体育祭は実際に競技するよりも見ている方が楽しいということに初めて気づいた。否、楽しくないとか楽しいとかそんな次元の前に、本気になれないからかもしれない。何に対しても適度に好きで、けれどそれ以上に本気になれないから結局一定以上に好きにはならない。いつから自分は、こんなボーダーラインを引き始めたのだろうか。


「ちょっと聖ぃ?真面目にやってる!?」

「ちゃんと参加してんだろぉ?」

「だったら真面目にやってくれよ。お前去年MVP取ってんだろ!」


 応援席にふんぞり返って紀仁とトランプをしていたら、どこからかやってきた俊哉にものすごく文句をつけられた。ちゃんと三つの競技には出る予定でいるし、さっきだって玉いれしてきたんだから文句を言うなと言いたい所だがたぶん言ったらトランプをしている現状にしこたま文句を言われるだろう。さっき参加した玉入れなんて、理由も分からないけれどあっちこっちから飛んでくるはずのない玉が飛んできて大変だったというのに。確認したら聖めがけて投げていたのは寿季だったから後でぶん殴ってやろうと思う。


「ちゃんと真面目にやってるって」

「嘘をつけ!」

「あー!俺の負けじゃん!」

「無視すんな!そして二人でババ抜きとかやってて楽しい!?」

「日尾君もまざる?」

「いや、いいです遠慮します」


 俊哉に文句をつけられている間に紀仁が聖の手札から一枚抜いて、自分の手札すべてを捨てた。それを見て聖は俊哉を睨みつける。多少の理不尽さを感じながら、マイペースにもトランプに誘ってくれた紀仁に丁寧に辞退を申し上げた。聖にとってはいい友人の彼も、クラスメイトからは少し敬遠されているようだ。まるでつい最近までの自分を見ているようだと思う。彼は慣れているのか苦笑に似た笑みを浮かべているだけだった。
 俊哉が応援に戻ってしまったので、聖はトランプを切りながら次はどうしようかと問いかけた。ババ抜きは確かにあきてきたし、かといって神経衰弱なんてここでやるゲームでもない。今までならブラックジャックあたりでいいかと思うけれど、紀仁相手にそれはどうだろう。


「ところで聖、今日のお昼は?」

「今日?」

「よかったら一緒に食べない?」


 一瞬彼の申し出の意味が分からなかったけれど、刹那の後には意味が分かった。去年は弁当だけ受け取って海人先輩に世話になった。きっと今年も美月と紀仁は一緒に食事するのだろう。その席には兄も同席するはずだ。だったら今年も海人先輩に世話になろうか。
 折角の申し出だけど、と首を横に振ったときに茜の姿が見えたので軽く手を上げて合図した。聖の姿に気づいて駆け寄ってくる彼女の後ろに、猛然と走ってくる優一の姿も見えたけれど本当は見たくなかった。


「聖、あのね……」

「坊ちゃん!あぁ、紀仁様もご一緒でしたか」

「どした、茜」

「一緒にご飯、どうかなって思って」

「坊ちゃん、ご一緒にお食事いたしませんか!?」


 茜のほうが一瞬早かった。ちなみに聖は茜にしか問いかけていないはずだが、優一は何がどう脳内で変換されたのか知らないけれど勝手に彼女に対して対抗心を燃やし始めた。紀仁が大変だけ、と目で同情してくれるけれどどう反応していいか分からない。これが可愛い女の子たちの言い争いだったら嬉しいかもしれないけれど、一人が男だからなおさらだ。


「ちょっと、私が誘ってるんだけど?」

「黙れ小娘!何の権利で坊ちゃんをお誘いしているんだ!?」

「彼女の特権ですー!」

「彼女だとぉぉお!?」


 学年内では結構有名な話なのだけれど、優一は知らなかったようで素っ頓狂な声を上げた。紀仁も知らなかったようで驚いた顔をしているから、もしかしたら有名なのは女子の間だけなのかもしれない。どういうことだと驚いている目としてやったり顔の彼女を見比べて、聖はなんだか笑えなくなった。


「あのさ、二人とも。俺どっちも一緒に飯食わねぇから」

「え?」

「なぜですか!?」

「茜はちゃんと家族で食えばいいだろ。優一はテメェで考えろ」


 トランプを片付けながらそう言ったところで昼休みを告げる放送が流される。いいタイミングだと思っていると、今年はなぜか角倉の料理長がばかでかい弁当箱を抱えてやってきた。その少し前には美月と兄の姿もあり、やはり去年と同様の結果がまず見て取れた。聖が行動する前に紀仁が立ち上がって頭を下げるので、危うくタイミングを失いそうになったが聖も頭を下げた。


「澄春様、ご無沙汰いたしております」

「そんなに堅苦しい挨拶をしなくてもいいよ。聖も、頭を上げなさい」

「はい……」


 小さな声で頷いて顔を上げる。隣では優一が深々と頭を下げ、その隣で茜がどうしていいかわからずに泣きそうな顔をして聖を見ていた。彼女に安心させるように微笑んでやり、聖は茜の手をとって顔を引き寄せた。後でメールする、と耳元で囁いてかすれるほど僅かな口付けを贈り手を離すと、茜は少し不満げな顔をしていたけれど一つ頷いた。随分慣れたものだと思う。この間まで顔を近づけるだけで真っ赤になっていたのに。


「ぼっちゃん、こちらお弁当になります。今年もご一緒できずに残念です」

「いや、気持ちだけで……」


 彼の気持ちは伝わってくるけれど、どうしてこんな料理人とは思えないほどにがたいのいい男と向き合っての食事はちょっと遠慮したい。そんなだったら一人で食べるか素直に茜と一緒に食べる。
 澄春は聖にあまり興味がなかったのか、一瞥をくれただけで踵を返してしまった。物言いたげな視線を紀仁と美月も送ってくれるけれど軽く首を横の振ることで答えて、聖は曖昧な笑みを浮かべたまま彼らを見送った。特に、料理長はなんともいえない目をしていた。なんというか、売られていく子馬を見送る母馬のような。


「聖、今日もてもてじゃん」

「海人先輩。俺のこと迎えに来てくれたんスか」

「そのとおりだけど何かむかつくな、おい」


 予想通り迎えに来てくれた先輩に対して聖は完全に作った声で先輩大好き、と言うとなぜか頭を殴られた。けれど海人は笑っていて、聖もそれが戯れだと分かっているから一緒に笑って彼に促されるままに一緒の方向へ向かって足を出した。そういえば最近海人の家に泊まりに行かないから、当然に中に入れると思ったのは間違いかもしれない。そんな不安に急に襲われた。


「聖、あの女の子誰?」

「去年もそれ聞いた気がすんだけど」

「去年はクラスメイトっつったよな?」

「彼女」


 可愛いっしょ、というとなぜか分からないけれど海人に頭をぐしゃぐしゃ撫でられた。
 大沢家はいつも騒がしい。だからどこにいるのかと探す前に声が聞こえてきて、あっちかと思った頃にはまだ小学生の末っ子が海人にタックルをかましにくる。確か去年もおんなじことがあったような気がして、思わず聖は笑った。弟のタックルによろけそうになった海人に睨まれたけれど軽く無視しする。大沢家の末っ子は、にこっと笑って聖を見た。


「聖くんも一緒?」

「おう。一緒していいか?」

「やった、今日お客さまいっぱい!」

「いっぱい?」

「久人兄ちゃんにもお客さまいる」


 末っ子の貴人はにぱっと笑って聖を急かすように手を取って走り出した。前につんのめるようにして海人と一緒に足を速める。大沢家が陣取るレジャーシートには六人が座っていた。今来たばかりの海人と自分、貴人を含めると総勢九人。けれどその中に聖が知らない人間は一人としていなかった。やってきた聖に大沢母は、にこやかに笑って当たり前のように紙皿と紙コップを渡してくれた。


「いらっしゃい聖君。いっぱい食べてね」

「ありがとうございます。あ、これうちの弁当なんですけどよかったら」

「聖くんのお弁当食べる!」

「こら貴人、お行儀が悪い!」


 抱えていた無駄に大きな包みを差し出すと、貴人が喜んで箸を突き出そうとしてきた。ただし母親に制されて睨まれている。それを見て和むなぁとほこっとした気持ちになりながら聖は皿を海人に押し付けた。何でもいいから乗せてくれと言う意思表示は伝わったようだが、視界の端に緑色がたくさん映るのは気のせいだろうか。


「聖くん、俺のお客さん」

「つか久人、お前俺に先輩って言わねぇの?」

「筧吉野クンです、聖センパイ……」

「どうも、聖センパイ」

「…………」


 久人の隣に座っていたのは、最近会わなくなった公園の彼だった。まさかこんなところで会うとは思わなかったが、大沢家恐るべしだ。それにしても何となく彼とは先輩後輩だとかそういう関係ではない気がしていたから、先輩といわれるのが妙に気持ち悪かった。そもそも、出会いから自分たちはそんなに甘い呼び方がしっくり来るような関係じゃあなかったはずだ。


「あれ、聖くん知り合い?」

「まぁ、な。海人先輩まだ?」

「ほらよ。言っとくけど俺が優しいのは今だけだぞ。甘えるなら亮悟にしろ」

「じゃあ今度亮悟先輩孝行しよ。ん、美味いです」


 皿に乗っていた甘い卵焼きが美味しくて、思わず顔が綻んだ。どうしてこうも甘い卵焼きには心をほぐす作用があるのだろう。きっと貴人が食べている弁当箱に入っている卵焼きは甘くなんてなくて、美味しいんだろうけれどただそれだけのような気がした。










 体育祭は無事に終了した。今年も特に楽しいことなんて起こらずに、ただ昼食時のサプライズがあっただけ。それもサプライズ過ぎて会話なんて全くせずに、ずっと海人に遊ばれていたようなものだ。ただ聞いたのは、吉野は保護者がこれなかったこと、それは彼を引き取った老夫婦の息子が参加を許さなかったらしいことはなんとなく聞いた。
 そんなに体が疲れておらず、逆に運動が足りない気がしてぶらぶらと公園を散歩していると前から見覚えのある少年が同様に歩いてきた。何となく、初めて会ったときを思い出す。ただ最近は、拳を交えることも億劫になっている。


「よう」

「……どうも」

「これ、やるよ」


 絶対にお互いの間合いには入らずに初めて会ったときと変わらない一定の距離を保ちつつ、聖はポケットの中のチョコを一つ放った。綺麗な放物線を描いてそれが彼の手のひらに落ちるのを待って、聖は公園のベンチに腰掛けた。吉野がいつもの斜め後ろに座るのを待って、チョコを口に放り込んだ。


「お前疲れてねぇの?」

「それはこっちの台詞です。あんなに競技でてたじゃないですか」

「本気でやってねぇもん」

「たちが悪いですね」


 結局聖はあの後、競技を三つほど多くやらされた。けれどそのどれも本気にはなれなかったような気がする。吉野が言ったことは、確かに正しい。俊哉には怒られるし、真面目にやっている人間にしたら怒って当然かもしれない。けれどどうしたって本気になんてなれやしない。
 笑っている吉野に視線を向けることもせずに聖は天を仰ぎ、瞬いている都会の星を順番に数えだす。


「そういうお前も、本気でなんてやってないだろ?」

「僕は興味がありませんから。貴方のように八方美人じゃあなくて偽善者なんです」

「自分で言うか、それ」


 八方美人と言う言葉が妙に腹たった。でもここでそれを見せてはいけないような気もする。そんなことで腹を立てるのも馬鹿らしいし、そもそもそんなみっともない真似はできない。そう思って、これをもしかしたら八方美人と言うのかもしれないと思い当たった。己のことを偽善者とはっきり言い切った彼にも何か思うところがあるのだろうか。


「でも、貴方に興味出てきましたよ」

「そいつはどーも」

「改めて、筧吉野といいます」


 すくっと立ち上がった吉野がすっと手を出してきた。聖も立ち上がって彼の全身を眺めやった。昼間に見るよりももっと陰惨な感じのする雰囲気ではあるが、ただこれが真実のような気がした。腹に何かを抱えた人間のほうが聖は好みだ。まるで昼間の姿が太陽に作られた幻想みたいで、今が月の光が照らした本当の姿のようで。そうして、自分の手を伸ばして幻影のような彼に触れてみた。


「角倉聖だ」


 もしかしたら、今初めて出会ったのかもしれない。先輩後輩でも友達でもなく、ただの人と人とのごくシンプルな出会い方をしたようなそんな気がした。
 しっかりと握られた手はたった一瞬で、どちらが先か分からないけれどすぐに離れる。このくらいの淡白さがいい関係だ、それ以上に何もできなくて結局聖も吉野も再びさっきと同じ場所に腰を下ろした。





−続−

吉野さんとの出会い編!