昨夜の雨は上がったが、どうもまた降りだしそうな重い雲が空を覆っている中芹沢の葬儀が執り行われた。隊内のものは皆、芹沢が長州の者に殺されたと思っている。朝一番に芹沢が死んでいるのを発見した隊士が、現場に転がっていた長人の好む下駄を持って歳三の元に駆け込んできたのだ。それは、仕上げとばかりに歳三が転がした物なので紫苑は苦笑を禁じえなかった。
 芹沢の葬儀の折、勇が弔問を読んだ。彼を浪士組局長として敬ったばかりか情に深く涙を流している彼の姿に、紫苑は思わず目を眇めた。


「……あの男より、お梅さんだろ」


 可哀相なのは、と呟きかけてやめた。お梅が自分で破滅の道を選んだのだ。彼女は彼が真っ直ぐに死絶へ歩いていくのが分かっていたはずだ。それを知っていてなお共にしていた。もしかしたらそれが女にとっての幸福かもしれないが、紫苑はその幸せをとっくに捨て置いている。最早、手を伸ばすことすら許されない。誰が許しても、紫苑の右腕の誇りが許さないであろう。
 腕を組んで勇の言葉に耳を傾けていると、となりから不機嫌に突かれた。新八の悪戯かと脇目でちらりと見ただけで無言を貫こうとしたが、彼の顔が本気で不満そうだったので思わず紫苑は眉を跳ね上げて低い声で尋ねた。


「何」

「何で俺に一言も知らせてくれねぇんだよ」

「………」

「俺が同門だからか?だから殺せないとでも思ったのかよ」


 吐き捨てるような言い方に紫苑は思わず口を開いたが言葉を見つけ出せずに不自然に息を吸い込んで口を閉じ、きつく唇を噛み締めた。
 歳三が何を考えていたのかなんて簡単に分かる。新八に辛い思いをさせたくなかったのだ。同門と言う強い絆も新八の優しい気性もすべてを守るように彼に何も知らせなかった。けれどそれが逆に新八を傷つけた。歳三の優しさを知っているから、新八を責められない。新八の優しさを知っているから、歳三の優しさを口にも出来なかった。紫苑に出来ることは、何もない。


「……パチもあいつも、優しいから」

「仲間とか、そう思ってたのは俺だけか?」


 溜め息混じりに問われた言葉に紫苑はただ首を横に振った。それは違う、けれど真実を言葉にする術も持ち合わせてはいない。
 紫苑の僅かな反応に新八は無言で黙っていたが、葬儀が終わる頃になってやっと納得したように一つ頷き、紫苑の腕を一つ叩いた。それには新八の全ての言葉が詰まっているようで、紫苑は僅かに頬の筋肉を緩める。新八は自分の優しさも歳三の優しさも全てを過大にも過小にも評価せずに悟った。ただ、言葉に出来ない感情だった。


「紫苑姉ぇ。あの人、引き取り手がないらしいよ」


 墓地へ向かって歩きながら、総司がいきなり顔を出した。芹沢が?と新八と顔を見合わせてそれはないだろうと苦笑する。芹沢は水戸でも結構な家柄でおかげで今まで金子の面で助けてもらったし、今だって水戸候の家来だという兄も来ている。それを馬鹿にしたように言うと、総司が首を振ってお梅のことだと言った。途端に紫苑の顔が暗くなり、心配そうに総司が紫苑の手をキュッと握る。


「紫苑姉ぇ?」

「……もしかしたら、一番幸せなのはお梅さんなのかもしれない」

「死んじまったのに?」

「好いた男と一緒に死ねたら、幸せだよ。何の重荷にもならずに、きっと」

「俺はそうは思わねぇけどな」

「死ぬのが馬鹿げてるって言うんだろ」

「あぁ、死んじまったら何もかもお仕舞いだ」


 死んでしまったら全てが終わり。それは分かっている。けれど、もしも歳三が死んでしまったら紫苑も後を追うだろう。歳三が死んだら、紫苑にとってそれは世界の終わりと変らない。だからこそ重荷になりたくない。そう思ったから、右手に誓った。新八とは考えが合わないのだ。死んでしまったら終わりだというけれど、士道はそのためにある。死をも畏れぬ覚悟が必要なのだ、武士には。誰よりも武士らしくあろうとした歳三はそう思っている。だから、紫苑もそれに従う。けれど心の底では死を持って士道を説くよりも這いずって生きて、侍を貫いて欲しい。いつか、そんな時が来るかもしれない。


「そういえば、犯人探しするらしいよ」

「犯人探し?」

「いもしねぇ犯人、どうやって探すんだよ」

「知らない。でも歳兄ぃがさっき言ってた」


 犯人は分かりきっているし、外部の人間には病死としてある。しかも梅毒だったなどと隊士が面白がって尾ひれをつけたものだからそれが真実味を伴って流布され、ほとんどの人間が信じている。一体どうするのかとは思うが、何か思惑があるのだろう。どうせ形だけのものだと新八もしおんも合点して笑うと、芹沢の埋葬が済んだところだった。


「皆の者、聞いてくれ」


 全員揃って帰ろうかとした矢先、勇が声を張り上げた。一体何事だと思って隊士が揃って勇に注目すると彼は又昨夜の話を始めたので、紫苑はもういいとばかりにため息をついて腕を組んだ。


「先日、松平様より我等の正式な隊名を申し付かった。芹沢局長が字をお選びになった。今日から我等は『新撰組』と改める!」


 勇の隣に左之助が並び出て、『新撰組』と書かれた半紙を広げた。堂々としたこの文字は芹沢のものだ。隊士が一斉に歓声を上げ、紫苑も思わず息を飲んだ。これで、事実上隊の行く末が定まり新撰組は勇と歳三の手に落ちたといえる。
 勇の斜め後ろで満足気に頬を緩ませている歳三を見て、紫苑はただ柔らかく微笑んだ。










 閑散とした壬生寺の境内の石段に腰掛けて、紫苑はぼんやりと総司が子供たちと遊ぶのを見ていた。総司は昔から子供と遊ぶのが好きで、紫苑がその度に見張りに借り出されている。子供のお守りをする総司のお守りとでもいうのだろう、おかげで源三郎などにどやされた。どうして一緒に遊ばないんだ、と。もう訳が分からない。


「紫苑ちゃん。こんなところで沖田君のお守りかい?」

「山南さん。怪我、もういいの?」

「あぁ、これかい?怒られてしまったよ、余計なことするなって」


 笑いながら右腕を持ち上げた。そこには紫苑と揃いで包帯が巻かれているが、重さが違う。紫苑は自分の包帯を隠すように腕を仕舞いこみ、空を見上げた。あの時の光景を脳に描き出そうとするけれど、どうしても記憶が繋がらなかった。歳三の姿が消えてから総司に腕を引かれるまでが曖昧に脳裏に映される。けれどそれはあまりにぼやけていて真実味がなかった。


「あいつは、とりあえず逆のこと言うへそ曲がりなだけだよ」

「……私が悪いんだよ。余計なことをしてしまった」

「本当はすごい感謝してるし罪悪感もある。でもそれを口に出さないだけだから、分かってやって?」


 ちらりと山南に視線を向ければ、彼は穏やかに微笑んで紫苑の膝に右手を乗せた。温かいそれに紫苑が首を傾げると、山南はわかっているよと言うように僅かに頷く。本当に心を許されているようで、紫苑は思わずゆるゆると肩の力を抜いた。この人は分かっている。だから大丈夫なんだと、妙に安心した。


「ねぇちゃん、おとなり座ってもえぇ?」


 後ろから声を掛けられたと思ったら、八木家の嫡男である勇之助が一に抱きかかえられて座っていた。いつもなら兄の秀次郎と一緒に一番に総司と遊んでいるのだが、珍しい。少し不思議に思いながらも頷くと、一が紫苑の隣に勇之助を降ろしてその隣に腰を下ろした。


「何だ、勇坊。怪我したのか?」

「昨日、切られてもーたんや」

「……そか。悔しいな」

「どうして、私ではなかったのでしょう」


 紫苑が沈んだ表情でそう告げると、突然一が言った。全く脈絡もなく一体何のことかと思わず山南と顔を見合わせるけれど、彼も分からないようで首を傾げて一を見ていた。もともと一は口を開くまでの間隔が長いので、もしかしたら本当に脈絡がないのかもしれない。
 次の言葉でも待ってみようかと思っていると、総司が飛んできて勇之助を担ぎ上げた。


「勇坊、一緒に遊ぼう。私がこうして肩車してあげますよ」

「ほんま?沖田はん!ほんなら、行くでぇ!」


 あっという間に勇之助を連れて行ってしまった総司を見送り、紫苑は一に近づくようにさっきまで勇之助が座っていたところをポンポンと叩いた。数秒待って、一が少しだけ寄ってくる。それから言葉を待っていると、一はゆっくりと口を開いた。


「私は、芹沢さんに恩がある。けれど殺せないほどではない」

「何だ、そのことか」


 あの話かと紫苑は思わず漏らした。もともと一は江戸で人を斬り殺し京に逃げていた。その手引きをしたのが芹沢であり、彼とは旧知の仲と言うよりは恩人である。一はその恩を未だに感じていて、芹沢とよく呑みにいっていた。歳三もそれを思って外したのだろう。けれど皆が人殺しに参加したいというのは自己の存在主張だろうか。それとも殺せることで仲間だと再認識する為なのだろうか。それならば、皆仲間だと思ってほしいと理解していいだろうか。そして、純粋に信頼で結ばれていないのだと。


「……私は、信頼されていないのでしょうか」

「いいか、良く聞け。今回は人数制限があった、それだけだ」

「………」

「この話はこれで仕舞いだ」

「……そういうことですか、相分かりました」


 眉間に皺なんぞを寄せているから何か拘っていたのかと思ったけれど、ただ考えているだけだったようで一は簡単に頷いた。妙に毒気を抜かれて、紫苑は息を吐き出しながら空を仰いだ。厚い雲からは相も変わらず雨が零れそうで、紫苑は立ち上がると着物をはたいた。


「雨降りそうだし帰ろ。総司!帰るぞ!!」

「この子達送ってくから先帰っててー!」


 総司の声が聞こえたのでそれで良しとして、紫苑は屯所に向かって歩き出した。一と山南と一緒に歩きながら、ふと自分の行く道が未だ暗いことに気づいた。時勢と言うものだろうか、道は真っ暗でどこにも繋がっていないような気がした。妙に手が冷たくなった気がして、紫苑は思わずきゅっと自分の手を握った。歳三の温かい手は、未だに紫苑の体温を求めているだろうか。










 夜になって、紫苑は縁側に出ていた。雲はいつの間にか一掃されて月が冴冴と輝き、その下で紫色の蕾をつけた花が何も言わずに立っている。静かな夜だった。呑んでいた酒も空になってしまったけれど、これ以上呑む気もない。
 膝を抱えるようにして縁側の淵に片足を上げて黙っていると、ふと背後の襖が開いた音がした。次いでふわりと温かくなる。足を下ろして視線を上げると、歳三が立っていた。


「冷えるぞ」

「……ありがと」


 ふわりと温かいのは歳三の羽織だった。染み付いた僅かなキセルの匂いは隣から。羽織からは歳三の匂いがした。江戸にいた頃から変らない、紫苑の肌にもよく馴染んだ匂いだ。安堵したように紫苑は目を細める。となりで歳三が座った気配がした。紫苑の隣、拳一つ分向こうに。
 冷えるからと身を寄せ合ったのも肩が触れるほど近くに座ったのも遠い昔のようだが、まだ半年ほどしか経っていない。たったそれだけで、変ってしまった。


「紫苑……」

「………私は、大丈夫だよ」

「もう戻れないんだ。お前をそんな風にしたのは……」

「選んだのは私だ。誰でもない、もちろんあんたでもない」


 歳三に視線を向けることもなく紫苑は言い切った。この道を選んだのは自分なんだとはっきりと自覚している。もしかしたらお梅のように死ぬのが倖せかもしれない。けれど紫苑にはそれができない。自分に出来るのはただ、自分らしくあることだけ。その自分が、彼に背を預けて戦うことを選んだ。戦場で共にあろうと思った。だから誤ったとしても自分のせいだ。だから、逃げられないし逃げない。


「……死ぬのが怖くないのか?」

「そんなものより、あんたの傍にいられないほうが辛い」

「すまねぇな」

「謝る意味が分からない」

「お前を……こんな風にしちまって」

「それはほら、義父さんに言ってもらわないと」


 少しだけ紫苑は笑った。紫苑がまだ幼い頃、義母は紫苑に女性の嗜みとしてお花やらなにやらを習わせようとしたが、義父は紫苑に剣術を教え続けた。紫苑もそちらの方があっていたようでメキメキと力をつけいつの間にか近所の餓鬼大将になった。義母は何度も紫苑に女性らしくと言ったけれど紫苑は義父のおかげで周りが驚くほどの男前に育ってしまった。ただ一つ紫苑がこなした義母の強要した習い事は針だけだったが、それも胴着などを直すためで武士の心得でもあった。おかげで義父と義母との言い争いが絶えなかった。


「俺は、お前を愛してる。絶対に守る」

「……守られるために、ついて来た訳じゃない」

「分かってる。でもお前は、俺のものだ」


 投げ出した手に重なった大きな手が記憶よりも温かくて、不意に涙が零れそうになった。守ってくれるという言葉も手の温度もいらないはずなのに、心はこんなにも欲していた。けれど分かっている。守られるためじゃない。全てを分かっていて尚、言葉に矛盾を繰り返す。言葉で繋ぎとめておきたい訳でもないけれど、ただ確かめたかった。
 上から被せられた手は二人の中間で、どちらかが腕を引けばたちまち離れてしまいそうだった。だから体が妙に萎縮した。けれど、離れてもまた繋ぎ合わせられる。紫苑は一度腕を引くと、歳三の大きな手に絡めた。冷たい手と温かい手はやがて温度を同じにした。

 場所が変っても、この手の温度は変らない。




-続-

第一部完です。
歳三さん出番少なすぎじゃないですか?