一誠に彼女ができた。その話を聞いたのは夏休みが終わってすぐのことだっただろうか。夏休み中に初めての彼女ができたと大はしゃぎでいたのに1月もすれば落ち着いたのか別れたのか知らないが彼女自慢を聞かされることもなくなった。正直なところ俺は全くと言っていいほど一誠の彼女に興味はなかったから有難かったんだけれど。
 2月14日のバレンタインは、俺たちにとっては今までずっと聖先生が大量に得たチョコレートを俺たちバスケ部員がもらって食えるっていう行事だったのに、今年はそのチョコと一緒に余計なものが付いてきた。


「……彼女がチョコくれなかったんだけど」


 本来ならばこのセリフは圭太が言う言葉だと思う。別に彼女と今仲が悪いわけじゃあないけれど、いつも彼女の愚痴を言うのは圭太だったし俺たちの中で彼女持ちは圭太だけだったっていうのが主な理由だけど、なんとなく。けれど今部室の机にだらしなく上体を預けて適当なチョコの包みを破きながらそう言ったのは、一誠だった。
 ちなみにこの部室にある大量のチョコは全部聖先生が預かり知らぬロッカーの中だとか下駄箱の中だとか机の上だとかに放置されていたものだ。生徒からの手わたしは原則受け取らないと聖先生ははっきりと言っていた。


「何、一誠彼女いんの?」

「俺言ったよな?康平に彼女できたって言ったよな?」

「別れたのかと思った」

「なんでそう思えんの!?」


 なんでと言われても、なんとなく。一誠は心外そうに俺を見た後、大きなため息を吐きだして机にぴったりと頬をつけ包みから出した小さなチョコを摘まんで口に放り込んだ。俺も適当な一包みを開けて中に入っていたいかにも手作りなトリュフを圭太に押し付け、新しい小箱を手にした。やっぱり手作りよりも市販品がいい。しかもこの学校のお嬢様たちはとにかく聖先生に傾倒しているのでチョコも高級。俺ゴディバを一ついただき。


「圭太は?絢子ちゃんからチョコもらった?」

「もらったけど」

「どこまでいった?結構付き合って長いじゃん、俺の予想は最後まで」


 座って俺が押し付けたチョコを食べている圭太に視線を移して訊くと、あからさまに顔をそらしやがった。圭太たちは付き合ってそろそろ二年。俺たちだって年頃だし、イベントを超えたらそれと一緒に一線越えてると思ってもいいじゃん。つか、普通じゃん。たしかに圭太は奥手というよりもヘタレで、キスの一つをするにもものすごく時間がかかっていたけれど。今年の夏だったかな、初ちゅー。そしたらそれ以上なんて相当の勢いが必要だろうけど、俺たちオトコノコだし。クリスマスってイベントもあったし。だから当然だと思ってたけど。けれど。


「……まだだよ」

「はっ!?」

「まだやってない!」


 圭太からの回答は、俺を絶句させるのにふさわしいものだった。だって、もう2年も経つって言うのにキスだけっておかしくね?圭太大丈夫か?男としてやばいんじゃあねぇの。俺が絶句していたからか圭太は慌てて絢子ちゃんの気持ちだとか心の準備だとか言っていたけれど、普通女の子の方から言わねぇじゃん。絶対に圭太が言って押し倒してくれるの待ってるだろう。もしも過去に圭太が押し倒して拒否られてるってんなら話は別だけど、こいつを見るかぎりそんな根性があるとは思えないし。
 俺は気を取り直してチョコを一口放り込んで噛み砕き、飲み込んでから赤くなる圭太をまっすぐに見つめて素直な、正直な疑問を向けた。


「お前、大丈夫?」

「だ、大丈夫に決まってんだろ!」

「いや、俺信じらんないもん。なんで平気なんだよ」

「彼女いない康平に分かんないだろうけど、そういうもんなんだよ!な、一誠」

「ごめん、それは俺にも分かんない」

「つか俺、彼女できたけど」


 圭太が唯一仲間だと思っていた一誠には拒絶され、そして俺が告白した。別に誰に言うことじゃあないから黙っていたが、圭太と一誠は計ったように同じタイミングで俺を大きく見開いた目で見て「え」と声を合わせた。その反応がむかつくからこれ以上言うのをやめようかと思ったけれど、その瞬間に一誠が食いついてきた。だれきっていた体を起して身を乗り出し、継ぎ速に質問してくるのを俺はチョコを食べながらもちゃんと答えた。


「いつ!?」

「昨日」

「誰!」

「1年の誉田千代ちゃん」

「うわ、可愛いじゃん!どうして!?」

「告られた」

「うわっ、クソ!康平のくせに!!」

「一誠のくせにうるさい」


 まるでジャイアンのような罵倒を一言で黙らせて、俺はペットボトルに手を伸ばした。甘いものは嫌いじゃあないけれど、さすがに連続して何もなく食うのは無理。お茶で口の中をリセットしてから、一誠に請われるまま昨日あったことを語ったが、特に面白いことじゃあない。
 昨日、帰り際に部室の前に千代ちゃんが立っていた。で、チョコと一緒に告白されたから俺はオーケーして一緒に帰った。ただそれだけなんだけど、一誠にはものすごい顔で驚かれ圭太はなんだか落ち込んでいた。一緒に帰ったのくだりを一誠がやたら聞きたがるもんだから、話した内容とか手をつないだとか千代ちゃん家がどこらへんだとかそんなところまで話してしまった。言ってて自分で少し恥ずかしかった。


「……康平って、手ぇ早くない?」

「別に普通だろ。そこは圭太が遅いだけだって、なぁ」

「うん……」


 別にイベントマジックとかで俺も盛り上がっていたと思うけど、家に送って行ったときに思わずキスしちゃいましたとまでは言えなかった。なんか、がつがつしてるみたいで恰好悪いじゃん。いや、本当は結構がつがつしてるんです俺。年頃の男の子だし、しょうがないと思うんです。でもこの巷で噂の草食系男子の圭太を前に、そういうことを言ったらいけないような気さえするのはどうしてだろうか。


「俺の話じゃなくてさ、一誠の話だろ。チョコもらえなかったって、それ以上のモンもらったんじゃねーの?」

「マジで何もないデス。つかまぁ、俺が悪いのかもしれないけど……」

「悪いって自覚あるなら謝ってこいよ。そしたら仲直りで進展できるんじゃねぇの?」

「……康平、それって体験談?」

「聖先生のな」


 俺がそういうと一誠は納得したような顔をしてまた机にだらしなく体を倒した。俺は別に喧嘩したらそれで終わりかなって思うから仲直りしようともしないので一誠の気持ちが全くと言っていいほど分からない。ただなんとなく聖先生が前に言っていたことを思い出しただけだ。初めての彼女と別れた時もなんとなく連絡しなくなって、次の彼女も連絡とかが面倒で別れた。さて、今回はどれくらいもつのだろう。
 一誠は心底落ち込んだ顔をして深く深く溜息を吐きだし、俺だってオトコノコだもん、と呟いた。なんだ、そんなことか。草食系の圭太と違って俺も一誠も男の子だし、そうや一誠も付き合って半年近くたつからそういう方向の擦れ違いって多いもんだろう。俺は半年も続いたことはないけど。


「押し倒して泣かせた?」

「…………泣かせてはないけど、拒否られた」

「無理矢理やっちまえばよかったのに」

「そんなことできるわけないだろ!?」


 一誠は俺とは違う感想を抱いたらしいが、そんなことは絶対にできないと言ってまたチョコを口の中に放り込んだ。俺の場合、初めての彼女に迫った時に拒否られてその瞬間に冷めてしまった。だからそれからすぐに別れて全く気にしていなかったけれど、一誠はものすごく気にして落ち込んでいるようだ。落ち込むくらいならやらなきゃいいのにってのは圭太の意見だが、これは健全な男子の意見じゃあない。


「仲直りの予定は?」

「謝って謝り倒して、一応」

「じゃあいいじゃん」

「ばつ悪くて会えねぇの!俺超会いたいのに!!」

「じゃあ会えばいいじゃん。んでちゅーの一つもすりゃあ円満解決」

「お預け食らいましたのでキスもしにくいです」


 どよーんと落ち込んだ一誠に、俺はものすごく驚いた。お預け食らって、それ素直に従うんだ。俺なら頃合い見て踏み倒すのに、一誠は大型犬よろしく素直に従うのだとはっきりと言った。そりゃお前、苦労するだろ。自他共に認めるMの一誠はある意味この修行みたいな状況が楽しいかもしれないけど、ソフトSの俺は絶対に耐えられないと思う。つか耐えられなかったから別れた彼女がいたのは事実。


「お預けっていつまで?」

「結婚するまで?」

「そりゃまた気の遠くなる話……」

「つか何、結婚すんの?すげぇな」


 結婚までお預けってその彼女、一誠と結婚する気なのかはたまた一生お預けの体のいい言い訳なのか。どうでもいいけどそれで納得した一誠はすごいと思う。
 チョコを一箱完食して、またお茶。それからこの辺で帰るかもうちょっとグダグダしていようかと考えようとして、携帯がポケットの中で振動した。一誠の彼女の惚気何だか分からない言葉を聞き流しながら携帯をスライドさせて新着メールを開くと、昨日から付き合っている年下の彼女の名前が記されていた。メールを開いて、夕日の綺麗な写真が添付されて綺麗ですねって言うのに不覚にもときめいてしまう。


「何康平、彼女!?」

「あー、まぁ。そういや、会いづらくてもメールくらいしてんの?」

「ていうか、返信しないの?」


 メールを見ただけで携帯をしまった俺を見て圭太が不可解そうに問いかけてくるけれど、これって返信するべきなのか。特に質問とかじゃあなかったし、返す言葉も曖昧なものしか送れないから別に良いかと思ったんだけど圭太にはそれが信じられないらしく、目を大きく見開いてチョコをてのひらで弄んだ。どうでもいいけど溶けるぞ。


「つか毎日メールとか電話とか、鬱陶しくね?」

「康平、それは最低だ!」

「圭太は結構頻繁にメールしてるもんな」

「一誠は?」

「俺も必要ないとメールしなくなった」


 始めは毎日のようにしてたけど今は電話も滅多に自分からしないと一誠は言って、トリュフをザラザラと口の中に流し込んで噛み砕く。付き合い始めってテンションが上がって毎日のように電話とかメールとかしまくってるけど、俺はそれが億劫でしょうがない。だって学校で毎日会えるの必要あるのかと思う。学校で会えないのに連絡しないのは部活が忙しかったりしてつい面倒になってしまうから。だから正直、昨日は楽しかったメールにもう魅力を感じなくなってしまっている。
 なのに圭太は結構律儀で、彼女と頻繁にメールしている。毎日会えるにも拘らず、だ。いっそなんか賞状をあげたい。


「何だお前ら、まだいたのかよ」

「聖先生」


 いきなり部室のドアが開いたと思ったら、聖先生が入ってきた。俺たちがまだ残っていたことに少し驚いているけれどまだ八時。そろそろ帰ろうかと思っていたところだったが、聖先生が来たので状況が変わった。俺たちは聖先生を中に引っ張り込んで一番座り心地のいい椅子を薦めて腰を落ち着けてもらい、もともと聖先生が貰ったものだけれどチョコを振舞いながら背筋を伸ばした。


「聖先生、女の子とやらしいことしたいってのは男として当然ですよね!?」

「は?」

「彼女できたら当たり前ですよね!?」


 聖先生が心底訳が分らないと言う顔をしているので畳み掛けると、曖昧にも頷いてくれた。実は、よろこんで断食系の一誠とヘタレ草食系の圭太と話していたおかげで彼女をどう扱っていいかが若干分らなくなっていた。けれど聖先生が頷いてくれたので安心。
 これまでの話の概要を圭太が掻い摘んで聖先生に話すと、煙草をポケットから取り出した先生は火を点けながら俺たちを見た。そして、溜め息のように紫煙を一つ。


「それは個人差。別に康平の言い分が普通ってわけじゃあねぇけど、一般的にはお前らくらいのガキは下半身にだけ脳みそ入ってんだろ」


 はっきりと言ってくれましたね。自信満々に教師がそういうことを言うから、俺は先生の言葉を信じて彼女に対していこうと思う。人間自分に素直が一番だ。俺は少し気が軽くなって聖先生に彼女に頻繁にメールしたかと訊いたらすごい嫌そうな顔をされたのでなかったことにして、促されるままに立ち上がった。


「ほら、帰れ。鍵閉められねぇだろ」

「今日の警備聖先生ですか」

「早く帰りてぇんだよ俺は」


 苛々と煙草を口に運ぶ聖先生は本当に早く帰りたそうだったので、とっとと忘れ物がないか周りを軽く見て部室を出た。警備員が見回るのが常だけれど、一応当直の先生が校内を見回る。月に一度の当番が偶然今日だったらしい。
 寒いから早く帰りたいとぼやく聖先生に一誠と圭太は駅まで送ってもらおうとしていたけれど残念なことに今日は電車だと言われた。俺は寮だから、ここから徒歩で五分未満。鞄を肩からかけて、息が白くなるほどの外気に思わず肩を竦めた。


「マフラー欲しい」

「彼女に作ってもらえば?」

「あ、それいい」


 自分からは面倒くさくて彼女のメールに付き合わないのに、都合のいいときだけ恋人ごっこを楽しもうとする俺は結構ひどいと自覚している。圭太の厭味たっぷりの言葉に俺は頷き、ポケットから携帯を出して寒いね、マフラーが欲しくなるとメールを打った。きっとこれで強請ってないけど作ってくれるはずだ。
 歩き出しながら同様に肩を竦めた一誠が、俺を見て「くっそー!」と吠えたが俺は知らない振りをした。すぐに返って来たメールには、好きな色はなんですかと書いてあった。





−結ぶ−

断食一誠はMだから耐えられる