こんにちは、手紙の向こうのだれか。夜空は綺麗に晴れて星が綺麗ですが、お元気ですか? ダストホーム号の下っ端船員、リッチ・クーです。ぼくは今日もかろうじて5体満足で風邪も引かずに元気です。
 今、陸では風邪が大流行だそうです。それを知ったのはぼくたちが1週間前に港に寄ったときのことでした。食料の調達などをすると言って一週間くらい停泊していたので、ぼくはマリーローズ姐さんと一緒にいろいろな所に行きました。
 けれど船が出て3日ほどしたときでしょうか、マリーローズ姐さんが突然熱を出しました。初めに気づいたのはキャプテンでしたが、その日のうちに上へ下への大騒ぎです。船医のロッキングさんが治療しましたが、なかなか姐さんの風邪は治りません。船の中は、火が消えたようになってしまいました。





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 普段ならば天気がいいことと先頭がなくて体力が有り余っていることからどこからともなく甲板に人が集まって何だかんだと大騒ぎしているのに、ここ数日はそんな事がありません。誰もが黙々と自分の仕事をこなしていたりぼんやりと空や海を眺めていたりしました。
 ぼくはキャプテンと一緒にマリーローズ姐さんのお見舞いをしたり日常の仕事をしたりしていましたが、姐さんがいないとやっぱり淋しくてたまりません。とてもとても、心配で夜も眠れないほどでした。


「……どいつもこいつも、しょうがねぇな」


 天気が良く仕事も終わったからとキャプテンが甲板に出ると、そこでは大の大人たちがごろごろと日向ぼっこをしていました。たぶん何もやる気がないので腐っているだけだと思いますが、日向ぼっこと言った方が聞こえが良いと思います。大量に水揚げされたとどのようだと言えばこのこの光景は伝わると思います。
 そんなとどを吊り上げたんじゃあないかと思うほど、甲板で釣りをしている副船長はいつもと同じでした。ぼくらに気付くと、振り返って苦笑いみたいな顔をしました。きっと彼も、この光景を言っているのでしょう。


「そんな顔してやるなよ」

「何だこの状況は」

「皆ヒマなんだろ」

「嘘を吐け。この間マリーローズがぶち破った穴が塞がってない」


 キャプテンは相当イライラしています。組んだ腕を指でトントンと叩いている様子からそれが伝わってきますが、ぼくはマリーローズ姐さんがいないと怖くてそれを口にも出せません。ちらりと副船長に見られましたが、ぼくは何となく首を横に振りました。
 この間姐さんが開けた穴は、確かに船の中にあります。あれはこの間姐さんとキャプテンがどうでもいいことで喧嘩をしたときに姐さんが蹴って開けた穴で、あの時のキャプテンの怒り具合は凄かったです。でもそれ以上にマリーローズ姐さんが完全なる逆ギレを見せていました。


「ちったぁ大目に見てやれよ。みんなアネさんが寝込んでて落ち込んでんだから」

「あいつは俺の女だ。それが寝込んだだけでこんなに腑抜けんのか」

「あのな、どんなに凶悪な花でも慈しめよ。そもそもお前だって機嫌悪ぃだろ?」


 副船長は再び釣竿を握って、ぽけっと笑いました。ちらりとキャプテンを見ると、ばつの悪そうな顔をしています。やっぱりキャプテンもマリーローズ姐さんがいないのがとても淋しいんです。だったら心配すればいいのに、変なところが意地っ張りです。姐さんのお見舞いに行っても、何も言わないんですから。


「溜まってんのか?」

「はぁ!?」

「風邪で弱ってる時が襲いドキだぜ、ボス。ま、俺としてはこのまま独り身の辛さを分かれ」


 副船長が何を言わんとしているのかは僕には分かりませんが、キャプテンは分かったようで心底呆れたような目で副船長を見ました。でも釣りに戻ってしまった副船長の視界にキャプテンの姿は1ミリもなく、完全にどこ吹く風です。それをみて、キャプテンは拳を震わせました。やり場のない怒りは結局キャプテンが飲み込むようで拳は空を切って何もないところに振り下ろされました。


「今ヤッたところで後が怖い」

「お、分かってたか」

「……実体験だ」

「実行済みかよ」


 うはは、と副船長は笑いました。そうしてまたぼくを見て、「なぁんにも分かってねぇなぁ」と笑います。一体何が分かっていないのか知りたくて何をですか、と聞くけれど副船長は教えてくれませんでした。ぼくは知らないことを知りたいです。


「何ですか副船長!」

「よし、いいかリッチ。そういうことは親父に聞くもんだ」

「俺か!?」

「お前以外に誰がいるっつーんだよ」

「キャプテン!」


 キャプテンなら知っているのでしょうか。この人の場合、知らなくても知っているふりをしている可能性だって否定できません。もしかしたら姐さんに聞いた方がいいのかもしれない、とぼくは不安になってきました。
 ものすごく難しい顔をしたキャプテンは、真っ青な空を見上げてから遠くの海を眺めぼくをじっと見ました。それを3回繰り返してからやっと長く息を吐き出して、目線を合わせるように僕の前に膝をつくと方を掴まれました。なんだかものすごく真面目な話のようです。真剣な顔で、キャプテンは言いました。


「リッチ、お前にはまだ早い」

「えぇ〜」

「ジス!ジスお前、それはねぇだろ!」


 笑い転げた副船長は、バシバシと床を叩いてひーひー言っています。そんなに面白い事をキャプテンは言ったのでしょうか。けれどキャプテンは少し赤くなっていて、ぼくがもしかしたらいけないことを聞いたのかもしれないと思い当たりました。それか、本当にキャプテンが知らなくて誤魔化したかのどっちかです。
 水揚げトドたちが一斉に起き上がり項垂れたままキャプテンの前に来たので、その光景を目撃してしまった副船長は更に激しく笑ってバシバシ床を叩き、最後には息が苦しくなったようで胸をかきむしりながら涙を流して笑っていました。どうやらつぼに入ったようです。


「キャプテン!」

「なんだ、どうした」

「ニッポンに寄ってください」

「……進路は変更しない」

「お願いします!」


 船の針路はキャプテンが決めます。これはマリーローズ姐さんだって逆らえません。裏では姐さんが結構キャプテンに文句を言ったりしていますが、最後に決めるのは絶対キャプテンです。みんなそれを知っているはずなのに、珍しく冷酷なキャプテンにお願いしますと頭を下げました。全員が膝を折って甲板に座り、手を付けて頭を床にこすり付けます。ジャパニーズドゲザってやつです!
 それを見てキャプテンはただ事じゃあないと思ったのか、目を眇めたまま短く理由を問いました。きっと、理由がちゃんとしていれば聞いてくれるんだと思います。そうして、代表して顔を上げたのはタカムラさんでした。


「ニッポンにはオンミョウジという者がいます。彼らは悪霊を払う力を持っているんです!」

「だからなんだ」

「彼らに姐さんの快気を祈ってもらおうと……」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ」


 必死にオンミョウジとやらの必要性を説こうとしていたタカムラさんに向かってキャプテンは短く唸り、切れそうな視線でドゲザしている元トドの集団を睨みつけました。みんな一斉に縮み上がりますが、副船長の笑い声だけが不自然に甲板に響き渡りました。


「ただの風邪だ、ロッキングに任せておけば問題ねぇ。いいからテメェらはとっとと仕事に戻りやがれ!」

『はぁーい』


 キャプテンに一喝されて、皆さんはしぶしぶ戻っていきました。そうして、また水揚げされたトドに戻ります。キャプテンは拳を握って低く「この野郎」と呟きましたが、副船長も無視して釣りに戻っていました。どうやらこの船では、キャプテンはよく言えば親しみやすいキャラと思われているようです。そうでなければ、みんな姐さんが大好きすぎるんだと思います。










 甲板から戻ったぼくとキャプテンは、姐さんが寝ている部屋に行きました。ここはキャプテンの部屋でもあるから入るのは当然ですが、なんだか変な違和感があります。特に、今はマリーローズ姐さんが寝ているからでしょうか。
 キャプテンは姐さんの寝ているベッドの横にある椅子に腰を下ろすと足を組み、額の上の濡れたタオルを持ち上げるとぼくに放ってよこしました。それをちゃんとキャッチして、ぼくはテーブルの上のたらいで冷やします。その間に、キャプテンは姐さんの顔に少しだけ震える指で触れて汗で張り付いたブロンドの髪を剥がしていました。


「まだ熱いな」

「……ん……ジス?」


 掠れた小さない声がしました。それはマリーローズ姐さんの口からでたのにいつものハキハキした感じがなくて、姐さんが本当に弱っているのだと知らされました。いつも元気で強いマリーローズ姐さんがこんなになってしまうなんて、ショックすぎです。ぼくは泣きたくなりました。姐さんじゃあなくて、ぼくが風邪を引けばよかったのに。
 ぼくがタオルを絞ったまま固まっていると、姐さんが気付いてくれました。僕を見て、ぎこちないながらも口元が引きあがっていつもの優しい笑顔がいつもよりも弱々しく浮かびます。


「どうしたんだい、リック」

「マリーローズ姐さん……ぼく、ぼく……」

「リッチ」


 泣きそうになって言葉を紡げないでいると、急にキャプテンに名前を呼ばれました。そうして顔を上げるとキャプテンの左右で色の違う目がこっちに来いと行っています。移るといけないから姐さんの近くによるなと初めに言ったのはキャプテンなのでおずおずとぼくが近づくと、珍しくキャプテンは格好良く優しそうに目を細め、ぼくの頭にポンと手を置きました。


「お前が風邪を引かなくて良かったよ」


 ぽんぽんと少し乱暴に頭を撫でられて、ぼくは心の中を読まれたのかと驚きました。顔を上げればキャプテンは微笑んでいるし、マリーローズ姐さんも少し苦しそうにしながらも微笑を浮かべています。なんだか自分が馬鹿みたいで、ぼくは結局泣き出してしまいました。キャプテンが「どうして泣くんだ」と笑いましたが、ぼくの涙はとまりそうにありません。


「私は優しい子を持って幸せだ」

「マリーローズ姐さん……」

「ん?」

「早く元気になってください。じゃないと、みんなが針路変えちゃいますから」

「なんだと!?」


 布団の中から出てきた姐さんの手を握ると、姐さんの手は汗ばんで熱かったです。でもぼくは、姐さんが早く元気になってくれるようにその手をギュッと握りました。姐さんがまた「幸せモンだ」と言ったので、きっと本当に幸せなのは姐さんの息子になれたぼくのことなんだと思いました。
 キャプテンに頭を撫でられてマリーローズ姐さんの手を握っていると、外から大きな音と一緒にロッキングさんが転がり込んできました。その慌てた様にキャプテンが舌を打ち鳴らして目を眇めます。


「どうした、うるせぇぞ」

「み、みんなが!みんながきっと悪霊の仕業だからニッポンに行けと……!」

「馬鹿ばっかりか、この船は」


 キャプテンはチッと唾でも吐きそうな顔をすると、踵を返して早足で部屋を出て行きました。遠くで「これは俺の船だ、勝手は許さん」というキャプテンの怒鳴り声が聞えたかと思ったらみんなの「キャプテンは姐さんがどうなってもいいんですか!」と騒ぐ声が聞こえてきて、姐さんと二人で顔を合わせて笑いました。


「リック、ニッポンとはどういうことだい?」

「ニッポンには悪霊を払うオンミョウジがいるそうです」


 その人を浚ってきて姐さんの回復を祈らせるんです、とぼくが説明すると、姐さんは少し呆れたような顔をしてからやっぱり淡く嬉しそうに笑って幸せものだと言いました。そうして、しばらく黙っていたかと思うと眠ってしまったので、ぼくは部屋から出ます。
 結局ニッポンに寄る前にロッキングさんのおかげで姐さんは回復し、運動不足だと言って見つけた船に片っ端から戦闘を繰り広げようとしてキャプテンと毎日のように喧嘩をしていました。でもぼくは、やっぱり姐さんがいると船の中が輝くのでキャプテンが多少傷だらけでも良いと思いました。





 次にお手紙を書くときまで、ぼくは元気にしています。
 どうかあなたもお元気で、手紙の向こうのだれか。





-おわり-

副船長は釣りがお好き。