こんにちは、手紙の向こうのだれか。空はどんよりとした曇り空ですがお元気ですか? ダストホーム号の下っ端船員、リッチ・クーです。ぼくは今日もかろうじて5体満足で元気です。
キャプテンは嘘つきです。当分戦闘の予定はないし、この辺は海軍がいない海域だから危ないことなんて何もないと言ったんです。マリーローズ姐さんがそれを聞いて舌打ちをして「つまらん」と言ったから絶対です。それなのに、それなのにです。
昨日、海軍に見つかってしまいました。しかもいつもいつもぼくたちを追いかけてくる船でした。激しい戦闘になりました。ぼくはずっと隠れていましたが、マリーローズ姐さんも怪我をして帰ってきましたし、船もボロボロです。船大工さんたちが修復作業をしても追いつかないし材料も足りなくなってしまったので、結局港に寄ることになりました。
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ジョージタウンは海賊の町です。『ちがいほうけん』と言うやつだって副船長が言っていました。『ちがいほうけん』はよく分からないですが、つまり海賊たちのルールで作られている町なんだそうです。だからいろんな船がここの港に入ります。他の町でもそうですが、僕はこういう町では一人で出かけるのを禁じられています。
「リッチ、出かけるぞ」
「ぼくも一緒ですか?」
「なんだ、不満か」
「そんなことないです!」
いつもはぼくを誘って出かけないキャプテンが、珍しく僕を誘ってくれました。しかも他の人は行かないみたいです。キャプテンと二人きりになることの少ないぼくは、なんとなく緊張してしまいます。だから思わず訊いてしまったのですが、キャプテンは気難しそうに眉間に皺を寄せてしまいました。だから慌てて首を振ってキャプテンに駆け寄ります。
「一緒に行きます!どこに行くんですか?」
「……ついてくれば分かる」
キャプテンは低い声で言って、僕に背を向けてしまいました。スタスタと大股で歩き去る後姿を僕は慌てて追いかけます。どうしてキャプテンが出かける気になったのかわからないしどこに行くか知らないけれど、でも置いていかれるのはもっと嫌です。母親の方が偉いといえど、キャプテンはぼくの父親なんです。
甲板に出る前に、キャプテンはぴたりと足を止めました。がやがやとしている船内はいつものことですが、一体何があったのでしょう。それとも何か感じ取ったのでしょうか?
キャプテンはくるりと踵を返すと早足でまたこちらに向かって歩いてきました。なんだかいっそ走り出しそうな勢いです。本当にどうしたのか、顔色が少しおかしいです。キャプテンに声をかけますが、その声は響いてきた知らない声に掻き消されました。
「いい船じゃねぇか!」
「ターコイズ号には負けるがな」
「ジスの野郎はどこにいるんだ?おい、出て来いジス!」
僕の知らない声ですが、キャプテンは名前を呼ばれてビクリと肩を引きつらせました。ぴたっと足を止めてきょろきょろ辺りを見回します。まるで何かを恐れるように、というか逃げたいみたいです。一しきり辺りを見回した後、キャプテンはギンとぼくを睨みました。キャプテンは情けないくせに見た目は怖くて、他の海賊船のお姉さんたちがクールで格好いいとか涼しげな目がとか噂しているそうです。その顔で睨まれて、ぼくが平気なわけがありません。
「キャ、キャプテン?」
いきなりキャプテンはぼくの手を掴むと全力で駆け出しました。その眼は真剣そのものです。自分の船の中で全力疾走とは、運動不足でしょうか。何もない時に走ると怒るくせに、今は彼にとって非常事態なんでしょうか?
何から逃げているのか知りませんが、キャプテンは声のしないほうに全力疾走です。ここから甲板に出るには、船底まで降りてからまた上がらなければいけません。反対方向ならすぐに甲板に出られるのに。出かけるのではなかったのでしょうか。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」
「ぅおわぁぁあ!?ダニー!」
「……お前、驚きすぎだろ」
角から副船長が飛び出してきました。キャプテンは足を止めてものすごい驚いた声を出します。確かに驚きすぎだとぼくも思いました。副船長は呆れながらも、キャプテンをしっかり拘束しました。さすが肉弾戦が大好きな副船長です、キャプテンでは歯が立たないみたいです。
「オヤジ、捕まえたッス!」
「よーくやったダニー。どれ、その顔を拝ませい」
「よし、行くぞジス。オヤジがお待ちかねだ。リッチ、お前もだ」
「離せ俺はこれから予定があるんだ!」
「そんな逃亡が許されると思ってんのか?」
そう言って、副船長はキャプテンの襟首を掴んで引きずるようにして甲板に向かって歩いて行きます。ぼくも事態を飲み込めないままについていきます。マリーローズ姐さんはどこにいるのでしょうか。掴まれて尚抵抗をするキャプテンに副船長は心底億劫そうに「いつまでも駄々捏ねてんじゃねぇよ」と呟きます。キャプテンがこんなに嫌がるなんて、一体何があるのでしょうか。
「副船長、何かあったんですか?」
「ターコイズ号が停泊しててな、アネサンが遊びに行ったらこっちに来るってオヤジたちが聞かなかったそうだ」
「……だからリッチはここに止めておいたのに」
「お前も往生際が悪ぃな、諦めろ」
ターコイズ号は、姐さんたちの古巣だそうです。ターコイズ号の船長はマリーローズ姐さんのお父さんがやっていて、キャプテンも副船長もターコイズ号出身です。ぼくはまだ一度も会ったことがありませんが、ぼくは姐さんの息子だからぼくにとっておじいさんになるのでしょうか。
甲板に出ると、知らないオジサンたちがお酒を呑んでいました。ジャスパーさんがいつもの数段顔を青くして給仕していますが、間に合っていないようです。中心にいる人の隣に姐さんが座って、楽しそうにしています。
「オヤジー、ジス連れてきたッスよ」
「おう、こっち来いやジェシカ」
「リックもこっちにおいで」
「はい、姐さん」
姐さんに呼ばれ、ぼくは副船長から離れて駆け寄りました。キャプテンはまだグズグズしています。ドンくさいやつは姐さんに怒られるのは分かりきっていることなのに、何をしているのでしょうか。駆け寄ると、姐さんは隣の男の人にぼくを紹介してくれました。
「私の子、リッチだ」
「リッチ・クーです」
ぼくはぺこりと頭を下げます。男の人は、真っ黒な黒髪で体が大きかったです。体は大きいですが引きしまった筋肉が眩しいです。日焼けした黒い体はとても格好いいと思いました。副船長も大きいですが、更に大きいと思います。その人は不可解そうに眉をひそめ、あごひげをさすりながら僕を足の先から頭の天辺まで嘗め回します。その視線に僕の体は竦んでしまいました。
「リッチ・クー?」
「数年前に私が拾ったんだ。リッチ、こっちは私の父親でターコイズのキャプテンだ」
「ふん、じゃあまだお前にガキは出来てねぇのか」
「だからこいつが私の子だって言ってんだろうがクソオヤジ」
姐さんは、父親に対しても言葉遣いは悪いようです。いつもいつも姐さんの口の悪さに文句を言うキャプテンは知らない船員さんたち、多分ターコイズ号の船員さんだと思いますが囲まれています。
ターコイズ号のキャプテンは、お酒のビンごとぐいっと煽ってからぼくを見てにやりと笑いました。黒い目を見て、ぼくは本当にこの人がマリーローズ姐さんの父親なのかなと思います。だって、姐さんの髪はプラチナブロンドで眼は青いです。
「坊主、海は好きか」
「……はい、大好きです」
「お前の母親は誰だ?」
「マリーローズ姐さんです!」
低くてゴロゴロする声はとても威厳に満ちていてぼくは自信のなさそうな声になってしまいますが、姐さんについての質問については即答で答えられます。だってぼくは姐さんが大好きで姐さんの息子なんですから!
ぼくが答えると、マリーローズ姐さんは嬉しそうに微笑みました。その笑顔をみると、ぼくは幸せな気持ちになります。
「ならば、父親と母親のどちらが死にかけていたらどちらを助ける?」
「死にかけていたら、ですか?」
そんなことは想像もしたくありません。マリーローズ姐さんは殺してもしななそうですし、そもそもそんな姿は想像できませんでした。ぼくはとても不思議そうな顔をしていたのでしょう、姐さんが「もしもだよ」と笑いました。もし、マリーローズ姐さんとキャプテンが危険な状況に陥っていたら、ぼくは躊躇わないと思います。
「もちろん姐さんです!」
「よく言ったリッチ」
姐さんは笑って僕を抱きしめてくれました。ギューッと抱きしめられるのは好きですが、胸に圧迫されて苦しいです。ぼくは絶対に姐さんを助けると思います。だってキャプテンがいなくなったら悲しいけど姐さんがいなくなったらとってもとっても悲しいからです。
姐さんの隣で、姐さんのお父さんが豪快に笑ってぼくの頭をくしゃくしゃとかき混ぜました。
「合格だ。これで俺も晴れてジジイだ!誰か酒持って来い!」
「オヤジ、肴の準備できました!」
ぼくは姐さんと姐さんのお父さんの間に座らされました。どこからか酒瓶を持った副船長がやってきて、姐さんの隣に腰を下ろします。副船長は姐さんのお父さんをオヤジと呼びますが、ターコイズ号ではみんながみんなそう呼ぶようです。
船員さんたちの山が崩れて、真ん中に残されたのはスカートを履かされたキャプテンでした。力なくへたり込んでいます。これが前に聞いた、『ジェシカ』でしょうか。
「ほれほれ踊れー!」
「ジェシカちゅわぁん、おじちゃんにチューしてごらん!」
周りから酔っ払いの野次が飛び交います。なんだかキャプテンが可哀想になってきますが、ぼくは何も言いません。ここはキャプテン、男の見せ所です。キャプテンに見せる男があるかどうかは知りませんが。
マリーローズ姐さんのお父さんは、そんなキャプテンを見て不満そうに眉間に皺を寄せます。そして、ぼくとマリーローズ姐さんを見ました。
「やっぱりあんな若造に任せておけんな。マリー、帰って来い」
「は?」
「もちろんリッチも一緒にだ」
突然の言葉で、ぼくは固まってしまいました。だって、ぼくはこの船以外を知らないんです。姐さんがいればどこにだって一緒に行けますが、キャプテンと離れるのも副船長と離れるのも、もちろんほかのみんなと離れ離れはとても淋しいのです。みんなみんな、マリーローズ姐さんほどでないにしろ大好きなんです。
「言っておくがな、断るなら攫うぜ?」
「そうはさせんぞ、モウロクオヤジ!」
鋭い声は、キャプテンでした。たぶん女装させられる時にだいぶ痛めつけられたのでしょう、ぼろぼろの体で立ち上がりガンをつけます。他の海賊船の人ならばキャプテンの一睨みで下っ端は逃げ出しますが、どうにも女装じゃあ決まりません。
「そいつらは俺のものだ!マリーローズもリッチも渡さん」
「……ふん、そんな格好で言っても説得力があるか」
やっぱりです。赤いワンピースなんて着て説得力がある訳がありません。現場のみんなは苦笑いです。ですがキャプテンだけは真剣でした。それなのに、マリーローズ姐さんは心底冷えた目をして自分の旦那と父親を見比べています。そして、小さく溜め息を吐きました。
「行くよリック、ターコイズ号を案内してやる。他の船は乗ったことがないだろう?」
「で、でもいいんですか?」
「下らない争いだ。全く、男ってのは愚かな生き物だよ」
「おろか?」
「私の居場所は私が決める。いいかいリック、女を舐めた男になるんじゃないよ」
「はい、マリーローズ姐さん!」
ぼくは頷いてマリーローズ姐さんと手を繋ぎました。他の船に乗ったことがないのでワクワクします。姐さんが言うには、二人の喧嘩はどうせキャプテンが負けて終わるのだから放っておけば良そうです。姐さんが言うのだから間違いありません。
夜になって船に戻ると、まだ宴会は続いていました。ただキャプテンは顔を痣だらけにして女装したままお酌をさせられています。これは屈辱だろうな。でもマリーローズ姐さんは正しかったようで、ぼくはなんだか眠くなりました。
次にお手紙を書くときまで、ぼくは元気にしています。
どうかあなたもお元気で、手紙の向こうのだれか。
-おわり-
ジェシカの謎解明?