こんにちは、手紙の向こうのだれか。まだまだ暑いですが、お元気ですか? ダストホーム号の下っ端船員、リッチ・クーです。ぼくはまだ5体満足で元気です。
 なんと、大変なことが起こってしまいました。ことの起こりは約24時間前、つまり1日前です。ぼくらは港を出港して次の国に向かおうとしていました。出航前に海軍に見つかってしまい、船は上から下までの大騒ぎになってしまったのです。海賊ですから海軍に恨みを買うのはいつもの事です。だからみんなマリーローズ姐さんを先頭に思う存分戦いました。もちろん海賊と海軍の戦闘ですから、大砲も打ち合います。ぼくはこの船に拾われて5年になりますが、まだ怖くて戦闘が始まると一番奥にあるキャプテンの部屋に隠れています。
 いつものように戦闘を勝利で終わらせました。けれどこちらの負傷も多く、乗組員は怪我が少なかったですがぼくたちのダスト・ホーム号はぼろぼろでした。側面にはところどころ穴が開いています。直そうにも港には海軍がいるので引き返せません。けれど、ダスト・ホーム号には死角はありません。優秀な船大工の皆さんが見事に補修してくれました。けれど、問題はその後だったのです。





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 船大工さんたちが仕事を終えたと満足そうな顔でデッキに寝転んでいました。僕がさっき掃除したばかりなので、ほんの少し湿っています。けれどぽかぽかの太陽の下、そんなことは特に関係ないようでした。そのときでした。いつも顔色が良くないコック長のジャスパー・ロウさんがいつも以上に顔を青くしてデッキに飛び出してきました。ぼくは副船長が釣りをしている隣でこのあいだマリーローズ姐さんに買ってもらった本を読んでいましたが、ジャスパーさんのあまりの取り乱しように本を閉じて小脇に挟みます。


「マリーローズ姐さん!大変です!!」

「リッチ、どこにいるか知ってるか?」


 この船はジス・ロディカル船長のものだと思いますが、なぜかみんな何かあるとすぐにマリーローズ姐さんに報告します。やっぱり、どこの世界でも女の人が一番強いんだと思います。煙草を吸いながら空を眺めていた副船長がぼくに視線を落として聞いてきますが、生憎今どこにいるか知りませんでした。姐さんは行動派なので、すぐにあっちに行ったりこっちに行ったりしています。


「ぼくがここに来るまでキャプテンとお部屋にいました」


 それは本当のことです。ぼくが本を持ってキャプテンと姐さんの部屋の前を通った時はマリーローズ姐さんの怒声が部屋から聞こえてきたんですから。あれは1時間くらい前だったと思います。そういうと、副船長は少し難しそうな顔をしてからすぐに苦笑に似た笑みを浮かべました。


「んじゃ今頃仲良く乳繰りあってんだろ。どうした、敵か?」

「いえ……食料庫が空になりました!」


 副船長がのんきに煙草を吸いながら体を仰け反らせて聞くと、ジャスパーさんは少し声を大きくして言いました。竿を持ってのんきに釣りを楽しんでいた副船長が固まって、そのまま後ろに倒れそうになります。ひっくり返る寸前に上手く横に転がって体を起こしたのと同時に、昼寝にいそしんでいたお疲れ様の船大工さんたちが大声で叫び、ぼくはビックリしてすこし体が竦んでしまいます。そのことに副船長だけが気づいて笑いながらぼくの頭を撫でてくれました。副船長に頭を撫でてもらうのは好きですが、マリーローズ姐さんに撫でてもらう方がずっと好きです。


「食料がないってどうすんだよ!?」

「次の港までまだ10日以上かかるぞ!」

「そんなこと言われてもぉ……」


 強面で屈強な船大工さんに詰め寄られて、気が弱くて体も弱いジャスパーさんが勝てるわけもありません。小さくなって今にも泣きそうな声で「食料庫に穴が開いてたんです」と言いました。きっとこの間の戦闘のせいでしょう。大砲の弾があんな所にまで命中するなんて、ぼくは相当運が良いみたいです。
 まるで弱いものいじめみたいな状況に副船長は中途半端に起き上がった体勢のままやれやれと肩を竦めて煙草をぺっと吐き出しました。それやると、船大工さんたち怒りますよ?ぼくが代わりに足で踏んで火を消すと、副艦長はカラカラ豪快に笑ってぼくの頭をグシャグシャとかき回しました。


「そう責めてやるな。ジャスパーのせいじゃねぇだろ」

「でも、副船長!」

「俺が大物釣ってやるから心配すんな」


 副船長がそう言ったときでした。さっきまで2時間以上何も引っかからなかった釣竿がぐんとしなりました。ぎょっと目を瞠ったのはそれを目撃したぼくとジャスパーさんだけです。ぼくは咄嗟に釣竿を掴み、副船長を呼びました。


「副船長!何かひっかかりました!」

「お、長靴じゃねぇといいな」

「それ当面の食料でしょ!?もっと真剣に釣ってください!!」

「神様!副船長に今だけご加護を!!」

「うるせーぞジャスパー!俺は女神に愛されてる男だぜ」


 にかっと副船長が笑って、力任せに釣竿をひっぱりました。一度深く海にもぐった釣り糸はすぐに上昇してきます。相当大きいのでしょう、なかなか上がってきませんし釣竿が壊れそうです。後ろでは応援しているつもりなのか船大工さん達とジャスパーさんが一生懸命『マリーローズ姐さんの歌』を歌っています。水面が一度盛り上がって、大きな魚が姿を現しました。


「お、オオイワクラゲだ!」


 ジャスパーさんの叫びと一緒に、釣り糸の先についた半透明の巨大なブニョブニョが宙を舞いました。副船長が吊り上げたんです。そのままデッキの上に落ちたらまた掃除しなおしです。ぼくは少し憂鬱になりましたが、その心配は不要でした。クラゲがぼくらの上を通った時、副船長は素早くポケットから愛用のライターを取り出して最大火力で吹き付けたんです!デッキに落ちる時には赤く変色したブニョブニョになっていました。イカとかタコとかと一緒で、ぬめりはいっさいありません。これで今夜の夕食は心配ありません。だって、オオイワクラゲは食べられます。そう思ってみんなでほっと胸を撫で下ろした時でした。ジャスパーさんが血相を変えて猛然と副船長に向かってきました。温厚な彼にしては珍しい光景です。


「なんてことしくさるんですかぁぁ!」

「な、なんだよ?」


 さすがの副船長も少しビックリして胸倉を掴んでいるジャスパーさんを見下ろしました。副船長は背が高いので、小柄なジャスパーさんが子供に見えます。取り乱しているジャスパーさんは副船長を海に突き落とさんばかりの勢いで揺さぶり始めます。


「オオイワクラゲは焼いたら食べられないんですよ!煮ても生でも食べられますが、焼いたら最後猛毒が体に回って食べられませんですよ!?」


 通りでいつもご飯に出てくるクラゲはスープの具だったり刺身だったりした訳ですね。ジャスパーさんの言葉を聞いて喜んでいた船大工さんたちは目を大きく見開いて固まってしまい、副船長もばつが悪そうに空を見上げました。これで食料問題は振り出しに戻る、です。
 その時、船室のドアが開いて煩わしそうなキャプテンとだるそうなマリーローズ姐さんが一緒に現れました。船員たちの様子に2人揃って目を眇め、ぼくをみると子供の悪戯を見つけたように軽く息を吐き出します。


「何を騒いでいる。煩くて眠れない」

「キャプテン!食料がなくなったんですぅ」


 眠るも何ももう午後のおやつの時間になるところです。ジャスパーさんの涙の訴えにキャプテンは呆れ果てたような顔をして足を踏み出しました。きっとデッキに転がる大きなクラゲに対して「これは何だ」とでも言うつもりなのでしょう。けれどキャプテンはその瞬間、思い切り足を滑らせました。ものの見事に1泊遅れてドシンと尻餅をつく音がします。誰もがどうしようと固まってしまいましたが、副船長だけが腹を抱えて爆笑しました。


「ジス!お前やっぱ最高!!」

「……黙れ」

「キャプテン!足元ぼくが姐さんに買ってもらった本です!!」


 キャプテンの滑った原因は、マリーローズ姐さんに買ってもらった本を踏んだからでした。漫画みたいに見事に滑ったのでしょう、本はもう読めそうもありません。あんなところに置いておいたぼくも悪いですが、やっぱり悲しいです。
 煩わしそうに黙っていたマリーローズ姐さんがピクリと口の端を引きつらせ、立ち上がりかけていたキャプテンをピンヒールの綺麗な足で蹴ってまた転ばせました。今度は顔から倒れこんで、キャプテンは文句を言おうと顔を上げます。


「何をする!?」

「ごちゃごちゃ煩い!それは私がリックに買ってやったもんだろう!?」


 こういうときの姐さんの顔は『般若』なのだと前に副船長が言っていました。マリーローズ姐さんはプラチナの綺麗な髪を掻き揚げて、床に這いつくばっているキャプテンの頭を爪先でグリグリ踏んでいます。いくらなんでもこれでは可哀相です。船員の前で威厳もへったくれもあったものじゃありません。


「マリーローズ姐さんごめんなさい!出しっぱなしにしていたぼくも悪いんです」

「前方不注意のこいつが悪い」


 ぼくが姐さんに駆け寄って頭を下げたにも拘らず、姐さんはにべもなくそう言ってふんと顔を逸らしてしまいました。足元から悲鳴のような声が聞こえてきますが聞こえないと思い込んで、ぼくは姐さんの手を握ってもう一度「ごめんなさい」と言いました。折角買ってもらって大切にしようと思ったのに、あんまりです。ぼくは最低です。急に自分が悪くなった気がしてぼくが零れそうになる涙を我慢して俯いていると、マリーローズ姐さんの冷たい手が僕の頭を撫でてくれました。


「私は気にしちゃいないし、欲しかったらまた買ってやる」

「……はい!」

「総員、戦闘準備。港に引き返すよ!」

「この船の船長は俺だ!」


 足元なんかで言われても、真実味がありません。姐さんは黙らせるようにまたキャプテンを踏みつけると、無線に手を伸ばして操舵手に引き返すように言いました。無線の向こうから「ヤー」と了承の返事が聞こえてきます。


「戻って食料を調達すりゃ問題ないだろう」

「でも海軍が……」

「そんなもんまた蹴散らせばいい」


 当たり前のように笑ったマリーローズ姐さんは本当に綺麗で、ぼくたちは揃って頷きました。船大工さんたちが「また穴がぁぁ」と嘆きあっていましたが、姐さん曰く船は消耗品らしいのでしょうがないと思います。船員全員に伝える為に姐さんは踵を返しました。そしてぼくの手を握ります。


「また本、買ってやるからね」


 そう言って、姐さんはまたぼくの頭を撫でてくれました。姐さんに頭を撫でてもらうのは、大好きです。これからまた港に戻って海軍と交戦するのでしょう。ぼくは怖いので引っ込んでいますが、食料庫に大砲が当たったのだから、戦長室に当たらない保障はありません。いつも以上に怖いです。けれど姐さんが大丈夫と言ったら絶対に大丈夫だと思うので、ぼくは大人しく待っています。いつか、マリーローズ姐さんの役に立てるようになりたいです。





 次にお手紙を書くときまで、ぼくは元気にしています。
 どうかあなたもお元気で、手紙の向こうのだれか。





-おわり-

そんなクラゲは存在しませんが、赤くなるのは毒が活性化したからです。