独りで還る場所を探していた僕の隣に、体温を持った人が居る。
彼は屈託無く笑い、無垢な瞳で僕を見る。

僕の手が汚れているとも知らずに。

もう痛む胸も無いけれど、それでも。
彼が僕に笑い掛けてくれると言う事実がとても心地良かったし、僕は其れ為なら嘘を吐いても良いと思った。
彼の笑顔を護る為なら、どんな嘘も厭わないと。
どんな事をしても 仮令再び血で手を染める事になろうとも良いと思った。


そんな事を思える自分が可笑しかった。





















いつも、彼は僕の左側を歩く。

僕の手はいつも左は彼の手と繋がっていて、右は所在無げにポケットに突っ込んである。
彼の手を取る前は、彼女の手の温もりが其処に在った。
温かさを感じるのは随分と久しぶりで、もう失ったと思っていた其の感触を再び手にした時もう失いたくないと胸が軋んだ。



僕はきっと、忘却と云う罪を背負ってしまったんだ。
彼女に似ている彼と出逢い、彼女を忘れる事を咎められた。
だとすれば彼だけが僕を生かすのか。
彼女を愛した僕を生かすのは彼だけだろう。
僕は彼女を愛した自分を殺そうとしたから。


忘れる事は、罪なんだ。



彼は僕を生かす天使で。
彼は僕を罰する悪魔だ。









「紫翠、紫翠」



僕を見上げながら、不思議そうな顔をして明が僕を見上げた。
その、清澄な君の顔が辛い。

彼は僕の手を離して、路端にひっそりと咲いていた黄色い蒲公英の前にしゃがみ込んだ。


彼の離した手が虚無を掴むように物悲しい。そんな季節ではないのに、刺すような冷たい風が僕の手を引き千切ろうとしていたのを感じた。
彼が何処かに行ってしまう様で、不安になった。

僕は独りだったはずだったのに。元々、僕の隣には何も無かったはずなのに。
一度現れた彼は、僕の総てを崩したのだ。




「これ、なぁに?」



そう云って笑い、蒲公英を楽しそうに、幸せそうに見詰めた。彼の顔を見ていたら、何故か僕の顔も綻んだ。
僕が彼の後ろから覗き込むと、其処は固まって地を黄色に染まっていた。



「蒲公英」

「たんぽぽ?」

「雑草だ。生命力の強い、嫌われ物だよ」




周りから邪魔にされて、疎まれて。
いらないと云われて。


まるで、僕のようじゃないか。


それでいて、生きる事だけを渇望して。


まるで、僕のようだ。








彼は其れを見て微笑んで云った。



「キレイだね。ぼく、好きだよ」



総てを受け入れてくれる様な、そんな笑顔で云った。
そっと蒲公英に手を伸ばして躊躇うようにして僕を見詰める。

僕が如何したのかと聞くと、彼は困ったように微笑んだ。



「蒲公英をね、取ろうと思ったんだけど。やめた」

「どうして」

「だって仲間と離したら可哀想だよ。一緒にいたいと思うよ」




そう云って彼は寒さに晒されていた僕の左手を取った。
名残惜しそうに其れを振り返りながらも、真っ直ぐに歩いて行く。

僕の行き先を決めてくれる。

施設から逃げた時も、残された仲間の事を悲しんだのだろうか。
それとも、逃げ切る事の出来た自由を得た事を歓喜したのか。
逃げる事の出来ない仲間。碧い世界を手に入れた自分。
もしかしたら、力の無い自分に嘆いたかもしれない。



繋がった彼の手からは温かさ以外は何も流れてこなかった。

彼の悲しい感情も。
彼の嬉しい感情も。
彼の今の気持ちも。

僕は何も解からないから。
きっと彼にも僕の感情など解からないだろう。

僕の醜悪な感情も。
僕の贖罪も。
僕の胸の軋みも。

解からなくて良い。
解からなければ良い。


君にはこの感情を知られてはいけない。

君に救いを求めている事も。
君に罪の意識を感じている事も。
君が僕の世界だという事も。




彼は少し歩調を緩めてぎゅと僕の手を握った。
俯き気味に歩く其の姿は痛々しくて、彼を抱きしめたいけれど。
僕にそんな資格は在りはしない。

僕は彼の手を握り返すしか出来ない。
それしかしてはいけない気がした。


彼は小さな声で、呟くように云った。
絞り出された声は叫び声の様に僕に絡み付き、締め付ける。



「ぼくね、ぼく……みんなをミゴロシにしてきたんだよ」



蒲公英の綿毛が何時か永い旅に出る事を知らない彼は。
ずっと一緒だと信じている彼は。
置いていく悲しさを知っている。


蒲公英の綿毛が何時か永い旅に出ることを知っている僕は。
何時かは必ず別離の時が来ると感情を閉ざした僕は。
置いていかれる悲しさを知っている。



其れでも彼は、置いていかれる悲しさを知らない。

それでも僕は、置いていく悲しさを知らない。




「ぼくが自由になったらみんなを助けに行けるって思ってるから」



助けになんて行ける訳が無いのに。
そんな事をしても、幸せになんてなれないのに。



「でもね、ぼくは独りじゃないんだよ。紫翠が居るの」




ダカラ

ダカラ


僕ヲ オイテ 行カナイデ


逝カナイデ



君の為に僕が居るんじゃない。
君が居るから僕が居るのに。

其れすらも知っているように、
僕の中の醜悪な感情すらも知っているように、
明は笑った。



「ずっと、一緒にいてね」



僕ヲ独リニシナイデ




過去の自分が余りにも簡単に逆流してきたから、
僕は思わず彼の手を強く握ってしまった。

彼は痛いと云って笑い、僕は御免と云って笑った。



明は僕を置いて逝ってしまわないだろうか。
僕よりも弱い彼は、僕を独りにしないだろうか。


僕は君を決して独りにはしないから
だから、何処にも逝かないで――




to be ――?

如何も紫翠さんは明に依存しているらしい。
そろそろ明が何者か出したいかもしれないです。