こんにちは、手紙の向こうのだれか。まだまだ暑いですが、お元気ですか? ダストホーム号の下っ端船員、リッチ・クーです。ぼくはどうにか無事に、元気です。
 今日はこのあいだ行ったニッポンという国についてお話しますね。食料補充を目的に立ち寄ったのですが、キャプテンの知り合いの人がいると言うので、会いに行きました。
 ニッポンという国は、すごく元気な国でした。腰には刀という物を差している人が一番偉いそうです。でも、ぼくはマリーローズ姐さんの方が偉いと思います(こういうのをカカア天下って言うそうです)。
 活気に溢れるこの国の人たちは、見慣れない格好をしていました。副船長に聞いたら、あれは着物と言うそうです。足の下まで長いので、動き辛くないのかと聞いたら、慣れているから平気なんだろうと返ってきました。副船長は物知りです。きっとキャプテンやマリーローズ姐さんに聞いたって、「知るか」って冷たく返されるだけです。そういうところは良く似ている夫婦だと思います。
 ぼくは風鈴というものを珍しくキャプテンに買ってもらったのですが(キャプテンは意外にケチなんです)、それは船に戻る前に姐さんが壊してしまいました。でも姐さんは変わりにワキザシという物を買ってくれました。姐さんの方がキャプテンよりもずっと懐が広いです。
 今ぼくの腰に刺さっているワキザシは、短い剣です。重さも長さもぼくのサイズに丁度良いみたいですが、使うときが来るかどうかは分かりません。むしろぼくよりも姐さんの方が気に入ってしまったみたいで、暇になるとぼくのところに来てワキザシをいじっています。ぼくが使うよりも先にマリーローズ姐さんが使いそうなのは気のせいでしょうか。
 でも姐さんが使うのならぼくが使うよりもこのミラクルブレード(名前)は喜んでくれそうです。




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 活気のある街中を、ぼくはマリーローズ姐さんとキャプテンに挟まれて手をつながれて、歩いていました。二人とも背が高いのでチビのぼくは宙ぶらりんになりそうです。もっと小さい時はキャプテンが負ぶってくれたのですが、今はもう負ぶってもらいたくなんてないです。
 補給を兼ねて、船員はバカンスです。だからぼくたちもキャプテンの知り合いのお店に行く予定です。キャプテンは顔を引き締めて前をずっと見ていますが、ぼくは周りが気になってキョロキョロしてばかりです。キャプテンは気にならないのでしょうか。ぼくがキョロキョロしているからと言って、珍しくさっきフウリンというものを買ってくれました。今それは、ぼくのリュックサックの中で歩くたびにくぐもった音を出しています。


「副船長」


 周りも気になりますが、今一番気になることは副船長がついて来ていることです。いつもは一人で船の中で寝ていたり、いつの間にかどこかに出かけたりしているのに。ぼくが振り返って声をかけると、数歩離れて歩いていた長身の眼帯が振り返りました。ごくたまに、キャプテンよりもキャプテンらしいと思ってしまうのはなぜでしょう。


「んー、どしたリッチ?」

「副船長は今日はお出掛けしないんですか」

「なんだぁ、俺が一緒じゃ不満?」


 カラカラと笑って副船長がぼくの頭をかき回しました。くすぐったくて心地よくてぼくが身を捩ると、姐さんがピンヒールの長い足を後ろに蹴りだしました。


「うおっ!? なぁにすんだよ、アネサン」

「歩き辛い」


 姐さんの足は見事に副船長のスネにヒットしたようで、副船長は左足を引きずりながら口を尖らせます。


「ちょっとー。アネサンご機嫌悪くない? どうにかしろよ、ジェシカ?」

「その名で呼ぶなぁぁぁあ!!」


 耳元で叫ばれて、耳がキンキンします。今日はキャプテンが格好よく見えたのに、やっぱりキャプテンはダメでした。副船長は予想していたのか指で耳栓をしてにかっと笑っているし、姐さんは心底ウザそうに目を歪めただけでした。本当に今日は姐さんの機嫌が悪いみたいです。またキャプテンが何かしたのでしょうか。


「はっはっは。まぁだひきづってんのかよ」

「一生のトラウマだ、バカモン」


 副船長が後ろからキャプテンにもたれかかると、キャプテンは気を落ち着かせるように深く息を吐き出しました。それを無視して副船長はキャプテンのホッペタをつつきます。


「リッチ。こいつな、昔ジェシカって呼ばれてたんだぜ」

「ダニー!」

「宴会の時にジジイどもに女装させられて。だから独立したんだよな」

「……勝手に言ってろ」


 珍しくキャプテンは冷たい声音でそう吐き捨てました。いつもそうだと格好良いと思います。キャプテンが顔を引き締めると、副船長もキャプテンに抱きついたまま前方に視線を移しました。あそこがキャプテンの知り合いのお店なのか、キャプテンはほんの少し歩調を上げました。
 …………マリーローズ姐さん、左手が痛いです。


「こんちわー」


 お店は、外に椅子が出ていました。キモノを着て剣を持っている人がそこに座ってお茶とお菓子を食べています。副船長が声をかけると、エプロンをかけたオジサンが驚いたように眼を瞬かせた。


「海賊さんじゃねぇですかい」

「久しいな」


 普段のキャプテンからは想像もつかないような格好良い声で、キャプテンが言いました。姐さん、手が痛い。痛いです。


「ダニーさん! ……とジスさん」


 お店の中から、女の人が出てきました。結構可愛い人ですが、姐さんの方が断然美人だと思います。黒髪を上げているカンザシ(と言うのだと副船長が言っていました)は、ぼくでも姐さんに買ってあげることができるでしょうか。
 いたたたたい! 姐さん、手が痛いです。何でそんなにキャプテンを殺気の篭った目で見てるんですか。


「姐さん、手が痛いです……」

「あぁ」


 生返事が返ってきて、手の力はほんの少し緩くなりました。でもやっぱり痛いです。姐さんの視線をたどるとキャプテンと親しそうに話す女の人。よく見ると、胸が大きいです。


「やきもち?」


 いきなり副船長が姐さんの首に腕を回して、耳元で囁きました。姐さんはフンと鼻を鳴らしただけで視線を逸らしもしません。手が痛くて泣きそうになって姐さんを見上げたぼくと眼が合って、副船長がにかっと笑いました。


「あの子、シズちゃんって言うんだぜ。可愛いだろ?」

「姐さんの方が美人です」


 ぼくが言うと、姐さんはビックリしたようにぼくを見ました。照れくさくて顔をシズさんの方に……というか鼻の下が伸びきっているキャプテンに視線を移すと、ふわりと体が浮きました。


「よーし、リッチ。兄さんがダンゴを食わせてやろう」


 副船長に抱き上げられて、そのまま外に出ている椅子まで連れて行かれます。赤い椅子に座ると、キャプテンも座りました。なぜか、姐さんの隣ではなくて副船長の隣に。ゾクッとして隣を見ると、姐さんがこめかみを引きつらせていました。


「シズちゃん。こいつウチの船員でジスの息子ー」


 現在の席順は端からキャプテン、副船長、ぼく、マリーローズ姐さんです。だからきっと副船長には姐さんの機嫌が悪くなっても分からないんです。副船長がぼくの頭をかき回しながらシズさんを呼ぶと、彼女はぱっと笑いました。キャプテンに向ける笑顔と全く違う気がするのは気のせいでしょうか。


「え、そうなんですか? お名前は? 私、シズ」

「……リッチです」

「リッチくんね。待ってて、今美味しいお団子出してあげるから」


 シズさんはそう言ってくれましたが、ぼくは隣から感じる殺気が気になってしょうがありません。シズさんがお店の中に消えようとした時、隣の椅子に座ってた黒いキモノのオジサンたちが一斉に立ち上がりました。


「シズちゃぁん。お金出来たー?」

「……期日までまだあります。お引取りください」


 何なんだろう。よく分からないけど、あのオジサンたちは悪者なんでしょうか。シズさんは果敢に言ったけれど、オジサン達は引く気がないようです。


「明日までに出来るのかなー?」

「……おい」


 普段面倒ごとに絶対に自分から顔を突っ込まないキャプテンが、低い声で言いました。
 オジサン達は邪魔されて気分を悪くしたのか半眼でキャプテンを見ますが、キャプテンはへの河童です。ぼくだって、こんなオジサンたちよりも怖いものを知っているから怖くありません。例えば、怒ったマリーローズ姐さんとか。


「邪魔すんのかテメェ!」

「貴様等が無粋なんだ。女に手を出すとは情けない」

「何だテメェ、正義の味方気取りか!」


 たぶんそうだと思います。でもそんなことを言えなくて黙っていました。言えなかったのではなく、あえて黙っていた感が副船長から伝わってきます。


「海賊が正義を語ると思っているのか?」


 キャプテンがため息混じりに呟いて、立ち上がりました。手では愛用のランスを組み立てています。長い棒の先端に鋭いナイフのついているこのランスは、武器職人さんのお手製です。ぼくもいつか専用の武器を作って欲しいです。


「だったら黙っていてもらおうか」

「そういう訳にもいかなくてな」


 かちりとランスの繋ぎ目を繋いで、キャプテンがゆっくりと構えました。この瞬間のキャプテンは、ビックリするくらい怖いです。冷静で冷酷で強くて、いつものキャプテンからは全く想像もできません。
 海賊は正義の為に戦ってはいけません。なぜなら、海賊自身が正義ではないからです。キャプテンが戦いの後にいつも言っています。正義を振り回して戦うのは海軍だけで十分です。それでも海賊がいなくならないのは、正義ではなくて誇りを振り回して戦っているからです。仲間の為に自分の為に、生きていけるから海賊をやめられないのだと、言ってました。
 キャプテンは今、一体何のために戦おうとしているのでしょうか。


「……ケッ」


 姐さんが優雅に足を組んで、唾を吐き捨てました。一体何がお気に召さなかったのでしょう。ぼくが首を傾げて姐さんを見上げると、後ろから副船長に潰されました。


「アネサン、やきもちー?」

「お黙りダニー」


 半眼で姐さんが副船長を睨みつけると、副船長は肩を竦めて笑いました。二人の会話でぼくはやっと、キャプテンがシズさんの為に戦おうとしているのだと気が付きました。シズさんはキャプテンにとってそんなに大事な人なんでしょうか。


「おっと、動くなよ海賊さん」

「きゃあ!」


 キモノのオジサンの一人がシズさんの腕を掴んで、倒れこんだところに刀を突きつけました。これにはキャプテンは動く訳には行きません。


「シズさ――」

「シズ!」


 苦々しくキャプテンが発した言葉を遮って、副船長が叫びました。驚いているのはぼくだけではなかったようで、キモノのオジサンたちも驚きです。でもマリーローズ姐さんは驚いていないようで、呆れたように息を吐き出しただけでした。


「テメェら、そいつに手ぇ出したら一瞬で燃やすぜ?」


 物騒に低く唸って、副船長はポケットからライターを取り出しました。これも武器職人さん自慢の品で、小さい癖に火力は抜群。ちなみに本来の使い方はこれで小さな火薬球に火を点けるのですが、副キャプテンはこれを持ったまま肉弾戦をするので武器職人さんは泣いています。
 獣のように眼を細めた副船長は多分今ここにいる誰よりも危ない人だと思います。オジサンたちもそう思ったのか、もう腰が引けています。


「さっさとしねぇとこっちが限界くるぜ?」


 オジサンたちが小さく息を飲んでシズさんを離す前に、キャプテンのランスが一閃しました。キャプテンがランスの先を払うのとシズさんに刀を突きつけていた男の体が裂かれたのは、ほぼ同時でした。バタリと地面に倒れた男は、死んでいました。


「シズさん!」


 男も周りも全て無視して、キャプテンはシズさんの無事を確認に駆け寄りました。ぼくの隣では、副船長が安堵したように細く息を吐き出しています。


「大丈夫ですか、怪我は?」


 聞きながら、キャプテンの手は不必要にシズさんに近づきます。シズさんの無事を確認したいのかセクハラしたいのかハッキリしてくださいキャプテン。
 ぼくは漸く気付きました。姐さんの機嫌が悪いのは、キャプテンが胸の大きな女の人なら誰でもいいから。副船長も分かっていたなら止めればいいのに、これはきっと船(ホーム)に帰ったらキャプテンはコテンパンです。


「待ちな海賊。一人ヤっといてはい終わり、なんて行くと思っているのか?」


 いつの間にかぼくらの背後に回っていたオジサンの一人が、マリーローズ姐さんの首筋に刀を当てました。なんて怖いもの知らずなんでしょう。


「……マリーローズ……」


 キャプテンの声からはシズさんの時よりも覇気を感じませんでした。一瞬寒気を覚えたのはぼくだけでしょうか。かと思ったら、副船長も恐怖とか色々入り混じった顔をしていました。


「こっちの方がいい女じゃねえか」


 男がぽつりと呟いて姐さんに顔を近づけると、姐さんの綺麗な顔に青筋が浮かびました。しかしオジサンは気が付きません。もう一人のオジサンが、刀を抜いて切っ先をキャプテンに向けました。何だかもうえらい事態です。


「リック」

「はい、姐さん!」

「ダニーに守ってもらいな」

「はい?」


 言うが早いか、姐さんは刀を突きつけられているにも拘らず、ぼくのリュックサックを掴みました。中にはお菓子くらいしか入っていないのですが、どうする気でしょうか。すると、姐さんはリュックの中からあろうことかさっきキャプテンに買ってもらったばかりのフウリンを取り出したのです!


「おい、動くな」


 オジサンの制止を無視して、姐さんが力の限りそれを投げてしまいました……。


「うおっ!?」


 いきなりの攻撃に一番ビックリしたのはキャプテンだったようです。明らかにキャプテンを狙ったフウリンは、すんでのところで気付かれて狙った対象ではなくてその向こうのオジサンに当たって無残にも甲高い金属音を上げました。きっと粉々だろうなぁ。


「俺に当てる気か!? マリーローズ!」


 たぶんバリバリそうだと思います。しかし姐さんは答えずに舌を打ち鳴らしただけで、自分の後ろにいるオジサンを問答無用で蹴り飛ばしました。オジサンはガッシャンとけたたましい音を立ててお店に突っ込みます。バラバラと硝子が落ちる音がした後、辺りはやっと静かになりました。


「シズ、大丈夫か?」

「ダニーさん……」


 副船長が固まってへたり込んでしまっているシズさんに近づきました。ふわりと抱き上げて、彼女を僕たちが座っていた椅子におろします。


「怖かっただろ。すぐに助けてやれなくてごめんな」


 副船長が視線を合わせるように膝を折って言うと、シズさんは首を振って副船長に抱きつきました。この二人は一体どういう関係なんでしょう。
 じっと見ていると、ぼくの疑問の篭った視線に気付いた副船長が筋肉質のしなやかな腕でシズさんを抱きしめて微笑しました。


「これ? 俺の現地妻」


 …………………………え。
 予想外の事過ぎて声が出ませんでした。でも姐さんは知っていたのか、特に動揺した風も無くぼくを抱き寄せました。


「風鈴壊しちまってごめんな」

「姐さんが無事ならフウリンなんて要らないです」


 ぼくが言うと、姐さんはぼくをぎゅーってしてくれました。ちょっと窒息しそうになるけど、ぼくは姐さんにぎゅってしてもらうのは大好きです。姐さんはぼくを抱きしめながらグリグリと頭を撫でます。


「あんなモンじゃなくてもっと良いの、何か買ってやるからねー」

「あんなモンとは何だ、あんなモンとは!」

「黙ってろ」


 地獄の底よりも低い声で姐さんが唸ると、キャプテンは押し黙ってしまいました。でもキャプテンが悪いのは火を見るより明らかだと思います。


「リックはあんな人を顔とか性格とかじゃなくて乳で決めるような男にはなるなよ」


 そう言って、姐さんは立ち上がりました。ぼくの手を繋いで、歩き出します。


「ダニー、出航は明後日だからね」

「りょーかい」


 姐さんは振り返らなかったけど、ぼくが振り返ると副船長は笑って敬礼をしていました。後ろから、ランスをばらしながらキャプテンが追ってきます。きっと副船長はもてもてで、世界中のいろんな所に現地妻がいるんだと思います。だからきっと、どこの国に行っても出航ギリギリまで帰ってこないんです。


「待て! マリーローズ!」

「リック、ダニーのようにもなるなよ?」

「はい、マリーローズ姐さん」


 ぼくはきっとマリーローズ姐さんのような人を好きになるんじゃないかと思った、そんな日でした。




 次にお手紙を書くときまで、ぼくは元気にしています。
 どうかあなたもお元気で、手紙の向こうのだれか。





-おわり-

何気に格好いい副船長。