秋になると、紫苑の花は一つ一つ花びらを落とした。それはまた来年花になるだろうから悲しくない。紫苑の腕に咲き誇る花は枯れないのだし、ただ庭の花は風流を感じるものだと思っている。そうして、ほんの僅かだけまた来年同じ花が見えることを祈っている。
 将軍の上洛を促すことと隊士募集を目的に秋の終わりには局長以下数名の幹部隊士が江戸へ行くことになった。その先見として平助が江戸へ発つことになったので、激励会だという名目をつけて左之助は新八、紫苑、平助を誘って島原へ繰り出した。島田や松原、尾形も誘ったけれど生憎都合がつかずにいつもどおり四人になった。


「いいなぁ、江戸。俺だけまだ帰ってねぇじゃんよ」

「左之は別に故郷ってわけじゃあないじゃん」


 島原の一室で、珍しく女をいれずに各々が手酌で呑んでいる。女を呼んでもいいのだけれど、その前に昔のように仲間内だけで呑みたかったと暗黙の了解で誰も文句を言い出さなかった。江戸にいたころは、こうやって毎晩のように酒盛りをしていた時期もあった。
 杯を空けながら、左之助が口を尖らせる。今回は新八も勇と共に江戸に戻るし、紫苑は父が危篤のときに一度逃げるように江戸に帰った。けれど言葉通り左之助の生まれは伊予だから、帰っても特に思い出なんてないはずだ。そういうけれど、言ってみただけで左之助はからから笑ってどんどん酒を注いでいる。


「そういや、新八は江戸の両親には連絡入れてんのか?」

「いんや。もともと飛び出してきちまったからな、合わせる顔もねぇよ」

「でも池田屋からこっち新撰組の名は雷鳴のごとく、ですからね!」

「合わせる顔ならできてんじゃねぇの。特に二番組組長は有名じゃん」


 新撰組の名は世間に広く知れ渡っているらしく、実際に江戸から来る手紙ではそちらまで名が通っているらしい。だからこそ今回の隊士募集に乗り切ったのかもしれない。もともと新八は松前藩でも会計役という上等の武士の長男だ。彼自身は江戸生まれでちゃきちゃきの江戸っ子だが、そのまま進んでいたら偉い武士様になっていたはずだった。けれど彼生来のそれがそうさせたのか大人しく家督を継ぐような魂ではなく家を飛び出して剣術修行に明け暮れ、試衛館に出会った。親不孝といえば親不孝だけれど、新撰組の名が有名になった今ではそれが立派な孝行になるのではないだろうか。


「それをいうなら平助だろ。顔に傷も残って箔がつくってもんだろ」

「箔って……」

「確かに、平助は生っちょろい面してるもんなぁ」

「生っちょろいって……。俺は左之さんみたいに雑な作りしてねぇだけだよ!」

「平助って紫苑以外には態度違うよな……」


 左之助が平助の顎をつかむと、彼は噛み付くような顔をして左之助の手を振りほどく。その言葉遣いは酒が入ったのもあるからかもしれないけれど乱暴そのもので、普段紫苑に対しては敬語を使っている彼とは思えない。けれどそれには理由がある。それを新八は知らなかったのかと紫苑は意外に思ったけれど、左之助も知らなかったようでそういえば、という顔をしている。


「なんだ、知らなかったっけ。昔、平助と試合したことがあるんだけどね」


 それはもう懐かしい思い出に分類してもいい頃の記憶だ。始めて平助が試衛館にやって来たのは総司が引っ張ってきたからだった。紫苑が友人の伝で三大道場と言われる江戸でも有名な道場に顔を出した際に、一緒にくっついてきた総司が歳も若い彼と試合をしたのが切欠だった。もともと平助は彼の出自に関係しているのか気位が高く、道場でも自分よりも弱い兄弟子を馬鹿にしているところがあった。そんな彼は、けれど自分よりも強い人間にはそれなりの礼儀を払っていた。総司にも親しくてもだから敬語を使っている。


「私がコテンパンにのしてさ、それから私の下僕?」

「下僕ではないですよ!?」


 試衛館に来た平助を面白がって紫苑が相手して、そうしてあっさり勝ってしまった。それ以降平助は紫苑には敬語を使う。それがいつの間にか癖になってしまったようだ。下僕ではないと本人は言っているけれど、実際は紫苑が頼めば大抵のことはやってくれるので正直下僕といっても問題ない。総司ならばこうはいかないのだから。
 急に話を聞いていた左之助が、何か重大なことに気づいたのかハッと顔を顰めた。


「するってーと平助、もしかしてお前俺たちを尊敬してねぇってことだよな」

「そうだな。全くしてねぇ」

「お前ー!」


 ものすごく驚いた顔をしているけれど、平助は平然と答える。この三人でいるときの平助は素なのかものすごく口が悪い。態度もしらっとしているし、紫苑の前での態度と全く別のものだ。それが面白いなと思って酒を煽り、ふと時間が気になった。まだ門限までにはあるだろうけれど、いつものことながら帰るのが億劫だ。


「平助、ちょっと屯所に外泊するって連絡してこいよ」

「え、ちゃんと許可とってますよ」

「そうなの?」

「おう。出かけに土方さんによ、島原行って来るっつったら、帰ってこなくていいってよ」

「それは怒ってたんじゃないの?」

「いんや。たまには遊んで来いってさ」

「へぇ……。珍しい」


 まだ不貞の労使は街中を跋扈しているから気が抜けない状態であるのは変わらない。日頃から羽目をはずすなと口をすっぱくしている歳三らしくない言葉に紫苑は首を捻るけれど、三馬鹿は気にしていないのかじゃんじゃん酒を飲んでいる。そろそろ酔いも回ってきた頃に左之助が女を呼ぶかと提案したけれど、それをじゃあ店の者に伝えようと言い出したけれど誰も動こうとしなかった。
 結局紫苑の命令で平助が立ち上がったけれど、ふらりとしたところでスパンと部屋の襖が開いた。


「紫苑はん!」

「おわ!びっくりしたー」

「なんだ、千代雪ちゃんじゃんか。紫苑、お前ぇ何勝手に一人でいい思いしようとしてんだよ」

「どしたの、息きらして。まだ呼んでないのに」


 急に入ってきたのは紫苑が贔屓にしている芸妓の千代雪で、その後ろから店の旦那が入ってきて頭をたたみにこすり付ける。そんなに擦ったらただでさえ少ない髪がもっと少なくなるんじゃあないかと紫苑は心配になったけれど、口には出さない。彼は勝手に入った千代雪の非礼を詫びて後できつく言い聞かせると言っていたけれど、別に気にしていないと言って頭を上げさせた。毛が減っていなくてよかった。
 ついでに他の女を呼んでもらうことで彼の気も落ち着いたのか部屋を出て行ったけれど、それほどまでにしてやってきた彼女はうっすらと涙を浮かべてきた。


「紫苑はん、不躾は承知どす。近藤先生が深雪姉さんのこと身請けするいうんはほんまですのん?」

「身請け?」

「明日やて姉さんが言うてはりました。どうか……どうか、姉さんのこと大切にしておくれやす」

「ちょっと待って千代雪。そんな話聞いてない……よね?」


 一体どこから来た話だかは知らないけれど、紫苑は全く何も聞いていない。それはお前らも一緒だろうと三人の方を見ると、三人とも同様に驚いた顔で頷いている。けれど千代雪は深雪太夫本人から聞いたといって半泣きになっている。とりあえず落ち着かせてやり、彼女の興奮が収まってから再度話をさせた。


「近藤先生が姉さんを明日お迎えするて、聞いてまへんのどすか?」

「聞いてねぇな。でも確かに最近ちょっと近藤さんの様子もおかしかったし、紫苑は聞いてねぇのか?」

「全然全く。あ、だから帰ってくるな、なのか」


 再度聞いても全く聞き覚えはないけれど、だから歳三が帰ってくるなと言ったのではないかと合点がいった。そうでもなければ帰ってくるななんて言わないだろう。ただでさえ今屯所内は移転の話やなにやらで慌しいし、加えて紫苑には総司の体調も江戸にいる父の容態も気になることが多い。そんなことが重なる中で局長が女を請け出すなんて話があったら誰かしらの血管が切れる恐れもあるだろう。けれど気を使ったのだとしたら、余計なお世話だ。


「問い詰めればすぐに吐くでしょ、私たちには。明日なら早く帰れば間に合うし」


 どうせならゆっくりして帰ろうと紫苑は言ったけれど、内心妙に気が逸った。もともと妻も子も江戸においてきた男だからしょうがないかもしれないけれど、何も言ってくれないことに傷ついている自分がいる。それを自覚して僅かに瞳を眇めるけれど、誰かが気づく前に女性たちが入ってきてそのまま全員で呑んだくれた。










 翌朝、屯所に帰って勇を問い詰めるとわりかし簡単に口を割った。そうして、堀川通に休息所を構えることにしたと教えてもくれた。彼女が来るのは午後だというので紫苑はその足で道場に向かい汗を流し、午後になって昨日同様四人揃って堀川通りに出かけて行った。
 特別綺麗というわけではないけれど清潔感のある小さな屋敷に入ったのは昼をだいぶ過ぎた頃だった。中に入るとあの日甘味屋で会った女性が淑やかに座っている。一体いつの間に落としたんだと訊こうと思ったけれど、相好が崩れていてまともな回答が帰ってこない気がしたからやめた。


「へぇ、いい家じゃん」

「そうだろう。紫苑、お前も自由に使って構わないからな」

「え、いいの?」

「男を連れ込む以外なら構わんぞ」

「じゃあ千代雪連れ込むとしますか」


 ケラケラと笑って紫苑は勇の隣に腰を下ろした。たしかに勇も幸せそうだし深雪も微笑んでいるけれど、それを見るたびに紫苑の胸にちりちりと何かを焦がすような感じが走る。その原因は分かっているけれど止められない。それが悔しくて立ち上がって庭に出ると、察した勇が付いてきた。縁側に腰を下ろすと、花をつけていない紫苑の花を見つけた。こんなところにも、咲いているのか。きっと勇が持ってきたのだろうけれど、やっぱり安心した。


「紫苑?教えなかったことを怒ってるのか?」

「怒ってないよ。ただ、嫁さんどうするんだって思っただけ」


 少し笑みを含んだ声で問うたけれど、勇は黙ってしまった。彼なりに罪悪感でも感じているのだろうけれど、そんなものは屁の役にも立ちやしない。ただ男の理屈なんてときとして女には通じない。けれど女の理屈も男には通じない。だからきっと人と人は理解しあえない。ある意味世界の縮図だな、と思わず紫苑は自分の思考の過大さに吹きだしそうになった。


「こっちに来て、正直辛いこともたくさんあった」

「……うん」

「俺を慰めてくれたのは、深雪だった」

「そっか」


 決して江戸の妻が要らなくなったわけではないけれど、彼女はこの地での支えにはどうやったってなりえない。局長という役職柄辛いことも多いだろうから、紫苑は勇を責めるつもりはない。もちろん江戸に伝える気もない。ただ、千代雪が言うように勇が彼女を大事にできるのかどうかが心配だった。きっと紫苑だって、千代雪をこの地での支えにしているのだから。それに気づいたから、たまには江戸にいる雪に何かを買って送ろうかと思い立った。そうすることで罪滅ぼしだと思えるのは、きっと男と同じだ。


「紫苑は、なんでも分かったような顔をするな」

「ん?」

「昔から全部分かったって。たまにはそれは違うとか、ないのか」

「ないよ。その意見は認める、けど私は自分の意見にはしないだけ」

「俺はお前のその物分りの良さがたまに不安になるよ」


 心配するな、と微妙な顔をする勇に紫苑は笑ったけれど、実際自分だって納得するふりをしているだけだと分かっている。物分りがいいふりをして人の意見は聞くけれど、結局胸のうちでは消化不良を起こして昔は雪に泣き言を漏らしていた。それが今は、千代雪に変わっただけ。だったら、勇がやっていることときっとなんら変わらない。


「紫苑、近藤さん。ちょっといいかい」

「なんだ、永倉」

「俺も身請けしたい女がいるんだけど……」

「何だと!?一体お前どこで捕まえてきたんだそんな女!?」

「左之、ちょっと黙っててくれ。つーか平助、こいつ縛っとけよ」


 後ろから声をかけられて振り返ると、新八が真面目な顔で立っていた。どうしたと勇がきけば、新八も外に家を持ちたいと言い出す。新撰組の幹部は外に休息所と称して女を囲うのが許可されているけれど、新八にそんな女がいるとは全く知らなかった。同様に知らなかった左之助が騒ぎ出したので紫苑はからかう切欠を失って何も言えなかったけれど、ちらりと歳三を見たら彼はなぜか苦い表情をしていた。


「まぁ、いいんじゃないか。それで隊務が疎かにならなければ」

「なりませんって。紫苑、お前は来るんじゃねぇぞ」

「ここがあるから行きませんー」


 新八の身請けの話はごたごたに紛れるように許可されて、江戸に立つ前には準備ができてしまった。
 江戸に何人もが旅立ってしまったおかげで静かになった屯所で、紫苑はやっと自信を持って立てている自分に気づいた。勇の話を聞いたとき、正直揺らぐかと思ったけれど動揺なんてなかった。歳三についてきてよかったと思ったからかもしれない。今はただ、新撰組のことを考えられるようになっていた。

 それは、確かに紫苑が変わった夜だった。





−続−

久しぶりだから島原言葉が分からなくなった