何が原因だったのか生徒たちには知らされていない。噂では休み前の不純異性交友がどーのーっていう話を聞いたけど、それもどうだかわからない。
 なにがどうなっているかというと、夏休み直前のテスト終了後、全クラス同時に性教育の時間になった。高校生にもなって性教育ってどういうことだか。もう実践済みの人もいるだろうに、今更っしょ。先生もそう思っているのか教室に入ってきた時点でひどく億劫そうな顔をしていた。


「裏話をするとだな、金八先生に感化された」


 教卓に寄り掛かった我らが担任、角倉聖先生が呆れたようにまずそう言った。テストが終わったからやることもない時期、先生たちは採点でげっそりしているはずなのに校長と教頭が金八先生の第一期を見て感化され、性教育をしようと言い出したらしい。聖先生は黒板に「愛」と書かれた紙を一枚磁石で張って、ため息を吐き出して「これも配られた」って言った。


「正直、AVでも見せとけばいいと俺は思ったんだけどさ、真坂先生に却下された」

「当たり前です!」

「性教育っつってもよー、俺に言えることは避妊しろよ、くらいなんだよな」


 カラカラ笑って聖先生は何をしようかなーと呟いた。そのとき、教室のドアが開いた。校長先生が顔をのぞかせ、数人の男性を連れて入ってくる。聖先生は目を大きく見開いて寄りかかっていた教卓から体を起こし、背筋を正した。校長は教室内を見回してから、何か納得したようにうなずいた。


「角倉先生、保護者の参観です」

「はい?」

「特別授業の話をしたらぜひ参観したいと仰られてな。くれぐれも粗相のないように頼むぞ」

「なんで俺なんですか!?なんでか監視されてるみたいじゃないすか!」

「真坂先生のご指名だ」


 あのおっさん!と聖先生が吠えたけれど校長先生は「任せたぞ」と言って出て行ってしまった。残ったのは5人のおじさんたちだった。おそらく仕事が休みか何かで暇なのだろう。誰も騒がないところを見ると、誰の親でもない。気まずそうに顔を歪めた聖先生はまず残った5人のおっさんたちに自己紹介を始めた。顔が青いのは気のせいじゃあない。
 俺たちにとって、こんな聖先生を見るのは初めてに等しい。真坂先生に何を言われても動じないし、常に飄々というか余裕だからこんなに焦っている聖先生なんてレア物は見なきゃ損だ。先生の面白い話を聞けないのは残念だけど、これはこれで面白い。


「2B担任の角倉聖です。若輩者ですが……ほんっとにこのクラス見学していきます?」

「角倉のご子息のお話は聞いております。どうぞこちらは気にせずに」

「はぁ……。ではお言葉に甘えて」


 お言葉に甘えた割には聖先生の顔に色は戻ってこない。おそらく頭の中ですごい速度で計算が進んでいるんだろう。だれがどこの会社の人で、自分に対する利害だったり家に対する警戒だったり。たっぷり5秒、沈黙した聖先生はゆっくりと口を開いた。


「後ろにおられる方々を気にせず、俺に遠慮しながら質問してくれ」


 かんっぜんに気にいてるじゃないですか。全力で気にしてるじゃないですか。なにが気にせず、だ。その上で俺達にまで協力を要請してきた担任は、黒板に張られた「愛」の文字を指でノックするようにたたいた。この言葉を、聖先生が一番信じていないに違いない。
 愛とは何か、なんて聖先生が辞書に載っているようなことをゆっくりと話し出したのなんて聞かずに、俺たちは目配せしながら何を質問しようか考える。聖先生にとっては戦々恐々でも、俺たちにとってはこんなチャンスはない。いつもいじめられてるんだから、これは神様か真坂先生がくれた復讐のチャンスなんだ。


「彼女いる奴……圭太」


 愛とは家族愛だとかいろいろある、みたいな話をし終わった聖先生が、教室を見回して一瞬一誠で目を止めたけれど、圭太を指した。一体どんな質問があったって迎撃する準備は整った。竜田学園高等部2年B組、伊達に普段から聖先生にいじめられていない。


「彼女、絢子だっけ。好きなところ3つ言ってみ」

「答え方がわかりません、先生の奥さんの好きなところを3つ言ってみてください」

「てめっ」


 いつもの圭太ならしどろもどろに答えるし、聖先生もそれを予測していたのだろう。聖先生が圭太の問い返しに怯んだ。短く声を発したけれど正面にいるおじさんたちに気付いて口をつぐみ、悔しそうに顔を歪める。やった、素直にそう思った。そして、圭太だけでは不安なので俺たちも援護に入る。まずは一誠が「先生の話のほうがためになるから」なんて調子よくいい、サッカー部の安斉が更に乗っかって「聖先生は結婚してるだから絶対に参考になる」なんていう。これは聖先生、返す言葉がないようだ。
 短い沈黙の後、考えながら口を開く。手がポケットに伸びたけれど、授業中に煙草は吸えません。


「……好きなところってのは言葉で言い表せるところじゃねぇよ」


 チッ。聖先生が参るところを期待していたのに、俺たちはこの返事に落胆。さらに続けた「嫌いなところを知ってるのに嫌いになれないから結婚したんだ」という本当なんだか嘘なんだかわからない言葉は、後ろのおっさんたちの同意を得たようだ。納得した声が聞こえてくる。でも俺たちは、それじゃあつまらない。聖先生が困って俺たちだってやるんだってことを分かってもらわなきゃいけないだから。
 だから、俺は一か八か直接的に聞くことにいた。これは、俺たちにとっても一か八かだ。形だけじゃあなく本質で聖先生に、勝負を挑む。


「先生は心はつながると思いますか?」

「あ?」

「セックスから始まる恋愛、ありだと思いますか」


 教室がざわっとした。それは勝負をかけた俺を見たクラスメイトの息を飲んで答えを待つ音と、いきなりの直接的な発言に対して参観者のおっさんたちから洩れた驚きの声だった。対して聖先生は、初めからこの手の質問が来ることを分かっていたのだろう、特に動揺してはいない。けれど、これこそ聖先生が遠慮してくれと言ったところだ。聖先生が過去いろんな女性と関係を持っていたこと、奥さんとは高校ででき婚ということ、チームメイトとも関係を持っていたこと、そんなことはみんな知っている。
 苦い顔をした聖先生が、教卓に寄り掛かる。一息ついてから、言った。


「あるっちゃある、ないと言えばない」

「どっちですか?」

「相手によるんだよ。ないと思ってりゃない」


 曖昧に濁しやがって、とさらに追及してやろうかと思ったが、俺たちが追撃する前に聖先生は窓の外を見て目を細めた後静かに教室を見回した。後ろの参観者たちをみて微笑んで、「男だもんな」と呟く。その呟きの意味が分からずためらっていると、おもむろにドアを閉めてまた教卓に寄り掛かった。


「ここからは俺も腹を括ってやろう。お前らも男だし、愛だのなんだの言ったって行き着くところはそこだもんな」

「なんか暴露してくれるんですか!?」

「お前らの勝ちだ。参観者前に語ってやるよ」


 やった、と思わなくもない。聖先生が負けを認めたんだ。けれどなぜか腑に落ちなくて、後ろのおっさんたちだってなんだか納得したような顔をしていて。気分的には試合に勝って勝負に負けた。そんな感じだった。聖先生は「このなかで童貞何人いんの」などとオブラートをゴミ箱に捨てた。さすがに手を上げにくいので誰も上げないが、みんなお互いに探っているのは分かる。誰がどんな経験をしているかなんて、男同士だし気になる。


「寮のやつは男しかいねぇからAVもエロ本も出しっぱなし、見放題だろ」

「寮生はでっかいテレビでAV鑑賞会するってホントですか!?」


 自宅から通う組の興味津々な質問、ほらやっぱり、俺たちの負けだ。
 聖先生は笑って「俺の時はやってた」と言う。確かに今だってやってますけどね。先輩たちの置き土産やら自前のやつをみんなで上映会してますけどね。参加不参加は任意だし、お互いに揉みあいとかもやる。俺はやったことないけど。鑑賞会だって不参加が多く、部屋で一人で見てるけど。でも寮生は、全員1度は経験済みだ。


「俺が直々に抜いてやってもいいんだけど……さすがにやめとくか」

「先生!俺実験台やろっか!?」

「そういう問題じゃねぇよ、馬鹿」


 一誠馬鹿じゃないの。普段ならまだしも今日は参観者がいるのにいくら聖先生だってそんな馬鹿な真似はしないだろう。聖先生も「これだからドMは」と言ってクラス全員で笑った。もう完全に、後ろのことなんて大して気にしていない。
 聖先生はAVもいいけど、あんなの嘘だからとすごい説得力のある話をし始めた。


「あんなもんは男にばっか都合よくできてんだから、実際女相手にしたら通じねぇぞ」

「先生は実践したことあるんですか!?」

「ねぇよ。俺はAVよりも先に経験したし。見た数より実践のが多い」

「さすが!先生かっこいい!」

「先生の初体験はいつですか!?」

「11」

「相手は!?」

「25の社会人。ナンパされたのがきっかけで、セフレみてぇだったな」


 こうなったら聖先生のペース。こんな犯罪じみたことを言っているのにおっさんたちは誰も反応しない。こんな話は俺だって初耳だから、おっさんたちが知っているわけもないのに。それとも聖先生ならありだとでも思っているのだろうか。
 完全に開き直った聖先生は、当時10人近くそんな関係の女性がいたとかどういう人たちだったかを語った。こんなことしてんの、このクラスだけだろうな。


「俺が言えんのは、避妊は絶対にしろ。困るのはお前らだ」

「困ったことありますか!?」

「だから結婚したんだよ。あと、幼馴染が想像妊娠したこともあった」

「結婚に後悔はありますか!?」

「ない。つーか話ずれてる、愛がねぇセックスすると痛い目に合うって話だ」

「痛い目見たんですか」

「想像妊娠がまずそうだろ。あと結婚迫ってくる女とかいたな」


 だんだんディープな話になっていく……。聖先生の恋愛遍歴って一般人からかけ離れてるからしょうがないんだろうけど、これ授業としていいのか。さすがに包丁を持って追いかけられたことはないらしいが、遊びなら処女はやめとけ、とひどいことを言って頷いた。遊びじゃないならいいんですかって言ったのは、圭太だ。それに聖先生は当たり前のようにうなずいて「いいに決まってる」と言い放った。聖先生も処女で苦労したことがあるんだろうか。


「とにかく、女は大事にしろってこった」

「ぜんっぜんそんな話じゃなかった気がするんですが」

「そんな話してたんだよ。何聞いてたんだ、お前」

「全部聞いてましたけど。じゃあ聖先生、一番好きな体位はなんですか」

「なんでも。要は気分の盛り上がりだろ」


 その時、廊下から足音が聞こえて聖先生がピクリと動いた。ゆっくりと近づいてくる足音は真坂先生のものかもしれない。聖先生は立ち上がると「とにかく」と黒板をたたく。どんどん近づいてくる足音に聖先生の声が焦る。


「とにかく、愛は大切!以上!」


 そう言い切った瞬間、教室の扉が開いて真坂先生が顔を出した。聖先生、歩く音聞き分けられるんだ。すごいな。聖先生は間一髪と言った感じて黒板から離れると、真坂先生ににこっと笑いかけて「どうしたんですか」なんて言った。すごいな、この人。


「お前にしては静かにやってるじゃないか」

「そりゃ、見張りまでつけられれば」

「そいつは付けた甲斐があったな」


そう言って出て行った真坂先生の足音が小さくなるのを待って、聖先生は長く息を吐き出して肩から力を抜いた、やっぱり真坂先生には適わないようだ。それから時計を見てもう少しで授業も終わる時間なのに気づき、教卓に立って頭を下げる。


「このことはどうか真坂先生にはご内密に。んじゃあついでにホームルームやるかぁ」


 少し早めに終わった俺たちは、チャイムと同時に教室を飛び出すことになる。あとで聖先生に文句を言われなかったから適当な授業内容は真坂先生に伝わらなかったのだろう。やっぱり聖先生には敵わないと気付いてしまって、俺たちは落ち込んだ。





-結-

なんかすみません