体育祭も無事に終わったかと思ったら、今度は期末テストが控えていた。全くテストばかりで嫌になるが、なんだかその間に吉野と会う時間が増えていた。それがどうしてかは分からないけれど、深夜二人で勉強している図は人に見られたら滑稽だったに違いない。
 そのテストも無事に終わって、地区大会は一年が主体で試合をこなすのでほぼ暇だった。高等部まで含めて、一年が地区、二年が関東、三年が全国とついでに都大会と決まっている。だから聖たちは去年のこの時期緊張だったりして結構忙しかったと思う。特に、聖は夏にいろいろなことが重なりすぎた。
 もうすぐこの穴を開けて一年になるのかと、ふと気づいて聖はピアスホールに触れてみた。ファーストとは違うピアスが鎮座している耳になんとも言えない感情が芽生える。それを消し去るために、深く息を吐き出して落ち着こうとした。


「な、試合終わったら買い物行こうぜ」

「買い物?」

「そ。校外研修のもん買いに行こ」


 勝ちが決まったような試合を眺めていると、唐突に寿季が提案してくれた。こういう提案をしてくれるのはいつだって寿季の案だが、それに乗るのは大抵聖なのかもしれない。当初は違ったはずなのに、気がつけば真っ先に返事をするのは聖だった。そうして今日も、真っ先に反応したのは聖だった。寿季が必要なものあるから、と言ったけれど聖には何が必要で何が必要でないのかがまだよく分かっていない。何せ、今まで身一つで大抵のことはどうにかなっていたのだから。


「家のモンが買ってくるだろ」

「自分で買いに行こうよ、そういうの!」


 龍巳はあまり乗り気じゃあないようで、腕を組んでとてもどうでもいいような顔をした。あまり必要ではないような気がするけれど、でもどうせそんなのはお題目であって本当はみんなで騒いで遊びに行きたいだけなのだ。特に寿季はそういうことに気を使っているのだと最近気づいた。ただ遊びに行くのも好きだし、何となくまだまとまりのないこのチームが少しでも分かり合えるようにしているとか、そんなもんだと思う。
 聖はそんなことはきっとみんな分かっているかと、視線を巡らせた。そうして、ベンチで後輩に指導しているその姿を見つけて体を乗り出す。


「舞依!」

「ん?なに?」

「お前試合終わったら暇?」


 ベンチでスコアのつけ方などを後輩に指導している舞依は、今年からマネージャーが増えたことからレギュラー専属のマネージャーになった。だから去年よりもずっと一緒にいる時間も増えたし、親しくなったと思う。この間までは遠慮があったはずなのに、気づけば素を晒して言いたいことを言い合っている。だから、今だって声をかけた。
 不思議そうな舞依にベンチに下りていって事情を説明しようかと思ったけれど、下に行こうとする前に舞依が手でいいと言って一度姿を消したと思ったら二階の観客席まで上がってきた。


「何、いきなり」

「今日買い物行こうっつってんだけど、お前は?」

「何で私?」

「え、何で?」


 聖は当然のように彼女も誘ったけれど、舞依はきょとんとして聖を見た。その後に他の四人を順番に見る。けれど誰も答えないのでまた聖に視線を移し、やっぱり分からないと首を傾げた。けれど聖にもどうして舞依が首を傾げているのかも分からないから、結局どっちも首を傾げることになった。


「湊さんも僕らの仲間、なんでしょ?」

「えっ?」

「違ぇの?」


 葵が真っ先に理解したのか、聖の言葉にならなかったことをまず口に出した。舞依が驚くのと聖が驚くのはほぼ同時で、聖の方がさらに驚いた顔で葵を振り返る。思わず口から飛び出た言葉はきっと誰にも意味が通じなかっただろう。けれど、聖の瞳を受け止めた葵だけが彼の真意を理解できたようだった。短い嘆息をして、葵が長い睫に覆われた瞳を僅かに伏せる。


「聖が言いたいのは、マネージャーも選手も関係ないってことでしょ?湊さん僕らの専属な訳だし」

「でも私、ただのレギュラー専属なだけで……」

「あぁ、俺たちはレギュラーから落ちる気はないからな」

「そういうこと。だから一緒に行こうかって聖は言ってる」


 途中で理解した晃が舞依の言葉に付け足す。何となく自分の気持ちが分かってしまうことが気恥ずかしい気がしたけれど、こいつならばいいかと聖は薄く笑みを吐いた。










 狭い店内でもうかれこれ十分同じやり取りが続いているので、傍にいることすら恥ずかしくなってきて四人は顔を見合わせてしまった。解散後にみんなで軽く腹ごしらえをして服だとか小物類を買うために新宿に来たのはいいけれど、雑貨屋でこれだ。
 なんだか、聖と舞依の言い争いなんて日常茶飯事になってきているような気すらする。


「だから、お前には絶対ぇこっちの方が似合うっつってんだよ!」

「私は赤いがいいの!」

「赤よりもお前は緑のが似合う!こっちにしろ!」

「あんたに命令される筋合いなんてない!」


 舞依が手にしたヘアクリップは赤い大きな花がたくさんついている。それに対して聖が持っているのはそれと同じデザインの黄緑色の物。正直どっちでも同じだから本人が気に入っているものを買わせればいいと思うのだが、聖は何が気になるのか緑の方がいいと主張している。そんな言い争いにつき合わされるこっちにの身にもなってほしい物だ。


「なぁ聖、湊の物もなんだし好きなもの買わせてあげなって」

「馬鹿言ってんじゃねぇ。似合わねぇもん買ってどうすんだよ」

「だから、あんたには関係ないでしょ!?」

「俺が我慢なんねぇんだよ」

「だからなんで!」

「俺、自分の周りうろうろしてる女は気になっちまうから」


 ひどくわがままな聖の理由に、舞依が切れたようだった。持っていた赤いヘアクリップを持ってレジに向かってしまった。聖が声を荒げて呼び止めても無視して会計を済ませている。聖はチッと舌打ちして「頑固者」と吐き出した。聖だって似たようなものだと思うが、本人は全く気づいたいないようだった。


「今のは聖が悪いと思うけど」

「だって、こっちの方がどう見ても似合うだろ?」

「なんでお前は湊にばかり突っかかるんだ」


 会計を済ませている舞依をちらちら見ながら、聖はなぜか青いヘアクリップを手に取った。店内にある鏡を見ながら自分の髪に合わせていて、この間買ったばかりだというのに自分の分も買う気かと寿季が少し驚いた。けれど晃はまったく動じずに聖に質問を浴びせた。どうして聖の周りには女子が多いのに舞依にばかりかまうのか、と。


「どうでもいい女にゃ興味ねぇけどさ……、舞依は仲間じゃん」

「だったら彼女にでも選んでやればいいだろう」

「茜は俺が言ったらそっちにするし。舞依が従わねぇだけ」


 周りにいる不特定多数の女子は全く気にならないと聖は言い、舞依と口論を繰り広げる原因になったヘアクリップだけを持って舞依と入れ違いにレジに向かった。さっき自分用に見ていたものは置いてある。すれ違った舞依は気づかなかったようで、少しばつが悪い顔で戻ってきた。そして、申し訳なさそうな顔で頭を下げる。それは聖に見せていたものよりも幾分か硬く見えた。


「ごめんね、遅くなっちゃって」

「構わねぇよ。聖の買い物に時間がかかることくらい分かってたことだ」

「う、うん……」

「なんで龍巳は女の子恐縮させるような言い方しかできないわけ?」


 舞依は緊張しているのか、目を伏せている。何となく重い空気になってしまったのを寿季が取り繕うとしたけれど、何かできる前に聖が不機嫌な顔をして戻ってきた。手には小さな袋が握られている。戻ってきた聖に舞依もどうしてか不機嫌になっていて、寿季はもう自分には修繕できないと悟った。
 修繕せずに行くかどうしようか迷っていたけれど、その前に聖が舞依にその袋を差し出した。「ん」とぶっきらぼうな様がなんだか可愛い。差し出された舞依の方が驚いていて目をぱちくりさせている。


「絶対ぇこっちの方が似合うと思う」

「……あ、りがと」


 まぁだ言うか、と寿季は思ったけれど、舞依は貰ったことの方が衝撃だったようで少しおいて小さな声で呟いた。聖はそれを付けさせるのが目的だったのかもうけろっとして服見に行こうとか言っている。舞依の方がヘアクリップを見つめて固まってしまったくらいだ。


「あ、舞依。下着見繕ってやろうか」

「いるかっ!」


 聖はすぐに舞依をからかい、もう元の関係に戻ったようだった。なんだかこんな雰囲気がしっくりくるようになったのかとほんわかしたけれど、舞依は一言声を荒げただけでそれ以上何も言わずに黙り込んでしまった。やっぱり変な空気だと思うけれど、なんだか声には出せなかった。










 八月の頭にある校外研修に来たものの、メンバーは一緒なのでただの海外旅行のようになっている。それもそのはずで、研修というものの特に何を学ぶわけではなく名所めぐりなどをするだけなのだから。一般で言うところの林間学校のようなものだ。
 ホテルは誰かの家が経営しているとかで、日本人が満足するようになっている。温泉まであるおかげで肌がぴかぴかだ。大浴場から部屋に戻るときに、先日買ったヘアクリップで髪を纏め上げた。聖がくれた方を付けるのは何となく癪だから自分で買った方を付けたけれど、なんとなく緑のほうも持ってきている。


「舞依それ可愛いね。似合ってるよ」

「あ、ありがと。こっちとどっちがいいと思う?」


 歩きながら友達に緑の方も見せると、彼女は少し悩んだ顔をして舞依の顔とヘアクリップを見比べたけれどやがて一つ頷くとお聖が買ってくれた緑の方を指差してくれた。舞依も実は家に帰って母親に緑の方がいいと言われたし自分で見てもこっちの方がよかったと思っていた。


「緑の方がいいと思うよ。ていうか、両方買ったの?」

「いや、そういう訳じゃあないんだけど……」


 同じものを持っていれば当然の疑問を向けられて、舞依は言いよどんで俯いた。小さな声で聖に買ってもらったといえば、相手は大声で言葉を反駁してくれた。あまりにも大きな声だったから周りに聞こえると慌てて口を塞ごうとしたけれど、もう遅かった。だから舞依は、彼女の台詞を茜が聞いていたことには気づかなかった。
 問いただしてくる友人を急かして部屋駆け戻って、部屋の鍵までかけてから舞依はやっと一息吐いた。ベッドに腰掛けて肩を撫で下ろすと、隣に彼女が座って顔を近づけてきた。


「で、舞依は角倉君とどういうわけ?」

「どういうって……」

「好きとか付き合ってるとか。だって買ってくれたんでしょ?」

「でも聖くん、彼女いるし」

「関係ないって、そんなの。舞依はどうなの!?」


 どういう関係と迫られても、選手とマネージャーくらいしか答えは出てこない。好きかと訊かれれば確かに好きだし、けれどそれが恋かといえば違うと思う。けれど買ってくれたときには確かにときめきもした。あの時、聖はこっちの方が似合うと言ってくれたし、どうでもいい女には興味がないようなことも言っていた。けれど聖にはれっきとした彼女がいるし、それは一年前手ひどい三股をかけていた男とは思えないほど大事にしているようだった。だから絶対に聖に他意があるとかではないと思う。


「……わかんないよ、私は」


 だから舞依はそんな答えしか返せなかった。けれど少しだけ赤くなっているのは自覚しているし、意識だってしているのかもしれない。けれど美鈴のことがあったときにあんな奴には恋をしないと決めていたし、隙にだってなる訳がないと思っていた。だからきっとこれは恋じゃあないと思ってる。それなのに、胸はどうしてかツキンといたんだ。
 そのとき、ドアが控えめにノック音を響かせた。びくりと顔を上げた瞬間に枕元に投げ出してあった携帯が鳴る。なんだか気がはやって手を伸ばしたら、九条院龍巳という表示になんでか「なんだ」という思いが胸に去来した。


「龍巳君?どうしたの……」

「ちょっと出てこれるか?」


 電話に出たのに、その瞬間に切られてドアの向こうから声が聞こえた。舞依は慌てて髪を解いて緑色のヘアクリップに代え、服装も直して部屋を出る。湯上りなのか着流し姿の龍巳が普段とは全く違う佇まいでいたから驚いて言葉が出なかった。固まっている舞依に龍巳は短く悪いな、と謝ってから歩き出すので、慌てて彼の後を追う。
 誰もいないロビーに着くと、龍巳は自販でジュースを一本買ってそれを舞依に投げ渡した。そして、彼女の隣に腰を下ろす。ぽかんとしている舞依の手から缶を取り上げて開けてやり、また手に戻した。


「……それ、頭の」

「あ……聖くんに貰ったやつ。みんな似合うって言うから」

「そうか」

「うん……」


 ぽつぽつと向けられた質問に舞依が答えるともう会話はなくなってしまい、なんだか重い雰囲気になってしまった。沈黙が苦しくて意味もなくジュースを飲んでみたけれど、そんなに時間を稼げるわけもなく結局は沈黙がいたいまま。どうしてここに人が誰も来ないのだろうと、泣きそうになった。
 別に舞依は龍巳が苦手なわけではない。けれど、今重い雰囲気を放っている彼と二人きりでいるのは重荷だった。しばらくすると、龍巳がやっと重い口を開いた。


「惚れたのか?」

「えっ……」

「聖に」


 龍巳の問いに舞依は答えを持たずに俯いた。再び落ちた沈黙が口惜しくて唇を噛む。冷たい缶を握った指先が冷えて汗をかいたアルミが滑る。再びの沈黙は、聴力を敏感にした。普段では聞き逃してしまいそうなほどの音を耳は拾う。たとえば人の足跡とか、どこかの部屋の笑い声だとか。


「あいつはお前を仲間だとは思ってる。そういう意味で、特別だ」

「…………」

「惚れるなよ」


 最後の一言は、きっと龍巳の慈悲だ。その言葉に舞依は息を呑んだ。けれどその前にぽろりと涙が零れ落ちた。別に聖に惚れていたわけではないはずなのにどうして涙が出てくるのか分からずに、舞依は缶を強く握った。おかげでアルミニウムのそれがベコンと凹む。原因不明の涙と零れてしまいそうな嗚咽を食いしばって押さえようとしたら、不意に何かに包まれた。それが龍巳だと分かるには、数秒の時間を要した。





−続−

予想外の展開