聖さんの家に遊びに行った。理由は特にないけれど、暇になったから。友達なんていないから行く所なんてないけれど家にいるのもなんとなく居心地が悪くて、今まで町中をブラブラしたりしていた。でも最近は、聖さんの家に遊びに行くことが増えた。彼は、いつだって僕を笑顔で迎え入れてくれるから。


「小藤、仁美ちゃんから電話よ」

「はぁーい!」


 ある春の昼間、聖さんの奥さんの千草さんが小藤ちゃんに電話を渡した。初めは決して歓迎してくれなかった千草さんも、今ではにこにこと僕を迎えてくれる。初めは迷惑なんじゃないかと思っていたけれど、聖さんが言うにはヤキモチを妬いているから構わないのだそうだ。
 嬉しそうに小藤ちゃんが電話に駆けて行くのを見ながら聖さんが本から顔を上げて、不思議そうな顔をする。千草さんが聖さんの隣に座り、仁美ちゃんは小藤ちゃんの幼稚園の友達らしい。聖さんは初耳らしく、しきりに電話を気にしていた。


「ママ、今日ひとみちゃんのお家いっていーい?」

「えー、仁美ちゃんのお家は良いって?」

「うん!」

「ちょっとママにお話させて」


 千草さんが少し嫌そうな顔で再び立ち上がり、小藤ちゃんが電話を代わるのを待っていた。小藤ちゃんは千草さんの周りでピョンピョン飛び跳ねて「あそびたい」と強請っていた。それを面白く無さそうに聖さんがテーブルのコーヒーに手を伸ばす。本に視線を落として気にしていないふりをしているけれど、目は文字を追っていない。


「聖さん、さみしい?」

「……別に」


 ものすごく淋しそうだ。きっと小藤ちゃんが友達に夢中だからだろう、いつも格好いい聖さんがなんだか可愛く見えた。
 しばらくして千草さんが電話を切り、小藤ちゃんがどうなったか知りたそうに「ママ!」と周りを飛び跳ねる。千草さんは少しだけ呆れたような表情をして、こちらに近づいてきた。それに気づいた聖さんが僅かに顔を上げる。


「パパ、悪いんだけど小藤を送ってってあげてくれる?」

「どこまで?」

「仁美ちゃんのお家。最寄り駅は神田なんだって」

「最寄り駅が分かってどうすんだよ」

「駅までは迎えに来てくれるって仰ってたから。いってらっしゃい」


 「私はいろいろ忙しいの」と小声で続けた千草さんに聖さんも負けじと「俺だって忙しいっつの」と言い返すけれど、千草さんが文句を言う前に小藤ちゃんが聖さんに飛びついてお強請り目線で聖さんを見上げたので、それ以上の文句は出てこなかった。聖さんも可愛い娘さんには弱いみたいだ。
 小藤ちゃんは本当に可愛い。聖さんはとっても奇麗な顔をしているし、奥さんの千草さんも美人さん。ある意味サラブレッドな小藤ちゃんがお強請りのポーズを取ると誰も逆らえない可愛さがある。将来が心配だ。


「パパぁ、おねがぁい」

「わぁかった。行くから準備して来い」

「はぁい!」

「ナツも行くだろ?」


 当たり前のように聖さんは言ってくれた。当たり前に一緒に行こうといってくれる人は僕にはそんなにいないから。僕が頷くと、聖さんは笑って頭をなでてくれた。人に頭を撫でられるのは嫌いだけど、聖さんにならいいと素直に思える。
 小藤ちゃんが準備をしている間に聖さんも楽にシャツを羽織っていただけだったのでちゃんとボタンを留めてピアスもアクセも変えて、パッと見休日のホストだった。


「神田か……寿司でも買ってくるか?」

「準備できたー!」

「よし、ママに行ってきます」

「いってきまぁす」

「行ってらっしゃい。パパ、途中でお土産買って行くの忘れないでね」


 聖さんがパパって言われてると変な感じだけど、やっぱり家族なんだなって気もする。小藤ちゃんがいないところでは千草さんは聖さんのことを名前で呼ぶし、教育上の問題とかそういうものなんだろう。とても聖さんに似合っている気もした。
 小藤ちゃんはボーダーの短いワンピースにレギンスを穿いた流行のファッションで、聖さんと千草さんの子なんだなって実感する。小藤ちゃんと聖さんは手を繋いで僕がその後ろについて、マンションの玄関を出た。










 地下鉄を乗り継ぐ間、小藤ちゃんは静かにいい子にしていた。今の幼稚園児ってこんなに行儀いいのかなと不思議になるけれど、きっと慣れと聖さんの教育の賜物なのだろう。途中で乗り合わせた私立小学校の子供はとっても煩かった。
 白金台の駅でケーキをとりあえず五つ買って、神田の駅で待ちぼうけをしていた。場所はあっているはずなのに、相手が来ないのだ。仁美ちゃんとやらを知っているのは小藤ちゃんだけなので、聖さんはつまらなそうに煙草を吹かして待っている。僕も煙草を吸いながら聖さんに倣った。


「来ねぇな」

「遅いですね」

「小藤、お前電話番号とか知らねぇの?」

「しらなーい」


 小藤ちゃんも少し不満気で、頬を膨らませて言った。こういうとき、聖さんも小藤ちゃんも親子なんだなって思う。二人とも待つのが苦手ですぐに不機嫌になる。
 そのとき、爆音が響き渡った。聞きなれたこの音はバイクだけれど、良く聞いているものとは少しだけ音質が違うから改造でもしているのだろう。多分、ハーレー。黒い巨体が姿を現し、煙草を指に挟んでぼんやりしていた聖さんがそれを見て僅かに目を眇めた。バイクは二人で乗っているらしく、ドライバーの前に座っていた小さな体が止まったバイクから舞い降りる。


「こふじちゃん!」

「ひとみちゃん」


 五歳児がハーレーでお出迎えって凄いいやだな。小藤ちゃんも仁美ちゃんもにこにこで走り寄って手を繋いだんだけど、どうしてもあのハーレーが眼に入るので違和感を感じてしまう。そのハーレーのドライバーはヘルメットを脱いで伸びた黒髪を鬱陶しげに掻き揚げてこちらに叫んだ。仁美ちゃんのお父さんだろうか、聖さんくらい若い。そして顔の刺青が目を惹いた。


「仁美、先に帰るからちゃんと歩いてこれるな?」

「はーい、おじちゃま」

「一緒に行こうぜ、龍巳おじちゃまー」

「……殺すぞ」


 聖さんの軽口に、ドライバーが低く唸ってヘルメットを力の限り投げつけた。けれど聖さんはそれを簡単に受け止めて、煙草を僕が出した携帯灰皿に押し付けて消して彼に近づいていった。ドライバー改め九条院龍巳さんは聖さんの友人で、関東一帯を支配する九条院組の若頭だそうだ。聖さんは親しそうに九条院さんにメットを投げ返すと、にかりといつもの爽やかな顔で笑った。


「久しぶりじゃん」

「……相変わらずホストみてぇな格好してんな」

「まぁな。可愛い子置いて帰んなよ。あとこれ、土産」

「土産はありがたく頂戴するがお前はいらん。さっさと帰れ」

「俺は可愛い娘を無事に届けるまで帰らねぇ。知ってるくせに」

「あんまりべたべたしてるとそのうち嫌われるぞ、うちみたいに」


 会話をしながら、すでに歩き出していた。九条院さんはバイクを押しているけれど、内心こうなるなら乗ってくるんじゃなかったと思っているだろう。バイクを押すのは思ったよりも重い。その後ろでは小藤ちゃんと仁美ちゃんが楽しそうにお喋りしているし、僕は何となく疎外感を覚える。
 聖さんは友達が多い。そんなことは知っている。けれど今まで筧先生以外でこんなに気楽に笑っている人を見たことがなかったから、心から許している人は少ないと思っていた。僕にはそんな人はいないから、うらやましい。小藤ちゃんたちも将来そうなっていくのだろうか。手を繋いで、笑っている。


「龍巳の子じゃねぇの?」

「俺の子な訳がねぇだろ。兄貴の子だ」

「あー、あの美人な奥さんの」


 手の中でライターを点けたり消したりしながら話を何となく聞いていると、聖さんの笑い声がした。九条院組の頭は九条院砂虎。九条院さんの実兄に当たられるが今年で四十一歳だっただろうか。そんな話を以前聞いたことがあった。ということは、仁美ちゃんは九条院組の跡目を継ぐのだろうか。


「龍巳おじちゃまには懐いてるみてぇじゃん。昔はガキ嫌いだったくせに」

「勝手にくっついて来るんだ。好き嫌いの問題じゃねぇ」

「可愛いくせに」


 聖さんのからかい混じりの声に、九条院さんは黙ってしまった。けれど険悪な雰囲気とかじゃなくて優しい沈黙。それは僕が持ったことのないもので、とても心地よかった。
 それから九条院の屋敷まで会話はなかったけれど、それがとても心地よかった。言葉にしなくても分かり合える関係を僕は誰かともてるだろうか。










 九条院のお屋敷はやはり関東を占める家だけに大きかった。組員の強面のお兄さんたちがたくさんいて、出迎えてくれた。今、九条院さんの部屋で聖さんは人様の本棚を漁って本を読んでいるし、九条院さんは難しそうな本を読んでいる。僕は暇だし居辛いので、縁側で庭で遊んでいる小藤ちゃんたちを見ていた。
 鯉のいる池のある庭は滅多に見ることが出来ない。僕の昔の家は洋館だったから池なんてなかった。角倉の本家には池があって鯉も泳いでるけれど、あまりじっくり見たことはなかった。


「ゆーびんやさん、おとしものっ」

「こふじちゃんへたー」


 きゃっきゃっと女の子が遊んでいるのは可愛い。なわとびが遊び道具になるのは幼稚園くらいなものだ。小藤ちゃんたちは有名な郵便屋さんを唄っているけれど、数を数える前に小藤ちゃんが縄を踏んで先に進んでいない。聖さんの子の癖に小藤ちゃんはなわとびが苦手みたいだ。笑ってはいるけれど、口元が上手く笑えないでひきつっている。


「……マジで下手だな」

「お前の子なのにな」

「俺も千草も運動神経悪くねぇんだけどなー」


 聖さんもこれは由々しき事態だと眉を顰めて漫画から顔を上げた。小藤ちゃんはちょうど縄が下に来た時に体も下に落ちている。タイミングが悪いので、縄が頂点で飛び上がっているのだ。聖さんは「母さんが運動神経切れてるからな……」と苦笑交じりに呟くけれど、九条院さんは鼻で笑っただけだった。
 聖さんが彼女らに興味を失ったのか漫画の方が興味深かったのか視線を本に戻した時、僕が背を向けていた襖が開いた。振り返ると、九条院さんに似た強面の人が着流し姿で立っていた。顔の右側にある虎の刺青が目を惹いた。九条院さんと対になっているようだった。


「仁美が帰ってきて顔を見せてねぇんだが……なんだ、角倉のガキか」

「おじゃましてまーす」

「仁美なら庭で遊んでる。仁美があんた嫌いなのは今に始まったことじゃねぇだろが」

「何でこのガキがいんだよ」

「仁美の友達の親だからだろ。ここ、俺の部屋。出てけ、空気が悪い」


 九条院さんのお兄さんは聖さんのことが好きじゃないようだ。ギンと睨みつけてすぐに九条院さんに視線を移した。声の固さからも容易に想像つくけれど、なんだか僕が悔しい。けれど九条院さんも劣らずお兄さんが嫌いらしく、さっきから淡々と酷いことしか言っていない。おかげで僕の胸も少しスッキリした。ポケットから煙草をだして口の端で引っ張り出しながらライターを探すと、小藤ちゃんたちがこちらに走ってきた。


「パパ!」

「おじちゃま!こふじちゃんなわとびすっごいヘタクソなの」

「どうやったらうまくとべるの?」


 こっちの気まずい空気なんて全く読まず、子供たちは元気に笑った。僕は関係ないから煙草を吸おうとライターを探しているけれど、さっき聖さんに貸してしまったことを思い出した。銜えたままどうしようかと迷っていると、聖さんが気づいて投げて寄越してくれる。


「仁美。どうして龍巳に訊くんだ。ここにお父さんいるだろ?」

「お父さんうるさいからきらーい。おじちゃまがいちばん好き」

「お父さんは龍巳が一番好きだ!」

「龍巳もてもてじゃん。じゃあ俺もー」

「こふじはパパがいちばん好き!」

「……うっぜ」


 確かに、正直言うと鬱陶しいかもしれない。冗談ばっかり言っている聖さんは言いとしても、お兄さんは本気のようだった。目が、ギラギラしてる。九条院さんはむっとすると手元の本を力の限りお兄さんに投げつけた。それを慌てて受け止めて、お兄さんは聖さんを睨みつけた。見られた聖さんはこっちに寄ってきて小藤ちゃんになわとびのアドバイスをしようとしていて、火の点いていない煙草銜えたままをきょとんとお兄さんを見た。


「角倉のガキはいっつも俺の物を持っていきやがる!」

「逆恨みしてんじゃねぇ。さっさと消えろ」

「龍巳にはケーキやらねぇからな!」


 それが捨て台詞なんだろうか、お兄さんは踵を返すと部屋を出て行ってしまった。聖さんが「相変わらずだな」と笑うけれど、九条院さんは取り合わずに鼻で笑っただけだった。聖さんは僕が持っているライターに顔を寄せてきて、僕は半ば無意識に摺ってあげた。一服しながら、九条院さんをちらりと見る。


「そういやさ、この間小藤と公園行った帰りなんだけど」

「……あぁ」

「警官に職質された。誘拐犯に間違えられてよ」

「悪人面だもんな」

「こんな美形捕まえて悪人面はねぇだろ」


 笑い話をしながらも二人の雰囲気は本当に落ち着いていて、言葉以上のものが伝わっているのだろう。僕にはそんな友達がいないから、とても羨ましかった。言葉にしなくても伝わる関係を僕は持てない。持つ気もない。だからこれは、無いもの強請りだ。心地よくて眠ってしまいそうな空気は、僕には似合わない。


「にしても、仁美かぁ」

「任侠らしいだろ?」

「全く。娘が小藤と同じ年で友達で、俺が龍巳のダチで、か」

「被害妄想だ、気にするな」

「俺って結構九条院に好かれるな」

「あれがうざったいだけだ。どうせまたすぐ来るぞ」


 九条院さんはそう言って笑った。確かにそれから少しして、おやつの準備が出来たのだと聖さん以外の分だとお土産のケーキを持ってきた。お兄さんが出て行った後すぐに組員さんが申し訳無さそうに「角倉の坊ちゃん、頭がすいません。お嬢ともどもよろしくお願いしやす」と頭を下げながら残り一つのケーキを持ってきた。
 夕方になって、約束どおりなのかは分からないけれど寿司を買って帰った。小藤ちゃんは終始楽しそうで、それは聖さんと手を繋いでいるからか仲良しの友達と遊べたからかは分からないけれど、確かに聖さんの隣は心地よかった。





-結ぶ-

九条院仁美(くじょういんひとみ)

とうとう仁美ちゃん&砂虎お兄ちゃんが出てきましたが、砂虎さんうっざい。