを前に黙っていた寿季に耳打ちされて聖は彼女たちを紹介しようとしたが、その前に付き人と思われるスーツの青年に二人が促されて帰らなければというので紹介できずに「また学校で」と言って別れた。それから、呆然としている寿季に向かって聖は愛想で笑む。


「茜とさくらちゃん、お前知らなかったっけ。俺の彼女と元カノ」

「知らない!紹介しろよ!!」

「もう行っちまっただろ。それより俺たちも帰ろうぜ」

「おう、ゲームしよゲーム」


 寿季の家に行ったら歓迎され、おしるこやらお節やらをふるまわれた。夕食までご馳走になり、ずっとゲームをしていた。意外にはまる。始めは寿季がやっているのを見ていたが、段々それだけでは飽き足らなくなって結局気がついたら聖がコントローラーを握っていた。これは始めから見たかったなと思いながらエンディングを見たのは九時を過ぎたところで、流石に返らなければまずいと思って電車を使って家に帰ったが、誰にも何も咎められることはなかった。










 学校が始まったのはそれから一週間ほど経ってからだった。部活は四日後から始まったけれど半日しかなく、午後には聖は寿季と遊んだり海人の家にお邪魔したりしていたから淋しくはなかった。けれど新学期が始まったら急にこのクラスが恋しくなり、せっかく仲良くなったクラスで聖は非常に楽しそうに振舞っていた。休みは部活ばかりで家にいる時間もなくそれなりに楽しく過した。この平穏はいつまで続くのは不安になるくらいに聖にとって楽しかった。
 二月になってもまだ休みは多かったけれど、授業もガンガン進んでいる訳ではなくどことなく緩い雰囲気が漂っている。そんな中、聖戦とすら思われているその日クラスの雰囲気はピリピリしていた。


「光る君、おはよ」

「おはよう聖……ってその荷物は何?」

「チョコ。下駄箱ン中ひっでぇの」


 二月十四日、聖バレンタインディ。朝学校に着てみたら早くも下駄箱の中に大量の小さな箱が詰められていた。開けたらチョコが雪崩のように落ちてくるなんて漫画じゃあないんだからやめてほしかった。落ちたそれを褒めまくる優一と一緒に拾い教室まで来た。既に紙袋一杯分になっている。
 教室に来て自分の席に着いて鞄を机の上に置き、中を漁るとこれでもかと言うほど入っていた。何となく自分の身の回りがチョコレート臭い気がするのは気のせいだろうか。


「すごいね……」

「甘いの好きなら持ってっていいけど」

「いや、悪いから良いよ」

「どうすんだよ、この量」


 げんなりしながら聖は机の中から出てきたチョコの包みを持参した紙袋に詰めた。小等部はお菓子の持ち込みが禁止されていたし好き好んで妾腹の異端者にチョコなんかを送るわけがないが、中等部になると家の枷が失われるのでおおっぴろげになるのだろう。小学校の頃を少し思い出した。
 詰め終わって机に突っ伏してぐてっとしていると、後ろから茜の妙に弾んだ声がした。


「聖」

「……なんだよ」

「チョコあげる」

「あー……」


 そういえば彼女からのチョコは貰うのは当たり前だ。これだけあるし興味もなかったから今まで意識したことはなかったが、これはそういうイベントだったか。億劫な体を起こして、聖は真っ直ぐに茜を見た。その後ろに女子が列を成しているのが見えたが、気にしない。


「ありがとな。手作り?」

「うん。心して食べてね!」

「うわ、大事にしすぎて食えないかも」

「食べてよぅ」

「食うって」


 笑いながら受け取って、紙袋ではなくて鞄の中に入れた。なんとなく、勝手に突っ込まれていたチョコレートよりも彼女からのチョコレートは大切に扱うものだと思う。彼女だから、恋人だからと理由をつけて枷が増える。それに気づいていない訳ではないけれど、それでもどうするか方法を知らない。


「聖くん、私のももらってくれる?」

「あー、悪い。直接は受け取れねぇや」

「何で!?小野寺さんのは受け取ったのに!」

「彼女以外のチョコは受け取らねぇだろ、普通に」


 列を成している女子全員に聞えるように言うと、全員が全員驚いた顔をした。茜は少し恥ずかしそうにはにかんだ笑みを浮かべて顔を逸らすように俯いている。初めてはっきり明言したけれど、何となく鎖がぐっと体を締め付けるような感覚を感じた。言葉にすることで、明言することでそれに縛られるような不快感だ。ただその原因を探ってはいけないような気がして、深く考えるのをやめた。
 文句を垂れる女子たちを散らして、聖は茜のチョコの包みを開けながらこのチョコどうしようと本気で思った。


「顔が良いってのは随分と面倒そうだな」

「うるっせぇ。龍巳食う?」

「いるか」


 誠を伴ってやってきた龍巳が不快そうな顔をした。龍巳自身はチョコどころか手ぶらで、誠が龍巳の分まで鞄を持っている。バレンタインとか全く関係ねぇなと自分と比べて目を眇め、チョコを一口放り込む。甘ったるくてあまり美味しくない。
 持って帰った所で食べないのでどうしようか本気で考えていると、廊下が妙に騒がしかった。キャーキャー黄色い声がしているのでまたどこかのモテ男が歩いているのだろうと自分のことを思い出しながらぼんやりしていると、ドアが開くのと一緒に喧騒が飛び込んできた。


「聖ちゃぁ〜ん、バレンタインのプレゼント!」

「護先輩」


 紙袋を二つも提げてやってきたのは、護先輩だった。クラスの女子もキャーキャー言っている。確かに護先輩は顔も良いし、レギュラーの中ではモテる方だ。だからといってこんなにもらえるなんてやはり護だからだろうか。俗に言う愛人クラスの人間は中等部に上がるとモテると言われている。家柄がよくなくてもその出生に秘密を抱えていたり不倫の匂いがしているとそれだけでお嬢様方の憧れになるのだろう。だからか、と聖は若干納得した。


「ついでだから俺のも持ってってくんねぇスか」

「うわ、淋しい聖にあげようと思ったらめっちゃあんじゃん」

「あんだよ。だからいらねぇッス」

「いやぁ、やっぱモテるねぇ」


 からかい混じりの護に頭を撫でられて、聖は不満そうに頭を振った。ぶすっとした顔で黙っているとチャイムが鳴り、それをきっかけにして護がチョコの袋を持って風のように去っていく。一体何をしに来たのかよく分からなかったけれど、聖は薄く笑みを吐いて茜に呼びかけた。


「今度デートしような」

「う、うん!」

「お礼になんか買ってやるから考えとけよ」


 ぱっと嬉しそうな顔をした茜に目を細め、聖はそれでもそれが半ば義務的な言葉だと己で感じた。付き合っているからデートしなければならない。一緒にいたいからとかではなくてただ彼氏と言う立場だからそう行動しなければならない。そんな気がした。
 ただ現状が心地よくて、このバランスを崩したくなくてまた気づかないふりをした。





−続−

光る君が好きです。