こんにちは、手紙の向こうのだれか。夏真っ盛り、入道雲が出ていますがお元気ですか? ダストホーム号の下っ端船員、リッチ・クーです。ぼくは今日も5体満足で元気です。
 2日前から港を離れ、今は暖かい南に進路を取って航海を進めています。お気づきでしょうか、今回の航海はいつもと違うんです。どこが違うかと言うと、僕にもよく分かりませんが船員全員が妙にソワソワしています。ジャスパーさんは大量の食材を買い込んで、かと言って日々の食事が豪華になることはありませんし、主戦力になる古株のオジサンたちを最近見かけません。
 けれど誰もがそのソワソワした変な空気を口には出せませんでした。そうしているうちに更に2日後、理由が分かることとなりました。





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この日、空は晴天でした。空には雲ひとつなく風も強くなく、とっても素敵な航海日和です。こんな日は甲板でひなたぼっこをしたりしたいですが、まずは日々のお勤めです。僕のお仕事はみんなと一緒に船のお掃除から始まります。僕がデッキブラシを持って甲板に行くと、みんながいると思っていたのに掃除用具を持っている人はいませんでした。その代わりに、みんながみんな、掃除の当番ではない人手すら忙しく走り回っています。


「ジャスパーさん!このクロスはこの色でいいんですかぁ!?」

「ヘイジョさん、弾足りますか!?」

「おーい、こっち手伝ってくれー!!」


 みんながみんな、忙しそうです。コック長のジャスパーさんは調理場と甲板をあっちに行ったりこっちに行ったりと往復しているし、普段部屋に篭っている引き篭もりの気があるヘイジョさんが日の下でやや顔色を悪くしながらも精力的に行動しています。一体何がどうなっているんでしょう。


「リッチは手伝わねぇのか?」

「副船長、みんなどうしたんですか?」


 副船長に声を掛けられて、僕は振り返りました。みんなが忙しく働いているのに、副船長は煙草をふかして優雅にデッキに寄りかかっています。どうせマストの上辺りで眠っていたのでしょう、頬に赤い痕がついています。もしかしたら布団で熟睡していたのかもしれませんが。目もどこか眠そうにとろんとしています。
 副船長にこの状況はどうしたのかと訊くと、彼は初めきょとんと僕を見ました。いつも細い眼が大きくなって僕を見るので、居心地が悪くなって思わず身を竦めてしまいました。すると副船長は僕の頭をぐしゃぐしゃとなでてくれます。僕は頭を撫でられるなら副船長よりもキャプテンよりもマリーローズ姐さんに撫でてもらうのが好きです。


「今日はアネサンの誕生日だろ」


 まさか!そんな!!僕がそんな日を忘れるなんてありえません。けれどみんなの浮かれ具合とかこの準備の豪華さとか最近のソワソワした感じとかそうかもしれません。あああああ、僕は何て事をしてしまったのでしょうか。今年のマリーローズ姐さんの誕生日には僕は姐さんの大好きな拳銃の弾を作ってあげようと思っていたのに!今からじゃ準備もできやしない。大好きな姐さん。僕を拾ってくれた姐さん。誰よりも格好良くって誰よりも素敵で、誰よりも大好きなマリーローズ姐さん。僕は何て恩知らずなんでしょうか。いっそ、この首をプレゼントしたいくらいです。


「おいおい、リッチ。そんな顔すんなよ、俺が怒られちまうだろ」

「だ、だって……」

「お前なら『姐さん大好き』とか言ってキスの一つでもすればアネサンも感動もんだろ」

「ダメですよ!そんなの……ダメです」

「分かった分かった。じゃああいつらの準備手伝ったらいいだろ」


 そういうと、副船長は忙しそうに作業している人たちに声を掛けました。鬼気迫る形相で全員が振り返り、そうしてやっと副船長に気づいたのかわなわなと唇を震わせました。今まで見たこともないほど、みんなが怖ろしい顔をしてます。思わず僕は数歩後ずさってしまいました。
 みんなが、揃えたかのように声を合わせて叫びました。


「アンタ今までどこに行ってたんだ!!」

「マスト」


 全員の今にも武器を握らん表情にも副船長は悠然と言い放ちました。やはりマストの上で眠っていたようです。僕は予想していましたが、みんなは予想していなかったんでしょう愕然と項垂れました。一瞬みんなの動きも空気もストップです。
 静かな空気を初めに粉砕したのは、バーンと船室の扉を開けて青筋を立てたキャプテンでした。この時間はまだキャプテンも姐さんもおやすみの時間です。甲板の騒ぎで起きてしまったのでしょう、とっても不機嫌そうでした。


「一体何の騒ぎだ。戦闘以外で起こすんじゃねぇ」

「申し訳ございませんキャプテン!ですが今日はマリーローズ姐さんのお誕生日、みなで祝いをと思いまして……」

「そのマリーローズが怒ってるんだ」


 あぁ、キャプテンは姐さんの代理なんですか。キャプテンの癖に。イライラと腕を組んで指を動かしているキャプテンにみんな揃って顔を青くします。折角姐さんに喜んでもらおうと準備してるのにその姐さんを怒らせるなんて、ありえない失態です。


「まーまー、みんな頑張ってんだから許してやれよ。嫁の機嫌取んのも旦那の仕事だぜ?」

「……普通は逆だろ」

「細かいことを気にすんな。何ならお前の立派なモン咥えさせとけ」

「ダニー!!」


 カラカラと副船長は笑いましたが、僕は意味が分かりませんでした。キャプテンに立派な点があったでしょうか。僕には思い当たりません。姐さんの素晴らしい点なら数え切れないくらい上げられますが。
 甲板にいる人たちも半分くらいは笑えばいいのか分からずに口元をヒクヒクさせ、残りはキョトンとしています。


「よし、リッチ!姐さんをお迎えに行って来い!!」

「ぼくがですか?」


 突然のご指名にびっくりしていると、ジャスパーさんはしきりに頷いていました。ぼくはマリーローズ姐さんがまだ怒ってるか心配になったけれど、キャプテンと一緒に船室に向かいます。何にもお手伝いしていないし何も準備していないので、このくらいのことでもさせてくれたことに感謝です。
 船内にはいって一番奥の船室はキャプテンとマリーローズ姐さんの部屋です。ぼくはその部屋の扉をコンコンとノックしました。返事はありません。


「マリーローズ姐さん、リッチです。……入りま……」


 ぼくが「入ります」と言う前にキャプテンがドアを開けて入っていきました。大きな部屋を見回しても姐さんの姿はありません。ただ、ベッドには人がいるような盛り上がりができています。キャプテンが無言でコツコツと歩み寄り、ベッドに腰掛けて姐さんの頭にそっと手を当てました。スプリングがギシッと軋みます。


「マリーローズ」

「……ん、ジス……?」


 布団から姐さんのプラチナブロンドの綺麗な髪が覗きました。キャプテンがそれを慈しむように撫でながら、静かな声で「Happy Birthday」と囁きました。姐さんの声もキャプテンの声も、聞いたことがないくらいに甘さを含んでいました。おかげでぼくの背中にはゾクゾクと変な悪寒が走ります。ぼくはそれいじょうみていられなくて、踵を返して甲板に駆け戻りました。










 甲板には大きなテーブルが設置され、その上に所狭しとジャスパーさん自慢の豪華料理が並んでいます。もちろん姐さんが好きなものがたくさん。ぼくがマリーローズ姐さんを呼びに行ってから約1時間半後になって漸く姐さんはキャプテンと一緒に甲板に現れました。副船長だけが「本気で咥えさせたのかよ」と驚いていますが、他の人は誰もつっこみませんでした。華麗なスルーです。
 それからぼくらはマリーローズ姐さんの歌とお誕生日の歌を歌いました。その間姐さんは、少し疲れたように目を閉じていました。マリーローズ姐さんは朝が弱いからでしょう。


「お誕生日おめでとうございます!マリーローズ姐さん!!」

「あぁ」


 姐さんの左隣にぼく、右隣にはキャプテンが座っています。姐さんがサラダを突きながら船員さんたちの芸を見ているのを見ながら、ぼくは段々居た堪れなくなってきました。姐さんに拾ってもらったのに何の恩返しもしないなんて、最低です。


「ジスからのプレゼントは『俺』ってか。朝っぱらから若いなぁ」

「子供の前で何を言ってる!」

「いやいや、そろそろガキでもプレゼントする気なんだろ?」

「ダニー!お前重石つけて素潜りさせるぞ」


 キャプテンがいつものように叫んでいますが、副船長もいつものように笑って交わしています。そんないつも通りの日常に、ぼくはとても悲しくなってしまいました。自分だけ乗り切れなかったお祭のように、ぼくだけ余所者のような疎外感に思わず涙が浮かんでしまいます。
 唇を噛んで姐さんを見ると、目が合ってしまいました。慌てて逸らすけれどそれを不審に思われてしまったのでしょう、姐さんの綺麗な手がぼくの頭をなでてくれました。それはとても心地いいですが、今のぼくにはとても苦しかったです。


「どうした、リック?」

「……何でもないです」

「そんな訳ないだろう。正直に私に話せないっていうのかい?」


 マリーローズ姐さんはいつもそういいます。悪い事をしていないのならば素直に全てを話すこと。そうでなければ信頼は築けないし何事もなせないのだそうです。けれど今回はぼくはとても悪い事をしてしまいました。きっと姐さんに見放されてしまいます。そんなのは、絶対に嫌なんです。
 ぼくが何も言わずに俯いてしまうと、キャプテンが遠くから腕を伸ばしてぼくの頭を乱暴に撫でました。その手すら、今のぼくにはとても心地いいものでした。


「リッチはお前へのプレゼントを忘れたからと気に病んでるんだ」

「リック……本当かい?」

「俺の言葉を信用しろ!」

「リック、私はお前に訊いてるんだ」


 キャプテンは怒鳴りましたが、いつものことなので姐さんは無視してぼくの顔を上げさせました。頬を包み込む手は冷たかったです。まっすぐに目を見られて、姐さんに綺麗な碧眼に思わず泣きそうになってしまいました。だって、姐さんの目はあの時と変わっていなかったから。ぼくを拾ってくれた、あの時と。


「はい……ごめんなさい」

「リック、私はお前が私の息子でいてくれるだけで嬉しいよ」

「マリーローズ姐さん……大好きです!」


 ぼくはずっとずっと姐さんの息子です。大好きなマリーローズ姐さんは、ぼくをぎゅっと抱きしめてくれました。大きな胸が苦しいけれど、それは姐さんだから文句は言いません。ぼくはしあわせ者なんだから。


「それで、ダニーからはないのかい?」

「もうちょい待ってくれよ。もうすぐ取って置きのプレゼントが届くからさ」

「副船長!ダグラスさんたちが帰ってきました!!」

「お、来たな」


 副船長は突然立ち上がると、甲板の穂先に行って小船で帰ってきた船員さんたちを引っ張り上げるのを手伝っていました。帰ってきたのは、船の中でも古株の船大工のダグラスさんとタナーシャさんです。なんと、お2人はご夫婦なんです。
 副船長は2人にお礼を言った後、こちらを振り返って笑いました。それとほぼ同時に、ドォンという耳慣れた音と水柱が上がります。けれどなお副船長は笑顔です。


「俺からアネサンへプレゼント。海軍の軍艦5隻」

「ダニー!貴様何を考えて……」

「あっははは!いいじゃないか、気に入った。全員付いてきな、今日はブラッディ・パーティだ!」


 姐さんは大笑いし、ぼくに船の奥に行くように言いました。けれど今日は、ここで見ていようと思います。初めは点のような影だった船はみるみるうちに大きくなり、すぐに海軍の旗が眼に入りました。副船長が豪快に大砲を撃ち、開戦の狼煙を上げます。マリーローズ姐さんはぼくの額にキスをして「いってくるよ」と言いました。だからぼくは、「いってらっしゃい」と手を振ります。
 姐さんにとって最高のプレゼントは、敵将の首なのかもしれません。





 次にお手紙を書くときまで、ぼくは元気にしています。
 どうかあなたもお元気で、手紙の向こうのだれか。





-おわり-

夕食は敵将の首との会食です。