兄貴の娘は、5歳にして父親が嫌いだ。通常の反抗期とされる小学校5、6年よりも早すぎるとは思うが、あいつの性格を見ればしょうがないことかもしれない。
 ただ今問題なのは仁美が父親を嫌っているとかそんなことではなく、その姪自身。


「いいなぁ」

「…………」

「いいなぁ。ねぇ、おじちゃま」


 九条院東京別邸の俺の部屋。本家は栃木にあるが俺は東京にいる方が長いために別邸の方が家という気がする。その俺の部屋で、件の姪は俺にまとわりつきながら同じことを繰り返しているのだ。何がいいのかは分からないが、もう30分近く繰り返していて鬱陶しい。


「いいなぁ」

「……仁美、うるせぇ」

「だっておじちゃま!」


 いい加減に鬱陶しくて低い声でたしなめてみたが、日々ヤクザの屋敷で生活している小娘には効果がないようだ。子供特有の甲高い声が鼓膜を叩く。口を出すんじゃなかった、うるさい。
 この一言が引き金になり、仁美は俺の後ろから肩に小さな手をおいてぴょんぴょん跳ねながら頬を膨らませて文句を垂れる。


「あたしもかわいい服きたいもん!」

「俺にいうな」


 可愛い服を着たいと騒ぐ小娘だって俺が見たところ可愛い服を着ている。俺に対してもそうだったが、兄貴が娘の気を惹こうと買い与えるから物持ちがいい。おそらく言えば買ってもらえるだろうに俺に文句を垂れると言うことは俺に買えとでも言いたいのだろうか。しかし生憎だが俺は特に子供服なんかに興味がないし流行りも分からない。
 だがどうも違うらしく、うるさいからと仁美の手を拘束して畳の上に押さえ込んでやったらものすごく不満そうな顔でこう言った。


「小藤ちゃんみたいなお洋服ほしいの!」


 ガキが……。結局、人が羨ましいだけじゃあねぇか。
 友達の服やら格好やらが羨ましいと駄々をこねるガキを納得させて黙らせる手腕は俺にはない。かと言って無視してもまたうるさいだけで迷惑を被るのは目に見えている。しかし俺が服を買い与えればいいというわけでもない。そもそも物があるなしの問題じゃあない。本人のコーディネートの問題だ。仁美のいう"小藤ちゃん"だってそんなに買い与えられているわけじゃあない。下手したら仁美の方が数はあるだろう。


「龍巳、入るわよ」

「姉貴。これ、どうにかしてくれ」


 短く呼ぶ声がしたと思ったら、仁美の母親、俺にとっては義理の姉貴が入ってきた。義理と言っても兄貴が結婚したのが俺が中等部に上がるあたりだったから他人の気はしていないし、兄貴より頼りにしているようなところもある。姉貴は俺の部屋で騒いでいた仁美に用があったらしく、俺の文句に対してただ曖昧に笑っただけで特に何も言わなかった。


「仁美、小藤ちゃんとお泊まりの約束したんだって?」

「うん!小藤ちゃんお泊まりくるよ!」

「勝手に約束しないの。ちゃんと訊きなさい」

「はぁーい」


 俺の部屋で、なんだか面白くない話題が進行される。できれば別のところでやってほしいんだが、こうなったらもうだめなんだろう。案の定、姉貴は俺に仁美の世話を頼んで行ってしまった。なんでも話の途中で確認をしにきたらしいが、俺の部屋ではなく仁美を呼んでほしかった。姉貴が行ってから、仁美は楽しそうにまた騒ぎ出す。


「小藤ちゃんがおとまりにくるの!」

「よかったな」


 堅気の娘がヤクザの友達の家に泊まりに来るのはよろしくないと思うが、俺も昔は経験があるし用がないのに来て入り浸るバカもいるので特に気にはしていない。姉貴も確認をと言ったけれど、言おうが言うまいが都合の悪いことなんて特にない。


「小藤ちゃん、いっつも可愛いおようふくきてるよ」

「そうか」

「かみのけもね、かわいいよ」

「そうか」


 俺の返事は仁美の気に召さなかったらしく、ゴロゴロと部屋の中を転がり始めた。やめろ、埃がたつ。
 小藤が可愛い格好してるのも髪型が可愛いのも、残念ながら親の影響だろう。馬鹿みたいに着飾ることと人を飾ることが好きな男が父親で、母親も大半の現代人に照らしたら大学を卒業するかしないかくらい、その上趣味はオシャレですというような若い奴の典型だ。その娘が現代っ子にならないわけがない。


「人の部屋で暴れるんじゃねぇ。つまみ出すぞ」


 俺がどんなに文句を言っても仁美の奴は聞きやしないし、それどころか逆にさわぎ出す始末だった。思わず口から溜め息が出るのもしかたない。諦めて俺が部屋を出ていくかと腰を上げたところ、放り出してあった携帯が光りながら震えだした。常にマナーモードな上例の小藤の父親と違い着信音も発光も初期設定のままの携帯だから誰からか分からないが、持ち上げてディスプレイを見たら角倉聖と表示されたので出る気も失せた。そもそも問題の根源はこいつなんじゃあないかとまで思い、俺は携帯を机の上に置き部屋を出た。予定はないから、隣の料亭で暇を潰して来よう。










 幼馴染みの家で時間を潰し、八時前に屋敷に戻ると俺の部屋に入室を許可した覚えのない男がいた。そいつは俺を見て薄く笑い、手にしていた携帯ゲーム機の電源を落として体を起こした。
 こいつの娘が泊まりに来ることは聞いていても、こいつまで来ることは聞いてない。まあ、こいつに言うには今更だが。人の部屋に不法侵入した男は、当然のように俺の部屋にいて当然のように口を開いた。


「遅かったじゃん」

「……なんでお前がいるんだよ」

「俺も泊めて。今日千草もいねぇんだ。つーかメールもしただろ」

「見てねぇ」


 携帯の電源は残念なことに落としている。しかもおそらくこいつが来るだろうことを予想して、だ。
 俺が知らないと言うと聖はつまらなそうに唇を尖らせた。そういえば部屋の端に見覚えのない鞄が置いてあるから、本気なのかとなぜか感心してしまった。こいつを部屋から追い出すのは無理だと過去の経験から知っているので諦めて腰を下ろしたところで廊下の向こうからバタバタと足音が2つした。


「おじちゃま!おふろはいろ!」

「パパ、おふろ!」


 飛び込んできたのは仁美と小藤。仁美は姉貴とでも入ればいいのになんで俺のところに来るんだと思ったけど、聖がいるからか。小藤が父親を呼ぶから、そのマネなのか対抗なのか。知らないが俺が了承するわけもない。ただ姉貴の声だけが聞こえて俺に仁美を預けやがった。
 俺の部屋で飛び込んできた仁美の友達は、父親の膝の上で髪をとかしてもらっている。確かに格好は可愛らしのだろうけれどもの自体は仁美の持ち物の方が良さそうだ。


「よし、終わり」

「ひとみちゃんとおふろ!」

「おじちゃま、おふろ行こ」


 聖と小藤は持参したでかい鞄から着替えを取り出したりしていて、入る気満々だった。つか、どうしてこの馬鹿は自分で着るもの持ってこねぇんだろうな。すっかり小藤の分とてめえの下着だけを娘に持たせた聖が、事もなげに立ち上がる。


「龍巳、浴衣貸して」


 はじめからそのつもりだったくせに。昔からその身一つで泊まりにきて着替えを要求しやがるのは同じで、ムカつくから昇り竜の浴衣を貸したら妙に似合っていたことがあったので俺も学習している。
 適当に返事をしながら部屋を出た。適当にその辺にいた組員に俺と聖の分の着替えを用意するように伝え、風呂場に向かう。ガキどもの着替えは本人が持参しているから必要ない。
 だだっ広い脱衣場で服を脱いでから聖は自分と小藤の髪をヘアクリップでさっとまとめあげた。相変わらずマメな奴だ。恐らくは聖の持ち物だと思うにそれを仁美が羨ましそうに見ているが俺はできないし持ってない上に買ってやる気もない。


「うし、オッケ」

「いこ、仁美ちゃん」

「うん!」


 パタパタ走っていったガキどもの後に続いて俺たちも浴場に向かう。そういえばこいつと風呂に入るのはいつぶりだろうかと、ちらりと隣を伺った。相変わらず筋肉質な体は衰えを知らない。現役バスケ部顧問はそんなに動くのか疑問だ。浴場ではガキどもが仲良く体を洗っていた。それを尻目に俺は掛湯をして湯船に沈む。聖は小藤の髪を洗い出していて、きゃっきゃと笑い声が浴場に響いた。一足先に洗い終わった仁美が俺のとなりに沈んだ。


「いいなぁ〜」


 また始まった。聖の向こうの小藤を羨ましそうに見て呟いた仁美を無視してやろうかと思った。でもさすがに可哀想なので一応声をかけてやるが、あれは異常なのだ。親バカだかバカ親だか知らないが娘を可愛がりすぎる。まぁ、バカだから仕方ないんだろうけど、よく好きでもない女との間にできたガキをここまで可愛がれるものだ。こいつが幸せそうだから、何も言わないが。


「髪を洗ってほしいのか?」

「べつにいらないけどぉ」

「……じゃあなんだよ」

「小藤ちゃんのパジャマもかわいいよ」

「また物か。買ってもらえばいいだろうが」

「だってお父さんセンス悪いもん」


 そこは否定しない。あのバカ兄貴ときたら選ぶ柄は龍ばかりなくせに俺に買ってくるものは虎柄だ。なんどテメェの柄なんぞいらんと言っても聞きゃしないからもう諦めてるが。だが仁美はまだガキで諦めることもできないんだろう。姉貴は必要ないものは買わない普通の人だから買ってもくれない。結果、俺に泣きついてくる。


「あれは父親のもんで小藤のもんじゃねぇよ」

「でもぉ……おじちゃまは持ってないの?」

「持ってねぇ」


 にべもなく断ると仁美は不満そうに唇を尖らせる。自分の中でまだ何か燻っているのか納得しようとしているのか黙ってしまった。しばらくは聖と小藤の声だけが響いて来ていたが、再び髪をまとめ上げた小藤が浴槽に入ってきたら仲良く遊び始めた。
 俺の隣に身を沈めた聖の薄い笑みを見て、仁美のわがままの原因はこいつなんだと思ったらムカついたので顔面に湯をかけてやった。


「いきなり何すんだよ!?」

「別に」

「……俺なんもしてねぇだろ?」

「あの年になって髪洗ってやるたぁずいぶん過保護じゃねぇか」

「そんなことかよ。俺がやってんのは仕上げ。女の子なんだし、手入れはちゃんとしておかねぇと」

「そのおかげでこっちは迷惑してんだよ」


 再び水をかけてやると聖が手で顔を拭ってから不思議そうな顔をした。仕方なしに遊んでいるガキを見ながら仁美の話をしてやると、聖は非常に微妙な顔をして頬を掻いた。聖にとって装うことは当然だから、羨ましがられてもその経験がないから分からないのだろう。複雑な生い立ちしやがって、厄介な奴だ。


「ただのガキの羨望だ、気にすることもねぇ」

「……俺は仁美のがいいと思うけどな」


 ぽつりと独り言のように呟かれた言葉を聞き返してやる趣味はない。黙っていたけれど、あがるまでに足を滑らせてこけた小藤が聖にすがって泣いてるのを見てなんとなく言っていた意味は理解できた。 
 









 仁美が可愛いと言った小藤のパジャマはウサギの耳としっぽがついていた。薄桃色のウサギは父親に捕まって髪を乾かしたあと仁美と「おやすみなさい」と元気に言って部屋に行った。ほったらかしだった自分の髪をタオルで拭って、俺の部屋で聖は持参したゲームを始めた。俺は俺でまだ余裕のある院の卒論をだらだらとやり初めて、お互いに会話らしい会話はたまにしかない。


「龍巳さぁ、まだ女つくんねぇの?」

「お前には関係ない」

「そりゃねぇけど……だぁぁ!あと一撃!」

「夜中に騒ぐな」

「龍巳の恋バナ聞いたことねぇもん。誰かいねぇの?」

「いねぇよ」

「誰かと付き合う気は?」

「いい加減黙らねぇとテメェのタマ引っこ抜くぞ」


 「紹介しようか」とまで言い出した聖を殴りたくなって、とりあえず手元にあった文鎮を投げた。
 別に女に興味ない訳じゃあない。親しくしている女もいるし、付き合っていた女もいた。ただ商売が商売だから堅気の女を巻き込もうと思わない。今までそれで不幸になった女を何人も見たから特にそう思う。時期が来たら親父の時のようにだれかしらが話を持ってくるだろう。聖の手が伸びてきて文鎮が机の上にそっと置かれたとき、廊下の向こうからペタペタ2人分の足音が聞こえてきた。時計を見れば12時に近いのに何をしているんだと思ったら部屋の前で足音が消える。


「おじちゃま〜?」


 すっと襖が開いて仁美が顔を出す。その隣には手を繋いだ小藤がしゃっくりあげながら立っていた。聖がぎょっとしてゲームを置いて腕を伸ばすと、小藤はボロボロ泣きながら父親の胸に飛び込んだ。


「小藤?」

「バパぁ〜!」


 胸の中で泣く娘の背中を擦りながら、聖は訳を仁美に尋ねた。だがその顔はこうなることを予想していたような色を浮かばせている。仁美は俺の布団にゴロッと寝転がると、うつ伏せの状態で聖と小藤を見てから何故か俺をみた。


「小藤ちゃんおトイレ行きたいんだって。でもこわいんだって」

「あー、慣れてねえからな。ちっと便所行ってくるわ」


 小藤を泣きすがってくる娘から一度手を離しゲームを切ってから、聖は小藤を抱いたまま立ち上がった。仕方無さそうに浴衣の裾を翻して部屋を出ていく。聖の後ろ姿を仁美は不思議そうに見ていた。
 確かに生まれたときからこういう家に住んでいれば普通だが、小藤はずっとマンション暮らし。日本家屋の不気味さは駄目なのだろう。角倉本家だって似たようなものだろうが、父親が勘当同然じゃあ行ったこともないだろうし。ただあれだけ泣き虫なのは過保護な甘やかしが原因だろうが。


「仁美、お前本当に小藤が羨ましいか?」

「なんでぇ?」

「確かに物は羨ましいだろうがその代わりにあんな風なんだぞ」

「…………」


 父親が装わせる代償に泣き虫甘えたになった小藤を仁美は羨ましいと思わないだろう。子供ながらこいつは内面の美しさを知っている。九条院の髄は常に誇り高くあれ。己を恥じるな。そのために節制する。それを分かっている仁美は俺の布団でゴロゴロしながらも沈黙した。


「おじちゃま、今日はいっしょにねてもいい?」

「あ?」

「だって小藤ちゃんきっとこっちで寝るよ」

「……今日だけだぞ」

「うん!」


 それからすぐに戻ってきた小藤は聖と手を繋いでご機嫌で、部屋に入ってくるなり布団に飛び込んだ。後から来た聖も同様に布団に倒れ込んで小藤を潰した。体浮かせてるから本当に潰した訳じゃあないが仁美は驚いていた。聖の下から小藤の笑い声が聞こえてくるが少し眠そうだ。


「なぁんで俺んとこ来んだよ。仁美と行けばよかっただろー」

「ごめんなさぁい」

「よし許す」

「パパ、いっしょにねよぅ?」

「じゃあとっとと布団に入る」


 聖が小藤をいとおしそうに撫で布団にいれた。仁美もすぐに俺の布団にもぐり込んで寝る体勢に入っていて、しぶしぶながら仁美の横に滑り込んだ。聖も布団に入ると小藤を抱き寄せてそっと背を叩いた。
 ガキどもがすぐに寝てしまったので、俺たちは静かに起き出して縁側で久しぶりに2人で酒を呑んだ。





−結ぶ−

龍巳さん、彼女いたことあったんだ……!