こんにちは、手紙の向こうのだれか。夜空は綺麗に晴れて星が綺麗ですが、お元気ですか? ダストホーム号の下っ端船員、リッチ・クーです。ぼくは今日もかろうじて5体満足で元気です。
 海には伝説がたくさんありますが、その中の一つに幽霊船の伝説があります。アンチ・アルト号という船が大昔に世界一の財宝を狙っていたのですが、卑怯な海賊に横取りされて船も沈んでしまいました。今でもその海賊を探しているそうです。だから幽霊船アンチ・アルト号に出くわすと、その船は他の海賊から沈められると言われています。
 なんでそんな話を今したかと言いますと、昨日の夜ララちゃんと一緒に怖い話をしたんです。そのときにララちゃんが語ってくれたのがこの話で、ぼくは怖くて眠れなくなってしまってマリーローズ姐さんのベッドに入れてもらったいました。





□■□■□





 ララちゃんと夜にお話してから、ぼくは夜一人で寝るのが怖くなってしまいました。でも何日も姐さんのベッドで一緒に寝てもらうのは格好悪いので、一人で自分のベッドで寝ようとがんばっているんです。
 だけどどうしても眠れないので、夜中にぼくは一度起きて調理場へ行きました。月が出ていないので何時か分からないけれど、夜の見張番でいつも二人は起きているのでコックさんが起きているはずです。ほんのちょっとだけララちゃんじゃなくてジャスパーさんが起きていればいいなと思いました。


「で、出た!」


 調理場へ行くと、そこで本を読んでいたのはララちゃんでした。ちょっぴり残念でしたが、でもお話が怖いだけでララちゃんが嫌いな訳ではないので素直にホットミルクを作ってもらおうと思いました。ララちゃんには笑われちゃうかもしれないけれど、僕はホットミルクが好きです。
 でも僕がお願いする前に、外から悲鳴が聞えてきました。一体何が出たというのでしょうか。分からないけれど、ララちゃんは小首を傾げて本を置きます。


「出たって何かの芽かしら?」

「船に芽が出たらそれはすっごい驚くことだと思いますよ。ララちゃん、ホットミルク作ってください」

「はぁーい。ちょっと待っててね」


 ぼくはララちゃんの座っていたところに座って、本をちらりと見ました。漫画のようですが、男の人たちが裸でなにやらやっています。思わずまじまじと見てしまったら、ララちゃんが笑って「まだリッチには早いわ」と言いました。意味が分かりません。
 ホットミルクができるのを待っていると、見張り番の人たちが駆け込んできました。今日はタカムラさんとレイモンドさんだったようです。正に転がり込んできた二人が、口々に言います。


「で、出た出た!」

「大変だ……もう駄目だ!」

「何が出たんですか?」

「幽霊船……」

「アンチ・アルト号だぁ!」

「それは伝説じゃあなかったんですか!?」


 たたたた大変です!ぼくは伝説だと思っていたあの幽霊船が出たそうです。タカムラさんとレイモンドさんが口々に大きかっただとか目の前を通っただとか言っています。ララちゃんの話によると、アンチ・アルト号と出会った海賊船は他の海賊船に沈められてしまうのだそうです。今まで海軍に狙われても絶対に沈まなかったこの船は、きっと幽霊船の呪いで沈められてしまいます。
 ぼくはもう怖くなって、どうしたらいいか分からずにララちゃんを見上げました。ララちゃんは抱き合って怯えているタカムラさんとレイモンドさんを見てにやにやしています。その時、カツカツと足音が聞えてきました。この音は、マリーローズ姐さんです。


「なんだい、夜中に騒ぐんじゃないよ」

「マリーローズ姐さん!出ました、アンチ・アルト号です!!」

「なぁんだとぉ!?」


 タカムラさんの報告を聞いて声を上げたのは、姐さんではなく後から来たキャプテンでした。素っ頓狂な声を上げて部屋に入って来たと思ったら踵を返して甲板へ走っていってしまいました。一体何をしに来たのか分かりませんが、誰に声かを聞きつけてやってきた副船長にぶつかって尻餅をついています。なんだかみっともないです。


「リックはこんな時間に何をやっているんだい」

「えっ……ぼくは眠れないので、ホットミルクを飲もうかと……」

「まだ気にしているのかい。あんなもの迷信に決まっているだろう」


 姐さんはぼくと視線を合わせるようにしゃがんで優しく笑って頭を撫でてくれましたが、ぼくはどうしても安心することができませんでした。だって、タカムラさんもレイモンドさんも見ているんです。絶対に幽霊船は存在します!
 ぼくが黙って俯いていると、マリーローズ姐さんはふぅと溜め息をついてぼくをぎゅっと抱きしめてくれました。大きな胸に顔が押し付けられて窒息しそうですが、でもぼくは姐さんの匂いでとても安心できました。


「でもマリーローズ姐さん、俺たち見ました!」

「馬鹿野郎共が。何を怯えてんだい全く」

「マリーローズの言うとおりだ」


 ぼくを離してマリーローズ姐さんが腰に手を当て、立ち上がりました。抱き合って怯えているタカムラさんとレイモンドさんを見て軽く首を横に振り、外を振りかえります。もう幽霊船なんて影も形も見えませんでした。姐さんは視線を2人に戻して、もう一度「馬鹿共が」と言い棄てました。
 姐さんの声に同調したのは、どこに行ってどこから帰って来たのか分からないキャプテンのものでした。いつもなら腰を抜かしていそうなのに、今日はとても不機嫌な顔で入り口に寄りかかっています。外には副船長の姿も見えました。


「間に合わなかった。どうして補足しておかなかった」

「えぇ!?だって幽霊船ですよ!」

「幽霊船だって相当な宝を積んでるだろうが」


 情けない声で「怖いじゃないですかぁ」と声を合わせたタカムラさんとレイモンドさんにキャプテンはいつもと正反対のクールな顔で悔しそうに奥歯を噛みました。確かにアンチ・アルト号は大量のお宝を積んでいたといわれています。なんでも最強の海賊船は世界中の宝を手にし、それを怨んだ海賊たちに襲われたそうです。
 でもキャプテンはお化けだとか呪いだとかに弱そうなのに、どうして今日はこんなにも強気なのでしょう。ぼくはとても不思議に思いましたが、後ろから副船長が笑って言いました。


「テメェの女房よりも怖ぇもんはねぇよな」

「全くだ」

「キャプテン……」


 なんだかキャプテンが可哀相な気がします。堂々と副船長の言葉に頷いたキャプテンは胸を張っていますが、その隣で姐さんは口の端を引きつらせています。大丈夫かどうかとても不安になりますが、でもキャプテンの自業自得だと思います。
 とにかく、とキャプテンは気を取り直して胸を張りますが、その足を姐さんが踏みました。ピンヒールの踵がめり込み、大きく目を見開いて脂汗を浮かべていますが今日は格好をつけたいのか我慢しています。


「本当にアンチ・アルトが幽霊船だったとしてもだ。そこにゃあ宝があるだろうが」

「あ、そうか!」

「馬鹿か、お前らは」

「呪いとやらが本当だとしても戦って勝てばいいだけの話だからな、キャプテン?」

「お前は黙っていろ!」


 マリーローズ姐さんはとても楽しそうに唇を引き上げましたが、キャプテンはそれを一蹴して足を引きました。やっとヒールが抜けてキャプテンの表情も和らぎます。たしかに、噂では幽霊船に出会ったら他の海賊船に襲われて沈むといわれています。だったら今までに戦っても一度も沈んでいないダスト・ホーム号がそんな呪いの力でも負けるわけがありません。ぼくは姐さんの言葉にほっとしました。本当に、マリーローズ姐さんは最高です。


「リッチ、ホットミルクできたけど……」

「飲みます!」

「リック、それを飲んだらすぐに寝るんだよ」

「はい!」


 ララちゃんからホットミルクをいれたマグカップを受け取ると、姐さんがぼくを見て言いました。もう夜も大分更けて眠くなってきました。熱いホットミルクを飲んで眠ったら、明日の空はきっと晴れています。だからぼくは、安心して眠りにつきました。










 幽霊船騒動も一段落かと思いきや、次の日の夜中にぼくが寝ようと思ったらマストの上から副船長の大声が聞えてきました。今日の見張り番は副船長たちです。キャプテンとマリーローズ姐さんはそれを分かっていたのでしょうか、召集の鐘を副船長が突く前に飛び出してきました。手には各々武器を持っています。


「出やがったな、金溜め!」


 キャプテンが珍しく低く格好いい声で言いました。けれどその声はカンカン鳴り響く鐘にかき消されてたぶん僕の耳にしか届かなかったでしょう。隣に並んでいる姐さんだって気づいたのかどうかわかりません。
 みんなが眠そうな眼を擦って、それでも武器を片手にぞろぞろと出てきます。皆興味半分なんでしょうか。ぼくもマリーローズ姐さんに駆け寄ってそのでっかい船を見ました。ダスト・ホーム号の3倍くらいありそうな大きな船が、どんどんこっちに近づいてきています。ずいぶん霧が濃いようです。でも空は星がとても綺麗で、昨日と同じでした。


「縄の準備をしておけ」

「がってん承知!」

「大砲準備!」


 珍しくキャプテンが戦う気です。ぽつりとマリーローズ姐さんが「金に目が眩んだな」と言いましたがぼくもそう思いました。いつもなら戦いたがらないキャプテンがこうも積極的だなんておかしいと思います。相手は幽霊船なので人は乗っていないからかもしれません。
 どんどん幽霊船が近づいて来ます。それに合せてぼくの心臓もドキドキしていますが、それでもぼくは段々楽しみになってきました。だって、幽霊船探検なんてそうできることではありません。姐さんもキャプテンも、今回はついて行っていいと言ってくれました。
 どんどん近づいてきます。どんどん、どんどん……。


「というか、あれは影ではないのですか?」

「え?」

「ですから、霧に映った影なのではないでしょうか」


 ほわんとそう言ったのは、航海士のキライお姉さんでした。マリーローズ姐さんと同じくらいに綺麗なお姉さんですが、立派な航海士です。キライお姉さんがいないと航海なんてできません。ふわっとしているお姉さんは、手を頬に当てて霧の向こうの幽霊船を見ました。
 だんだん近づいてきたそれは、不意に揺らいだと思ったらその姿が掻き消えました。キャプテンがみっともなく「ぎゃあ!」と悲鳴を上げました。そして膝をついて項垂れています。その隣に立っている姐さんも、どこか悲しげです。


「……金が……」

「チッ」


 姐さんが舌を打ち鳴らしました。キライお姉さんが「ね?」とぼくを見て笑いましたが、今は笑っている場合じゃあないと思います。みんな眠い中戦闘だと喜び勇んでやってきたのに当てが外れ、肩を落として部屋へ引き上げようとし始めました。しかし、その前に姐さんが「ちょっと待ちな」と船員さんたちを止めます。じっと眼を凝らして霧の向こうを見ています。


「光?……喜べ馬鹿共、本物の船が見えるぞ!」

「なんだって!?」

「1、2……5隻か。おっと、海軍だ!」

「ぬぁんだと!?全員引き返せ!」

「全員攻撃準備!」

「はい、マリーローズ姐さん!」


 戦闘に関して、ダスト・ホーム号の船員さんたちはキャプテンではなくてマリーローズ姐さんの指示に従います。今日もみんなそのつもりで、霧の向こうに目を凝らしながら眼をパッチリと覚まして武器を構えます。そして、姐さんはぼくに部屋に隠れているように言いました。戦闘の指示には絶対に従わなければいけませんので、ぼくは素直に返事をして一番奥のキャプテンとマリーローズ姐さんの部屋へ行きました。





 次にお手紙を書くときまで、ぼくは元気にしています。
 どうかあなたもお元気で、手紙の向こうのだれか。





-おわり-

幽霊には強いのにキャプテンは戦闘に弱いようです。