先日の捕縛劇にて斬りあいができなかったからか、紫苑は不機嫌を隠さずに朝から総司を叩き起こして共に市中見廻りと称した散歩に出た。ピリピリした雰囲気の紫苑は肩がぶつかっただけで刀を抜きそうだ。新撰組の隊士だという点を除けばそのら辺の素浪人と変わらないのではないだろうか。まだ日も昇ったばかりの時間に起こされたのは単に紫苑が寝ていられなかったからだが、総司にはどうして隣に五番組組長の武田観柳斎がいるのか分からなかった。


「総司」

「な、何?」

「お前、もしかして熱でもある?」

「なっ、ないよ!大丈夫だよ、何言ってんの紫苑姉ぇ」


 不意に顔を覗き込まれて、総司は逃げるように視線を逸らした。本当は数日前から体がだるく、夜になると微熱が出るようになった。しかしそんなことを紫苑に言おうものなら鍛え方が足りないのだと文句を言われた挙句に道場に連れ込まれるので絶対に言わない。それに、彼女に心配層な顔は似合わない。


「それにしても人いないね!」

「まだ明け六つ前だからな」

「なんでそんなに早く起きてるの……」


 朝日は昇っているが、人っ子一人とは言わないまでも人の姿は滅多に見られない。早起きの商人しかいないのに見廻りもおかしいが、きっとそれは違うのだろう。紫苑が眠れなかったから気分転換に総司まで連れ出すのは昔から変わらない。
 空を見上げると、今日も暑くなりそうに薄い青をしていた。最近湿度の高い暑さが続き、じっとしていても汗ばむようになった。総司も眠れなかったから構わないが、やはり武田がいる理由に合点がいかなかった。なので、総司は悩まずに紫苑の耳元に顔を寄せる。


「紫苑姉ぇ、どうして武田さんがいるの?」

「知るか」


 紫苑が連れてきたのだろうと思っていたが、彼女も不思議に思っていたようだ。即答で吐き棄てられ、何故か睨まれる。何だかさっきよりも凶悪な顔になっていて、総司はこれ以上何か余計な事を言ったら殺されかねないと大げさなまでに肩を竦めて自分の口元を手で覆った。
 しばらくは無言で歩いていた。今日独特の遠くまで見える一本道に人の影はなく、今日は平和になりそうだと一度深呼吸までしてしまった。


「空気がおいしいや」

「そうか?きな臭いけど」


 しきりに右腕の刺青を摩る紫苑を見て総司は不思議に思ったが、じっと彼女を見上げた視界が背後から走ってくる浪人風の男を見止めた。土佐風の大刀を腰に佩き、小走りにやってくる。急いでいるようには見えたけれど、ただの浪人が朝から大変だな位にしか総司は思わなかった。
 その男は横をとおりすぎる際に紫苑の肩にぶつかった。羽織を着ているから新撰組だと分かったはずなのに、それが見えないほど慌てていたのだろうか。ただぶつかっただけなら別に問題はなかったのだが、今日は紫苑の機嫌が悪かった。一瞬「きゃ」と女性らしく呻いたが、すぐに同じ口から低いどすの聞いた声が洩れた。


「待てオラ!人にぶつかっておいて挨拶もねぇたぁ、どういう了見だ。あぁ!?」


 今日はものすごく機嫌が悪かったらしい。足を踏み出して男の肩口を掴むと、そのまま右腕で引き寄せつつ前に回りこんだ。一瞬で浪人の前に立ちはだかり、そのまま勢い良く右手を払いよろけた男にすらっと抜いた刀を突きつけた。


「苛つかせんじゃねぇよ」

「すっすまなかった……」

「言葉で礼なんていらねんだよ。タマ寄越せ」


 相当急いでいるのだろうただ吐き出した言葉に紫苑はピクリと剣先を振るわせる。切っ先を男の顎に突きつけて薄く皮を破き、挑発するようにそこを擽るくらいの力でつつく。ものすごく機嫌の悪い紫苑を総司が止めることは出来ないので、諦めて傍観に徹することにした。暴君の如き言葉に浪人は負けじと刀を抜いた。紫苑の剣先を払い、距離を取るようにすり足で後ずさる。人の凄く少ない空間に存在する生き物の色に、顔を青ざめさせる。


「お、お前ら新撰組……!」

「文句あんのか、バーカ」


 すでに戦意を失ったのか刀を持つ手をガタガタと振るわせ始めた浪人に対して、紫苑は残酷なほど楽しそうな笑顔を浮かべて刀を振り上げた。どうあっても人を斬りたいらしい。欲求不満な殺人鬼に成り果てた姉から軽く咳き込みながら視線を逸らすと、近くの店や民家から顔を出している人がいる。またこれで新撰組の評判も悪くなるのかなと溜め息も零れる。
 浪人の悲鳴は聞こえなかった。ただくぐもった呻き声が一回聞こえただけで、視線を戻したら事切れている肉塊が一つでき上がっていた。


「やっぱり紫苑姉ぇ、機嫌悪い」

「そっかぁ?スッキリしたけど」

「歳兄ぃに嫌われてもしらないよ」

「総司、お前もこいつの錆になるか?」


 懐からだした懐紙で血を拭い、紫苑は刀を気分良さそうにチンと納めた。目撃してしまった人々が家の戸締りをしたらしく、がたがた音がしていた。誰も血と惨劇に慣れるのは嫌だろう。その気持ちは総司にも痛いほど分かる。慣れたくはない。刺激がなくなる。


「小国!」


 どこの家も戸締りをしっかりして人影は覗こうともしないのに、桝屋と書かれた古道具屋からはそんな様子は微塵も感じられずそれどころか主人らしき人がちらちらとこちらを窺っている。その店の側の小路から今さっき紫苑の気分転換に付き合ってくれた男と同じく土佐風の浪人が何人か出てきて、血溜の中の男に駆け寄った。


「貴様か!女の分際で……!」

「うるせぇよ」


 一人の男の言葉に紫苑は眼を思いきり眇め、再び刀を抜いた。袖から覗いた花は凛と咲き誇っている。
 男たちが五人揃って刀を抜いたから、総司は助太刀のつもりで抜刀しながら紫苑の隣に並んだ。いつでも背中を合わせられるというつもりでやったのに、邪魔するなとばかりに睨まれた。更に肘で退けられ、間髪入れずに斬りかかった。


「この私に刀向けたこと、死んで後悔しな!」

「えぇ〜」


 紫苑の台詞に総司は不満そうに口を尖らせた。五人相手にするなら混ぜてくれても良いようなものの、一人たりとも譲ってくれる気はないようだ。高笑いすら上げそうな紫苑を相手にとばっちりを受けるのはこちらなので、大人しく刀を納めて数歩下がった。しかし、カチンと鍔を鳴らす前に一人の浪人が切りかかってきて慌てて受け止める。


「うわっ」

「嗅ぎつけ追ったか、壬生狼!」

「えっ!?何のこと……」

「貴様等に先生の計画を邪魔させんぜよ!」


 いきなりわけの分らないことを唾交じりに大声で喚かれて、総司は混乱しながらも刀を一閃させて押し付けられる体重を払った。訳を聞こうと思っても相当興奮しているようで口を割りはしないだろう。すぐ隣で紫苑も「邪魔すんじゃねぇ」と叫んでいるので、総司は肩の力を抜いて軽く刀を左から右へ一薙いだ。両足の健を断ち切って、とりあえず動けないようにしてやると男はみっともなくも悲鳴を上げる。
 一度血糊を落すために刀を払うと、後ろでずっと黙っていた武田が駆け出した。


「た、武田さん!」


 彼が駆け出すと同時に路地から数人の彼の配下が現れて桝屋に押し入った。あっちもこっちも意味が分からなくて、総司は困ったように眉を寄せて紫苑を見たけれど紫苑は意に介さずに殺戮に没頭していた。すでに三人血に伏して動かない。


「すいません、どういうことか説明してもらえませんか?」

「貴様等に話すことなんて何もない!」

「じゃあ死んどけ」


 総司がどうしようかと頬を掻いている隙に、血糊をべったりとつけた紫苑が喉で笑って浪人の顔を容赦なく叩き割った。吹き出す血で総司まで汚れてしまった。状況を把握したのは応援の新八以下二番組がどやどやとやってきたときで、そのときになって事態の大きさに顔を見合わせた。










 古道具屋桝屋喜右衛門の本名は古高俊太郎。彼は攘夷派浪士達に武器を調達し、更にそれを匿っていた。桝屋が怪しいという情報は随分前に掴んでいたものの証拠に欠け、監察方が全力で調査を繰り返していた。そろそろ捕るかというときに攘夷派でも中心の宮部の僕を捕らえこれをきっかけに引っ張ろうとした矢先の何の目的もない殺戮劇だった訳だ。


「分かってんのかこの馬鹿共がっ!」


 帰り道に新八から事情を聞いた紫苑と総司は朝食もとらずに歳三の部屋に連行された。刀は没収され、紫苑に至っては腕を縄で縛られた。これは源三郎の指示だという。
 部屋に入ったら入ったで沈黙が痛かったが、歳三の苦々しい低い声で淡々と状況を説明されている間は逃げ出したくて腰がうずうずしてこようがまだ耐えられた。最終的に怒鳴られ、総司は早くも半泣きになって歳三にしがみつくが紫苑は胡坐をかいて顔を背けた。


「ごめんなさい歳兄ぃ!」

「今更謝るくらいならするんじゃねぇ。紫苑、テメェその態度は何だ!?」

「知らなかったことについて怒鳴られたってしょうがないじゃん」


 しれっと紫苑は言って、部屋の隅で傍観者たろうと俯いている山南に縄を解いてもらおうとしたが、彼は絶対に顔を上げようとしなかった。彼も紫苑が縛られることに対して反対ではないらしい。立派に裏切り者な気がするのは紫苑だけだろうか。


「だって歳兄ぃ、紫苑姉ぇが……」

「総司!テメェ人のせいにすんなよ!」

「だって紫苑姉ぇが悪いんじゃん!」


 怒られていたはずなのにギャンギャン騒ぎ出した義姉弟に目を眇め、歳三は額に青筋を浮かべた。気を落ち着かせるために怒りで震えた手で煙管を摘むけれど、煙草は入らなかった。どちらも同じくらい悪いのでもう一度怒鳴ってやろうかと思って息を吸うと、それを宥めるように山南に肩を叩かれた。
 歳三の怒鳴り声を聞いたからか、勇もやってきて何故か楽しそうに顔を綻ばせる。それを見て顔を顰めたのはしかし歳三だけだった。


「二人とも落ち着いて。無事に捕縛もできたことだし……」

「監察方がどれだけ苦労して証拠を集めてたと思ってるんだ」

「結果良ければと言うじゃないか。それに、何も伝えていなかったのに二人を責めるのは良くない」


 この件は全て観察と武田に任せていたからな、と勇は笑ったが、何となく紫苑は納得できなかった。手を塞がれた状態で総司を叩きのめして難しい顔を作る。紫苑の下で歳三に助けを求めた総司を一発殴ると、歳三が「紫苑」と静かな声で窘めた。なんだ、この関係は。


「別に紫苑を責めやしねぇ。悪ぃが席を外してくれるか」


 先に話し合いだということを宣言してから、歳三は静かに煙管に煙草を詰めた。腑に落ちない顔をする山南を勇が笑って総司と一緒に連れ出す。紫苑は腕を縛られたままそれを見送ったが、三人が「じゃあ甘味でも食べに行くか」と言いながら廊下を歩いていったのを聞き送ってから歳三が縄を解いてくれた。
 しかし紫苑は体を伸ばす訳ではなく、膝を抱えて視線を己の自由になった右腕の刺青に視線を落とす。そこではまだ、紫の花が凛と咲き誇っている。


「……ごめん」

「何がだ」

「余計なことして」

「構わねぇよ」


 ふーっと紫煙を吐き出して、歳三は足を崩した。腕を伸ばして紫苑の視界から彼女の誇りが見えないようにその腕を手のひらで掴む。普段真剣を振り回している腕は、思っていたよりも硬かった。紫苑は身じろぎ一つしないで歳三をじっと見つめ、そして一言はっきりと言った。


「甘やかすなよ」


 自分を甘やかした所で良いことなんて一つもないと紫苑は歳三の手を振り払う。払われて浮いた手をどこに持っていくべきか歳三は知らない。
 紫苑の言葉を噛み砕いて理解しようとしても、何一つ理解できなかった。他の隊士と分け隔てなくとまでは行かないまでも、特別視せぬようにしてきたし、ぎこちない関係は距離を作り出してくれた。ただ隣に拳二つ分くらいの間を空けて座っていただけだ。たまに手をぶつけて、自分たちが対等に背を預けあえる関係だということを確認していた。

 でもそれは、もしかしたら俺の願望で夢想した欲望だったのかもしれない。





−続−

主人公とも女性とも思えない発言の数々に驚きました。