夏といえば夏休み。夏休みといえば遊ぶ、これに越したことはない。けれど独身貴族を貫こうと決意した俺には金がないのが現状だったりする。夏休みに遊ぶ資金くらい自分で調達しろと言われている手前何かしらバイトをしなければ生きていけない。そんなわけで遊ぶ金+αを得る為にうってつけのバイトを始めた。けれどあまり利益のないまま、夏休みは終わろうとしていた。


「そこの青い水着のお兄ちゃーん。セクハラ禁止ー」


 某有名巨大プール。俺の現在の彼女はここの経営者なので、そのツテで監視員のバイトをゲットできたって訳だが、小麦色の肌は手に入ってもちょっと遊んでそうな年下の彼女はできていない。俺がメガホンを向けるのはナンパの為ではなく、セクハラ兄ちゃんとかを注意するため。くっそ、こんなことをしにこんな郊外まで来たってんじゃないのに!
 開園してから数十分すると、どっから湧いたってくらいに人が来る。学生だったり親子ずれだったりカップルだったり。カップルが一番ウザイ訳だが、今日はなぜか人が少なかった。ありがたいことだけれどそれだけ可愛い子も減るからなんと言ったものか。俺がメガホン片手にちょっと軽そうな女の子を探していると、女の子ではないけれどいい物を見つけた。長身の均整の取れた筋肉質の体に長髪。隣には小柄でもボディラインの綺麗な女。その間に、小さな女の子が一人。俺はメガホンで思わず声を掛けた。


「ちょっとそこいく色男ー!」

「は?」


 色男で振り返ってくれたのは、学生時代からの友人、角倉聖だった。もちろん自分のことを色男だと思っていて振り返ったんじゃない(多少それもあるだろうけど)。俺の声を知っていたからだろう。聖は俺を見て意外そうに軽く目を見開き、娘さんの手を引きながらゆっくりとこちらに歩いてきた。俺も監視台から降りて軽く手を振る。


「ひっさしぶりじゃん」

「何、お前こんな所で何やってんの?」

「バイト。聖は?こんな人ごみで何やってんの?」


 聖なら角倉お抱えのスポーツクラブとか友達が経営してるプールとかもっと空いている所がより取り見取りだ。まさか奥さんと一緒の癖に俺と同様にナンパ目的なわけもない。可愛い小藤ちゃん連れてるし。俺が問うと、聖は当たり前のように「家族サービス」と答えた。小藤ちゃんは大きな浮輪を持って可愛らしいワンピースの水着で楽しそうにぴょんぴょん跳ねていて、奥さんの千草ちゃんはそれを見て苦笑して小藤ちゃんに「もう少し待ちなさい」と言っていた。千草ちゃん良い女だなぁ。白いビキニ、超似合っている。聖に勧めたのが自分なのでとっても後悔した。


「小藤が水ダメでさ、せめて浮かぶくらいは出来るようになってくんねぇと困るじゃん?」

「小藤ちゃん水ダメなんだ?ここだと他の人の飛沫喰らうけど?」

「そういう不慮の事故がほしい訳。やっぱ物事はノリだからな」

「パパ!早くぅ!!」

「はいはい。じゃ、頑張っていい女探せよ」


 聖って俺のことなんだと思ってるんだろうね、まだ一言も「女漁りに来てます」なんて言ってないのに。まぁあってるんだけどさ。
 小藤ちゃんに引っ張られて聖は千草ちゃんと一緒に流れるプールに。俺は別に見るものもなかったので無意識に聖達に視線が行ってしまった。すぐ近くで遊んでいるので声もよく聞こえてくる。小藤ちゃんはプールサイドまで引っ張って行ったはいいけれど、入るのは怖いのか腰が引けている。


「ほら小藤。入るんだろ?」

「ん〜、はいんない」

「入んないって……ほら、抱っこ」

「えぇ〜」


 渋ってる渋ってる。手を後ろでに組んでくねくねと体を捻っている姿は可愛い。可愛いけど聖はちょっと苛々してる。千草ちゃんは小藤ちゃんが持っていた浮輪でぷかぷか浮かんでそれを見ている。いつまでも嫌がっている小藤ちゃんに笑って、千草ちゃんは聖に後ろから抱き着いて顔を出し小藤ちゃんに向かって水を少しかけた。小藤ちゃんが「きゃぁ!」と飛びのくのに笑う。


「おいで小藤。小藤が入んないんだったらママがパパにぎゅってしちゃうよ?」

「やぁん!はいるぅ!」


 傍から見たらバカップルじゃん。聖は二十四だし千草ちゃんなんか二十二。まだまだ二人とも若いんだから、逆に小藤ちゃんの方が不自然なんだよな。
 聖に後ろからギューッと抱きついた千草ちゃんに小藤ちゃんは慌ててプールサイドにしゃがんで腕を伸ばした。苦笑しながら小藤ちゃんを抱いて水に入れ、少し水温にならしてから千草ちゃんが浮輪を小藤ちゃんに被せた。何かをきょろきょろと探していた聖は、俺を見つけると腕を軽く上げた。


「寿季、浮輪寄越せ!」

「向こう岸で貸し出してるから借りて来い!」


 何で俺に言うかなって思ったけど、俺も人がいい。あとで貸し出し場所に集める浮輪をここから聖に投げてやる。こっちだってあっちだって天下のバスケ部レギュラーだった。上手く浮輪は聖の手元に届き、聖は礼も言わずに満足そうにそれを千草ちゃんに被せて自分は小藤ちゃんの浮輪を支えながら流れていった。
 全く、人がバイトしているのにいい気なもんだ。こっちがどれだけ頑張って仕事していると思って……。


「ピンクのビキニのお姉さん!日焼け止めなら塗りましょうか!?」


 まぁ一番の目的はこれなんだけど。ピンクのビキニの二人組みのお姉さん。声を掛けたけれど彼女たちは顔を見合わせただけで笑いながら行ってしまった。やっぱバイト中はナンパも成功率も低い。人も少なくて暇なので聖の姿を探すと、ちょうど反対側辺りにいた。周りの女の子たちが浮き足立っているけれどあいつは全く気にしていないで小藤ちゃんと遊んでいた。浮輪を引っ張ったり浮輪をわざと手放したり。その度に小藤ちゃんは楽しそうに笑い、千草ちゃんも楽しそうだった。
 こうしてみると良かったなって思う。聖が千草ちゃんと結婚したのは小藤ちゃんができたからで、そのとき聖にとって千草ちゃんはただの性欲処理で都合がいい相手というだけだった。その相手に子供が出来ての結婚だったから、聖の浮気も凄くて初めは心配していた。でも、結構ちゃんと家族をやっていて安心した。


「小藤、お水に顔つけられる?」

「お水にかおつけるとびぇーってなるよ」

「じゃあ頑張ってみようか!」

「ちょい待て千草。水つけるのは浅いとこ行ってから」


 まずびぇーって何だろう。子供の擬音はよく分からない。千草ちゃんもよく分かってないんだろう、顔を横に振る小藤ちゃんを完全に無視して「ね」とばかりに頑張らせようとしている。小藤ちゃんは嫌がって聖に抱きつき、聖は苦笑して小藤ちゃんを首に絡ませたままプールから上がった。多分子供用の浅いプールに行くんだろう。そのとき俺はちょうどスライダー係と交換だったので、小藤ちゃんの練習を見ることは出来なかった。










 スライダーで存分に挑戦者たちの悲鳴を聞いた後、波のプールの係と交換していくと聖たちがいた。波にぷかぷか浮いて、小藤ちゃんは顔に水が掛かるのもお構いなしにきゃっきゃっと笑っている。千草ちゃんは浮輪に乗っかってリラックスしているようで、聖が小藤ちゃんと遊びながらにやっと嫌な笑みを漏らした。学生時代から教師陣には嫌がられ学生には期待されていた、あの笑みだ。


「ぷ〜かぷか、ぷ〜かぷか!」

「小藤。パパちょっと手離すぞ?」

「うん。だいじょうぶだよ」


 聖が小藤ちゃんに顔を寄せて言うと、小藤ちゃんはご機嫌にブイサインまでした。もう顔に水が掛かっても大丈夫のようで、お構いなしに浮輪でばしゃばしゃやっていた。
 予告どおり小藤ちゃんの浮輪を一度離して、聖は寝かけているような千草ちゃんの背後に回りこんだ。気づいていないのか千草ちゃんは目を開けない。っていうか、ここ一応小さい子は保護者の付き添いが必要だから目を離しちゃいけないんだよな。注意するべきか?ちょっと思っていたら、聖は凶悪な笑みのまま小藤ちゃんに向かって「内緒だぞ」とでもいうように指を立てて千草ちゃんの浮輪を豪快にひっくり返した。


「きゃぁ!?」

「ママ!」


 悲鳴を上げて千草ちゃんが沈んだ。聖は笑っているけれど小藤ちゃんはびっくりして目を大きく見開いて声を上げた。そんなに千草ちゃんが心配なのかバタバタと浮輪で一生懸命近寄って、一瞬バランスを崩して水に頭から突っ込むところだったのを聖が寸でのところで抱え上げて千草ちゃんが浮かび上がってくるのを待った。
 千草ちゃんは軽くむせながら顔を出した。けれど顔を拭うではなくずっと腕で胸を隠すようにしている。も、もしかして……。聖が大きな手で顔を拭ってやると、千草ちゃんは恨みがましそうに聖を睨みつけた。


「いきなりやめてよ」

「いきなりが面白いんだろーが。どうした?」

「……紐、解けちゃったの」


 紐水着万歳!千草ちゃんが少し恥ずかしそうに言うと、聖は笑って千草ちゃんを壁際に押し付けた。その位置じゃ俺の真下なるんだぞ、バーカ。聖は千草ちゃんを隠すようにして後ろを向かせ、紐を結んでやった。千草ちゃんが恥ずかしそうに身を捩るので更に笑って悪戯交じりに壁に押し付けると、千草ちゃんが抵抗するように首をブンブンと振った。


「おいこらそこの色男!小藤ちゃん方って遊んでんじゃねぇよ!」

「……んーだよ、いたのか」

「それからプールでのセクハラ行為は禁止です!」


 気づいてただろ、お前!全くこの女好きには困ったものだ。ただ今日はまだ聖がナンパされているシーンを見ていないので違和感を禁じえない。どこに行こうとも聖がナンパされるシーンは見られるはずなのだ。
 千草ちゃんを離した聖は、少し離れた場所で小藤ちゃんがぷかぷか浮いているのを見て軽く驚いていた。遅いっつの。聖は慌てて泳いで小藤ちゃんのところに行き、浮き輪ごと捕まえてくると戻ってきた。相変わらず似合うな、サマースポーツ。水泳すら奇麗に見えるのは反則だろ、普通は息継ぎが見苦しい。


「小藤ちゃん、水に顔つけられるようになった?」

「できるようになったよ!」


 人見知りの小藤ちゃんも何度も会ってれば可愛い笑顔を向けてくれる。俺は子供は嫌いじゃないけど自分の子供は欲しくない独身貴族希望者なので、こういうのはとってもいいと思う。にこにこと笑ってくれた小藤ちゃんに「良かったね」と言うと、聖が唐突に口を開いた。


「腹減った」

「そういえば、今何時?」

「時計持ってねぇから……寿季」

「もう二時になるけど?」

「飯食ってねぇもんな。小藤も腹減ったろ?」

「こふじもっとあそぶ」

「よし、飯だ」


 聖って俺のことなんだと思ってるんだろう。慣れてるからいいんだけど、俺時計代わり?
 小藤ちゃんの主張なんて聞きやしないで、聖は小藤ちゃんの浮輪を掴んで強制的に浅瀬に向かって行った。膨れている小藤ちゃんに「ご飯食べてからまた遊ぼうね」と千草ちゃんが宥めるけれど、小藤ちゃんはほっぺたをぷくっと膨らませているだけだった。
 俺もそろそろお昼にしないと腹が減っているので、管理所にいた奴等を数人誘って飯に行った。昼飯とかここでの飲食代は経費で出ているから、所持金を心配することはない。










 飯を食って備品の点検を軽くして流れるプールに戻る。メインである大きな流れるプールの中心に子供が遊べる小さなアスレチック付きのプールがある。水鉄砲が出たり滑り台がでたりと子供はひとりでも遊んでいられる。ただし、断続的に頭上から大量の水が降ってくる。一応流れるプールに落下するようになってはいるが、真下にいると迫力は抜群だ。顔にガンガン水も浴びるし。
 けれどそのプールに聖達の姿は見当たらない。どこにいるんだろうと思いながらあいつらを何とはなしに探していた。


「前原さん。プールって飛び込み禁止ですよね?」

「つーか危険行為ね。あと女性客優先で変な奴にも注意するように」

「はい!」


 後輩バイトが何人か寄ってきた。プールでの注意ってのは曖昧だからまだ覚えられていないのだろう、最終的にはフィーリングだし。俺が飛び込み禁止って言った傍から、派手な水しぶきと女性の悲鳴が聞こえてきた。バカップルか事故……。声の感じからしてバカップルだと思って現場に行くと、いつだって注目の的、角倉聖が笑っていた。水に沈んでいた千草ちゃんが、今度は水着が解けなかったようで怒ったように顔の水を拭る。


「もう!いきなりバックドロップ禁止!!」

「プールの醍醐味だろ。今度は投げてやろうか?」


 何やってんだよ、お前等。可愛い娘さんほったらかしで夫婦でいちゃいちゃしやがって。もう一人作る気かってんだ。注意するのも馬鹿らしくなってきたけど、これも仕事なので聖達に一番近いサイドでしゃがみ込んだ。


「お前等さー、なにやってんの?」

「夫婦のスキンシップ」

「そんな答え期待してないし。セクハラと危険行為は禁止だって言ったよなぁ!?」

「大目に見ろよ。小藤抜きで千草と遊びに行ったことねぇんだぞ」


 それ自慢にならないし。確かに聖達は付き合っていたと言う訳ではなく子供が出来て、一緒に出かけたことは皆無だったらしい。だからって今スキンシップを計るなよ。当時の現状を知っているだけに俺はその言葉を言おうかと躊躇った。
 そのとき、時間なのかすぐ隣のアスレチックプールで水が落下した。ここは落下地点のすぐ傍なのでもろに水を被る。顔に掛かった水を払って、俺は訊いた。


「そういや、小藤ちゃんは?」


 答えが返ってくる前に、アスレチックの方から泣き声が聞こえた。さっきの水にびっくりして泣き出す子供は意外に多い。相当怖かったのか泣いている声に、聖が軽く舌を打ってアスレチックプールに向かった。もしかして、と思いながら仕事上ついていくと、落下する水を一番体感できる位置でピンクの水着の可愛子ちゃんが泣いていた。
 聖が窮屈そうに入って小藤ちゃんに腕を伸ばすと、わんわん泣いている小藤ちゃんが聖にしがみ付いて更に泣いた。だから子供を一人にすんなって言ったのに、どうしようもない奴だ。


「ほら小藤。パパ来たからもう泣くなよ」

「うぇーん!」

「自分で遊ぶって言ったんだろ?驚きすぎ」


 いやいや聖さん。ここは慰めてあげましょうよ。聖は小藤ちゃんを抱き上げてあやすように背中をなでてあげているけれど、その言葉はとても面倒くさそうだった。まぁ直撃した訳ではないし(と言っても多少は被ってる)、驚いただけだろう。聖が小藤ちゃんをプールの中の千草ちゃんに預けようとすると、小藤ちゃんは聖の首にしがみ付いてまた泣き出した。


「やーぁー!」

「……あーあ」


 決して聖から離れようとしない小藤ちゃんに千草ちゃんは苦笑交じりの溜め息を吐き出して聖を見た。さっき水を被ったのでまた水が嫌いになったのだろう、大泣きだ。聖もしゃがみ込んだままでどうしようかと思案する。このアスレチックプール。流れるプールに包囲されているので水に浸からずにここからでるのは不可能なのだ。
 聖は少し考えると立ち上がり、小藤ちゃんに言い聞かせるように頭をくしゃっと撫でた。しゃっくり上げていた小藤ちゃんは涙目で聖を見上げ、僅かに首を傾げる。


「抱っこで入るのも嫌か?」

「……やだ」

「じゃあ肩車。肩車してやるからちょっとがまん」


 多分聖の身長ならば肩車したら水につかないだろう。何て優しい父親だ。小藤ちゃんが一誠だったら俺は問答無用で水に沈めている。
 聖は小藤ちゃんを肩車してプールを横切り始め、千草ちゃんが浮輪やらをしっかり持っている。小藤ちゃんの手は聖の頭をこれでもかと言う力で掴んでいて、見ている俺は聖があのまま頭を振って小藤ちゃんを落すんじゃないかと気が気じゃなかった。でも聖は小藤ちゃん大好きだから、そんなことはないようだ。


「また水ダメになっちゃったね」

「今度は誰かからプール借りて友達と行かせるか」

「お風呂も入れないかもよ?とりあえずシャワー浴びれないけど、どうしよう」

「帰り車だし、俺がシャワーはやるからお前着替えやってやって」


 なんだかいきなり夫婦の会話始めちゃったね、お前等。さっきまでムカつくバカップル気取ってたのにさ。俺が呆れ半分で聖達を見送っていると、後輩が駆けてきて俺がもう上がる時間だと教えてくれた。俺は慌てて聖達の後を追う。どうせなら、友達といた方が何倍も楽しい。


「聖!俺これで上がりだから一緒に帰ろうぜ」

「狙いは?」

「車乗せてって。電車じゃ時間ばっかりかかるし」

「……トランクでいいなら」


 そんなこと言っても聖はちゃんと俺を車に乗せてくれるから大好きです。どうせ車は聖が運転するから安全だし、後ろで小藤ちゃんと千草ちゃんは寝ちゃうだろうから家まで送ってもらえるかもしれない。
 更衣室に向かって歩きながら、小藤ちゃんは千草ちゃんに手をつながれてまだぐしぐしと目を擦っていた。


「つーか何でシャワーは聖なの?」

「昔千草と風呂入って頭から湯船に落っこちたことがあるから、水怖いときは俺じゃないと無理って訳」


 暴れるしな、と笑った聖はちゃんと父親の顔をしていて、親はなくても子は育つって本当のことなんだなって妙に感心してしまった。
 案の定小藤ちゃんはシャワーを浴びながら泣き出して、着替えの為に千草ちゃんに引き渡す時は聖の方が疲れ果てていた。手早く着替えを終えて濡れた髪をそのままに苛々と煙草を銜えた姿を見て、俺は何も言わずにライターを差し出した。





-結ぶ-

頭から落っこちたのは私です。