桂に言われた言葉が頭の中をぐるぐると回っていて、誤魔化す為に呑んでも更に気分を悪くさせた。これ以上呑んでも悪酔いするだけだと思い代金を払って、部屋で酔いつぶれていた総司と平助を叩き起こしまだ女を抱くほど成熟していないのかただ遠慮しているだけなのか分からないが新入隊士と揃って帰路についた。

 新撰組として生きることに迷いがないようだな

 本当にそうだろうか。今まで剣を握ることに疑問を感じなかったけれど改めて女なのだと現実をつきつけられて侍は男のものなのだと諭されて、本当にここに居場所があるのかと僅かな違和感を感じざるを得ない。新撰組として生きることに迷いはないのは確かだけれど不安はある。新撰組の為に、心の奥底からひっぱりだすと歳三の為に、ここに留まっている意味はあるのだろうか。


「紫苑姉ぇ、おんぶぅ」

「沖田君ずるいぞ!紫苑さん、私をおぶってください」

「馬鹿かお前ら」

「おんぶぅ」

「……島田、抱えてやれ」


 子供のようにじゃれついてくる総司と平助は酔っ払っていると分かっていながらもとても鬱陶しい。総司は幼い頃の甘えだろうが平助の甘えてくる姿など見たことがないので少し面白く思うけれどそれ以上ではなくて、紫苑は後ろで楽しそうにケラケラ笑っている島田に二人を抱えさせた。巨体で力に自信がある島田は簡単に二人を小脇に抱えたけれど、酒の力か少しふらついている。


「あ、あの……」

「んぁ?」

「橘紫苑さん、一つお伺いしてもよろしいですか?」


 再び黙って歩き出した時、緊張気味にでも声をかけてきたのは幼い面影をその表情に残した楠小十郎だった。その顔はどこか総司の幼い頃に似ている気がして紫苑は僅かに歩調を緩める。小十郎が隣に並ぶと、紫苑より二寸ほども背が低かった。総司がいつの間にか育って背を抜かれてしまったので、一瞬紫苑の胸のうちに懐かしいものが走る。総司も昔は、この位置から見上げてくれていた。


「何?」

「どうして新撰組に入ったんですか?」

「……逆に訊くけど、楠はどうして新撰組に応募したんだ?」


 なぜ。そう訊かれたら歳三の為と答えざるを得ない。それ以外に紫苑は解答を持ってはいないし正解も存在しない。少なくとも幕府も夷狄も関係はない。ただ歳三と同じ世界を見ていたかった、それだけだ。
 紫苑の問に楠は黙って俯いていたが、やがて足元を見つめながらぽつりと呟いた。


「両親を、攘夷志士に殺されたんです」

「敵討ちか」

「………はい」

「私は守りたかったからだよ」


 楠の問は紫苑の問でもあった。どうしてここまできたのか、理由を立て並べるのは簡単だった。歳三のため、歳三の側にいるために。けれどそれだけでは紫苑自身納得ができない。男の為に生きられるほど、女らしい感情を持った覚えはない。
 だから明確な答えを見つけた。守るために、ここにいる。歳三も自分の感情もすべて護るためにここまできた。それは自分で決めたことだから二言なんて存在しない。だから、新撰組として生きることにも迷わない。


「守るって、何をですか?」

「……いろんなもんだよ。私が持ってる、いろんなモン」


 吐息のような声で吐き出すと楠が口の中で紫苑の言葉を繰り返して僅かに紫苑に笑みを浮かべた。その顔に紫苑も微笑み返したけれど、その笑みはぎこちないものになってしまった。純粋な少年に向ける笑顔を、今の紫苑は知らない。そのことに自身が打ちのめされそうになった。
 これ以上言葉を紡げなくて黙っていると、前方から来た薄汚い浪人とすれ違った。どこかで見覚えがあるような気がして紫苑が僅かに首を傾げて宙を仰ぐと、浪人の方が立ち止まって紫苑の昔の呼び名を呼んだ。さっき呼ばれたばかりの、あれだ。


「鬼娘?」


 この呼び名を知っているのはこの地には少ない。今日は変な奴等にばかり会う、と紫苑は振り返って浪人の格好をまじまじと見た。周りの隊士たちが警戒して刀に手を掛けるが紫苑は何も言わない。
 男の格好は酷いものだった。櫛を入れたことのないようなボサボサの髪は歳三と正反対で、襞の失われた袴。袖口はぼろぼろに綻びて紋も埃にまみれて見難くなっているようだが辛うじて桔梗の紋が見て取れた。


「……竜馬?」

「正解じゃ!こんなトコで会うとは思っちょらんかったき、驚きじゃ」

「相変わらず汚ねぇな」

「鬼娘は相変わらず口が悪いき」


 浪人の正体は土佐脱藩坂本竜馬だった。今や幕府方でも朝廷方でも危険視されているこの男は、けれど朗らかに笑っていた。北辰一刀流を使う彼は以前江戸の三大道場と謳われる千葉で塾頭まで務めた男で紫苑とは旧知の仲だ。何度か試合をしたこともある。
 紫苑は血の気が多い隊士たちを抑えて先に帰るように言うと竜馬に向き直って笑って見せた。


「さっき桂にも会ったよ」

「わしはこれから会いに行くんじゃ」

「そっか」

「……斬りかかって来ないんのか?」

「友人を斬る必要がどこに?」


 警戒したように一瞬竜馬の周りにピリッとしたものが走った。彼は色々な人間から追われているが、新撰組に紫苑がいることも知っているのだろう。けれど紫苑はわざと笑って肩を竦めて見せた。すると竜馬も殺気を解いてへらりと人の良さそうな顔で笑い返す。


「その様子じゃ、私が新撰組の人間だって知ってるんだ」

「知っとるき、警戒したんじゃろう」

「残念ながら今は仕事中じゃないんだ。また今度な」


 さらりと言って、紫苑は竜馬に背を向けた。その瞬間に斬られるとかは全く考えていない。竜馬は争いを好まないからこちらから手を出さなければ友人でいられるはずだ。数度しか会ったことはない友人だけれどもたった数回でもそれをじっくりと実感できるほど彼の懐は深い。
 黙って去ろうとしている紫苑の背中を見送って、竜馬が小さく呟いた。


「気ぃつけて、な」


 けれどその小さな声は紫苑の耳には届かず、けれど竜馬にも伝える気がないのかそのまま紫苑の背中を最後まで見送ることもなく自身の目的を果たす為に足を踏み出した。










 新撰組の仕事の一つに市中見回りというものがあるが、その中で紫苑は近頃違和感を感じていた。最近見回りをしていても浪人共に出会うことが少なくなり、刀を抜く機会が目に見えて減った。依然は日に十何人斬ったこともあったのに、今では刀を抜かない日もあるくらいだ。そしてそれは特に総司と歩いているときに起こった。


「紫苑姉ぇ、どこ行くの?」

「散歩」


 特に任務でもないが太刀を腰にぶち込んで紫苑は下駄を突っかけた。着流しを軽く着ているので僅かに肌寒いかと思って外に出ると総司が後ろから駆けてきたので、振り返って少し待っていてやる。彼の手には薄藤色の羽織が握られていて、追いかけてきたのかと溜め息を吐きたくなる。最近、総司が仔犬のようについてくる。まるで昔に戻ったようだと思うが、あの時ほど嬉しく思えない。
 総司にふわりと羽織をかけられて、紫苑は僅かに目を眇めた。いつの間にかこんなことができるほど大きくなったのか、こいつは。普段の言動が幼い頃から変わらないので気にしていなかったが、いつの間にか身長も抜かれてしまった。


「僕も行く!」

「……勝手にしろ」

「あ、松永さんと楠さん!一緒に散歩行きませんか」


 玄関には隊士の松永主計と楠小十郎がいて、総司が人懐っこい笑顔で手を上げた。松永と楠はよく一緒にいる。出身が同じらしいし動悸の入隊だからその縁かもしれないが、何となくきな臭いものを感じざるを得ない。彼らの視線が紫苑をそういう気にさせた。


「お散歩ですか。いいですね、ぜひご一緒させてください」


 松永が僅かに訛りの混じった言葉でそう言った。どこかで聞いたことがあるような発音だがどうにも思い出せなくて、僅かに首を捻っただけで疑問を胸のうちに落とし閉めた。これは紫苑の考える所ではないのではないのだろうか。考えるのは偉い人間で、紫苑にはその権利はない。だからただ黙って命令に従っていればいい。余計なことを考えてはいけない。考えれば考えるだけ、ドツボに嵌って身動きが取れなくなる。居場所が、分からなくなるから。
 適当に屯所を出て特に意味は無いけれど二条城の方に向かう。僅かに風は冷たくなったけれど、やはりまだ暑かった。しかし羽織は丁度よく、暑くも寒くもなかった。


「紫苑姉ぇ、どこ行くの?」

「散歩だって。目的なんてねぇの」

「ふーん。じゃあ途中で寄り道しよ」

「何でだよ」

「だって紫苑姉ぇと一緒に出かけるの久しぶりだもん」


 嬉しそうに朗らかに笑う総司が甘えるようにぴたっとくっついてきた。空気が暑いのにくっつかれたらたまったものじゃないので紫苑は鬱陶しそうに表情を歪めて総司を払うようにシッシッと手を動かした。ついでに「新入隊士に笑われるぞ」と言うけれど、総司は今更だと笑った。


「松永さんも楠さんも紫苑姉ぇに言いたいことがあったら言った方がいいですよ。女だと思って甘く見たら酷い目に遭いますけど」

「どういう意味だコラ」

「だって僕、昔紫苑姉ぇが大きいお兄さんたちをコテンパンにしたの見たもん」


 そんな事もあったなぁと紫苑は目を細めて空を見上げた。空はこの時期には珍しく薄く雲に覆われている。
 あの時はたしか、その兄さんたちに女だと舐められて手篭めにされかけたのだ。まだ総司が十になるかならないかだったので紫苑は十七前後だった。年頃の娘がどうとか母親に煩く言われた気がするし、友人が結婚したのもその辺の時期だった。五人に囲まれたけれど単独で相手を叩きのめし、おかげで『小石川の茨垣』の名が広まった。


「た、橘さんは強いんですね……」

「伊達に新撰組にいないしな」

「あの、今度道場でお手合わせお願いできますか?」


 前髪を下ろしたばかりで幼さの残る顔で楠が紫苑を見上げた。その瞳には僅かな羨望と読めない感情がないまぜに濁っていて、紫苑は気づかれないていどに目を眇めたけれどいつものように唇を引き上げて笑った。


「いいけど、泣いてもしらねぇぞ」

「紫苑姉ぇってば、いっつもそういって脅すんだから」


 楠は見るからに弱そうだが、入隊審査をした総司に言わせればそこそこ刀を遣えるそうだ。紫苑はまだ実際眼にしたことはないが掃除が言うのならば確かだろう。殊剣術に対しては紫苑は総司に絶対的な信頼を寄せている。
 三条通を曲がって六角獄舎の前を歩いていると、前からいかにも田舎者然とした浪人が数人歩いてきた。天下の大道で訛りの強い濁声で喋り散らかしている。時々通りの店を罵倒しているものだから、町人は迷惑そうにしていた。その言葉訛りから長州のものだということが簡単に分かった。お互いに目が合って一瞬の緊張感が走る。次の瞬間に紫苑の手は意識とは別の所で鯉口を斬っていた。


「総司」

「うん」


 紫苑が浪人どもを睨みつけながら静かな声で言うと、総司は落ち着いて返事を返して柄に手を掛けて松永と楠を守るように場所を移動した。この道をまっすぐ行って程なく長州屋敷がある。そのからきたのだろうことはすぐに分かった。


「新撰組だ。さっさと抜きな」


 すっと目を細めて紫苑は刀を抜いた。本来居合い斬りを好まない紫苑は抜刀から青眼に構えている。男たちは震える手で柄に手を掛けて紫苑を睨んだけれどすぐに総司に視線を移した。紫苑には敵の動きがなぜかその後ろを見ているように見え、気配を探りながら視線を総司の方に向ける。その瞬間だった。紫苑の視線がずれた瞬間を狙った訳ではなかろうが、浪人どもは踵を返して一目散に逃げて行ってしまった。敵を見て逃げるとは武士の風上にも置けないと追う気もなく紫苑は唾を吐き出したくなった。


「……何、今の?」

「何だったのやら。ですがお怪我がなくて何よりでした」


 にこりと笑った松永に違和感を覚えながら紫苑は抜き身の愛刀を鞘に収めた。何となく、あいつらが楠と松永を見て逃げていったように見えたのだ。見間違いに違いないだろうが違和感は拭えない。そして今気付いたが、隠しているが松永は長州訛りだ。


「総司」

「何?戦えなくて残念だったね」

「帰るぞ」

「はーい。帰ったら道場で相手して!」


 苦々しい声で吐き出したのが伝わったのか総司がやけに明るい声で返事した。それを分かっているのか分かっていないのか楠も「私もお願いします!」と志願してきた声を適当に流して紫苑は大宮通を通って屯所に帰った。途中に偶然あった菓子屋でなぜか総司に干菓子を買わされたがそのまま半分ほど奪ってやった。そしてなぜだか、しょっぱいものが食べたくなった。

 こうして、私は自分の場所を見つけようとしていた。





−続−

島田さんは紫苑さんの下僕です。