現在、浪士組の人数は三十六人。当初の十五人からだいぶ増えた。人数が増えるとたくさんの思惑が生まれるが、それは組織に置いては邪魔にしかなりはしないものだった。今、紫苑が直面しているものもその類だろう。


「……は?」


 いきなり告げられた言葉に紫苑は思わず声を漏らしてしまった。
 芹沢の私室だ。先ほど道場に行こうと思っていた紫苑は彼の腹心の部下である平山五郎と平間重助に呼び止められ、断る間もなくこの部屋に連れ込まれてしまった。一体何事だと愛用の木刀に手を添えて警戒していると、酒で顔を赤くした芹沢が思いも寄らない言葉を発して紫苑から警戒を失わせた。


「女隊士だ。いい考えだろう」


 何が言いたいのか要領を得ないので紫苑がイライラしながら隣の平山に事情を聞いた。平山は芹沢派にありながら紫苑に好意的だった。思慕の情を抱いているのではないかと歳三と源三郎は気が気ではないが、彼本人にその自覚はない。
 隊士の人数も増え、それに従って仕事も増えてきた。そのため効率のよい任務遂行のために数人女隊士を募集しようと言うのだ。目的は剣の腕ではない。女そのものだ。誰しも寝物語では口は軽くなる。敵の男に抱かれて情報を聞き出す女を飼おうという。そんなものは売女と変らないではないか。紫苑は嫌な顔をしたが、芹沢は名案が浮かんだかのような面持ちで上機嫌に酒を煽った。


「新見が女子などに士道はわからんと申すのだ。紫苑、同じ女のお前から説得してくれ」

「同じって……」

「新見は今日、山緒という座敷におる。頼んだぞ」


 引き受けるともなにも言っていないのに一人合点し豪快に笑った芹沢を前に、紫苑は肩を落として溜め息を吐くしかなかった。
 紫苑には女隊士の考えも納得がいかないし、そもそも新見は紫苑を嫌っているきらいがある。彼は女と言う存在を武士として認めていないから、自然紫苑の事も避ける。紫苑もあのような陰気者は嫌いなので構わないが、それほどに接点が無いのだ。しかし、彼らはその新見錦を葬り去ろうとしている。それには今日の席はいいかもしれない。そう思いなおして、紫苑は了承も告げずに立って部屋を出て行った。










 紫苑はまず、芹沢の言葉を山南に相談した。彼はすぐに紫苑を連れて歳三の部屋に赴き事の次第をざっと報告した。それを聞いて歳三は僅かな間沈黙したが、やがてにやりと人の悪い笑みを浮かべて紫苑に山南とともに山の緒に向かうように指示した。もともと歳三は新見が一人でいるときに殺すつもりでいた。それも、暗殺ではなく隊規による切腹でだ。あちらさんから一人になっているのを教えてくれるなんてありがたいことこの上ない。
 今、山の緒に向かう道で紫苑の隣には山南と平山がいる。紫苑が屯所を出ようとしたら玄関先に平山がいたのだ。はじめは何か芹沢の意志でも汲んでいるのかと勘繰ってみたが、今まで歩いていても何かあるようには思えない。山南は紫苑に対して平山が抱いている感情が分かったから、それとなく紫苑に警戒を解くように言って苦笑した。


「いい天気だね」

「……暑すぎ」

「紫苑さん、日傘要りますか!?」


 紫苑は一瞬不快そうに顔を歪めて平山を見た。要るわけねぇだろバァーカと口汚く呟いて、ヤケクソのように腕で額に滲んだ汗を拭う。紫苑の言葉は聞こえなかったが拒絶され、平山はあからさまに肩を落とした。それを見て山南は苦笑を禁じえない。
 江戸にいた頃から紫苑は夏が苦手だった。暑いと苛々して総司と平助を苛め佐之助に喧嘩を売り出かけてもそこらで喧嘩をして帰ってきて道場の床で涼み、あげく暑いという理由で人に近づかないし歳三が近寄ってきても殴り飛ばしていた。それほどまでに嫌なのに、蒸すような京の暑さは堪えるだろう。


「藤堂君もこれれば良かったのにね」

「散歩じゃないんだから……」


 にこにこと言う山南に紫苑は呆れ気味に呟いた。山南と平助は同門で隊の中でも比較的親しいので、よく出かけている。けれど今日は散歩に行くわけではないし、出かける際歳三の部屋に集まった総司もうるさいくらいに一緒に行くと言い張った。けれどもそれを歳三が許さず、しぶしぶながらも引き下がったのだ。


「山緒まではもうすぐですよ」

「つーか、何であんたがいるの」


 紫苑のイラつきが伝わってきて、山南は軽く心臓を凍らせた。もし彼に何かの思惑がるのならば、ここでその質問は命取りになりかねない。いくら温厚な平山といえど、所詮は芹沢一派なのだ。
 山南は冷や冷やしていたが、当の紫苑はイライラと隣を歩く若者のベタベタと話しかけてきて鬱陶しいから八つ当たりしているだけだ。当の平山は紫苑の冷たい返事にもめげずに、僅かに首を傾げただけだった。


「山緒って一見お断りなんですよ。紫苑さん、行ったことないですよね?」

「山南さんが行った事あるから問題ないけど」

「そうなんですか!?」

「え、あぁ……そうだね」


 山南は歳三の指示でここ数日新見と行動をともにしていた。学のある山南は新見の話の要点を嗅ぎ取り、すぐに彼の信頼を得た。当然、彼が贔屓にしている茶屋にもともに赴き話をしている。新見は芹沢派ではあるけれど一線を画しているところがある。新見の思想についていくには芹沢は役者不足なのだ。その点、柔軟に見えて頑固な勤皇主義の山南は適役だった。
 山南が言いづらそうに頷くと、平山はあからさまに肩を落として力なく呟いた。


「……俺、必要ないですね……」

「別にいいよ、要らなくねぇよ」


 あからさまなその姿に紫苑は早々に吐き出すように言った。よく総司が拗ねるように文句を言ったり厭味を言うので言い方自体には慣れているし、平助がよく紫苑の言葉に落ち込むのでそれを適当にあしらう術も心得ている。慣れているとはいえ、この糞暑いときにやられると鬱陶しくてしょうがないと思うのが紫苑の本音ではある。


「お前、平助に似てるよな」

「藤堂君に?」

「ん」


 山南の眼は「どこら辺が?」と紫苑に問いかけているが、答えるのが面倒くさくて紫苑は適当に誤魔化した。例えばこちらの言葉に一つ一つ反応する所とかが平助に良く似ていると思うのだが、言われた平間自身が予想外だったのだろうぽかんとしている。


「……でも、この気持ちは似てないです」

「は?」

「さ!着きましたよ!!」


 ぽつりと独り言のように平山が呟き、その言葉に紫苑は首を傾げた。訝しむ目で平山を見るけれど、彼は誤魔化すように慌てて到着した料亭に紫苑と山南を促した。
 平山は新見とともに幾度も訪れた事があるのか、女将がにこにこと案内してくれた。平山が女将の耳元で新見の部屋を訪ねたのだろう彼女は一瞬不快な顔をして紫苑を見たが、しぶしぶながらも通してくれた。平山の「良かったですね、紫苑さん!」という声を軽く無視して、紫苑は表情を険しくした。紫苑にとっても新見錦は苦手な相手だ。


「新見局長、失礼します」

「何だ、平山か」

「橘紫苑さんと山南副長がお話があると」


 新見が襖の向こうで苦い顔をしているのを予想して、紫苑は口の端を歪めた。相手が嫌がる事をする趣味はないが、ここまで嫌がられていると最早面白くなってくる。平山はその事を分かっているのだろうか、襖を開けた。あからさまに嫌な顔をしている新見に笑いそうになるのをこらえながら、紫苑は許されていないのに座敷に上がった。新見は一人の芸者と呑んでいたようだ。


「女が何の用だ」

「新見局長、その言い方は……」

「サンナン」


 女だと罵られることを極端に嫌う紫苑のために山南が口を出すと、紫苑が静かに呼んで彼を制止させた。
 『サンナン』は仲間内で呼ぶ名だ。紫苑はそれを滅多に呼ばないし、仲間たちのように親しいからと呼ぶのではない。重要な時に、自分たちは仲間だと知らしめる為に呼ぶ。そして今、紫苑は彼の事を「サンナン」と呼んだ。その言葉に思わず山南が黙ると紫苑は鋭い眼差しで新見を睨みつけた。


「芹沢局長が言っていた女隊士の件、ご存知ですか」

「ほう、女のお前から談判か。女は男に体を売っていればいい、こいつのように」


 杯を置いた新見は、口の端を僅かに引き上げて隣の芸者の腰を引き寄せた。彼女は着物の袷の中に手を突っ込まれ、驚いて表情で新見を見ているが彼は紫苑だけを見ていた。その行動に紫苑はギリッと奥歯を噛む。紫苑が最も嫌う行為は、女をただの物のように扱うことだ。女とて感情ある。誰にも譲れないものもある。花街の女などただ体を売っているように見えるかもしれないが、紫苑には彼女たちが背負っている誇りとか意志とか、そんなことが同じ女として感じられる。
 初めは嫌がる素振りを見せていた女は、次第に表情を赤らめて瞳を潤ませてきた。たまに漏れる吐息で袷に忍んだ新見の手のひらが女の乳房を刺激していることが簡単に分かった。


「お前が武士だというのなら、この女を犯してみるか?」

「…に、新見はん……」

「武士は男のものだ!」


 うろたえることもなくただ黙っている紫苑を見て新見が激昂した。女は痺れる快感を感じながらも場の空気に恐怖の滲んだ声で新見の名を呼んだ。こんなたくさんの人間の前で素肌を晒して犯され嬲られるのかもしれないのだ。怖くない訳がない。女の存在など無視する新見の変わりに、紫苑が彼女を安心させるように僅かに表情を緩めた。


「こいつは、侍のモンだ」


 自分の腰の刀の柄を握って、紫苑は静かな声ではっきりと言い放った。武士は男のものなんかじゃない、刀は誇り高き侍のものだ。
 綺麗事だと、新見が手の中の乳房を無意識に強い力で握ると女は苦痛を表情に浮かべて眉を寄せた。新見自身イラついていることに気づいていないのだろう、握り締めたまま歯を剥いた。けれど言葉になる前にバタバタと数人分の足音と女将の悲鳴のような声が聞こえた。すぐに襖が開いて、だんだら模様の羽織を纏った歳三以下総司、平助、一、左之助が無表情でいた。


「新見局長、芹沢局長からの伝言です」

「何だ、物々しい」


 うんざりした顔で新見が息を吐き出し、それで冷静になったのかやっと女から手を離した。恐怖で涙をポロリと零した女は、悲鳴を上げるのもそこそこに転げるように部屋を出て行ってしまう。
 これでいいのだ、と紫苑は短く息を吐き出して手の力を抜いた。新見も事を尋常ではないと判断したのだろう、顔を強張らせている。


「切腹を申し付ける」


 冷ややかさすら感じる声で歳三が言うと、新見が目を剥いた。彼は芹沢の腹心で、まさかその芹沢から切腹を申し付けられると思っていなかったのだろう。もちろんこの話は半ば嘘だ。確かに近頃芹沢と新見は距離を置いている。それは女隊士参入についての話で更に距離を広げてしまった。芹沢の本心は、組に自由に抱ける女が欲しいだけなのだ。けれど、新見はそれに渋い顔をしていた。動機は十分だった。それに、今屯所では勇と新八が芹沢の説得をしている。じきに同意も取れるだろう。


「土方!貴様!!」

「新見局長、貴殿は士道に背いた。これは法度にあるはずです」


 新見は怒りで刀を抜くと歳三の首筋に突きつけた。けれどそれとほぼ同時に総司が刀を抜き新見の首筋に当てていた。首の皮一枚が斬れて血が滲んでいる。紫苑は一瞬ひやりとしたが歳三は至極冷静に新見を見て、静かに告げる。その言葉にまた新見は叫んだ。


「何が士道だ!」

「押し入りや狼藉が士道に背いていないとでも申しますか」

「女に士道が分かると申すか!女は道具だ、男に従っていればいい!」


 その言葉に、紫苑は切れた。一瞬だけぼやけた視界が透明になり、紫苑は無言で鯉口を切る。それを認めて、後ろから山南が紫苑を押さえた。けれど小石川の茨垣は学者肌の山南の手に負えない。彼女が女だと言っても技術がある。それを知っているので、左之助も紫苑を押さえかかった。二人に抑えられて流石に身動きできず、噛み付くような顔で二人を見上げたが山南も左之助もただ黙ったままいた。


「腹を切らせてやると言っているんだ、感謝しろ。田中伊織」


 その名を出した瞬間に、新見の顔色が変った。今まで怒りだけだったものに僅かでも恐怖心が浮かんだのだろう。長州と裏で関係を持っていた彼は新見錦ではなく田中伊織の顔になって歳三を睨みつけたが、総司が促すように切っ先で喉をつつくとすぐに新見の顔に戻りゆっくりと短刀を抜いた。


「介錯は、沖田が」

「私にヤらせろ馬鹿!」


 歳三の声に紫苑が被せるように怒鳴るけれど、歳三は顔を紫苑の方に向けることすらしなかった。それが、副長の顔だと紫苑は瞬時に理解して口を噤む。
 新見はもったいぶるように諸肌を脱ぎ歳三を睨みやった。少し置いた後、躊躇いも無く自らの腹に愛刀を突き刺す。作法どおりに真一文字に腹を引き裂くと、ぼたぼたと赤い血が滴り刀を握る新見の手を汚した。普通は腹を切った所で介錯人は首を落す。けれど総司に動く気配は無かった。それを気配で感じて新見は脂汗の浮いた顔を僅かに持ち上げて、搾り出すような声で歳三を睨みつけた。


「土方ぁ…お前はいつか、その女を殺す……」


 にやりと口の端に笑みを浮かべ激痛を訴える体を紫苑の方に向けると、新見は自ら心臓に刀を刺しなおし頚動脈を切って死んだ。吹き出した血が紫苑の顔を濡らし、紫苑は呆然と甘温かい液体を被った。僅かに顔をもたげると歳三の不安そうな顔が目に入り、けれど笑みを浮かべることはできなかった。

 もう何も迷わずに、ただあんたの傍にいると誓うと決めたから。




-続-

やっと新見が死にました。多少端折りました。
いい加減に新撰組になりたいです。