池田屋の斬りあい以来長人の怒りはとどまることを知らず見廻りに出る隊士たちが度々狙われる事件が多発している。だから近頃では見廻りに出る一組の人数が増えたにも関わらず、組長連中の自由な行動は改められず、一人で出歩くのはもちろん二人、三人でふらりと出歩いて後々怒られている。それでも勝手な外出が減らないのは、それだけ腕に自信があるからだろう。
 例に漏れず紫苑も腰に刀をぶち込んで、今日は総司を連れて外に出た。それをみた島田がお供しますと言ったけれど、一蹴して置いてきた。


「ねー、どこ行くの?」

「いいから黙って着いてこい」


 横から顔を覗き込んだ総司に不機嫌をぶつけて腕を組み、黙々と慣れた道を歩いた。微熱が下がらず、ときどき空咳を繰り返す総司に医者に行けと言っても行かないし石田散薬を飲めといっても苦いからと内緒で捨てようとする。もう紫苑にはどうしようもなくて、こういう結果を導き出した。
 総司の方が通いなれているだろうと思われる道を紫苑はとおり、町医者に向かった。前に一緒に来たときにはさっさと追い返されてしまったので、今回はどうしようと若干悩んでいるが江戸から逃げてきた刺青彫のところへ行くのもいいかもしれない。


「紫苑姉ぇ?」

「はい到着、お医者様」


 薄々気づいてしまった総司ににやりと笑い、紫苑はある建物の前で足を止めた。以前総司が発熱した時に世話になった町医者で、その娘に総司は惚れた。今だって別の意味で総司の顔が赤くなっている。それに笑いながら紫苑はさっさと中に入った。


「すいませーん」

「はーい」


 声を掛けると中からパタパタと少女が駆けてきて、総司の姿を見て固まった。総司も後ろで何も言わずに黙っているし、何となく非常に甘酸っぱい雰囲気が流れ出し始めてしまった。予想してはいたけれど重い雰囲気に紫苑は思わずやっぱり余計な世話だったかなと思ったが、そうでもしなければこの暑い夏を越せそうになかったので彼女に総司が発熱した旨を伝えた。
 我に返ったように確か香とかいっただろうか少女は奥へ駆けていき、しばらくして戻ってきて総司を診察室に促した。診察の間紫苑も暇なので待合室で待っていると、すとんとその隣にその少女は腰を下ろした。


「紫苑はん、ですよね……?」

「そうだけど、なにか?」

「私、香いいます。いつも沖田さんからお話窺っとって、お会いしてみたいて思ってたんどす」

「いつも、総司から?」

「はい。沖田さんはよくいらっしゃいますさかい」


 香の話では、総司は一人でよくここに寄り世間話をして帰るらしい。いつのまにという思いとたまにはやるじゃあないかという思いとが一緒になって紫苑は思わず笑った。いつも紫苑が探すときには騒いでいるのに、しっかりと通っているとは思わなかった。子供だ子供だと思っていたが、もしかしたらもうそんなに子供じゃあないのかもしれない。


「あいつの話、つまんないだろ」

「いいえ、とても楽しいです。紫苑さんの話やとか江戸の話聞かせてもろてます」


 総司の話はいつも彼女を笑わせているらしい。紫苑の話とは一体何を話しているのか疑問だが、江戸の話や田舎の昔話などは彼女に面白い話ができるとは思えなかった。それでも彼女が楽しかったというのなら楽しかったのだろう。お互いに満更ではないのだなと思ったら紫苑は心の底から思った言葉を口にしていた。


「あいつのこと、よろしく頼むよ」

「はい!」


 若くて素直な子は可愛いなぁと紫苑は思い、目を細めた。
 総司の診察が終わるまでに彼女に総司の話をしてもらった。ひょうきんで明るい性格はそのままだけれど、紫苑の前では見せない大人になってしまった部分だとかそれでも抱えている不安だとかを彼女には話しているらしい。きっと彼女が総司にとっての支えになるのだろう。それだったら、いいのに。


「ありがとうございました……なんでまだ紫苑姉ぇがいるの!?」

「あ、終わった?」


 診察室から出てきた総司がふんぞり返っている紫苑に目をむいたけれど、紫苑は飄々と受け流して戻ってきた弟の髪をかき混ぜた。ぐしゃぐちゃといつの間にか自分よりも大きくなってしまった総司の頭をかき乱し、「ありがとうございました」と頭を下げさせた。
 まだ何か話したそうだったので総司をその場に残して、紫苑は先に屯所に戻る事にした。お土産に、団子の一つも買っていこう。










 屯所に戻ったら一に呼ばれて、歳三の部屋に向かった。声も掛けずに団子を持ったまま襖を開けると、不機嫌な顔をした歳三の前で既に新八と平助、左之助が正座して畏まっていた。歳三の隣には対照的に困った顔をした山南が座っている。みるからに説教される図に紫苑は逃げたくなったが、踵を返す前に左之助に袖を取られて力任せに座らされた。


「……紫苑ちゃんも、来たね」

「お前ら四人、どうしてここに呼ばれたか分かるか?」


 深刻そうな山南の言葉に続けるようにして歳三が低い声で唸った。それに四人揃って顔を見合わせてから首を横に振る。最近四人で呑みに行ったことはあるけれどちゃんと門限も守ったし、怒られるいわれなんてない。強いて言えば勝手に行ったことかもしれないが、それじゃあない……それかもしれない。
 四人が思い当たって、しかも紫苑はついさっきまで勝手に外出した挙句総司を置いてきたので自ら白状するように身を竦め俯いた。


「長州の連中が見境なくなってるってこの時期に、何してやがんだテメェらは!?」

「ご、ごめんなさい!」

「でもよぉ」

「いいじゃねぇかよ、俺ら負けねぇし」


 謝ったのは平助だけで、新八も左之助も弁解を試みた。それを横で聞きながら紫苑は欠伸を噛み殺し、総司が今頃どうしているかと考えた。まだ話しているだろうか、それとももう別れただろうか。楽しい時間を過してくれば良いとほのぼの思う。
 目の前では歳三ががみがみと怒鳴り始めて、山南がそれを諫めつつ皮肉を含めてこちらに向かっても攻撃してくる。守りたいのか攻撃して欲しいのかどっちかにしてほしいと思うのは紫苑だけだろうか。


「紫苑、聞いてんのか!?」

「あ、ごめん。全然聞いてなかった」

「お前なぁ……。いい、こいつは源さんに任せる。山南さん、こっちは任せたぜ」


 一気に最悪の事態となり紫苑は僅かに後退った。まさかただの説教で源三郎を出してくるとは思わなかった。一瞬にして逃げる算段をして腰を浮かしたが、逃げる前に歳三に腕を掴まれた。反射的に自由な腕で歳三の鳩尾を狙うけれどそれも避けられた上に絡めとられて拘束された。チッと自然にもれた舌打ちに歳三の「馬鹿が」と吐き出すような声が被る。抵抗するけれどそのまま隣の部屋に連行された。畳の上に引き倒すように突き飛ばされ、普通の女性のように悲鳴を上げるわけではなく紫苑は受身を取って体を起こし歳三を睨みつけた。


「痛ぇな!」

「うるせぇ。人の話を聞かねぇお前が悪いんだろうが」

「いや、だって……気になることがあって」

「気になること?」

「総司の初恋」

「何だと?」


 それが気になって話を聞いていられなかった。そういうと、叱るどころか歳三がそちらの話に興味を移してきた。じっくりと話を聞く体勢で紫苑の隣に腰を下ろすので、紫苑は少し距離を取って座りなおした。ただでさえ今日の夏は暑いというのに近くなんかにいたら暑くてたまらない。
 紫苑は歳三に総司が医者の娘に恋をした事を伝えた。今まで実家の姉を恋しがったり紫苑と結婚するだとか言っていた総司が他人に特別な感情を抱いていることが嬉しいような寂しいような、そんな感じだ。それは歳三と共有できる感情だと思っていたが、歳三はそうではなかったらしい。難しい顔をして腕を組み、眉間に皺が刻まれた。


「何、どうしたの?」

「……町医者ってことは、堅気の娘だろう」

「そうだね。つか、堅気じゃない子の方が少ないと思うけど」

「その娘を総司が幸せにできるのか?」

「あ……」


 壬生狼といわれ京の人間に忌み恐れられている、その筆頭に総司はいる。屈託なく社交的な性格のため総司は誰からも好かれているが、反面新撰組内で誰よりも強く、最早新撰組沖田の名を知らない浪人はいないだろう。誰からも狙われる可能性がある総司が、それでも一人で立てるだろうか。何の支えもなくただ己の力だけを頼って生き抜くことが、できるのだろうか。


「それにな、その娘を俺たちみたいにしちゃあいけねぇ」

「……ならないよ。あの子はきっと、待つ子だ」

「そうは言ってもわからねぇ」

「総司にだって支えは必要なんだよ!」

「お前の二の舞は見たくねぇんだ!!」


 一人では立っていられないことは紫苑が知っている。誰が近くにいても彼らは戦友で寄りかかることは出来ない。必要なのはたまに肩を預けて息を吐ける相手だ。紫苑にとってそれは江戸にいる雪であり千代雪であり、決して歳三ではない。
 荒げた紫苑の声を掻き消すように歳三も声を荒げ、紫苑の胸倉を掴み上げた。顔を近づけ、ギラギラと光る中で悲しげな色を称えた瞳が紫苑の眼を真っ直ぐ射抜く。それを更に畳むように、紫苑は歳三の着物を掴みあげた。


「私は後悔してない!」


 二の舞などというのは紫苑が何かを間違えたような言い方だ。自分は後悔などしていないし、間違えたとも思っていない。それは紫苑が今まで絶対に思い続けていたことで右腕にも誓った。それは歳三も分かっていたはずだ。それなのに後悔をしているのなら、彼が後悔しているのだろう。彼が後悔していることを、紫苑は後悔する。自分の立ち位置は後悔できないのに、彼に後悔させたことにはひどく後悔する。なんとも厄介な感情だと、それを持て余してしまったから紫苑の手から力が抜けた。


「後悔なんて、してない。だから……」

「紫苑……」

「だから、頼むから二の舞だとか言わないで」


 寄りかからないと決めたから、だから後悔なんてしないしどんなに辛いとも思わない。その誇りにこそ寄り立つことができる。だから、と震える自分の声が紫苑には許せそうになかった。
 力なく歳三から手を離し、己の怯えを自分の眼からも隠すように右手を左手で押さえ、体に押さえつけた。こんなことで動揺してはいけないと分かっている。理解している。納得している。だから、今の自分を受け止めたくなかった。


「近頃、長州の動きがおかしい」


 立ち上がった歳三を紫苑は見上げた。一体何の話が始まったのだろうかと裏を透かすように彼の話を聞く。池田屋の事件以降長州から浪人が大量に流れ込んで来ているという。いつ爆発するかという一発触発の空気が京を覆っているのは紫苑も気づいていたが、それ故に注意しろと歳三は言って紫苑に背を向けた。


「十分用心してくれ。特にお前は、狙われやすい」

「……気をつけるよ」


 あんたの重荷にならないくらい、という言葉を辛うじて飲み込んで、紫苑は唇を噛んだ。俯いたまま歳三が部屋を出て行く音を聞き腕に咲き誇る花に爪を立てる。赤く滲む茎に爪のあとが付いたがあまり気にならない。きっと今の自分はこの花と同じくらいずたずたなようだ。
 ごろりと寝転がって、右腕を顔の上に持ち上げる。凛と咲いた花はいつだって紫苑の象徴だ。どれだけ傷ついても踏みつけられても、この花は倒れることなく起き上がる強さがあるのだから。その花と同じ名が、紫苑にはいつだって誇りだった。

 だからずっと、この花に誓って咲いている。





−続−

総司の初恋は、周りから見たら結構どうでもいいようです