春って言うのはどうしてこんなに眠いんだろう。そう思って俺は今日何度目かの欠伸を噛み殺した。
 木曜日のうちのクラスの時間割は、数学、体育、国語、日本史、英語。午前中は90分授業だから実質座っている授業は数学だけだけれど、その短い間に俺は数回先生に注意を頂いている。ちょっと昨日ゲームの続きが気になってついついやっちゃたからって……。っていうか、机に突っ伏していた一誠は何で怒られないのにうとうとしていただけの俺が注意されるんだ。


「圭太、相当眠そうじゃね?」

「だってセーブポイントなかったんだもん」

「あるよなー。妙にセーブポイント遠いやつ」


 次の授業は体育だから、更衣室で着替えを済ませて校庭に向かう。無駄に広いこの学校は、10分の休み時間なんてあってないようなものだからさっさと行動しないと遅刻にされてしまう。教室のある3階から昇降口で靴を履き替えてグラウンドへ。早足に進みながらも口もちゃんと動いている。こういうとき口と体は連動しているんじゃないかと思うが、女子はそれが出来ないようだ。
 同じ部活のレギュラーである前原一誠と話しをしながらグラウンドに行くと、もう半分くらいのクラスメイトがいた。みんな早いな。そう思ったけど俺がだいぶボーっとしていたようで、クラスメイトと合流するとすぐにチャイムが鳴った。


「体育やりながら寝たらどーしよ」

「いや、それはねーだろ」


 一誠は真面目に手を顔の前で振っていたけど、それほど眠いんだって。立ったままでも寝れそうな俺がうだうだと並んでいると、先生のホイッスルの音と「集合!」と言う声がした。でも先生、もう並んでます。
 俺たちが並んでいる所に先生がやってきて、点呼をとる。何となくこの時間って腹減るんだよな、もう10時半だし。だからかどうかは分からないけれど、みんなだいぶグダグダだ。だらだらとクラスごとに準備運動をして再び並ぶと、先生が元気に言った。


「今日は最初の授業だし、クラス対抗でサッカーするか」


 限りなくどうでもいい……。もともと俺、バスケ少年だし?超眠いし?サッカーなんてあんまり興味ないし?
 そう思って俯いて寝そうになっていると、周りは大騒ぎしていた。うちのクラスにはサッカー部が3人いるからそいつ等だろう。もうどうでもいいよ。とりあえず、昨日エンディング見れたし。そんな事を考えていると、いきなり肩を叩かれた。


「圭太、キーパーでいい?」

「なんでもいい……」

「悪いな。圭太背高いし任せたから」

「………全力で頑張らせていただきます」


 そう言って爽やかに笑いながら、サッカー部の安斉忠信は俺の肩を力任せに掴んだ。分かったよ、俺が眠そうだから怒ってんだろ。なんで体育でやるクラス対抗のサッカーごときでそんなに本気なんだよ。そう呟くと、近くで偶然聞いていた一誠が「圭太だってバスケだったら燃えただろ」と呆れたように言った。
 まぁ、燃えたけど。今はそんな話はどうでも良くて、何故だからやる気満々のうちのクラスはエンジンまで組んだ。


「打倒A組ー!」


 言っとくけどさ、AとBの違いって第2外国語の選択がフランス語かドイツ語かってだろ。なんでこんなに本気なんだ、と思うが、逆に似たようなクラスだからこそ、対抗心が生まれるわけだ。
 決まったら行動が早い坊ちゃま達は、さっさとサッカーコートに走っていった。俺も出来るだけ頑張ってサッカーゴールまで行く。すると、転校生の貝原君がゼッケンを持ってきてくれた。彼はディフェンスのようだ。まぁ、サッカー部が3人もいればこっちにボールが来る事はないだろうけど。


「荻原君、ゼッケン」

「ありがとう、圭太でいいよ。ディフェンス貝原君だけ?」

「オレ、運動って苦手で」


 そんな話をしていると、試合開始のホイッスルが鳴った。うちのクラスは「どんだけー」と言ってしまう陣形を取っていた。安斉が真ん中で指示を出し、残り2人がフォアードに。さらに、運動神経のよい運動部一誠とかこれまたバスケ部レギュラーの工藤康平も前に。意外に運動の出来る委員長こと中川隆志は中心でゲーム全体の指揮をしていた。
 やっぱりこっちにはボールはこないようで、俺と貝原君は早々に暇になってしまった。まぁ、みんなあれだけ本気だからそうかもしれないけど。そうするとまた、睡魔が……。


「圭太!」


 名前を呼ばれて、危うく昨日のボス戦をまた夢の中でプレイしそうになっていた俺は現実世界に返ってきた。できれば帰ってきたくなかったけど……。気づいた時にはもう遅く、目の前にサッカーボールが迫っていた。避ける事も腕でかばう事もできずに俺は情けない事に、顔面でボールを受け止めてしまった。安斉の「圭太よくやった!」という歓喜の声と、貝原君の心配そうな「荻原君!」という叫び声。そして一誠の笑い声が聞こえた。みっともなくなぜかスローモーションで倒れこんだとき、視界に入った本校舎の窓の所に偶然いた聖先生とバッチリ目が合ってしまった。










「なぁ、ここの計算合わないのどう思う?」

「貴方の頭の中では1+1は3なんですか。おめでたいですね」


 知っている声と知らない声が聞こえて、俺は目を覚ました。周りを見回して場所を確かめるとどうやらここは保健室らしい。滅多にお世話にならないから妙に居心地が悪い気がした。
 すっきりした頭を覚醒させるように軽く振りながらベッドから降りて出て行くと、新しい保健医の先生と聖先生が仲良さ気に顔を寄せて1枚の紙を覗き込んでいた。人外の美貌を持つ我が顧問と涼しげなノンフレーム眼鏡をかけた普通に美人さんが、俺が起きたことに気付いて顔をこちらに向けてきた。


「目が覚めましたか?大丈夫ですか?」

「俺、顔面でボール受け止めるキーパーって初めて見た」


 やっぱり見てやがったか、似非教師め。聖先生に見られていたことに多少のばつの悪さを感じながら立っていると、白衣の保健医に椅子に座るように促された。それに従って腰を下ろすと、彼は俺の顔を覗き込んで異常がないかを調べた。
 その横で聖先生が白衣のポケットから煙草と可愛らしいキティちゃんのライターを取り出して、煙草を吸いながらさっきの紙を見つめてぶつぶつやっていた。


「……吉野、茶」

「勝手にどうぞ。異常はないみたいですね」


 保健医の先生はそう言って微笑むと、バケツを持って水道に向かった。何をするのかと思ってみていると、水のたっぷり溜まったバケツを持って聖先生の真正面までゆっくりと歩いていく。ケータイを弄っていた聖先生はそれに気づくとはっと顔を上げ、苦々しく顔を歪める。
 動いたのは、2人一緒だった。保健医の先生が聖先生がいた所に容赦なくバケツの水をぶっ掛けるが、その数瞬前に聖先生は椅子を横に蹴っ飛ばしてその場を逃れた。
 え、この人たちなにやってんの?


「……チッ」

「この時期にンなことしたら風邪引くっつーの」

「バカは風邪を引かないと相場が決まっています」


 妙に緊迫した空気の中、場違いのようにチャイムが鳴った。え、と思って時計を見上げると、もう授業が終わる時間。俺、そんなに寝てたんだ。
 睨み合っていた先生達は、同時に息を吐くと何でもなかったかのように動き出した。聖先生は蹴っ飛ばした椅子を元に戻して座りなおし、保健医の先生は水浸しの床をモップで拭いている。一体、なんだったんだろう。
 そう思っていると、保健室の扉が突然に開いて2人の生徒が姿を現した。


「先生、授業中にメールしないでください」

「あれ、圭太どした?」

「義久先輩、貴人先輩」


 現れたのは、バスケ部の先輩であり部長の手塚義久先輩とエースの大沢貴人先輩だった。義久先輩は手に書類の束を持っていて、チラッと見ただけだけど入部届のようだ。煙草を口に銜えたまま聖先生は義久先輩からそれを受け取り、貴人先輩は義久先輩にくっついたまま保健医の先生を意外そうに見つめていた。


「吉野さん、なにやってんの?」

「保健の先生です」


 あれ、この人貴人先輩の知り合いですか?
 義久先輩も意外だったらしく、じっと貴人先輩を見つめていた。しかし当の2人はにこにこと笑っていて、そんな2人を見て聖先生は呆れたように苦笑して書面から顔を上げる。「お前、始業式出てなかったのかよ」と呟くと、聖先生は立ち上がって、保健医の先生の隣に立つとその首に腕を回して引き寄せた。


「今年から保健医の筧吉野。ちなみに剣道部顧問」

「よろしくお願いします」


 にこりと人の良さそうな笑みを浮かべたその人の名前をどこかで聞いたことがあった気がして、俺は不思議そうな顔をしていたらしい。貴人先輩が笑って俺を見た。なんだか恥ずかしくなって顔を逸らすと、義久先輩も絶妙に微妙な顔をしていた。


「うちの3番目の兄ちゃんの友達で、第107代生徒会副会長」

「107代って、聖先生の?」


 義久先輩の声で、思い出した。第107代角倉生徒会。あの聖先生が生徒会長を務めた伝説の生徒会だ。それまでの腐った校風を一掃し、学園改革を一気に推し進めた生徒会であり、前代未聞の美形生徒会集団。
 それじゃあ聖先生と仲がいいはずだ。そう思っていると、今度は貴人先輩が不思議そうに俺をみてきた。


「んで、圭太は何してんの?保健室って柄じゃなくない?」

「あ、あの……」

「顔面キーパーで意識不明」


 流石に恥ずかしくて言いよどんでいると、聖先生が面白そうに口の端を歪ませてそう言った。一瞬ポカンとしていた先輩たちが、タイミングをあわせたように笑い出した。それを見て先生も笑いそうに口を歪め、呆れた筧先生が聖先生に書類を突きつけた。


「仕事、しなくていいんですか?」

「あー、その前に飯」


 言うが早いか聖先生はどこからか大きな弁当箱を取り出した。何だって昼食に重箱?
 箸を片手に筧先生が突きつけたのとは違う書類に目を通す横で、義久先輩と貴人先輩が学食の袋を広げていた。そう言えば俺も昼がないけど、こんな時間に学食に行っても残っている訳がない。しょうがないから俺は聖先生の重箱の中身を手掴みで頂く事にした。すると、筧先生が割り箸を出してくれたのでありがたく頂戴する。


「義久。こっちのデータと入部届照合して被ってる奴の出しとけ」

「はい。圭太」


 呼ばれて、俺は義久先輩の手元を覗き込んだ。夏が来れば、先輩たちは引退する。次の部長は俺になるらしく、いまは部長研修期間だから先輩と一緒に仕事をしている。最近思ったことは、バスケ部部長は聖先生係な気がしてならない。
 何をするのかと思っていると、聖先生が持っていた生徒の名前のデータと入部届の名前を照合するらしかった。何故かと問うと、自分の意思で入部届を出しても親に反対されている場合があり、それは事前に学校に連絡があるらしい。お金持ちは大変だ。そしてもしそんな事があったら、先生が家に電話して確認を取るらしい。


「言っとっけど、貴人んときも電話したんだからな」

「何でですか?」


 貴人先輩の家は放任主義だって自分で言ってたのに。そう思って問うと、聖先生が計算機を叩きながら何気ない口調で答えた。っていうか、この人は何をやっているんだ。


「貴人ン家はスポーツ家族でさ、本当に素人の俺が指導していいのかってことで」

「その割には先生、海人兄ちゃんと長電話してたじゃん」

「それはほら、海人先輩がOKだしたから」


 さっきから聞いてちょっと疑問に思ってたんだけどさ、貴人先輩って兄弟何人いんの?しかも先生達と超仲良さ気だし。資料の下から目を通しながらそんなことをぽつりと呟くと、パンにかじりつきながらプロテインを流し込んでいた貴人先輩が耳聡く聞きつけて口を開いた。


「5人兄弟。2番目の兄ちゃんが聖先生の1つ上で、3番目の兄ちゃんは吉野先生の同級生。オレ末っ子なんだ」

「貴人、口ン中物入ったまま喋らない」


 貴人先輩は器用にそう言って、義久先輩に突っ込まれていた。そしたら誤魔化すように何故か義久先輩にぎゅーっと抱きついて甘えるように義久先輩の顔を覗き込んで「ごめんな?」と言った。すると義久先輩は一瞬息を詰めて「分かったならいいよ」と言っていた。いつ見ても仲良しだよな。
 すると、いきなりチャイムが鳴り響いた。時計を見上げると確かに予鈴のなる時間。もうそんな時間かと思ったら、貴人先輩が慌てて義久先輩を急かしていた。資料をまとめて立ち上がった義久先輩の腕を取って、ついでに俺の手も取って「次、物理!」と叫んで保健室を飛び出す。


「……あいつら、できてんのかな」

「聖さんも予鈴なりましたよ」


 閉まるドアの隙間から、聖先生と筧先生の声が微かに聞こえた。
 確かに義久先輩と貴人先輩は仲いいけど、流石にそんな事はないだろう。そんなことよりも、俺はまだ体育着だしろくに飯食ってないし。次が自習の事を祈って2人の先輩と別れて教室に向かった。





-結ぶ-

大沢貴人(おおさわ たかと)
工藤康平(くどう こうへい)
安斉忠信(あんざい ただのぶ)
とりあえず、メインキャラ達が半分は出揃ってくれました。
相変わらず義久と貴人は仲がいいです。