大変なものを見てしまった。
 その日僕は、部活の緊急集会で呼び出されたから一階の会議室に向かっていた。僕の所属する写真部は、文芸部美術部漫研映研と共に裏クィンテットという組織に属している。花形文化部ではないけれど、文化部のなかで権力は組織が大きい分持っている。写真部の部長副部長は裏クィンテットの集会に参加できる。僕はその集会に向かっているときに、見てしまった。


「ひーじりセンセ!」

「……なぁんだよ」


 聞こえてきたのは聖先生の嫌そうな声。ひどく鬱陶しそうなそれに思わず首が変な方向に向かう勢いで振り向いてしまった。場所は一階の三年男子教室前。見た先には髪を下ろした、白衣の聖先生。そうして衝撃。一人の男子生徒が、聖先生に後ろから絡みついていた。見たことのないその生徒は、聖先生に抱きついて甘えるように頬を先生の後頭部に押し付けていた。


「たたたた、大変です!」


 思わず駆け込んだ会議室。衝撃そのままに会議室の扉をぶち破らん勢いで駆け込んだ。一斉に突き刺さった真剣で重々しい視線に何かあったと察する。これはもしかして、さっき見た衝撃に関係あるのかもしれない。
 僕が入り口で足を止めると、うちの部長で裏クィンテットのリーダーでもある古賀さんが僕を軽く睨みつけて着席を促した。思わず小さく謝ってそそくさと古賀さんの隣の席に着く。僕を待っていたのか、古賀さんはすっと入れ替わるように立ち上がると後ろのホワイトボードに緊急議題と書いて写真を一枚貼った。それを見て、僕は再び驚愕。


「あぁーっ!」

「うるさい、裕。何だ」

「こいつです、僕が見たの!」


 思わず興奮して立ち上がると、また古賀さんに怒られた。常々聖先生のことになると我を忘れる僕に落ち着きがないと小言を並べてくれる。まだ裏クィンテットは任せられないなと言ってくれるから、最終的には僕が裏クィンテットをまとめていかなければならないようだ。
 僕は再びしゅーっと抜けて座ったけれど、今度は周りが反応した。ざわざわとさざなみは広がって、結局美術部の部長が代表して挙手でもって古賀さんに発言の許可を求めた。会議が始まると古賀さんが許可した人間しか発言は許されない。周りからどう思われようとも裏クィンテットは厳正な組織だ。


「古賀。発言の許可を」

「……しょうがない。許そう」

「中井、何を見た」


 美術部の部長は真面目な顔をした美人さん。もちろん聖先生のほうが美人だけど、どちらかというと美人さん。彼女は僕を真っ直ぐに据わった目で見た。この人はいつもこう怖い顔をしているからもてないんだと思う。本人は聖先生に青春を捧げているというからいいんだろうけど。そもそも、裏クィンテットに参加したら最後青春はすべて聖先生のためにあり彼氏彼女なんて作ってる場合なんかじゃあない。


「そいつが聖先生に後ろから抱き着いてました!」


 僕の悲鳴を聞いた各部の副部長たちが一斉に騒ぎ出した。それを各部の部長たちが一喝して鎮める。古賀さんは僕の不用意な発言に溜め息を吐いたけれど何も言わなかった。あぁ、またやってしまった。古賀さんは滅多に怒ることがないけれど、その分無言で僕を責める。
 場が静まったのを待って、古賀さんはコツンとホワイトボードを叩いて写真を示した。全員の視線がそれに向かうが、どれもこれも殺気が篭っている。うん、怖い。でもきっと僕が一番怖い目をしているだろう。だって実際に僕は彼が聖先生に抱きついていたのを見てしまったのだから。


「三Eに編入してきた兄崎・ルッソ・麗二だ。まぁ留学という形らしいからすぐに消えるはずだが」

「ルッソ?」

「ハーフだ。確かイタリアだったか」


 その男の情報は編入する際に古賀さんが押さえ、映研に調べさせたらしい。
 報告によると、イタリアからの転校生は貿易業を生業とした大手コンツェルンの妾腹らしい。ただでさえイタリア人女性とたくさんの関係を持った父親は、日本の女性にまで手を出したそうだ。妾腹といえもっとも愛された子供だそうだ。おかげで竜田への編入が決まったそうだ。身長は二メートル、体型は僕が見たとおり細身の筋肉質。聖先生と同様髪を伸ばしているけれど、やっぱり聖先生よりは男っぽさが先に立っていた。


「こいつは絶対に攻めだ!」

「じゃあ聖先生が受けか!?」


 話が変な方向にすっ飛んでいる。実際に見たことがない人たちはこうも楽なことを言えるかもしれないけれど、僕はそんな軽い気持ちでいられない。だって聖先生が襲われるところなんて、僕は想像できない。僕は根っからの聖先生は攻め派なんだ!たった一つの例外を除いて。


「僕は北畠晃以外の聖先生の受けカプを認めません!」


 古賀さんにはそういう問題じゃないと僕を嗜めたけれど、彼女も相当いらいらしているのか机を指先でカツカツと叩いている。
 この会議で決まったことは、聖先生の貞操を守ることとあの編入生に僕らの恐ろしさを思い知らせることだ。裏クィンテットという名の聖先生ファンクラブの最大の掟、聖先生はみんなのもの。抜け駆け禁止。それを徹底して思い知らせる必要がある。










 次の衝撃は放課後のことだった。僕は職員室に用があったので再び二階の特別棟へ向かった。職員会議はまだ終わっていないようで、用がある生徒がちらほらと職員室の前で待ってる。その中に例の兄崎が長身を壁にもたれさせて待っていた。思わず僕は彼を見て硬直。その隣にはバスケ部エースの大沢先輩までいる。
 思わず会話に聞き耳を立ててしまったけれど、どうやら大沢先輩は彼の付き添いできたらしい。大沢先輩は聖先生の先輩の弟で小さいころから交流が合ったらしい。先生と親しいから僕らの標的になりそうだけど、彼は同じくバスケ部三年で部長の手塚先輩とできているらしいから安全圏。


「レイジは聖先生のどこがいいわけ?」

「He is beautiful!」

「まぁ、美人だけど」


 何を分かりきったことを言っているんだと僕は思った。聖先生が美人なのは周知の事実だし、そもそも聖先生の魅力はそんなところじゃあない。あのSっぷりだとか人の心を鷲掴みする笑みだとか。言葉では言い表せないくらいの魅力がいっぱいだ。
 けれど大沢先輩にとっては違うのか、性格最悪じゃんと呟く。それを心外そうに見て、兄崎は少し語気を荒く手振りまでつけて表現する。


「ツンデレ!」


 絶対にそれは違う。というか、大声過ぎて周りの人が注目している。そもそも長身の美人ハーフなんだから注目されないほうがおかしいかもしれない。聖先生はそれを超えた美人だけどね。
 会議が終わったのか、扉が開いて先生たちがぞろぞろと疲れた顔をして出てきた。職員室にあまりとどまらない聖先生は、さっさと出てくると思ったのになかなか出てこなくて、僕は顧問の吉野先生に用があって職員室に先に入った。


「失礼します」


 中で見たものは、聖先生が床に直に正座して真坂先生に怒られているところだった。また何かをやったらしいことを先輩たちに報告しなければ。僕はさっとポケットからカメラを取り出してシャッターを切りながら吉野先生の机に近づく。何の御用ですかと聞いたのに、彼は微笑して僕の耳に顔を寄せた。


「準備室で猫飼ってたそうですよ」


 子供みたいな理由というか、なかなか聞かない理由だ。驚いて聖先生を凝視してしまって、彼の肩に白い子猫の幻覚が見える。きっと先生が猫と戯れていたらものすごい可愛いというか和むというか。さっきまでマンションが動物禁止だからとか言い訳を並べていたようだけれど、今はおとなしく怒られていた。
 相当怒られていたのか、僕が吉野先生から部活の資料をもらっている間に真坂先生が「分かったな!?」と怒鳴って職員室を出て行った。入れ替わりに、例の兄崎が大沢先輩と一緒に入ってくる。


「せーんせ、怒られた?」

「……まぁたお前かよ」

「ボク、センセ大好き」


 若干カタコトなのはただ外国暮らしが長かったからか作っているキャラなのか。これキャラだったら化学部にお願いして何か劇薬的なものを作ってもらわないといけないんだけど。
 吉野先生が笑って「ストーカー君のお出ましですね」とか言ったものだから、思わずシャッターを押す手が止まった。


「センセかわいそう」

「いや、自業自得っしょ」

「タカト黙ってて。センセ、ボクが慰めてあげよか?」

「いらねぇし」


 大沢先輩の呆れた声は流されて、兄崎は立ち上がって肩をほぐしている先生に抱きついた。聖先生は背が高いけれど、兄崎はそれよりもさらに高い。聖先生から頭半分出ている人間なんて滅多に見ない。その珍しい兄崎は聖先生が嫌そうな顔をしているにもかかわらずギューギュー抱きしめている。職員室にいるほかの先生も苦笑気味だ。


「センセ、結婚して」

「貴人ぉ、こいつどうにかしろよ」

「無理っす。いいじゃん、一晩くらい相手してやれば?」

「センセなにもしなくていーよ。ボクが全部やってアゲル」

「何をする気だてめぇは!何度もいってんだろ、俺はガキもいんだよ!」


 まったく何をする気なんだ、この外国人は!聖先生がキレて彼の腕から抜け出すが、無駄に長い腕はそう簡単に先生を逃がさなかった。たぶん聖先生は普段力技でも負けを知らないだろう。それなのに年下に簡単に押さえ込まれて相当に悔しそうな顔をしている。それをみて僕の隣では吉野先生が大笑いしているけれど、僕はどうすればいいだろう。ムエタイ部でも呼んでこようか。


「吉野!笑ってねぇで助けろ!」

「いいじゃないですか、たまには困ってないと可愛げないですよ」

「いらねぇよ!」


 焦っている聖先生は若干顔が青くなっている。過去、世界最強格闘技を専門とするはずのムエタイ部に異種格闘戦で勝ったと報告を受けているから、こんなひょろ長い偉人になんて負けるわけがないのに。そう思って首を傾げると、吉野先生がさもおかしそうに笑って先生が僕くらいの頃友人に襲われてそのまま流されたことがあると教えてくれた。そのときは襲ってきた方が誘い受けだったらしいけれど、今回ばかりはそうは見えないんですけど。


「センセ奥さんいるの、知ってる」

「じゃあ話は早いよな?俺に付きまとってんじゃねぇよ」

「でも奥さんオンナ」

「いや、当たり前だろ」

「ボク、オトコ。ノー・プロブレム!」


 いったいどこに何の問題がなかったのか全く分からないんですが。兄崎は自慢げだけど、聖先生だけじゃあなくて大沢先輩もぽかんとしていて。僕の隣で聞いていた吉野先生だけが性別の問題なんですかねぇなんてのんきにいていた。吉野先生、意味分かったんだ。そこにまず感心。
 聖先生も分からなかったようで天井を仰ぎ、それから大沢先輩を見た。誰を見たところで正解は転がってないと思うけど。


「ごめん、レイジ。俺も今のは分かんなかった」

「ダメじゃん、タカト。センセの奥さんオンナだけど、ボクはオトコ。オーケー?」

「いや、それは分かるけど!」

「オンナは奥さんだけ、オトコはボクだけ。No problema!」


 イタリア語で問題ないとか言った!聖先生は聞き取れただろうけれど職員室中に声を張ってイタリア語が分かる人を探している。けれど誰もが係わり合いになりたくないから黙っている。そもそも高等部はドイツ語とフランス語しかないから、専門の先生はいない。聖先生も分かっているはずで、どこからも反応がないことを確認すると大沢先輩に手を伸ばしてその胸倉を掴み上げ、顔を近づける。


「ちょぉ大学部行ってイタ語選択の奴探して来い」

「は!?そんな無茶な!」

「無茶じゃねぇよ。言葉通じてねぇじゃねーか今」


 聖先生の無茶なふりに大沢先輩は無茶だと叫んでいたけれど、結局大学部へ行かされたようだった。けれどいなくなってしまっては聖先生と兄崎の間に阻むものは聖先生の抵抗だけで。それにはっとしたのも聖先生で、早口で煙草吸ってくると行って職員室を出て行ってしまった。
 ほんの一瞬、それはたった一瞬だった。兄崎が追いかける直前、聖先生と兄崎が別々の場所に位置した瞬間。兄崎に注目している人間が僕と吉野先生以外になった瞬間に、彼の姿は消えた。


「中井。緊急集会だ」

「は、はい!」


 後ろから聞こえたのは、美術部の部長さんの声。はっと振り返ると彼女は怜悧な表情で兄崎のいた場所を睨んでいるが、いったいいつの間に来たんだろう。しかし僕が返事をするとすぐに興味なさそうに視線を逸らし、踵を返してしまう。極小さな声で彼女が「女王様がお待ちだ」と言ったので、すべては古賀さんの思惑なのだろう。こうなれば僕は従うしかないし、喜んでと答えるだろう。
 僕も彼女に続くと、吉野先生に呼び止められた。一度止まって振り返ると、彼は穏やかに笑っている。


「中井君」

「はい?」

「女王様に伝言をお願いします。後片付けもちゃんとやるようにって」

「はい」

「では、行ってらっしゃい」


 竜田学園の部活の自治性はとても強く、教師の介入があるのは運動部のコーチとしてくらいなものだろう。吉野先生も顧問の癖に、最後まで自分たちでやれと言ってくれた。僕は返事をして今度こそ職員室を後にする。
 裏クィンテットの制裁が、これから始める。古賀さんを中心に掟を破った者や聖先生に迷惑をかけたものを公開晒し者にして、二度と近づけないようにしてやるというのがこの趣旨だ。ちなみに、古賀さんがえげつなさ過ぎて今まで苦情は一軒もない。今回もそうなるだろうと、僕は自分の役割である記録係としての任を全うするべくカメラのフィルムを確認して部室に向かった。
 その日から兄崎が聖先生に近寄っているのを見たことはないし、留学期間が終わったらとっとと国に帰ってしまった。こうして、今日も竜田学園の平和は影の女王様の手によってちょっと過激に守られましたとさ。めでたしめでたし。





−結ぶ−

受けとか攻めとか、阿呆なことばっか言ってごめんなさい。