空は相も変わらずに、暗い雲に覆われていた。
彼と僕が出逢って数ヶ月経っていた。
何時の間にか彼は僕の隣に当たり前のように居て、僕は彼が居ないと其の姿を捜すようになった。
いつまで彼は、僕の隣に居てくれるだろうか。
「雨、やまないね」
そう云って、窓から外を眺めていた彼がこちらを振り返った。
窓の外の雨は止む雰囲気など見せない。
音を吸収するかのようにただ空と地上とを繋げている。
この世界が繋がって、誰が喜ぶと云うのか。
「そうだな」
僕が云って新聞に視線を落とすと、彼は詰まらなそうに息を吐き出した。
この世界の全てが珍しい彼は、ずっと外を眺めていた。
僕はこの雨が嫌いで、目を逸らしていた。
空は僕が足掻くさまを嘲うかのようにくぐもっているし、
堕ちる雫は全てが無駄だと教え込むように空気を冷やした。
「紫翠は雨が嫌いなの?」
新聞に眼を落としている僕の顔を覗き込んで、彼が云った。
好きか嫌いかなんて訊かれたら、嫌いだ。
誰一人幸せになんてなれない。
外を行く人は億劫そうに傘を担いでいるし、水たまりで跳ねた水は人を不機嫌にしかさせない。
そして誰も、其れを思う通りにはできないんだ。
「明は雨が好きなのか?」
「うん!」
頷いて彼は屈託なく笑った。
だって、雨はとっても優しいでしょう?
そう云って彼は僕に向かって笑った。
「雨が降らないと飲み物は飲めないし、木も育たないよ」
「だが、淋しくないか?」
灰色にくすんだ色しか見せない其れは、世界を終わりまで導いていくのではないかと時々思う。
全てが其の色に塗りつぶされてしまうような、そんな気がする。
でもきっと、僕の手の紅だけは鮮やかな色を残すのだろう。
これは、予言だ。
世界に色がなくなってしまっても、僕の手は鮮やかに紅いまま。
そして、彼だけが何の穢れもなく鮮やかなまま輝いているのだろう。
僕の手が届かない場所で。
「雨はね、空気を綺麗にしてくれるんだよ」
云いながら、彼は立て付けの悪い窓をこじ開けた。
ギシッと軋んだ音を立てて窓が開き、冷たく心地良い風が舞い込んできて僕の前髪をかき乱した。
積もった埃が、少しだけ舞った。
空気が綺麗になったと同時に、其れは僕らの汚らしさを晒すだろう。
全てを白日の許に晒す為に、今こうして太陽が消える。
所詮この世に、救いなんて物は存在しない。
なら如何して、彼は僕の前に現れたのだろう。
再び僕を裏切る為に?
それとも、僕が汚らしい人間である事を思い出させる為に?
僕の太陽は何時か、僕の穢れを白日の許に晒すのだろうか。
「其れにね、雨は空と地上を繋いでいるみたいじゃない?」
誰も一人ぼっちじゃないよ、って教えてくれるみたいだね。
僕の醜さを知らない彼がそう云って笑うから、本当みたいに思えた。
雨は僕を独り残しはしないだろう。
どんなに絶望しても、どんなに浅ましかろうとも、
僕の上に降り続けるだろう。
其れはきっと、いつか亡くした『幸せ』によく似ている。
「雨は冷たいけど、一緒にいれば暖かいでしょ?」
其の夜、僕は夢を見た。
残酷で暖かい、雨の夢を。
其の日もザーザーと耳鳴りのような雨が降っていた。
傘も差さずに、冷たい石の前で泣いていたのは希望を亡くしたばかりの僕。
雨は変わらずに僕を濡らして、彼女も濡らした。
彼女は、石になった。
骨になり石の下に埋められ、さぞ冷たかっただろう。
雨が僕を、そんな感情に埋めた。
「……明……」
彼女の名前を呼んでも、もう答えてくれる人は居なかった。
僕が雨に濡れても、もう誰も傘を差し出してはくれなかった。
「明……、明……」
何度呼んでも、返事が聞こえなかった。
何度呼んでも、答えてくれなかった。
僕は全てを失ったのだ。
この、冷たい雨の下で。
雨が僕の顔を叩く。
冷たい石のように、暖かい血のように。
空を見上げると、其の日の雨も空と地を繋げるようで。
このまま僕も空に昇れたら彼女に逢えたのにと、本気で想った。
其の日の雨も、変わらずに優しく降っていたのだ。
雑音のように響く雨音に目を覚ますと、僕に体を摺り寄せるように彼が寝返りを打った。
外の気温がそうさせるのか、彼が触れたところが暖かい。
彼女も、暖かかった。
隣で彼が、小さく身動ぎして瞼を上げた。
へへっと照れたように笑うので、僕も笑った。
上手く笑えていただろうか。
「寒いのか?」
「んーん。あったかいよ」
暖かいのは彼だ。
冷え切った僕の心を温める太陽。
その名の通り、僕を照らして。
何時か雨が上がったら、彼は僕を照らしてくれるだろうか。
其れまで居なくならないだろうか。
雨のように僕と彼を繋げておく、確かなものが欲しい。
隣で眠っている小さな彼を見て、失うのが怖くなった。
太陽がいつまでも僕の隣に居てくれるようにと、彼を抱き締めた。
to be ――?
季節外れもいいとこです。
しとしとと雨が降ってる時に読んでくれると嬉しいです。