それは三年前の夏だった。“四季”というものが実質的に存在していない、アメリカ。
暖かな陽光は早々と帰っていき、代わりに灼熱の照りつけが居座っている。一人の医師が
窓の外に居るそれを見て、更に眉間の皺を深めた。


「…外出たら死ぬな。皮膚炎にもなるだろうし」


クヌート・スヴァンデ・オクセンシェルナ。北欧スウェーデン出身の彼にとって、アメリカの夏は地獄に程近かった。
血管が透けて見える程の白肌は、この太陽光に当ててしまえば忽ち赤く腫れ上がるのだ。薄いのは肌だけじゃない。
その湖水色の瞳も光に弱いため、分厚い黒縁眼鏡にはUVカット加工がされている。
そして彼の外出にはUVカットジェルに長袖シャツ、日傘が欠かせない。とかく面倒なのだ。
だから、オクセンシェルナは夏が大嫌いだった。しかし、今年の夏は少し違う。春に出会った新たな友人のお陰だ。


「…七月九日……さて、準備開始だな」


オクセンシェルナはカレンダーにちらりと目をやると、立ち上がり、颯爽と部屋を出ていった。
今日、七月九日は、この春、友人の李苗苗から紹介してもらったイタリア人コック、
ナポレオーネ・トレッリの二十一歳の誕生日だった。トレッリの誕生日を祝おうと、
オクセンシェルナは二週間程前から準備をしていた。まず、オクセンシェルナが向かったのは
軍部内のバーだ。


「あら、いらっしゃい、クヌート」


バーの女主人、ペルホネンが妖艶な笑みを浮かべながらオクセンシェルナを迎える。
オクセンシェルナは無表情のまま、ペルホネンに話し掛けた。


「…ペルホネン、例の物は用意出来たか」

「勿論よ。クヌートの頼みだもの」

「…ありがとう」


ペルホネンは冷蔵庫から缶詰めと箱を取り出した。冷たいそれを受け取ると、
オクセンシェルナはサッと背を向ける。ペルホネンは不機嫌な声を出した。


「せっかく苦労して手に入れてあげたのに…つれないわね」

「…急ぎだからな。お前とごちゃごちゃと話している暇は無いんだ」

「嫌な男。私を利用するだけ利用して、後は簡単に捨てるのね」

「…訳の分からん事を言うな。俺はお前みたいな“改造型”には興味が無い。ナポの方がずっと魅力的だ」

「随分ね。あなたが居なくたって私にはピエロが居るからいいわよ」

「…今回の事は礼を言う。フレンチジャンキーの道化と仲良くな、北欧の蝶々」


オクセンシェルナは半ば捨て台詞のように言った。バーをさっさと出て行くと、次の行き先は…
自室のキッチンだ。オクセンシェルナはトレッリに自作の料理をプレゼントするつもりらしい。
材料が此処では手に入らないため、顔の広いペルホネンに頼んだようだ。料理、と言っても実に単純なものだった。
スウェーデン産の缶詰めを皿に開け、細かく刻んだフィンランド産の飴を振り掛ける。残ったその飴は
フィンランド産のウォッカに、刻まず二、三個ぽとりと入れるのだ。これが北欧独特の食材を使った
オクセンシェルナの創作料理……。


「…シュールストレミングサルミアッキだ」

「あ、ありがとう、クヌート……何か、でも、禍々しい…気がするのは…気のせい?あと臭いが…」


料理が出来、早速トレッリを呼んだオクセンシェルナだが、何だか雲行きが怪しい。トレッリが既に半泣きなのだ。
それもその筈、スウェーデン産の缶詰めの正体、シュールストレミングは世界一不味いと言われる食べ物、
フィンランド産の飴の正体、サルミアッキは世界一不味いと言われる飴なのだ。しかし、北欧人にとっては別段、
不味いものではなく、伝統的な食べ物として広く親しまれている。貧乏舌のスウェーデン人外科医は祝うつもりでも、
美食家のイタリア人コックにとっては、耐久レースよりきついものがある。しかし、せっかくの好意を無碍には出来ない……
トレッリは悩んだ。


「…そういや、ミャオは来ないのか?あいつも呼んだんだが」

「う、うん。何か…用事があるから遅れるとかって…」

「…用事?俺とミャオは大抵、同じ日に休みが回ってくる筈なんだが…」


オクセンシェルナは首を傾げる。李は分かっていたのだ。オクセンシェルナが作る料理の中身が…。
彼女は適当な嘘を吐き、その場を何とか逃れた。今回の宴の主賓であるトレッリは、最早気絶せんばかりになっていた。
しかし、オクセンシェルナは気にも留めていない。早く自慢の料理を友人に食べてもらいたくて仕方ないのだ。


「…食べないのか?」

「いっ…いやー…食べるよ、うん!ボク食べるよ!」


トレッリは精一杯の笑顔をオクセンシェルナに向け、ナイフとフォークを手にする。だが、
いざフォークを口元に持ってこようとすると、体が拒絶反応を起こした。酷い臭いが、
これが食べ物であるという事を更に忘れさせる。だが、トレッリは頑張った。友人のために。頑張った………が。


「うわぁぁぁおぇぇぇえぁぁぁあぁぁ!!不味いよーーーーーー!有り得ないよーーーうわぁぁぁーー!!」


その後、トレッリは数日間、口内から臭いが取れず、悪夢に苛まれていたという。


「災難だったあるね、トレッリ」

「…悪い事したな。でもシュールストレミングサルミアッキはそんなに叫ぶ程……」

「煩いよ!このシュールストレミングサルミアッキ!うわぁぁぁー!」


FIN