私立竜田学園。幼稚舎から大学部までエスカレーター式で、総学生数が十万を超えるマンモス学園。全国から有名人や金持ちの子息が集まるこの学校は高等部だけでも三千人あまりの人数がいる。そんなオレがいるのには場違いのような学校の応接室は、とてつもなく広かった。
 僕が座っている豪華なふかふかのソファ、その下には赤い絨毯、猫足のテーブル、凄い数の賞状がはいった額。足元がふわふわで落ち着かない。そんな豪華な部屋で待たされる事二十分以上経った、オレがそろそろ馴れてきて興味本位に高そうな壺を触りに行こうと思ったときだった。静かだった廊下から、二人分の足音が聞こえてきた。段々近くなってきたその音はこの部屋に向かっているようでノックもなしに扉が開いてひげを生やした先生と長身の男性が入ってきた。


「遅くなってすまない」


 ひげの先生が低い声でそう言うと、長身の男性は意外そうに柳眉を跳ね上げた。それにしても綺麗な人だ……。
 入ってきた長身の男性は、一言で言えば綺麗。肩よりも少し長いくらいの無造作に流した髪はくすんだオレンジ…ブラウンに近い色をしていて、顔は本当に整っている。男のオレが見とれちゃうくらい整っている。女の人よりも綺麗なのに女っぽく見えないのは、きっとその怖ろしいほどに強い瞳。切れ長の瞳は飄々として掴みどころがなくて底のない湖の中を覗きこんでいるようだった。


「真坂センセ、遅れちゃダメじゃないっスか」

「お前が遅れたんだろう馬鹿者が」

「だって今日ナツいたし」


 対してヒゲの先生は威圧感もあるがどこか安心する、そんな感じ。長身の人と並ぶと小柄に見えるけれど、一七〇は超えているだろう。一般よりも少し高いくらいだろうか。口周りに少しヒゲを生やした姿は、いつか流行ったちょい悪オヤジを思わせる。
 その二人の男性はオレの向かいのソファに座った。長身の美人が優雅な仕草で足を組み、自然にポケットから煙草を引っ張り出しす。今気付いたけれど、ヒゲの先生はきっちりスーツを着ているけれど、長身の男性はラフな格好。細いパンツにYシャツ、その上から簡単にジャケットを羽織っているがホストさんだろうか。この場に関係ない気がするけど。胸元や袖口からはシンプルだけれどもセンスのいいシルバーのアクセサリーが覗いている。
 煙草を引っ張り出した美人さんをヒゲの先生が無言で睨みつけると、彼は不満気に顔を歪ませてケースをテーブルの上に放り出した。最近発売したばかりブラックデビルの新作のストロベリーだった。


「生活指導の真坂だ。これが2B担任の角倉聖」

「貝谷昴です。よろしくお願いします」


 二人の男性に頭を下げられて、オレも慌てて名乗って頭をペコリと下げた。角倉聖だと紹介された担任は事態を飲み込めていないのか、何度か瞬いてオレをみている。彼の隣から真坂先生が大仰なほどに溜息をついた。


「お前のクラスに転入する貝原君だ。かの貝原グループのご子息だ」

「え、は?」

「お前のクラスに転入する……」

「そこは分かってます」


 何も聞かされてなかったのか、やや声を大きくした真坂先生の言葉を途中で切って、角倉先生は気を落ち着かせるために大きく深呼吸を一つして煙草に手を伸ばした。真紅のジッポライターで火を点けて甘い紫煙を吐き出して、落ち着いたのかオレの方を見る。
 今まで普通の一般の庶民だったオレが何故こんな場違いな金持ち学校に放り込まれたかというと、答えは至極簡単だ。年老いた祖父が、家督を譲りたくなったから。先生もそこらへんが引っかかっているのだろう。


「貝原って言ったら跡継ぎいなかったですよね?会長には会った事あるけどそんなこと言ってましたし」

「ご息女が駆け落ちしたんだ」


 そう言って、確認するように真坂先生がオレを見た。まだ納得していないような角倉先生を見て、オレはここに来る事になった経緯を話した。
 正月に唐突に、電話が掛かってきた。それはいないと聞かされていた祖父からで、一緒に住まないかという物だった。いい加減年を取った祖父は引退して友人たちと人並みにゲートボールや将棋をして過ごしたいらしい。それを聞いたまだ新婚のように熱々な両親は老後の夢と言っていたヨーロッパに家を買い、たった一人の愛の結晶を預けてさっさと日本を後にしてしまった。冷静に考えてみるとなんて酷い親だ。


「祖父が引退したいらしく、なぜか家を継ぐことになってしまって」

「そーゆーことか」


 そういうと、角倉先生は一呼吸おくと納得したように軽く頷いた。まだ長い煙草を備え付けてある綺麗な灰皿で揉み消して、立ち上がる。真坂先生が「まかせたぞ」と先生に眼を向けずに言うと、彼は口の端を引き上げて「まかせてください」と笑った。そしてオレを顎で軽く促す。


「教室行こーぜ」

「はい、よろしくお願いします」












 この学校は怖ろしく広かった。中等部と同じ校舎を使っているから広いのは当たり前だけれど、慣れるまで地図が必要かもしれない。さっきいた応接室は、2階のほぼ真ん中へん。この学校はH型の高等部校舎とI型の中等部校舎を特別棟が繋ぐ造りになっているから造り自体は簡単なんだけど、相当広いのだ。そこから4階に上がり、左から2番目の教室が2年B組の教室だった。
 角倉先生と一緒に教室に入ると、何故だろう。男子ばっかりだった。


「席つけー。5秒以内についてなければこの場でキスさせる」


 角倉先生が言った瞬間、教室で喋っていた全員が一度角倉先生を見て、真っ青な顔をして席に着いた。なぜか怖ろしいと思った。教室中の視線がオレに注がれるのが分かる。転校生ってやっぱ緊張する。窓際の席から興味津々な声が聞こえてきた。


「聖先生!転校生ですか!?」

「見りゃ分かるだろ。まず、進級おめっとさん。んで転校生だ。貝原グループのご子息だそうだ」

「貝原昴です。よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げると、同じ濃紺のファスナータイプの学ランを着た少年達から元気な声が「お願いしまーす」と帰ってきた。みんなが良い人そうで良かった。金持ち学校っていうからもっと嫌味ったらしいのかと思ってたけど全然そんな事なくて、正直安心した。少し余裕が出来て教室中を見回すと、廊下側の席に開いている席があった。あそこがオレの席だろうか。


「なぁ、昴って呼んで良い?」

「はい?」

「だから名前。なんか呼びにくい」

「はぁ……、どうぞ」


 唐突な質問の訳が分からずに頷くと、先生はほんの少し嬉しそうに顔を綻ばせて教室を見回した。オレの席だろう空席の隣に座っている制服を少し着崩した茶髪の少年を目に留めると数度軽く頷いた。


「圭太挙手。昴はあいつの隣の席な」

「はい」


 ナチュラルに生徒の名前を呼ぶ先生だな。軽く頷いて手を上げた茶髪の少年の隣の空席に荷物を降ろして座ると、隣から人懐っこい笑顔ですこし落とした声を掛けられた。


「オレ、荻原圭太。よろしく」

「よろしく」


 何で「お」の彼が隣なんだろう。おが付く名前が一杯あるのかと思ったけど、黒板にでかでかと書かれた席順は廊下側から窓側に向かって横並びで名前が並んでいた。
 オレが席に着いたのを見届けると、角倉先生が手首の時計を見て微かに眼を険しくする。教室に全員いる事を再確認したのか、形の良い唇を開いた。


「自己紹介は勝手にするだろ?最低委員長だけは決めとくように。下校時刻は5時、部活は今日は全面禁止。授業は明日から普通にあるから時間割確認しとけよ。以上」

「はい先生!時間割ってドコですか?」

「そこのボードに貼ってある」

「ビンゴの機械ってありますか!?」

「多分職員室の俺の机の上」

「勝手に持ってきまーす」


 淡々とした先生の連絡の後、なぜか分からない質問を二人の生徒がした。ビンゴなんて何に使うんだろう。っていうか、職員室の机の上にあるんだ?
 これ以上質問が無い事を確認したのか、角倉先生は「楽しくやれよ」と言って教室を出て行ってしまった。どういうことだろう。というかこの状況はどういうことだろう。どういうことかと訳が分からずにいると、周りは分かっているのかさっき質問した二人が勢い良く立ち上がった。一番初め、オレに質問した少年が腕を振り上げる。


「とりあえず圭太は貝原君に状況説明してやって!その間にオレたちは準備するから」

「オーケー。じゃあ廊下にいるから終わったら呼んで」

「え、あの……」

「じゃ、貝原君行こうか。って言っても廊下だけど」


 荻原君が頷いて立ち上がり、オレの机に手をついてまたあの人懐っこい笑顔で笑った。訳が分からずオレが曖昧に頷くと、彼は俺を促して廊下に向かう。隣のクラスも中が騒がしい。もう放果じゃないのかなとかこれから何が始まるんだろうかと思いながら廊下に出ると、荻原君は壁に背を預けてズルズルその場にしゃがみ込んだ。オレもつられて座ると、彼は眉を下げて苦笑した。


「いきなりゴメンね。訳分からないでしょ、聖先生どうせ何も説明して無いだろうし」

「まぁ、そりゃぁ……」


 オレが曖昧に頷くと、荻原君は「だよねー」と相槌を打って考えるように視線を天井に逃がした。さっきも思ったけど、相当仲が良いのだろうか先生を名前で呼んでいる。さっき名前でも呼ばれていたみたいだし、不思議な先生だ。
 オレが黙っていると、荻原君は考えをまとめたのか視線をオレに向けた。ちゃんと人の目を見て話す子だ。


「今から自己紹介とか委員長決めるのとかをやるんだ。なんていうか……ノリで?」

「ノリで……」

「この学校ビックリしたっしょ?広いし」

「うん、すごいね」

「初めは迷うよー。分からない事があったらなんでも聞いてくれていいから」

「うん、ありがとう」


 廊下にしゃがみ込んで二人で、いろいろな話をした。何でオレがこの学校に来る事になったのかとか、荻原君の家は貿易業をやっているとか、バスケをやっているとか。そんな個人的なこととか、学校の事。中等部はどういう風になっているとか、この学校の高等部は男女別クラスで女子棟は男子棟の向こうの建物だとか、授業の事とかまで。さすが金持ち学校は違う。中等部にはマナーの授業があるとか、二年は日舞が必修だとか。転校が決まった一月からこの学校の学力に追いつくべくドイツ語とかいろんな勉強をしたけれど、少し不安になる。
 そんな他愛無い話をしていてもオレは気付かなかった。不用意にこの質問をしてしまったんだ。


「角倉先生ってどんな人?」


 と。その瞬間の荻原君の顔ったらなかった。角倉先生はバスケ部の顧問で化学教師でもちろん担任。あの人は妻子持ちで娘さんを溺愛している事、いつも適当ででもバスケが上手くて世渡りも上手くていつも先生の被害を被っているのは荻原君だということ、その上日本はこの家で成り立っているんじゃないかと思えるほど金と権力を併せ持つ角倉本家の跡継ぎらしい事。自慢なんだか恨み節なのか判断が付きにくい事をもう二十分近く喋っている。よくネタがなくならないと逆に感動してしまう。
 買出しに行っていたのかビニール袋をいくつか持った数人の男子がしゃがみ込んでいるオレたちに声をかけた。


「何、圭太どうしたの?」

「角倉先生の事訊いたら長々と説明を……」

「それ説明じゃなくて愚痴だから聞き流してていいから」

「悪いな、圭太の世話させてるみたいで」

「つーか!朝起こしに行かなきゃ部活こない顧問てなんだ!?」

「落ち着け圭太!もう中準備できたから!!」


 いきなり立ち上がった荻原君を彼らは慌てて落ち着かせて、教室に連れて行った。ていうか、朝起こしに行かなきゃ部活こない顧問て本当になんだろう。
 教室に入ると、机が固まって大きなテーブルを作りお菓子の類が並べられていた。教卓には大き目のビンゴの機械が置いてある。中川隆志と名乗ったメガネ君が、端っこに座らされた荻原君を落ち着かせていた。その間に前原一誠と名乗ったバスケ部員が教卓で黒板をバンと叩いた。


「2Bのイインチョは誰だ!ビンゴ大会ー!!」


 イエーイとでも効果音が付きそうなノリでみんなが手を振り上げた。オレがビックリしている間にビンゴが配られる。本当にビンゴをするらしい。こんな事で委員長決めていいのかな。もっとこう真面目にクラス会をするとか、金持ちなんだから政治家の息子がやるとかないのだろうか。金持ちの考える事って分からない。


「ちょっと待て!何でオレのビンゴ全部『偶数』ってのしかないんだよ!?」

「ボク3しかないんだけど……」

「じゃあスタート!」

「一誠ぇぇ!」


 荻原君と中川君が声を上げるのに、前原君は完全に無視してビンゴの機械をぐるぐる回した……なんか、福引の機械みたいだ。ものすごい勢いで回して、ぴょんと白い玉が飛び出した。もっと穏便に出来ないのかなっと思って、オレは机上のポテチに手を伸ばす。それを同じくバスケ部の工藤君がキャッチして、勿体つけるようにゆっくりと手を開いた。そこに画かれていた数字は……9。


「チッ。んじゃ次ー」

「何で今舌打したお前!?」


 つまらなそうに顔を歪めた前原君に思い切り荻原君が突っ込んだ。しかしまた無視して凄い勢いで機械を回す。今回は真上に飛び出して天井に当たり、落ちてきたのを前原君がキャッチした。後ろから「9なんて一つしか入ってないのにな」という声が聞こえてきたのは知らない振りをしよう。手を開いて前原君はやや不満気な顔で笑った。その手にしている数字は、3。


「3!ってことで委員長はビンゴした中川隆志に決定!!」

「隆志、挨拶どうぞ!」


 大きく眼を見開いた中川君は、しかしすぐに表情を苦笑に変えるとその場で立ち上がった。持っていた穴の開いていないビンゴを握りつぶし、でも表面上はあくまで笑顔でいる。その瞬間の前原君の「やばい、マジギレ?」と一瞬青くなった顔をオレは見逃さなかった。


「なんだか作為を感じますが、選ばれたのにはそれなりの理由があると思います。ね?」

「はい!全くその通りです!!」

「ボクにできる事なら精一杯頑張らせていただきますので、ご協力お願いします」


 それから自己紹介代わりの宴会にも似たパーティーは下校時刻ギリギリまで続いた。金持ちって結構偏見があったけど、本当は庶民と変わらない…というかたぶん一般人から見たらだいぶ馬鹿な普通の人たちだった。転校一日目なのにみんなと仲良くなれたし不思議な先生にも会えた。本当はあまり気乗りしなかった転校だったけれど、この学校に転校してきてそれはそれで面白いんじゃないかと思った。




-結ぶ-

貝原昴(かいばら すばる)
前原一誠(まえはら いっせい)
ルビはここで振らせてください。
我楽多箱U第1話から圭太が不幸でしょうがないってどうよ。