古高からの情報を吟味する間もほとんどなく、午後になって隊士は各々町会所に集合した。全員で徒党を組めば攘夷派にこちらの動きがばれてしまうからという配慮ではある。集合は五つ刻であるが、その時間になっても町会所には三十四人しか集まっていなかった。慣れない京の暑さや大阪への出張が災いしているのだろうが、集まった人間の士気は久しぶりの御用改めだというので昂ぶっていた。


「所司代からの連絡は」

「ありません」


 京のどこで攘夷派の志士たちが集まっているか知らないのにたった三十人弱で太刀打ちできる訳がない。それを見越して歳三はあらかじめ所司代に連絡して応援を呼んでいた。落ち合う時間も同じであるはずなのに、どこにもその姿は見えない。監察方は古高を捕まえる前から数日に渡って京の宿を調べているが、まだ有力な情報は届いていない。しらみつぶしに調べるしかないというのが現状だ。
 連絡を通している島田が首を横に振って所司代へ再び応援を請いに行った。それを見ながら紫苑は空を見上げる。祇園祭が近いことは周りから聞いていたので、それが中止になるのではないかと少しだけ不安になった。楽しみに、してたのに。


「ねぇ、早くしないと集会も終わっちゃうんじゃないの?」

「……勘付かれたかもな」

「歳兄ぃ、早く行こうよ!」


 空気自体がイライラしている。それを敏感に感じ取っていたのは紫苑だが、他人を全く気にせずに総司は歳三の袖を引いた。行こうと言われなくても行きたいのはみんな一緒だ。しかし行ったところで空振りで夜が明ける可能性だってある。現状では勝ち目がないのだ。


「行こう、歳。どうせみんな総司と同じだろう?」

「近藤さん、状況を見て言ってくれ」

「見てるさ。みんな待てないだろうに。なぁ、紫苑」

「ん?あ、まぁね」


 このまま応援を待っていたところで詮無いことだと、亥刻になってようやく勇は腰を上げた。なぜ紫苑に振ったのか分からないけれど頷いて答えを返すと、彼は破顔して歳三に頷いて見せた。丁度戻ってきた島田が緩く首を振るので、今度は脅しでも何でもいいからとまた所司代に向かわせ歳三も呆れたように腰を上げた。
 監察方のおかげで多少は目星もついているので、歳三は隊士を二つに分けた。最も怪しいと報告のあった四国屋に人数を裂くために歳三を筆頭に左之助以下二十四名と近藤以下十一名に分けた。十一名のうち約半分は組長なので実力的には土方組に引けはとらない。それらの割り振りはすぐに決まった。


「紫苑、総司を頼むぞ」

「私は総司のお守りかよ」

「あぁ。近藤さん、紫苑を頼んだ」

「任せておけ」


 なんだか子供のようだと思いつつ紫苑はそれ以上何も言わなかった。何を言っても他から文句が飛んできそうだ。ただ、昔と代わらない頼むという言葉がひどくくすぐったかった。そろそろ夜も更けてはお仕舞いだと、組み分けが終わるとすぐに皆揃って列を成し始める。総司に腕を引っ張られて新八達の輪に混じる前に、紫苑は歳三を見てうっすら笑った。自然に腕を伸ばして、彼の伸ばした指先と指先が触れ合う。


「行ってくる」

「あぁ」


 たった一言だけ言葉を交わし、それから視線も合わせずにお互いに顔を逸らして違う方向へ足を向けた。本当は、隣にいたかった。そのためにここまできたのだし、お互いに背を預けて戦いたかった。けれど紫苑には逆らう術はない。歳三は副長で、紫苑はただの隊士なのだから逆らったらいけない。だから、何も彼に伝える言葉は持ち得ない。
 視線も交わさず、二組は別の道を歩き出した。紫苑の隣には総司がべったりとくっついている。逆の隣には新八がいるが、後ろから平助がしきりに話しかけてくる。なんともいつも通りの、普通のありかただった。


「こっちが当たりだといいですね」

「多分こっちが当たりだと思うけど」

「なんでだよ?」

「桂に会った。長州藩邸ってこの辺でしょ?あいつも会合に参加するんだったら、あの辺が会合場所と見て間違いない」

「そういうことは先に言えよ!」

「だって多分だし。もし桂が仲間はずれとかだったら私が恥ずかしいじゃん」


 町会所に来るまでに紫苑は一人で町をうろうろしたが、そのときに桂の姿を見た。後姿だけだが、長州藩邸に入って行ったのは確かに桂だった。ただ彼が長州藩邸に入っていくのはおかしいことではないので咎めなかっただけだ。桂は長州でも上の方にいる志士だから会合に不参加と言うことは考えづらいが、それで場所を断定するのは愚の骨頂だ。
 話しながらしばらく宿に御用改めをかけたがどこも空振りで、やはり紫苑の話は嘘だったんじゃあないかという話になり始めたときに四国屋の次に怪しいとされていた池田屋に着いた。ここが駄目なら作戦を変更しようと考えていた矢先だったが、なんとなく紫苑はここが当たりだと思う。何と言うわけではないが、勘だ。こういうときの予感と言うのは外れた事がない。


「いいねぇ、ゾクゾクすらぁ」

「え?なんで?」

「宿屋なのに戸が閉まってる。それだけでおかしいだろ?改めてくれって言ってるようなもんだ」

「そうだな」


 紫苑がにたりと笑った。それに続くように勇も真面目な声で頷き、隊士たちに指示を出した。五名を庭や裏に回らせ腕利きの組長三人と紫苑、養子である周平を伴って池田屋の戸を叩いた。しばらくすると、腰の低そうな本来ならばにこやかなのだろう顔をした初老の男性がやや怪訝そうな顔をして出てきた。


「御用改めでござる!」

「ひ、ひぃ!皆様、御用改めでございます!」


 主人は奥へ駆け戻ると階段の下から上に向かって大声で叫んだ。ずんと一歩踏み出した勇の横を風が一つ駆けていく。主人を殴り飛ばした紫苑が、一目散に誰よりも早く階段を駆け上がっていく。その後を追うように勇が刀を抜き放ち、更にそれに総司が続いた。紫苑が足で襖を蹴り外し、真っ二つに折れたそれは奥に倒れた。


「御用改めでござる!無礼致せば容赦なく斬り捨てる!」

「幕府の狗が嗅ぎつけたかっ!」


 部屋の中にいた志士たちが抜刀するが、その前に紫苑は刀を構えて楽しそうに口の端を歪めた。背中がゾクゾクする。武者震いとは違う生の匂いが立ち込める予感に笑みが止まらない。斬りかかってきた一人を半身ずらして避けながら部屋を見回すが、桂の姿はなかった。
 前のめりになっている男の腹に情け容赦なく刀を叩き込んで一人狩り、間髪いれずに他の男から振り下ろされる刀をその男の影に隠れることで回避する。足で先ほど殺した男を蹴り飛ばして敵にぶつけ、同時に返した刀が風切り音をさせてその男の喉を浚った。倒れこんだ男の首から真っ直ぐ上に血が噴き出すのを確認し、紫苑は構えを取り直した。独特の平青眼をとって部屋の中を確認するが、大勢いた志士共がどこかに消えていた。蹲っていた一人の背中から心臓を狙って二度刺し、耳を済ませると階下から金属のぶつかる音と男の野太い悲鳴が聞えてきた。


「総司!生きてっか!?」

「うーん。紫苑姉ぇは怪我ない?」

「ないない」


 総司の気楽な声が聞こえてきたので少し安心して廊下に顔を出すと、廊下で交戦中だった。激しく刀を打ち合いながらあんな呑気な声を出していたとは馬鹿じゃあないのか。説教でもかますかと口を開くが、言葉を出す前に殺気を感じ取って刀を先に煌かせて躯を反転させる。刀が火花を散らして殺気の原因とぶつかった。力に押されて壁に肩をぶつける。


「大物じゃんか。吉田稔麿」

「新撰組の女隊士、か」

「私じゃあ不満か?」


 ググッと力で押され、紫苑は渋い顔を作った。しかしそれも一瞬で、相手の顔色が変わらないのが分かると口の端に笑みを浮かべて体を沈ませた。一気に力を抜かれて前のめりになった吉田の下から柄尻で顎を狙って突き上げるが間一髪で避けられる。
 舌を打ち鳴らして手首で刀を回して握りなおすと、彼の背に回り込んだ。吉田を壁際に追い詰めて向かってくる剣を掻い潜るが、繰り出す剣先は全て払われた。


「吉田先生!」


 横から生まれた気配を紫苑は顔を向けることなく断ち切った。女の細腕では首を切り落とすことはできないので喉笛を狙って掻き切る。紫苑が作り上げた死体は大抵喉が切り裂かれている。吉田の弟子だか舎弟だかを斬った血を払い除けて挑発しようとすると、その前に殺気がすり抜けた。反射的に飛び退いたが、一瞬でも遅ければ斬られていただろう。斬りあいの場に来て、紫苑は初めて己の命が危険に晒されていることに思い当たった。
 それなのに、スーッと口角が面白そうに持ち上がる。ここが生死の入り混じった場所だなんてことは初めから知っている。生と死の匂いが入り混じっていることも承知している。


「いいねぇ、そうこなくっちゃ」


 殺しに来いと挑発するように剣先を揺らすと、そんなに悔しかったのか乱雑に刀が振り下ろされた。それを難なく避けて、手首で剣を振るう。しかしそれは間一髪で避けられた。彼は本気だ。本気で身を棄てて殺しに来ている。だからこそ、面白い。


「ゲホっ……」


 剣と悲鳴の音の間に変な声が混じった。反射的に殺気に向かって剣を突き出し刀を受け止め音の出所を探すと、階段の所で総司が手すりに体を預けて青い顔をしていた。息が上がっているのが一瞬でも見て取れる。
 吉田の剣に吹っ飛ばされる形で紫苑は飛び退いた。危なげなく着地してじっと吉田を見ながら耳を済ま、階下からは大分音が止んでいることを確認する。


「新八!」

「紫苑!?どした!」

「借りひとつ、だ」


 声で新八の居場所を確認して、紫苑は力任せに先ほど殺した吉田の弟子の首を切り落とした。多少刃が零れるような音がしたけれど気にしている場合じゃあない。吉田の目が驚愕に見開かれて憎悪に染まるのを面白そうに見ながら、紫苑はそれを階下に放り投げた。多分新八が驚くだろうが、だからこその借り一だ。
 ゴトンという重量のあるものが落ちる音と同時に吉田が階下へ飛び出し、新八の悲鳴が聞える。生首が降ってきたのと吉田の出現のどちらに驚いたのかあとで教えてもらおう。


「総司!」

「ゴホッ、ゴホ……紫、苑姉ぇ」

「紫苑!テメェ何すんだよ!?」

「任せたぜ親友!総司、大丈夫か?」


 階段に倒れている総司を抱き起こして血溜りができている廊下に横たえた。頭を膝の上に乗せて頬を叩くと、総司は力なく笑って「痛い」と文句を言った。触れた体が熱いのは人を斬る熱に浮かされているからじゃあない。やはり体調が悪かったのだ。それなのに薬を飲んでいる気配がないから多少気にしてはいたが、このざまだ。これなら山南と一緒に留守番させておけばよかった。


「紫苑姉ぇ、すごい顔してる」

「うるせぇ。お前、もしかして血とか吐いてねぇだろうな!?」

「あはは、紫苑姉ぇに嘘ついてもしょうがないよね」

「こンの馬鹿、嘘吐いたら承知しねぇぞ」


 青い顔をして、紫苑が問い詰めると途端に総司の具合は悪くなった。きっとばれるまで気合で頑張ろうとしていたのだろう。緊張の糸が切れたのかどうかは分からないけれど、真っ青な顔で薄い呼吸を繰り返し笑うことすらやめたようだ。辛そうに目を閉じた弟の鉢金を取って、紫苑は黙って彼を抱きかかえていた。
 しばらくすると下から斬撃の音が止んだ。人が走り回る音が聞こえてきて、その量から土方隊が到着したのだと知れる。


「総司、起きれるか?」

「病人扱いしないでよ。僕は大丈夫」

「黙れ病人」


 無理矢理体を起こそうとする総司を押し止めて、紫苑はやっと体から力を抜いた。壁に背を預けて、そっと総司の額に触れる。汗ばんで張り付く髪を撫でながらやっと自分が未だに戦場にいることを現実だと認識する。血の匂いがそこら中に漂っているのだ。生と死の混在した匂いだ。その中についさっきまで身を置いていた人間が、それとは違う原因で倒れている。それが何だか怖かった。


「紫苑!総司!」

「あは、歳兄ぃもすごい顔」

「笑い事じゃねぇ。怪我はねぇか?」

「それは大丈夫。総司が倒れただけ」

「そうか……」


 紫苑の言葉を聞いて、顔を青くして駆け込んできた歳三の肩から力が抜けた。心底心配したというのを体中から出しているので思わず鼻で笑ってしまう。けれどそれは歳三だけに向けられたものでないのは紫苑自身が知っている。自分に向けられた嘲笑だ。彼に心配をさせるほど弱い自分を、嘲笑った。


「とにかく行くぞ。みんな揃っている」

「みんな無事?」

「ボロボロだ。悪かったな、来るのが遅くなっちまって」


 総司の肩を支えて、歳三が踵を返した。総司の刀を持って彼らに従い紫苑も立ち上がる。歳三の隣に並んで階段を降りようとしたら、不意に髪を撫でられた。髪を梳くように触れた指が頭を抱え、するりと回ったと思ったら片腕で抱きかかえられていた。彼の胸の中で、頭上で歳三の吐息が落ちてくる。


「無事でよかった」


 当たり前だとか不安になるなとか、そのときの紫苑には言えなかった。総司を前に取り乱した自分が、歳三にそんな強がった事を言えるわけがない。だから何も言わずに抱きしめられていた。外に出るといつの間にかやってきていた大量の応援が店を囲んでいて、その前で左之助が怒鳴り散らしていた。それを止める新八は手に包帯を巻き、平助にいたっては戸板の上にぐったりと横たわっている。
 怪我人は多かったものの身内の死者は三人という快挙で、この夜の戦は終わった。翌日に祇園祭をやると知って、紫苑は何故だか心底ほっとした。

 それでも、胸に巣喰う不安は消えない。





−続−

エゴ一の男前は紫苑さんかもしれない