月曜日の部活は、専用体育館通称専体を使う。午後の授業が終わって何故か先生はSHRに出てこず、代わりに吉野先生が来た。朝から降り続いていた雨は止んでいて、久しぶりに青空が覗いている。梅雨だからしょうがないのは分かっているけれど、正直鬱陶しかったからだいぶ助かる。
 衣替え期間に突入したこの時期は学ランを着なくて良いので、Yシャツ姿に指定の鞄を持って、俺たちは正門に向かっていた。ここから徒歩5分くらい離れた体育館に移動だ。この短い時間が暑くてやっていられないのか、聖先生はあまり専体にこない。例えば昨日とか。


「だからさ、0.2は相当イイらしいよ」

「FFシリーズもあと3本か。0でエンディングだろ?」


 流行のゲームの話とかをしながら、正門に近づく。これはいつも繰り返されている事。ちなみにFFってのは人気ゲームソフト『ファイナル・フラッシュ』の略。このシリーズはなぜか1から0.1づつ減っていっている。発売が来週に迫り、最近の話題はほとんどFFだ。一誠なんかは相当やりこんでいて、発売されると2、3日学校に来ない。
 そんな何気ない話をしながら正門に行くと、ちょうど俺たちが学校を出た時に大きなベンツが正門の前に止まった。まぁそんな事は多々あること。金持ち学校だから、お坊ちゃんのお迎えとか、仕事の都合とか。この歳にして仕事持ってる奴もいるってんだから多少は驚きだ。俺たちが特に気にもしないで行こうとするが、目に入った瞬間それは『珍しいもの』になってしまった。
 だって、車から降りてきたのはヤクザさんだったんだ!長身のその人は何故か木の棒を担いで周りをゆっくりと見回すと、明らかに俺達の方に歩いてきた。


「おい」

「はい!?」


 うわ、この人顔に刺青がある。でもまだ若い人で、ジャケットの上から見ても鍛えられた綺麗な体をしてた。彼は俺たちを見ると微かに頷いて、掛けていたサングラスを外した。そこから覗いた目は切れ長で、背筋が冷える感じがする。そして彼は、ゆっくりと口を開いて驚くべきことを言った。


「角倉聖呼んでこい」

「ひ、聖先生ですか!?」

「ちょっと待ってください!」


 ヤクザ相手に何し腐ったんだあの腐れ教師!?あの人の後ろでは明らかにチンピラ風な人たちが「若、お荷物お持ちしましょうか」とか言っている。きっと次期親分とかなんだ!
 俺たちは偶然にも5人いた。一応バスケ部2年レギュラーが揃えば怖いものはないはずなので、俺が震える手で携帯を出している間恭弥たちが彼の気を引こうとしてくれていた。近林恭弥は部きってのポジティブマシーンだから、多分大丈夫。だいぶウザイけど、こういうときは役に立つ。


「お兄さん背高いですね!身長幾つですか?うわ、刺青格好良いですね!」


 恭弥のマシンガントークだが、目の前で立腹しているのだろうお兄さんには通用しなかったようだ。俺はそれを端目で見ながら聖先生に電話。基本的に、聖先生は携帯を持っている。財布も何も持っていなくても、携帯は持っている。聖先生がお財布ケータイ派だっていうのもあるんだけど、やっぱり電話が通じないと不便らしい。だからいつもはちゃんと出てくれたのに、何で今日に限って出ないんだ!?
 苛々している横で、恭弥の後ろにいる康平と一誠の更に後ろに居る智紀の呟く声が聞こえてしまった。福地智紀は恭弥とは正反対でいるだけで空気を濁せる超ネガティブマシーンだ。


「……きっと聖先生はヤクザさんの妹さんを毒牙にかけたんだ。それで貢がせてポイしたんだ……」

「………」


 いつもはウザイ智紀の呟きだけど、今日ばかりは説得力があった。聖先生の事だから妹さんじゃなくて、恋人とでも浮気したんだろう。それで簡単にポイしたのかただ単にばれたのか分からないけれど、まあそんな所だろう。何度掛けても聖先生が出ない事に苛々していると、周りから視線で「早くまだかよ」と言われているのが分かる。もう絶対に無理!


「聖先生でないからちょっと職員室まで行ってくる」

「早く帰って来いよ!絶対早くだからな!?」


 智紀に妙に念を押されて、俺は荷物を人質代わりに取られて職員室に走ることになった。
 そう言っても聖先生って滅多に職員室にいない。化学準備室にいるか理科系総合準備室という、4階の特別棟にある化学、物理、生物の先生達の総合準備室にいる。それでもいない時は部室にいたり学食にいたり。ともかく見当がつかない。だからまず4階に駆け上がって化学準備室に顔を出したのだが開いておらず、次に化学室の隣の総合準備室に行ったけれど、生物の椎野先生がいただけだった。
 こういうときは、慌てず騒がず真坂先生だと思う。聖先生の学生時代の恩師であり、前バスケ部顧問。生活指導の真坂先生に、教師の癖に聖先生は誰よりも怒られている。俺は多少息を切らせながら職員室に飛び込んだ。


「聖先生はいらっしゃいますか!?」

「どうした荻原、息切らして?角倉先生ならいないぞ」


 叫ぶように体を折って膝に手を置いて体を支えながらそう言うと、丁度近くにいた先生が答えてくれた。荒い息を整えながら真坂先生の居場所を聞くが、それも空振り。真坂先生の居場所も分からなかった。どこにいるんだあの教師!?
 息を整えている場合じゃないので、俺はまだ荒い息で職員室を出てる。そうして、思い出した。まだ保健室に行っていないじゃないか!
 そう気付いたらなぜか聖先生は保健室にいるんだと妙な確信を持てて、俺は階段を2段飛ばしに駆け下りて、男子棟と女子棟の間の保健室に飛び込んだ。


「吉野先生!聖先生います!?」

「圭太君。どうしたんですか、そんなに慌てて」


 保健室に飛び込むと、吉野先生が驚いたようにいつも穏やかな目をほんの少し見開いた。俺が荒い息で「聖先生、いますよね」ともう一度言うと、彼はベッドを指差す。どうやらSHRの時間から寝ているようだ。いつもなら真っ先にたたき起こす吉野先生だが、今日は珍しく優しい。


「痴情のもつれで聖先生に怖ろしいお迎えが……」

「困った人ですねぇ。聖さん、レーオンスが復活しましたよ」

「………マジで?」


 吉野先生が聖先生の枕元でそう言うと、聖先生は億劫そうに瞼を押し上げて唸った。一体何の話だレーオンス?
 吉野先生が苦笑して「嘘です」と言うと、聖先生は眠そうに体を起こしてぼんやりと辺りを見回している。完全に起きていない顔だ。呆れた吉野先生がスタスタと水道に歩み寄った。何をしているのかと思ったらバケツに水を汲み始める。え、ちょっと、まさか……。


「2日も徹夜してゲームしてるからです」


 髪に手を差し込んで起きて来た聖先生に、吉野先生は容赦なくバケツの水をぶっかけた。いつもは避ける余裕がある聖先生だけれど、今日は余りにも眠いのか避けられずに完全に被った。
 って言うか2日ゲームっていい年して何やってんですか。だから部活も出てこなかったのかこの野郎!聖先生はまだ眠いのか、濡れて頬に張り付いた髪を掻き揚げた。とりあえず聖先生は見つかったので、俺は聖先生のびっしょり濡れたシャツを掴んで、ザクザク歩き出した。


「吉野先生、ありがとうございました」

「おい、どこ行くんだよ?」

「がんばってくださいね」


 聖先生の面倒くさそうな声を無視して、俺は吉野先生に頭を下げてみんなが待っている正門へ急いだ。職員玄関に靴をはかせに行ったらそのまま逃げられそうなので、もういいやと思って俺だけ履き替え、ビーチサンダルのまま聖先生を連れ出した。


「けーた、どこ行くんだって」

「正門にヤクザさんが鈍器持って来てます」

「ヤクザぁ?」

「ところでレーオンスって誰ですか?」


 俺の記憶にあるレーオンスって言ったら、例のFFの0.4で死んだ味方だ。それ以外に何かあったなと思っていたら、聖先生は欠伸を噛み殺して濡れたシャツが張り付くのが気になるのかしきりに胸元をパタパタやっている。


「レーオンスってあれ、FFのボスキャラ。倒したの今朝でさ」

「FFのレーオンスは味方ですよね!?頼りになるガンマン!」

「0.2だと敵で復活してた。遠距離攻撃は卑怯だっての……。でさ、そのヤクザって誰」


 先日友人に貰ったFFの最新作をプレイし始めて、2日徹夜してしまったから眠いのだと言った聖先生はやっと自分を呼んでいるヤクザの正体に興味を持ったのか尋ねてきた。俺はさっき見た長身のその人を思い描こうと思ったが如何せん彼を見たのは一瞬で、後は怖くて顔を逸らしてしまったから覚えていない。覚えている事といったら。


「……顔に、龍の刺青がありました。で、『若』って呼ばれてた」

「顔に龍……なんだろ、お礼とか?」


 遠目に何かの木を担いでいる長身と、4人の生徒が見える。康平たちだろうと思って俺が歩調を上げると、聖先生は彼の顔がはっきり見えるところまで近づくと意外そうに眉を微かに上げた。しかし口元は楽しそうに歪んでいる。
 俺たちが戻ってきた事に気づいてか、恭弥が俺たちのほうを指差した。ゆっくりと顔を向けたその人の顔は、正に修羅。それに気付いてか気付かずか、聖先生はへらりと笑って手を上げた。


「たっつみー」

「………」


 聖先生が龍巳と呼んだその人は、持っていた木の棒を力の限りに投げてきた。えええええ、意味が分からない。しかし聖先生は動じずに僅かに体を傾けてそれを避ける。下校中だったり専体や専グラ移動の生徒達が被害を受けたのか叫び声が聞こえたが、俺には振り返る勇気がない。
 しかし聖先生は変わらずに笑って口笛を軽く吹き鳴らした。


「何だよ、折角の誕生日プレゼント気に入らなかった?」

「いっぺん死ね、マジで」


 聖先生の軽口に迷惑そうに顔を歪めながらそう言って、その人は聖先生の長い髪を引っ張った。










 いきなり現れたヤクザさんは、聖先生の友人で元バスケ部部長の九条院龍巳先輩だった。立ち話もなんなので専体に行く時に、聖先生からそう紹介してもらった。関東一帯を治める極道の九条院組の跡取りらしい。
 今日は大会のビデオを見て自分たちの弱点を見つけるのが目的なので、俺たちレギュラーは専体の部室でビデオを見ていた。目の前には、聖先生が差し入れてくれたさくらんぼ。聖先生が今日貰ってきたものらしい。ビデオを見ながら話し合いをしているのもお構いなしに聖先生達は椅子を出してきて喧嘩をしていた。


「だいたい人があげたプレゼント投げんなっつの」

「あれがプレゼント?しいたけの栽培セットがか?」

「新鮮なしいたけ旨いじゃん」


 もう絶対に聖先生のはプレゼントじゃなくて嫌がらせじゃないのだろうか。誕生日にしいたけの栽培セットが贈られてきたらとてつもなく嫌だな。たぶん、龍巳先輩が聖先生に投げつけたあの棒がしいたけの栽培セットだったのだろう。きっと良い木だったに違いない。あれ、放置してきたからきっと聖先生また明日怒られるんだろうな。


「お前はまともに人に物を贈れないのか」

「龍巳は俺に何かくれた事あんのかよ」

「びた一文くれてやる気はない」


 ばっさり言われて、聖先生は「だろー」とか言っていたけれど、何が「だろー」なのか分からない。しかし龍巳先輩はそうでもないのか、小さく舌を打ち鳴らしただけだった。また吉野先生とは違う反応で、逸れはそれで面白い気がしなくもない。
 ビデオを見るよりも2人の会話のほうが気になってみんなでちらちら窺っていると、聖先生の腕が伸びてきてさくらんぼを摘み上げた。ちなみに、聖先生はすぐにTシャツに着替えて頭を拭いたので乾いている。


「そういやさ、龍巳さくらんぼのヘタ結べる?」

「結ぶ必要性がわからん」


 言ってから聖先生はさくらんぼのヘタを口の中に放り込んでもごもごしていた。確かに必要性がないけれど、俺としてはとっても気になることだった。いや、別にそういう気とかないけど!でもやっぱりヘタよりは上手いって思って欲しい男の見得、みたいな。
 すぐに聖先生は口を開いた。舌の上に乗っていたのは、綺麗に結ばれたさくらんぼのへた。それを口から出してさくらんぼの種とヘタがこんもりのティッシュの上に放り込み、ニカッと笑った。


「知らねぇの?ヘタ上手く結べるとキスが上手いってやつ」


 聖先生が言った瞬間、みんな目を見合わせていっせいに口の中にヘタを放り込んだ。それを偶然見てしまった聖先生は面白そうに口の端を歪めたが、そんなものを気にしている場合じゃない。これは男としての聖戦だ。つーかみんな彼女いないくせに必死だな。
 龍巳先輩もそれを目撃したのか、呆れたように俺たちを見て溜め息を吐き、頬杖をついて聖先生の映る瞳を眇めた。


「キスしないくせに器用だな」

「技術はないよりあった方がいいだろ?」


 その通りです聖先生!たまにはいいこと言いますねとばかりに俺たちは頷いて、必死に舌を動かした。意外に難しい。苦戦していると、まず康平がにやりと口の端を引き上げて結んだヘタの乗った舌を出した。その優越感漂っている顔がムカつく。それからなぜか智紀。次いで恭弥まで結んでしまった。くっそ、なんか妙に悔しいのはどうしてだろう。


「龍巳は結べねぇの?それともまだ引きづってるとか」

「殴るぞ」


 からかい混じりに言って聖先生はまたさくらんぼに手を伸ばした。今度はすぐにヘタを捨てる。聖先生はからから笑って、ポケットから携帯を取り出した。持ってるならさっきも出ろよ!そう思ったけれど多分眠っていたから気付かなかったのだろう。電話を掛け終わると、聖先生はまたさくらんぼに手を伸ばした。


「龍巳のキス記録は俺で止まってるもんな?」

「……聖、黙らねぇとその首刈るぞ」

「やぁっぱ最初で最後のちゅーは俺か。今寿季呼んだからなんか食い行こうぜ」


 一体この2人に過去何があったというんだ!?
 意味深なんだか意味がないんだか分からない会話に聞き耳を立てていた俺たちは目を見合わせてしまった。
 そのとき、一誠がヘタを結び終わって口から出した。ちょっと、俺最後!?この中で彼女持ち俺だけなのに最後かよ!?あまりにも周りでにやにやしてみているから、俺はさくらんぼのヘタが結べるようになるまで絢子とキスしないと、硬く誓った。





-結ぶ-

福地智紀(ふくちとものり)
近林恭弥(ちかばやしきょうや)

中学時代の理科の先生のあだ名がFF(ファイナル・フラッシュ)でした。