珍しい人の名前がディスプレイに刻まれて、聖は首を傾げながら電話に出た。職業体験が終わってまた学校が始まるからその関係だろうか、でも部活の連絡なら龍巳にすればいいものを。僅かな間に少し考え、聖はごろりと寝転がった。耳に当てた筐体から、護の声がする。そのの向こうはどこだろう、妙な気配がした。


『聖、元気?』

「元気だけど……なンすか?」

『元気かなって思って。職業体験どうだった?』


 護先輩がそんなことをきくなんて珍しい、と思いながら聖は「それなりに楽しかった」と答えた。ふぅん、と気のない返事が返ってくるから、護先輩は去年と同じでバスケでもしてたのかと聞くと頷かれ、なんだか羨ましい。護が何をやったか聞くからただ兄と過ごしたことを話してやったのに、あまり興味がないような返事しかしてくれない。亮悟先輩ならもっとちゃんと聞いてくれるのに、と思って聖は会話を切った。


「ねぇ、亮悟先輩は?」

『うん?』

「いつもそういう電話くれるのって亮悟先輩だし。マラソンのときから見てないけど、先輩知ってる?」

『大丈夫、大丈夫。聖、ちゃんと明日も学校来るんだよ』

「そりゃ、行くけど」


 もうサボリ癖は抜けたから、と聖が返すと、護は満足そうに「そう」と言って一方的に電話を切った。一体何だ、と思いながら携帯を放り出し、時計を見ると深夜一時を回っていた。亮悟先輩に電話してみようか。でも時間も時間だし、少し携帯を見つめて考えたけれど、寝ることにした。どうせ明日になれば、会えるんだから。
 そう思って、朝少し早めに学校に向かった。職業体験開けで久しぶりの学校だ。去年は専体でバスケをやっていたけれど、今年は学校に来なかったからなんだか新鮮だ。
 おはよう、と言うクラスメイトに適当に挨拶をして、聖は自分の席に荷物を置いて紀仁の机に座った。先に来ていて本を読んでいた彼は少し邪魔そうな顔をしたけれど、顔を上げてくれた。


「おはよう、聖」

「おはよ。あれからどう?」

「何もあるわけないでしょう。聖こそ、職業体験はお兄さんと一緒だったんでしょ?」


 美月さんとの仲、と口にしたわけでもないが紀仁は察してくれて、けれど素っ気無くはぐらかされた。否、はぐらかされたわけではないと思う。本当に何もなかったのだろう。つまらない。逆に自分のことを質問されて、答えを探して一瞬沈黙した。まだまだ、自分は下手糞だ。そう思いながら、結局口から出てきたのは「一緒にいただけ」と答える。
 始業五分前、予鈴がなったときに廊下に叫び声が響いた。何事かと思って顔だけを向けると、突然教室のドアが開いて海人と庄司が飛び込んできた。下級生の教室を襲来するにはひどく厳しい表情をしている。


「聖!」

「んなでかい声出さなくても聞える」


 なんだよ、と聖が立ち上がり彼らに近づく。二歩足を出したところで、殺気を感じて反射的に左腕を頬の前に差し出してガードを作る。右ストレートを受け止めて、力を殺すためにそのまま後ろに飛び退った。膝を折ってどうにか留まり、立ち上がる前に護と直治の姿を見た。亮悟は、いない。


「何で昨日来なかったんだよ!?」

「海人、庄司!ストップ!」

「連絡しただろ!?」


 彼に何かあった、と言うのは直感で理解した。それが昨日と言う単語に結びついて、夕べ何かあった、その連絡を護先輩がくれるはずだったのだと理解した。けれど彼は昨日そんなことはおくびにも出さなかった。他愛のない話を、亮悟先輩のような話をして電話を切った。ちゃんと学校に来いと、そう言って。違和感で気付くべきだった。きっとあの後ろの違和感は、病院だったのだろう。
 更に殴りかかってこようとした庄司を、護が止めに入った。直治が聖の前に立つから、八つ当たりだと分かりながら彼の胸倉を掴んで睨みあげた。


「亮悟先輩は!?」

「聖には連絡するなっていわれたから、護に電話させた」

「なんで教えてくんなかったんだよ!」

「聖が行ってどうなる?余計な心配かけたくないって言うのが、亮悟の意思だよ」

「知るかよ!」


 居場所を問い詰めたつもりでいるのに、直治は飄々と聖を見下ろして言った。彼の後ろでは三年レギュラーが、いつの間にか黙って立っている。チッと舌を打ち鳴らし、直治を突き飛ばすようにして教室を飛び出した。後ろで名前を呼ばれるけれど無視して、廊下ですれ違った担任に「帰る」とだけ言い捨てて学校を出てタクシーを拾った。大方場所は、分かっている。










 真土系列の総合病院の一つは、都内にある。学校からだと三十分程度だろうか。おそらくそこに亮悟は入院したのだろうと、聖はあたりをつけた。以前一度だけ見舞いに行ったことがある。タクシーの運転手に行き先を告げて、やっと一息ついた。ポケットの中の財布と携帯を確認すると、着信が一件入っている。紀仁からで、荷物をどうするというから龍巳に渡しておいて欲しいとメールを入れた。
 タクシーを降りて、病院の受付で名前を尋ねるとちゃんと亮悟の名前があった。面会謝絶になるほど悪くはないようで、部屋を教えてもらえて安心する。安心ついでに途中の自販機でお茶を買ってから、教えられた部屋に向かってみた。高鳴る心臓は、怯えか期待か。コンコン、とノックすると中から亮悟の声が静かに聞えた。


「亮悟先輩……」

「聖」


 顔を覗かせると、亮悟は静かに微笑んでくれた。何となく病室に入れないでいると、手招いてくれる。そうしてやっと、安心して部屋に入れた。ベッドの横に椅子を引っ張り出して座るまで何も言わないで黙っていたら亮悟も黙っていた。座って一息ついてから、冷たい缶のお茶を握ったまま亮悟を窺う。


「大丈夫そうでよかった」

「聖には言わないでっていったんだけど、誰からここ聞いたの?」

「庄司先輩が殴りかかってきて、亮悟先輩に何かあったんだなって」

「聖はすごいねぇ」


 それだけでここが分かるなんて、と笑った。伸びてきた手が聖の頭を優しく撫で、その感触に安心して聖は目を細めた。そうして、やっと肩から力が抜ける。亮悟先輩が無事でよかった。そう思うとなんだか涙が出てきて、慌てて手で擦って誤魔化した。


「なんで俺に教えてくれなかったんすか」

「聖に心配かけたくなかったから。聖のせいじゃあないって、言ったでしょ」

「でも……」

「聖を見てると放っておけないって言うか、どっちかというと元気になれるよ」

「…………」


 亮悟先輩はそう言いながら微笑んでくれるけれど、なんだか納得できなくて聖は口元を歪めた。自分は何もできないどころか心配ばかりかけている。だから、亮悟だって体調を崩すことが増えたんじゃあないのか。そう思っていたのに、彼は違うと笑う。そんな自分が不甲斐なくて、聖は唇を噛んだ。


「そんな顔しないの。職業体験、どうだった?」

「あ、兄上と出かけたりした」


 まるで亮悟がいつものように聞いてくるから、聖は顔を上げてそう言った。やっとお茶のプルタブを開けて喉を潤し、兄と過ごした初日から詳細に語った。うんうん、と聞いてくれる亮悟にひどく安堵して、全てを語っているうちに気付いた。自分は彼に、安心している。全て預けている。紀仁には語れなかったことを、亮悟先輩には話せる。彼が聞き上手だということもあるけれど、それ以上に安心できるのだ。ちゃんと受け止めてくれると、絶対に安心している。


「買い物とか行って、なんか、大丈夫になってきた」

「よかったね」


 話し終わって時計を見ると、昼近くになっている。携帯は時々メールの着信を知らせていたけれど知らないふりをしている。どうせ部活には出るから、と思って聖は一つ欠伸を噛み殺した。なんだか安心して胸の中を空っぽにしたら眠くなった。いつの間にか飲み終わってしまったお茶の缶を潰してなんとなく手元で遊ばせていると、亮悟が「捨てるよ」と言って手を伸ばしてくる。素直に差し出すと、ベッドの向こう側のゴミ箱に捨ててくれた。


「ちゃんと学校帰りなよ」

「部活の時間になったら行く」

「明日は来ちゃ駄目だよ。ちゃんと学校に行くこと」


 少し嫌そうな顔をしながら、聖は頷いた。学校に行くよりもここにいたいと思うのはどうしてだろう。虫の知らせと言うやつかただ甘えているだけなのか知らないけれど、何となく気乗りがしない。
 それからしばらくだらだらいろいろな話をしていたら、昼休みになったのか直治が迎えに来た。彼は少し亮悟と話した後、有無を言わせずに聖を連れて学校に戻った。授業に出ろといわれるのかと思ったけれど、なぜか専体に連れて行かれて部活の時間までずっとバスケをしていた。










 午後の時間約三時間。体育館で待ち構えていた護と直治にボコボコにされた。久しぶりに敵わないと実感しながら歯を食いしばってボールを追いかけて、部活が始まる頃には体力を使い果たして体育館の床に転がった。先輩たちはSHに出るといって戻ってしまったので、一人でぼんやりしていた。久しぶりに思い切り動いて、すっきりした。というか考えられないくらい疲れた。


「ひーじりっ」

「んあ?」


 床に大の字になってうとうとしていたら、声をかけられた。夢うつつでなんだ、と瞼を上げると寿季が目の前で笑っている。特に驚くこともなく聖は右腕を擡げてその顔をどかし、体を起こす。周りを見るともうずいぶん人が集まってきていて、遠巻きにこちらを窺っていた。邪魔だったかな、やっぱり横着しないでソファで寝ればよかった。そんなことを考えながら立ち上がり、少し冷えた体を震わせる。そういえば、もう十二月だ。そこでこんな格好はない。


「聖、今日どこ行ってたの?」

「亮悟先輩んとこ。部活?」

「うん。先輩大丈夫だった?俺たちも昨日から心配してたんだよ」

「お前ら知ってたのかよ!?」


 何気ない寿季の言葉に、聖は目をむいた。驚いたまま頷く寿季に舌を打ち鳴らし、着替えようかと思ったけれど面倒になってその場で体を少し動かした。自分一人が仲間はずれか、と唾を吐きたくなる。きっと亮悟の話を聞かなければ彼らに詰め寄って先輩たちに殴りかかっていただろう。けれど、話をした後だから腐らずにいられた。


「聖、知らなかったの」

「朝まで知らなかった」

「それで飛び出して言っちまったんだもんな」


 寿季が投げて寄越したボールを受け取って体を温めていると、隣で龍巳が笑みを含んだ声でそう言った。余計なことを言うな、と睨みつけてやるけれども、飄々と交わして荷物は部室に放り込んであるという。ロッカーに入れてくれればいいものを、どうせ出しっぱなしだろう。大事なものなんて入っていないが。
 龍巳が号令をかけて部活をはじめたからそれ以上問い詰められることも文句を言うこともできなくなって、聖は言葉を飲み込んだ。


「そういえば、もうすぐクリスマスだけどどうする?」

「その前にテストあるんじゃねぇの」

「まぁまぁ、クリスマスみんなで集まろうぜ!」

「龍巳ん家?」

「おい、ごちゃごちゃうるせぇ。それにクリスマスは毎年組総出で餅つきだ」


 龍巳が指示を出しているとのありで寿季と話していると、龍巳が文句なのか拒絶なのか分からないことを言い出した。餅つきしてる隣でクリスマスっぽいことしてもいいよな、と言っているとボールが飛んできたので、それを受け取って籠に放り込み、まずアップのためにロードワークに出た。
 そういえば、今年のクリスマスに茜はどうするつもりなのだろう。





−続−

聖さんは亮悟先輩が大好きです