バスケ部の合宿は毎年八月の中旬に行われる。学校所有の島が合宿施設になっており、そこで五日間バスケ漬けの日々を送ることになる。バスケ漬けと言っても夜の練習は九時には終わり、その後は自由時間になっているし施設は高価なホテルと比べても遜色がない。場所に制限がないためチームごとに広々と練習ができるところが利点だろうか。


「敦くんはどうしてそんなに角倉君に突っかかるの?」


 昼間の練習とミーティングが終わり二日目の自由時間になってチームメイトと体育館に向かった向井敦は、不意に聞かれた質問に顔を歪めて口を開くことを躊躇った。
 敦が聖を始めて見たのは小等部の廊下ですれ違ったときだった。とても奇麗な顔をして悲しい事実を背負った少年が第一印象ではあったけれど、中等部に上がって同じクラスになってその存在が癇に障った。自分よりも遥かに何でもできて先輩たちからも可愛がられて、バスケも上手い。彼は敦が欲しいものをすべて持っていた。それなのに、何も持っていないと笑うその奇麗な顔が癇に障った。


「ちょー待ち聖!俺もう無理」

「だらしねぇな」


 答えを濁して体育館の扉を開けた瞬間に目に飛び込んできたのは、敦が最も見たくない奇麗な顔をした少年とそのチームメイトだった。ボールを手元で遊ばせながら無邪気な笑みを浮かべている。それは去年浮かべていたような卑屈なものではなく子供のように無垢でさっぱりした奇麗な笑顔。それを目にして敦の心はざわめくから、目を逸らす。


「あ、角倉君たち」

「ふん、夜中まで練習とはよほど自分に自信がないようだな」

「またそういうことを……。どうしてあっちゃんはそういうこと言うかな?」

「う、うるさい!」


 広い体育館には二、三年のレギュラーチームが揃っていた。去年はよく一緒にいたのに進級したら練習場所も変わってしまいあまり一緒にいるところを見なかったから、久しぶりにこの十人が一緒にいるところを見た。この体育館が各々好き勝手に遊んでいる。練習と言うよりもそんなイメージがあった。夜に開放されているのはここだけのはずだが、これだけしか来る人間がいないことに少し驚いた。


「海人先輩!一本やろ」

「いいけど、後悔すんなよぉ?」


 寿季がもう無理だと言ったので、聖は視線を巡らせて結局一人でシュート練習していた海人に目を向けた。手合わせなんて久しぶりだなぁと笑う二人の目はけれど真剣で、コートにいた仲間たちが徐々に端によけるように移動する。動き出した彼らの姿は人の目をひきつけ、敦も思わず目で追ってしまった。
 聖は肩につく髪をヘアクリップでくるりと纏め上げて女の子のようなのになよなよしたイメージは全くない。目に鋭いほどの真剣さを漂わせて、口元に僅かに笑みを浮かべてボールを追っている。それでも一歩上なのは海人先輩で、巧みに聖を誘導してボールに指一本触れさせない。


「聖ー!海人に勝ったら今夜一緒に寝ような!」

「ぜーったい嫌だっ……あー!」

「余所見すんなよ。俺の勝ち」

「護先輩のせいだ!!」


 勝負は短かった。まさに一瞬の隙を突いた海人が綺麗なフォームでボールを放り、それがネットを通過する。それを見ていた直治が目を眇めて「フォームが曲がってる」と注意していたけれど敦には真っ直ぐで綺麗なシュートフォームに見えた。
 入り口でどれだけぼうっとしていたか分からない。入ることを忘れていたのか聖に見蕩れていたのかも分からない。けれど、始めに敦たちに気づいたのは葵だった。嫌そうに眇められた目で見られる筋合いなんてないのに、この目はきっと聖が原因だと見当違いと思いながらも確信している。


「向井たち、また聖に喧嘩売りに来たの?」

「なぜ俺が角倉などに喧嘩を売らないといけないんだ!?そんな時間を無駄にするわけがないだろうが!」

「何その言い方。身の程をわきまえなよ」

「身の程をわきまえるのはそちらだろうが」


 売り言葉に買い言葉なんて、なんと的を得た言葉だろう。まさにそのまま青いに売られた喧嘩を買った形になる。聖に喧嘩を売ったわけではないけれど、彼を見ていて苛々するのも事実だ。どうしてこの少年は自分が持ってないものをすべて持っている。どうして何でもできて何でもあって、それでも悲しそうな顔をする。それがひどくいらつく。だから、その苛々を解消するために敦は喧嘩を売る。


「俺は角倉をまだ認めていないぞ!」

「ちょっ、敦くんやめときなよ!」

「勝負だ!」


 自分の首を絞めているのは分かっているけれど、敦の言葉は止まらなかった。聖がひどく妬ましい。バスケも上手く当然のようにレギュラーの座に収まっていることも、すべてが気に入らない。鼻にかけない態度が周りから評判がいいのに、その態度も敦の気に触った。
 勝てるわけがないと分かっているけれど敦はまた喧嘩を売った。それを聖は少し考えるように周りを見回したが誰も何も言わないので小首を傾げながらボールをパスしてきた。それを受け取って、睨みつける。一本勝負かと訊こうかと口を開いたら、亮悟先輩がパンと手を叩いた。


「フリースロー対決にしなよ」

「はい?」

「フリースロー。ね、分かりやすくていいし」

「あぁ、そうか。聖、フリースローだよ」

「……チッ」


 先輩方の、特に直治と亮悟には敵わずに聖は物言いたげにしていたが、舌を打ち鳴らしただけで何も言わなかった。一本目を打つように顎で示すので、敦がぐっとボールを構える。フリースローは得意な方だからもしかしたら先輩たちはそれを考慮してくれたのだろうか。そう思いながら一本放ると、綺麗な放物線を描いてゴールに吸い込まれていった。
 トン、と落ちたボールを聖が拾い上げて所定の位置まで戻ってきて、構える。何度か床を叩いたボ聖のそれも同じコースを辿ってゴールに落ちた。


「聖、フォーム歪んでる。膝のスナップ使うんだよ」

「分かってる!だからフリースロー苦手なんだって言ってんじゃん」


 聖には飛ぶアドバイスにも、敦の時には飛んでこない。確か先輩たちは聖に対して特別で、弟のように思っているらしいからしょうがないかもしれないけれど、それでも悔しい。人に好かれて人を惹きつける聖が、羨ましくてしょうがなかった。だからだろうか、指先が震えてボールがぶれた。ボードに当たって落ちるボールを聖が拾い上げて、ひょいとシュートしている姿を見てやっぱりこいつには勝てないのだと悟って泣きそうになった。


「俺の勝ち……敦?」

「うるさい!」


 涙を見せるのが癪で、滲んだ目をぐいっと拭って叫ぶように言い捨てて踵を返した。後ろで何を言われようとも足を止めることもできなくて、結局逃げるように部屋に戻った。一緒に戻ってきたチームメイトも何も言わず、気まずい雰囲気で各々が風呂に行ったり布団に潜り込んだりをはじめる。
 敦は一度散歩に出て、それから熱いシャワーを浴びに大浴場へ向かった。もう外は暗いから、早く寝なければ明日に響くと思いながら見上げた空は、星の光で白んでいた。










 一通り練習を終えた聖たちは全員揃って大浴場へ向かった。しばらくは一緒に騒いでいたけれど長風呂の聖と龍巳を置いてみんながみんな先に戻ると行って出て行ってしまったから、今は広い露天風呂に二人しかいない。見上げた空は星がたくさん瞬いていて、見飽きない。


「あのさ」

「黙れ」

「聞けって。最近、舞依の様子おかしくねぇ?」

「お前に対してだけな」

「何で?俺なんかした?」

「テメェの胸に聞け」


 校外研修から帰ってきて舞依の様子がおかしい。声をかければなんだか挙動不審だし、今日だって目が合うだけで睨まれた。何をした覚えもないから龍巳に聞いているのに自分の胸に聞けとはひどくないか。けれど龍巳はあまり分かりやすい言い方をしてくれないのは分かっているので、会話をそこで打ち切る。もしかしたら、あのとき赤だ緑だと喧嘩したことをまだ怒っているのだろうか。
 再び会話が途切れたときにがらりと誰かが入ってきた音がして、聖は視線を空からそちらへ移した。なぜか本格的な温泉のつくりになっているここは湯船のほぼ中央に大きな岩がせり出していて、入り口の向かいにいる聖は丁度死角になっている。


「ほらほらあっちゃん、泣かないの」

「泣いてない!」


 入ってきたのは敦とそのチームメイトの原秀道だった。敦は泣いていたのか、と思いながら思わず息を潜めて気配を隠す。なんとなく敦は見られたくないだろうと思うし、見てはいけない場面のような気がした。湯に浸かってしばらくは黙っていたが、原の方が口を開いた。


「昔は角倉のことそんなに嫌いじゃあなかったのに」

「……嫌いなわけじゃあない。ただ、見てると苛々する」


 絶対に聞いてはいけない話題だなと聖は空を見上げる。他人から自分の評価を正直に聞くことなんてないけれどできれば聞きたくない。なんて思われているか知りたくもあるけれど、けれどそれで自分が疎まれている事実を突きつけられたくなんかないから。いっそ出て行ってしまおうかと体を浮かすけれど、水が波紋を僅かに伝えただけで龍巳に手を掴まれて止められた。どうしてだ、と目で訴えても彼は首を横に振るだけでやっぱり何も答えてはくれなかった。


「あいつは何でも持ってるのに……それがむかつく!」

「ヤキモチ?」

「違う!俺だってあんな風になりたかったのに……それなのにあんな顔して笑うのがむかつくんだ!」


 何も持っていないような顔をして、と続いた言葉は震えて消えた。その言葉を聞いて、聖の肌に鳥肌が立った。周りからの高評価なんて面と向かって言われることは普段ない。特にこっちの世界に片足を突っ込んでからは好意を向けられることなんてほとんどなかった。嬉しいような気恥ずかしいような気がして龍巳を見ると、なぜかにやりと勝ち誇ったように笑われた。


「つまり憧れてるってことでしょ」

「何であんな奴!」

「なぁんか、妬ける」


 話の流れがおかしなほうに行きそうな気配を感じて、やばいと思ったけれどここから逃げ出せるわけもない。ラブコメ漫画とかで女湯に入った男主人公ってこんな気持ちなのかなとあまり関係のないことを考えながら聖はこれからどうしようかと考える。何となく今出て行ったら絶対に気まずい。
 けれど龍巳はいい加減鬱陶しくなったのか、男前に立ち上がると何事もなかったかのようにすたすたと上がってしまった。慌てて追いかけるけれど、敦の目が点になっているのは見えてしまった。


「龍巳!」

「九条院に角倉!?」


 驚きの声をあげたのは原の方で、敦は完全に言葉も出ないようで口を酸欠の金魚のようにパクパクしていた。
 翌日以降敦は聖に絡んでこなかったけれど、彼の胸のうちを知ってしまったから聖はそれを見て意地の悪い笑みを浮かべて積極的に絡みに行った。ただ相変わらず舞依の様子はおかしくて、聖が声をかけようとも反応が薄く何かに怒っているようだった。ただ、舞依とは時間が経てば元の関係に戻れそうな気がしてそのままにしておいた。





−続−

聖さんと龍巳さんの親友具合を書きたい