伊東が幹部隊士たちに声をかけていることは知っていた。けれど新八は自分が呼ばれるとは思っていなかったし、しかもこんなに少人数だとは思っても見なかった。新年の祝いにとか言うからてっきり大人数でやるものかと思っていたら、伊東派の幹部が四人いるだけだ。救いなのは平助がいることだろうか。けれど彼の様子も、どこかおかしい。


「永倉君といえば、隊内でも一、二を争う剣士ですものね」

「はぁ……」


 宴会といえば無礼講で楽しくやるもの、だと思っていた新八はこの思い雰囲気に反吐を吐きそうになった。けれどそれも始めだけで、呑み始めてしまえば気分は高揚する。口も軽くなり、饒舌になるのは止められるものじゃあない、特に隣にいるのが一と様子のおかしい平助だから、尚のこと。


「でも斉藤と総司にゃ敵わねぇですよ」

「ご謙遜を。たしか永倉君は、松前藩の出でしたか」

「藩っつっても生粋の江戸っ子ですからね」

「永倉君は今の新撰組に対してどう思いますか?」

「新撰組に対して?」


 呑む端から酒を注いでくるのは加納で、まるで機嫌をとるように酌をしてくる。それを煽るから、酒量はどんどん増えていく。彼の質問の意図を深く考えず、新八は聞かれたことに対して答えを発した。酔った頭が出した言葉は筋が通ったものではないだろう。それは自分でも分かっている。だから、これはただの愚痴だ。


「最近、法度を守れ節度を守れってうるせぇんだよな!息抜きくらいさせてくれってんだよ」

「なにも貴方たちにまでそんなに厳しくすることはないでしょうにねぇ」

「そうなんだよ!紫苑も紫苑だ、こっち来てから真面目になりやがって」

「橘さんとはどういう方なんですか?」


 酔いの回り始めた新八は、伊東の言葉とて聞こえていない。一度口をついた愚痴が一気に噴出した。少し離れたところで俯いて呑んでいる平助の首根っこを捕まえて隣に座らせ、平助に向かって文句をガーガー言い募った。
 最近、門限を少し過ぎても文句を言われるし夜中に騒いでいても怒鳴られる。時には硯が飛んでくるから怖い。別に幹部だから贔屓しろというのではないし、こうでもしないと人数が増えた分締まりがなくなってしまうのもちゃんと分かっている。けれど、もう少し信頼して欲しかった。


「平助もそう思うよな!?」

「新八っつぁん呑みすぎ!絡むな鬱陶しい!」

「うっせぇ平助、お前も呑め!」

「そんなこというなら妾宅行けばいいだろ!」

「馬鹿野郎!男同士で騒ぎてぇときもあんだろうが!」


 わざと平助に絡んで、自分の中の調子を上げようとした。やはりこういうところでこんな雰囲気で呑んでいたら気が滅入る。さっきまで鬱屈した顔をしていた平助も少しだけ顔を緩めているからそれだけは気分がよくなった。いっそ二人で呑み明かそうかと思いながら、酒の量を増やした。


「永倉君も新撰組に不満をお持ちですか」

「……どういう意味だ?」

「私たちは、新撰組と袂を分かとうかと考えているんです」


 酔った勢いなのかそれを演じているのか判別はできないけれど、伊東はそう言って酒で赤くなった顔を笑みの形に歪めた。一瞬にして新八の酔いも冷める。さっきから紫苑のことを訊いたりおかしいとは思っていたけれど、まさかそんなことを考えていたとは思わなかった。けれど新八も今の新撰組に疑問があることは確かだった。
 自分たちは、ただ公義のために集まった自由気侭な浪人集団じゃあなかっただろうか。それを今、再び幕府に召抱えられているような状態だ。かみ合わない絵合わせのように奇妙な違和感があった。もしかしたら今日、胸にわだかまるものを一掃できるんじゃあないかと思い、新八は乗せられるままに口を動かす。口から出てくるのは本心か、ただの戯言だろうか。










 正月が開けて二日目、紫苑は新八の姿を見ていないことに気づいた。一の姿に気づかないことはいつものことだけれど平助の姿を見ないなんて珍しいと思って道場と彼の私室に行ったけれど見つからなかった。途中で恐らく同じ行動をしていたと思われる左之助には会ったのに。
 みつからないので、手っ取り早く紫苑は歳三の部屋に行った。彼のところにならありとあらゆる情報が集まるし、隊を握っているのは歳三なのだからどこに誰がいるかも分かるだろう。そう思って部屋に入ろうと思ったら中から山崎の声が聞こえて、思わず左之助と顔を見合わせた。そういえば、彼の姿の気配も久しぶりだ。


「永倉さん、斉藤さん、藤堂さんは伊東先生と共に角屋にまだいます」

「……そうか」

「伊東一派も同様に」


 静かな声に、腸が煮えくり返りそうになった。彼らが冷静に話しているから特にだろう。隣にいる左之助の方が紫苑よりも一瞬動くのが早かった。手を出す前に襖が開いて、左之助が部屋に飛び込んでいた。中には脇息に寄りかかって紫煙を燻らせている歳三と、正座している山崎がいるだけだ。けれど左之助の表情は、敵を探すそれだった。
 紫苑もほとんど変わらなかっただろうと思う。左之助の後に入って、歳三を思い切り睨みつけた。


「何それ、どういうこと?」

「何の用だ、テメェら」

「どういうことだって訊いてんだよ、土方さん!」


 向けられた歳三の視線は、鬼の副長のものだった。いつから彼が鬼と言われだしたのか紫苑は知らない。けれど、それを始めて聞いたときに鬼娘と同じ冠を持っているようで少し嬉しかった。
 紫苑が一瞬ひるんだそれに、左之助は怯まずに声を荒げて紫苑の後を引き継ぐように怒鳴った。左之助のその形相は、彼の後ろにいるのに歳三の瞳に映ったもので見えた。本気で、心の底から怒っている。もう一度左之助が「土方さん」と言い募ると、彼も少量の紫煙を吐き出して口を開いた。


「無断外泊だ。伊東と一緒にな」

「新八が!?ありえねぇ!」

「実際は、外泊許可を取ってあると思っているみたいですわ。伊東先生が嘘言うて安心させたんやろう」

「あの野郎……!」


 冷たい歳三の声は、けれど罵倒する言葉を捜させない。何か言い訳のようなものを探しているうちに、山崎が至極冷静に情報を増やしてくれた。これならば確かに新八は悪くないとは思う。けれど、伊東を信用していること自体紫苑は彼に対して不審が湧いた。
 くるりと踵を返した左之助が角屋に殴りこみに行くのだと理解し、紫苑も彼の後を追う。ちらりと歳三を見ると、何も言わずに俯いていた。


「左之!」

「あの野郎……あの野郎!」


 走りながら声をかけても、彼の口から漏れるのは搾り出すようなたった一つの言葉だけだった。左之助にとって新八は無二の親友だろう、その人の裏切りに相当答えているのではないだろうか。紫苑だって新八は親友だと思っていたけれど、外泊くらいでこんなにも怒りは湧いてこない。男同士と男女の違いか、それともただ紫苑が一歩引いているからなのか、答えは見つけられない。見つけるのが怖い。
 もしかしたら誰かに踏み込むのを畏れていたんじゃあないかと、紫苑は走りながら思いついて背筋が寒くなった。仲間意識なんかじゃあない妙なものが背筋を這いずり回る。それから逃げるように、踏み出す足に力を入れた。
 角屋に駆け込んで案内されるのももどかしく部屋に転がり込むと、向けられたのは六対の視線だった。


「新八!」

「おや、君たち……」

「左之さん、紫苑さん……」


 左之助の怒声が響き渡り、びくりと体を震わせたのはその中で平助だけだった。乾燥した唇で名前を搾り出したのも彼だけだ。あとは伊東派の冷めた目線が突き刺さった。当の新八を探せば、平助の横で手足を投げ出すようにして鼾までかいている。こっちが心配してきてみれば、なんて気楽な奴だ。逆に怒りも湧いてくる。


「門限を大幅に過ぎています」

「新八!起きろオラ!!平助、テメェだよ!」


 紫苑は勤めて冷静な声を出そうとしたけれど、隣で切れいている左之助につられて声に若干の苛立ちが混じった。彼のほくそ笑むような口元が嫌いだ。同じ空気を吸っているのも嫌だ。すべてに対して虫唾が走る。それを堪えて、紫苑はぐっと奥歯を噛んだ。返ってくるのは、鼻につくようなべたつく声だった。


「君たちは、今の新撰組がおかしいと思ったことはないんですか」

「……法度違反です」

「今の新撰組は間違っている!原田君、そう思いませんか」


 わけの分からない議論を始めてくれた伊東に紫苑の手が無意識に腰に伸びる。けれど私闘を禁止した法度の存在がそれを押し止めた。新撰組において法度は絶対であり、それが中心に据えられている。新撰組の支配者は、法度だ。そうしなければ所詮烏合の衆を纏め上げることができない。だから今まで、法度に照らしていくら辛くとも仲間を処断してきた。
 紫苑が搾り出すように法度違反だと言い募るけれど、声は震えていた。怒りで頭がどうにかなりそうだった。
 問いかけられた左之助の表情を盗み見ると、彼は少し難しい顔で眉間に皺を寄せる。けれどそれはすぐに解けてなくなった。


「新撰組が御公義のためにある以上、間違っちゃいねぇよ」

「本当にそう思ってんのか、左之」


 左之助の言葉に安堵したのも束の間、低い声が聞こえた。眠っていたはずの新八の声に紫苑がそちらに目を向ければ、起こした新八が大きく伸びをして頭に響くのか僅かに顔を歪めた。片胡坐をかいて肘をつき、半眼で左之助を睨みあげる。その雰囲気は新八のものではないようなまがまがしいものだった。


「今の新撰組は、一体何のためにあるんだ?」

「何のためって、京の治安を守るためじゃねぇのか!?何言ってんだよ新八、なぁ……」

「近藤さんの出世の道具じゃねぇのか」

「新八、それ本気で言ってんのか」


 困惑した左之助を押しのけて、紫苑は新八を睨み下ろした。酒で歪んでいる新八の目が睨み上げてくるけれど怖くもない。僅かに懇願の色が混じっていたのか、新八が立ち上がって紫苑を見下ろした。立ち上がる際にふらついたのを平助が支えると、すぐに自立して斜に構える。酒で濁ったそれは、ひどく荒んで見えた。


「だってそうだろ。考えてみろよ、試衛館は別格、俺たちはそれ以下だ!」

「新八、テメェいい加減にしろよッ!」


 怒りで震える紫苑を押しのけて拳を振り上げたのは、左之助だった。新八の頬を思い切り張り、足元のふらつく彼がたたらを踏んで尻餅をつく。なおも睨みあげてくる彼の頬は赤くなっているというのに、頑固に自分の意見を曲げる気はないらしい。今の一発で目でも覚めたのか俊敏に立ち上がると、そのままの勢いで左之助の頬を新八がぶん殴った。左之助はよろけもしなかったけれど、骨のぶつかる鈍い音は部屋に響いた。


「土方さんも土方さんだ。法度で俺たちまで縛るたぁ、そういうことだろうが」

「本気で言ってんのかよ……」


 次に出たのは、紫苑の手だった。平手なんて可愛いことをする気はない。握った拳を腰を捻って思い切り新八の頬にめり込ませた。左之助と同様とは行かず数歩下がっただけの新八は、口の中を切ったのか顔を歪める。けれど、紫苑に向かって殴りかかっては来なかった。ただ薄く、皮肉気に口元を歪めただけだった。それを見て、心臓が凍りつくかと思った。


「紫苑だってそうは思わねぇか?」

「……見損なった」


 結局その理由は、"女"だからだ。新八にまでそんな情けをかけられたのかと思うと吐き気がした。胃の中のもやもやを吐き出すようにもう一度「見失った」と吐き出すと、紫苑は踵を返す。
 部屋を出ようとして源三郎にばったり会った。恐らく紫苑たちを追いかけてきたのだろう、彼は彼女の姿に僅かに微笑む。その表情に思わず泣きそうになって、慌てて唇を噛んで涙を堪えた。まるで任せろとでも言うように肩を叩かれて、今度こそ泣きそうになって紫苑は足早に店を出た。


「紫苑殿」

「……だから、気配を消すなと何度も言ってんだろうが」


 店を出て気が緩んだ瞬間に、一に声をかけられた。一体いつの間に着たのか知らないけれど、気を引き締めなおして帰路につく。できるだけ気を落ち着けるようにゆっくり帰りたかった。
 一も歩きながら黙っていたけれど、時折ぽつりぽつりと事情を話してくれた。彼は伊東の内情を探るために密偵として彼らについて行ったらしい。それが仕事であるからお咎めはないだろう。その話を聞きながら、紫苑は空を見上げる。寒いからか、空は真っ青で綺麗だった。


「あれは、本心だったのかな」

「……酔った上での戯言でしょう」

「だったらいいなぁ」


 屯所に戻れば勇が法度を破ったことに対して激怒していて、新八以下を切腹させろと言い出した。それを歳三と山南が宥めすかして謹慎処分を与えて事なきを得たけれど、新八の態度は頑なだった。
 伊東はといえば、そんな大騒ぎを起こしたにもかかわらずお咎めもなく、隊士たちを集めて現在の情勢についての演説までかましてくれた。きっと、これが新八たちの不満を煽っているのだろう。きっとあのように考えているのは新八だけではない。
 泣きたいのに、涙は出なかった。親友と思っていた男に裏切られたのが悲しいのか歳三を悪く言われたのが切ないのか、それとも伊東に新撰組の絆を解かれそうになっていることに対して泣きたいのかわからない。ただ、涙にならない分内に篭った気分はひどく悪かった。

 私は一体いつ、泣き方を忘れてしまったんだろう。




-続-

新八はいいお家の子なんだよ