自分を自分たらしめるものはなんだろうか。いわゆるアイデンティティの問題だが、一般的には外的要因と歴史的要因で構成されるとされている。けれど岡崎亜矢にとってはそれだけでは自己と言う存在は決定付けられないだろう生まれたときから一緒にいる双子の姉である麻矢の存在が、共になければ自己も確立し得ない。
 その決定事項を覆さない為に、彼女は紹介状を持ってわかり辛い地図を見ながらやっと古びたビルにたどり着いた。地図で確認してやはり場所は合っていたが、目の前のビルは廃屋ではないかと疑うほどにうらびれている。けれど表示板には古ぼけて掠れた字で不思議屋と書かれている。今はもしかしたらやっていないかもしれないが、だめだったら紹介状をくれた人間に文句を言えばいい。亜矢は階段を上がってエレベータを探したがそんなものはないようだった。


「ど、どうしよう……」

「私なら大丈夫、行ってらっしゃい」


 少しだけ困って姉を振り返れば、真っ白な顔に少しだけ笑みを佩いて手を振ってくれた。姉をここに残しておくのは心配だけれど、車椅子を二階に運ぶのは亜矢には無理だったので姉の言うとおりにして軽快に、少し足早に階段を上って不思議屋の有無を確かめに行った。
 階段を一階分上がると、鉄製のドアに確かに「不思議屋」と剥がれているけれど書いてあった形跡がある。躊躇いなくノックする。それは下に置いてきた姉が心配のあまり尋ねるというよりも押し入るに近いニュアンスを持ったノックだった。


「ガンガンガンガンうるせぇな!うちにゃもう払う金はねーよ、一昨日来やがれ!」

「ふぇ?」

「は?」


 突如開いたドアから長身の男が青筋を浮かべながら出てきた。一しきり怒鳴ってからやっと状況を確認して、いぶかしげな表情を浮かべる。彼の目に映った自身の姿を見て亜矢はびっくりした。お姉ちゃんが困っていると、本気で思った。


「……どこの組のモンだ?」

「えっと、あの、移植屋さんに言われてきました。岡崎亜矢と申します」


  移植屋と言う言葉に目の前の男は眉を潜めて口の中でそれを繰り返した。じと目で亜矢の全身をじろじろ見て、紹介状を出すことを失念していたことを思い出す。肩に掛けたバッグからそれを探していると、彼は後ろを振り返って声をかけた。


「移植屋の紹介だと。聞いてるか?」

「移植屋って、はっちん?知らない。一応お通ししてよ」

「とりあえず入れ」

「は、はい。あの、下に姉がいるので連れてきてもらえませんか?」


 新宿の裏通りで動けない姉が何をされるか分からないので冷や冷やしていたが、それだけは忘れずに告げると男は一瞬厄介そうな表情を浮かべたが面倒ごとも厄介ごとも慣れているのか何も言わずにポケットに手を突っ込んで階段を降りていった。
 促されたので先には言っていた方がいいと「失礼します」と小声で言いながら入って行くと、中には人の良さそうな笑みを浮かべた青年が詰まらなそうにテレビのチャンネルを変えていた。亜矢に気づくと彼はにこっと笑って席を促してくれる。


「こちらにどうぞ。お名前は?」

「失礼します。私は岡崎亜矢で、姉が岡崎麻矢です」


 姉の名前まで言うと彼は少し不思議そうに首を傾げたがすぐにまた笑って自己紹介をしてくれた。不思議屋店長の南壱路。さっき出てきた長髪のお兄さんは藤堂氷川というらしい。その氷川が姉を抱いて入ってきた。亜矢の隣に麻矢を下ろし、車椅子をソファの隣にガチャっと置く。それから何も言わずにどこかに消えてしまった。壱路は数秒姉妹を見比べ、やがて納得したように数度軽く頷いた。彼の人のみの中で二人そっくりのすまし顔を浮かべている。


「そっくりさんですね」

「一卵性双生児って言うんだよ、理穂ちゃん。もしかして初めてかな」

「はい。すごいです、びっくりです」


 急に何処かから声が聞こえてきて、辺りを見回してみるが人の姿なんてない。けれど壱路は事務机の上に鎮座しているフランス人形に対して声をかけて名を呼んだ。もしかしてこの人もいたい人なのかと思ったけれど、それに呼応して人形の手がピコピコ動いた。麻矢は「まぁ素敵」なんて手を合わせているけれど、亜矢は素敵には思えなかった。


「ちなみに、僕と氷川はニ卵生双生児なんだよ」

「本当ですか!?」

「ううん、嘘」

「えー」

「くだらねぇ嘘吐いてんじゃねぇよ」


 氷川が戻ってきた。何をしているのかと思ったらお茶を淹れていたようで四人分のお茶がテーブルの上に置いてあった。壱路が誤魔化すように笑うと、彼は呆れたように肩を竦ませ自然な仕草で隣に腰を下ろした。何となく、壱路が言ったことはうそではないのではないかと亜矢は思う。隣に一緒にいるのが自然なのは、それだけ似ている証拠だと思うから、二卵生くらいが丁度いい。けれど自分たちはそれじゃあだめだ。もっと強く、強く結ばれている。


「それで、えっと亜矢ちゃんだっけ。そっちが麻矢ちゃんかな?」

「はい。お世話になります」

「まだお世話するとは決まってないよ?えっと、移植屋の紹介だっけ」

「あ、ここに紹介状があります」


 取り出した封筒を差し出すと、壱路さんが微笑んで受け取ってくれた。一枚の便箋を取り出して、目を通している。そんなに書いていないようで目はあまり動かない。その短い沈黙の間にフランス人形が机から飛び降りてソファによじ登った。壱路と氷川の間にちょこんと座り、氷川を見上げる。


「氷川さん、移植屋さんって何ですか?」

「臓器移植とか、移し変える仕事を専門にする奴ら」

「親しいんですか?」

「まぁ、それなりにな」


 氷川の説明は大雑把で間違っていないが正解でもない。移植屋とは臓器だけではなく魂や記憶など、その形があろうとなかろうと命があろうとなかろうとその存在を移し変える。移し変えるという点では正解だが、臓器なんて医者でもできる。
 紹介状を読み終わった壱路がそれをバンとテーブルに叩き付けた。思わず目を落せば、「お試し頼む」という短い文字が綴られている。


「これ信じられる!?軽すぎ!」

「……まぁ、八夜だからな」

「今度会ったら何か奢らせようよ、氷川」


 どうやら文面の簡潔さが問題だったらしい。移植屋さんから気のいい奴らだと聞いていたので少し面食らった所はあるが、信頼できるのか未だに信じられない。けれど本命はやはり移植屋さんで、ここに来たのは事前の訓練みたいな、試着みたいなものだから信頼できなくても構わない。すべては亜矢と麻矢のためだけだから。


「取り乱してごめんね。それで、今日はどういったお試しを?」

「私の中に麻矢を移植してもらうんです」

「麻矢ちゃんを?」


 意外そうな壱路の視線が微笑んでいる麻矢に向かった。けれど麻矢は微笑を崩さない。もちろん亜矢も。たぶん彼にも察しはついているだろうが、亜矢は説明した。
 麻矢が病気になったのは数ヶ月前のことだ。病気はもう末期で、大金を叩いて手術しても成功する見込みはないという。ほぼ零パーセントの勝負に両親は絶望し、麻矢の手術の金を残して消えてしまった。残されたのは亜矢と麻矢。両親は麻矢にそっくりな亜矢が一緒にいると思い出して辛いと思ったのだろう。けれどそれは亜矢にとっては嬉しい選択だった。麻矢と別れて生きるなんてそれこそ死んだほうがマシだ。そうして麻矢と一緒に生きる道を探している間に移植屋に会った。


「私の中で麻矢が生きるんです。そうなったらどんな時ももう離れることはないもの!」

「……麻矢ちゃんは、それでいいの?」

「私は、死んでしまうんです。それなら亜矢の中で一緒に生きたい」

「そう。分かった」


 生きたいと、そういった少女がかつていた。その少女は死ぬ間際まで死んでもいいと言い張り、けれど死んでからやはり死にたくなかったといって今は人形に住処を移している。それがすぐ隣にいて涙も出ないのに目を擦っているものだから、思わず壱路にも温情が浮かんでしまう。


「こっちも慈善事業じゃないから、幾許かのお金をもらわないといけないんだけどいいかな」

「はい。お金ならありますから」

「二人合せて五千て言いたいとこだけど、八夜は何て?」

「私の中に麻矢を移すので、五千万円だって……」

「お試しだし、他ならぬ八夜の紹介だから大盤振る舞いしちゃおうかな」

「明日雨かもな。布団干すのはやめとこ」

「氷川さん、そんなこと言っちゃダメですよ!」

「……。二人合せて三千でいいや」


 氷川の言葉に壱路は一瞬むっと唇を尖らせたがすぐににこりと笑うと指を三本立てた。移植屋さんと足して八千万円。こんなリスクは承知のうちだった。それで麻矢と一緒になれるんだから、安いものだ。お金もどうやら足りる。移植屋さんが言うには二千五百だったけれど、多めに四千持って来た。足りてよかったと隣に視線を移すと、麻矢も笑っていた。


「それじゃあ準備するから、ちょっと待っててね。氷川、よろしく」

「あぁ」

「お金は先払いでよろしくね」


 氷川が席を立っている間に壱路は抜け目なくそう言った。亜矢は慌てて頷くと車椅子の下からアタッシュケースにも入れられていない札束を三十数えて取り出した。一度麻矢に渡すと、それを確認して麻矢がテーブルの上に並べて置いて行く。綺麗に並んだそれを再度確認して、大雑把に集めながら壱路は笑った。


「確かに受け取りました。準備はすぐ出来ると思う……出来たかな」

「これでラスト」

「本当?やっぱり買出し行かなきゃダメだね。さて、亜矢ちゃん麻矢ちゃん、お待たせ」


 まるで玩具を扱うみたいに札束を適当に端に寄せ、壱路は氷川が持ってきた器具を机の上に並べた。それは本当に簡単なもので、専門家が使うものではなく効果は短いと言う。ここは表で言う便利屋で、専門じゃないそうだ。医者の使う器具は使えないけれどドラッグストアくらいの設備はあるということだろう。
 そして彼は、にっこりと笑って姉妹を同時に見る。


「君たちが一つになる時間だよ」


 もうすぐ、麻矢と一つになれる。生まれたときから一緒だった双子の姉。大好きなもう一人の私。夢が実現する瞬間がもうすぐだと思うと、体の震えが止まらなくなりそうだった。










 久しぶりにいい仕事をしたと浮かれながら後片付けをしていると、金庫に金を仕舞い終わった氷川が複雑な顔をしてこちらを見ていた。壱路は思わずにこっと笑い、氷川に歩み寄ると突然に彼に抱きついてみた。尻餅までついたのに驚かないのでつまらない。いつもなら驚いて文句言って説教して結局抱きつかせてくれるのに。
 

「珍しく今日は乗り気だったね」

「……効果もすぐに切れるしな」

「それだけじゃないくせにぃ」


 ぎゅーっと抱きつくといつも冷たい氷川の温かい温度を感じられる。蔑ろにされることはないけれど過度に接触を嫌う猫みたいな氷川に抱きついて嫌がられないなんて本当に珍しい。壱路は氷川が好きだから触れたいのに、氷川は照れて引き剥がすから。けれど今日は引き剥がさないどころか、逆にぎゅっと抱きしめられた。


「氷川?」

「ちょっと……」

「ん?」

「ちょっと羨ましかったから」

「亜矢ちゃんと麻矢ちゃんが?」

「一緒になったら、離れる不安とかそういうの……しなくてすむだろ」


 珍しく弱気な氷川の顔は伏せられていて表情は見えないけれど、長い髪の向こうはきっと淋しそうな顔をしているのだろう。迷子の子猫のような、そんな顔。氷川はいつだって一人で背負って我慢するから、たまには弱音を吐いてもらわないと。
 壱路はニッコリ笑うと、氷川の頬を包んでぐっと顔を向けさせた。多少無茶な方向に曲げているけれど気にしない。


「僕はどこにも行かないから不安になる必要なんてないよ」

「…………」

「大好きだよ。氷川」


 真っ直ぐ目を見て言うと、真っ赤になった氷川が無理矢理壱路の手を振り切った。少し不満そうに歪んだ顔を無視して力任せに抱きしめる。本当に力いっぱい抱きしめてくるから苦しかったけれど、壱路は何も言わずに氷川の不安が消えるまで抱きしめられていることにした。





−焉−

実際は、覗きにきた理穂ちゃんの悲鳴で解放されます。