遠足が終わると、今度は学校内は体育祭色に活気付く。本当ならば部内試合があるけれど、今年は日程の関係で遠足前に変更されたので普通に部活が行われている。けれど体育祭の方に人数を裂かれ、あまり部活に出てこない。だからというわけではないが、体力も有り余っているからと自分に言い訳しながら聖は夜中の散歩をやめられなかった。
 遠足から半月、散歩していても吉野に会わなくなった。別に気にしていたわけではないだろうけれど、視線は自然に彼の姿を探していた。


「あ」


 いつもの散歩コースを歩いてからベンチに腰掛けて煙草を吹かしていると、聖が来たのとは反対の遊歩道からやってきた姿が一つあった。その影も、聖を見留めると一度足を止めたけれどすぐに歩き出して自販機でお茶を買ってからいつもと同じ場所に腰を下ろした。


「久しぶりじゃん」

「……どうも」

「どうしてた?」

「ちょっと、テストの結果が思わしくなかったもので」


 顔も見ずに会話するのもいつものこと。少しの間が開いてその間にはお互いの名前を知ったと言う変化があったわりに、お互いの関係にはあまり変化はなかった。そのことに安堵を交えた紫煙を吐き出し、聖は灰を落としてちらりと背後に視線を向けようとした。けれど見えたのは、彼の後頭部だけ。


「勉強しねぇからだろ」

「まぁ、そうなんですけど。でもそれじゃあ済まないんですよ」

「……分かる、気がする」


 苦笑を交えた言葉の後に響いた思いつめた声に聖はしばし沈黙して、紫煙と共に言葉も吐き出した。きっと吉野にも成績を落せない理由があるのだろう。寿季から聞いた話と総合して考えても、きっと聖と同じにそうしていないと自分の居場所を確保できない。その生活は息苦しさしか感じず、そうして得た居場所はいつまでも不安定だ。


「お前、友達いねぇの?」

「………」

「ま、俺がいるからいいじゃん」

「はっ?」


 きっと必要なのは、曖昧でも寄りかかれなくてもいいから傍にいても良いと思える人間のはずだ。少なくとも聖が欲していたのはそうした人物だった。聖のときは、先輩たちがいた。あーちゃんもいたし、龍巳たちもそういう場所にいる。
 聖が軽く言うと、吉野が眼鏡の向こうで目をまん丸に開いてこちらを見ていた。やっと振り返ったなと思うのが半分、驚きすぎだろうと思うのが半分。ただ否定はしないようだ。


「明日も早いですし、帰ります」

「あ、俺も帰る」

「……おやすみなさい」

「おう、じゃあな」


 聖が煙草を吸い終わったのをきっかけに、吉野が立ち上がった。時計を見ればもう二時を回っていて、明日は確かに早いのでそろそろ帰って寝た方が無難そうだ。明日何に出るのかと訊こうと思ったけれど、何となくここで学校の話を出すのも無粋な気がして聖は何も言わずに吉野に背を向けた。きっと明日学校で会っても、言葉を交わしはしないのだろう。けれど、それはそれで良いと思った。










 今年の体育祭も去年同様、食事は大沢家の中に交ぜてもらった。持たせてくれた豪華な弁当は全部海人先輩に押し付けて、大沢家の家庭の味を満喫した。ただ今年は去年とは違い、意識した訳でもないのにクラスの中でも中核に座らされていて楽しかった。
 けれど体育祭が終わったら今度は期末がやってくる。テストが終わったと思ったらまたテスト、みたいなこの状況は学生の本分だとは言え辛い。そもそもこんな短いスパンでテストをして何のテストをやるんだ。


「校外研修の部屋割りを決めます」

「へー」

「へーって聖……」


 ホームルームの時間に委員長である光る君が前に出て黒板に書いた文字を見て、聖は至極興味無さそうに言ってまた視線をゲームに戻した。呆れたような紀仁の声にも「だって」とだけしか返せなかった。全然他人事ではないはずだが、あまり興味が沸かない。龍巳たちとは違う部屋だし、素敵なオプションが付くわけでもない。そもそも、いつも一緒にいるグループでくっつくんだろう。


「でも聖、二人一部屋だよ?」

「え?マジで」


 あまりにも興味なさそうだからか、紀仁が教えてくれた。なんとなく大人数で雑魚寝のようなイメージをしていたが、そうなのか。何でもホテルが貸切だそうで、こういうところが金持ち学校なんだなと漠然と思ってゲームを消した。
 しおりがまだできていないので概要も何も知らないが、光る君から聞いたのか紀仁の話では時間には厳しいが、施設等はやはり金が掛かっているようだった。


「聖!一緒の部屋になんない?」

「……別にいいけど」


 やってきた俊哉に急に言われても、聖はそんな返事しか返せなかった。二人一組ならば光る君と紀仁が組めばいい。どっちみち一人余るのならば聖が余ってもいいだろう。けれど俊哉のそれを聞きとがめたのか周りで急に立候補が起こって教室は騒然とした。しかも女子まで交じっている。


「聖、モテモテだね……」

「いや、あんま嬉しくねぇ状況だし」


 立候補者たちは俊哉を取り囲んで今にも乱闘をおっぱじめそうだった。こんなにもてたのは小学校以来だろうかと考えながら、聖はちらりと教卓に視線を移す。去年と同様の担任は呆れているが、光る君は細かく震えていた。去年一年見てきたが、あれは切れる前兆だ。
 聖がまず耳を塞ぐと、光る君はくるっと後ろを向いて黒板にたくさんの縦線を書いた。一本の下にアタリと書いて、それから力任せにバンッと教卓を叩く。大きなその音に教室中が静まり返った。


「アミダクジで決めればいいよ、ね?」


 ビクッと全員が硬直して、光る君を見た。にっこりと怖いくらいの笑みを浮かべている彼に逆らったらまずいと誰もが思ったのか、コクコクと頷いて一列に並び順番に名前を書いていく。それを光る君はにこにこと笑ってみていたが、正直心底怖かった。自分は今までこんな人間に対してあんな態度を示していたのかと少し反省。
 全員が書いたのを確認して、光る君は残った線を消して横線をつけたし、アタリから逆に辿り始めた。彼の指よりも左記に視線で確認して聖は目を眇める。


「でもこれ、女子になったらどうする気だろうね」

「つーか俺、女の子と一緒がいいんだけど」


 いろいろと問題がありそうな方法で決めようとしているけれど、彼がほやんとした雰囲気をしているくせに抜け目ないことは知っている。どうせやる前に足した線で誰にするかなんて決まっているのだろう。つまり、聖と同室になる人物は光る君が選んでいる。だったら聖に選ばせてくれてもいいような気がするが、きっと彼は、聖は女子選ぶから駄目ときっぱり言ってくれるだろう。


「聖と同室は日尾君に決定です」

「ぃやった!聖、よろしく!」

「……あ、うん」


 まるでそれが偶然のような顔をしている光る君をちらりと見ても何も言ってくれないだろうから無視して、聖は短く息を吐き出した。校外研修は八月の頭で。そのすぐ後には大会が控えている。研修の間は練習できないし、いくら都大会といえど不安は募った。ただ同じ条件で先輩たちも勝利を収めてきたので負ける気はない。


「で、研修ってどこ行くんだ?」

「聖、知らなかったの?」

「興味もなかった」

「無気力だよなぁ、お前。今年はスイスからオーストリア」

「海外?」

「当たり前じゃん。何だと思ってたんだよ」


 小等部の修学旅行も海外だっただろ、と俊哉に言われたが、聖は言葉を発せなかった。小等部の修学旅行は初めからバックれるつもりだったし、実際空港に向かう途中で仮病を使って不参加を勝ち取った。もちろん家からも脱走を謀ったので今思えばあの時何を思われたのか怖いくらいだ。
 スイスってどこだったかなと場所を思い出そうとしたが、その前に時計が浮かんできた。そういえばスイスといえば時計だ。


「俺、フランス行きてぇ」

「は!?何でいきなり?」

「気にしない方がいいよ、日尾君。聖って急に突拍子のないこと言うから」


 時計から連想して出てきた言葉を呟いただけなのに、春からの時間を過している紀仁が分かったように失礼な事を言ってくれた。これが姉の婿殿かと思うと、少し嬉しい。自分の義兄になる人物がムカつく奴だったらやっていられないから。


「突拍子じゃねぇよ。フランスの時計欲しい」


 この間雑誌を見ていて見つけた時計。文字盤に動物を模したデザインが施されているピエール・ラニエのそれに一目惚れした。近くの店で探してみたけれどあまりメジャーではないブランドらしく、見つかることはなかった。見つからないからこそ、欲しいと思う。


「フランスの時計?また限定的な……」

「一目惚れなんだよ。あれのフクロウ可愛かった」

「つか、今つけてるのだって高いんだろ?それ、フランク・ミュラー?」

「まぁ、そうだけど」


 欲しいんだよ、と不機嫌に呟いて聖は顔を背けるようにして窓の方へ視線を動かした。外は今にも雨が降りそうな暗い空をしている。今まで使っていた傘も人から貰ったものだから、自分の趣味で欲しい。今日の帰り道にでも買って行こうかと、ぼんやりと思った。
 部屋割りが決まると自由時間に何をするかと言う話題に発展したが、聖は折角の自由時間なのだから静かに過したい。何て思っていたら、茜からメールが来ていた。










 部活の後、聖は寿季と一緒に新宿をぶらぶらしていた。場所に拘ったわけでもないが、夜の早い時間に制服でうろうろできる場所が新宿以外に思いつかなかった。一緒にきたのが寿季と言うのもただ彼が時間があったからと言うだけだ。


「で、聖は何を探し続けてるわけ?」

「傘と髪留め」


 林立するデパートの中に入っている雑貨屋をフラフラと歩き渡ったけれど、イメージどおりのものは見つからない。しかも傘を探しているうちに髪留めも新しいものが欲しいなと思って探している。髪が長いのでコームやかんざしやシュシュなどを探すには雑貨屋がいいけれど、女の子がたくさんいるので寿季は結構いづらそうだ。
 ピアスは一つ青い蝶のものを見つけて即購入したけれど、肝心の傘は見つからない。二つデパートを制覇したころにようやく諦めて多少の危険が伴うが奥の雑貨通まで足を進めようかと思ったが、何となく引かれるように目に付いた小さな雑貨屋に入った。


「聖の拘りが分からない……」

「あ、これよくね?」

「うんうん、似合いそう」

「感情が微塵も感じられねぇよ」


 入り口にあった雑貨屋で柄が細く奇妙に曲がった傘を見つけた。開いてみたら昔のこうもり傘のようで気に入った。柄は樫の木でできているようだが微妙に丸まったラインを描いているのもいい。寿季に同意を求めるけれど、彼は興味がないのか至極適当な返事しか返ってこなかった。
 文句を言いながらレジに行こうとしたけれど、丁度その道筋に和柄の髪留めが置いてあった。バレッタだけれどそんなに目立つ訳ではなく、ちりばめられた金箔がアクセントになっている。ついでにそれも手にとって、聖は満足そうに会計を済ませた。


「やっと決まった?」

「おう。付き合ってくれてサンキュウな」

「聖のためなら付き合いますけどね。彼女に頼めよ、こういう事は」

「や、うん……」


 当然だろうと寿季はいうが、聖は言葉を濁してしまった。無意識にやったものだから、不思議そうな顔をした寿季にいつものような弁解は浮かばなかった。
 もともと聖の話し方には人を誤解させようとする節がある。わざと何種にも取られる言い方をして、そうして反応を見てから理由を説明する。だから質が悪いと最近は自分でも思うがこの癖がいつついたのか分からなかった。


「何だよ、その意味深なの」

「別に」

「超気になんだけど。家よ、この期に及んで言わないとかなしだぞ」


 買い物袋を提げて駅へ向かう道すがら問いかけられて、まだ距離があるから逃げられない。結局、聖は自分の爪先を見つめながら口を開く。寿季にならば言ったところで別にいいかなと、軽く思った。


「俺、人と買い物行くの嫌いなんだよ。相手気にして集中できねぇだろ」


 一緒に行った相手が選んでくれるならいいけれど、自分が選んでいる間は暇だしただでさえ悩む時間が長いのは自覚しているからその間に申し訳なくなってしまう。だから昔から買い物は一人か気心の知れた奴としか行かなかった。それは今もそうだし、この間までは一緒にいた女性が選んでくれていた。だから、聖の持ち物は聖の物ではなかった。ただ最近は一人で自分の物を揃え始めている。


「でも寿季なら別に待たせても良いかと思ったんだよ。悪いか」

「そこだけ聞くと悪い気がするけど、まぁいいや。気にしない。つか、誘ってくれて嬉しい」

「…………」

「お、聖が照れてる」

「うるせぇ」


 駅が見えてきて、道を歩きながら聖は隣に並ぶ寿季の足を蹴った。けれど彼はひょいと逃げて聖の顔を覗き込む。その顔がムカついたから聖は少し歩調をあげて、でも時計を見たらもう八時を回っていたので飯どうすると誘ってみた。
 ファミレスで食事を済ませて店を出たのは十時を回ったくらいだった。なんとなく彼らを巻き込むことにも慣れてきて、聖は巻き込みついでに寿季を誘って龍巳の家に向かった。





−続−

海外なんて行ったことないですが