日が傾いてきている。葬儀場の扉を開けながら、聖は夕日の橙に染められた梅の花を見て目を細めた。いつの間にか、春に近づいていっている。花が咲いたことにすら自分は気付かなかったと苦笑して、二階に上がるために階段を昇る。


「よう、大将。相変わらず美人だな」


 式典用のこの建物は今は一階に葬儀の場になっている。それ故に二階を就任式用に物を移動させた。
 階段を昇っていると後ろから声を掛けられて、聖と吉野は同時に振り返った。就任式には各官の官長と副長が出席するので、この空間ははっきり言って居心地が悪い。文官共は軍人である自分たちを良く思わないし、加えて聖は『遊女の子』だから。
 どうせ侮蔑の視線に晒されることだろうと思っていた聖は、かけられた声が友人の佐竹だったことに頬を緩ませた。


「何だ、佐竹かよ。いいのか、こんなギリギリに会場入りで?」

「法官の仕事ってのはギリギリまであるもんだぞ」


 そう言って彼は笑った。竜田国で法律を司る法官は任命書を作ったりとないように見えて意外に仕事があるのだ。
 聖と法長官の佐竹とは、仲がいい。軍部が二階にありその隣が法官だからという訳ではないが、聖に対して何を気負う訳ではなく彼は接している。聖も方も本来地位とかというものにこだわらないから、顔を合わせれば自然と会話は弾む。


「そういや、若垣は英子様側についたんだろ?」

「らしいな。……そっか」


 引っかかっていた問題があって、聖は呟くと微かに目を眇めた。独り語ちた言葉に佐竹が首を傾げるが、聖の一歩後ろにいた吉野は聡く聞きつけて微かに目を細める。聖が振り返って顔を寄せてくるので吉野も顔を近づけると、聖が耳元で囁いた。


「若垣の線、調べたか?」

「全く全然。調べさせましょう」


 不思議な動向だったが、こういうこともありえるだろうと思って吉野は囁き返した。聖が軽く頷くのを確認してから、吉野はポケットからメモ帳を取り出すと簡単に書き付けて丁度いた衛兵にそれを握らせた。顔を近づけて「諜報へ」と囁いて、何事もなかったかのように涼しい笑顔を浮かべる。
 吉野の行動を端目で見ていた聖は微かに微笑を浮かべ、ポケットに手を突っ込んだ。


「角倉は瀬能様だろう?どうなるんだか」

「どうにでもなるだろ?」

「聖さん、禁煙」


 佐竹の言葉に聖が軽く笑ってポケットから煙草を取り出すと、取り出す前に吉野に釘を刺された。舌打ちを漏らしたくなって聖はそれをポケットに仕舞い、苛立たしげに手の中のライターを点けたり消したりする。「ニコチン中毒者は迷惑この上ないですね」という吉野の呟きを無視して、聖は乱暴にポケットにライターを放り込んだ。


「禁煙令とか出てなくて良かったな。でも実際の所、若垣の娘はお前の許婚だろう?」

「らしいな」

「らしいなってお前、自分の婚約者だろうが」

「何回かしか会ってねぇもん」


 軽口を聞きながら、聖は会場になっている大広間の扉を開けた。静謐な雰囲気を醸し出しているその場の空気に聖は微かに目を眇め、もう出席する人間はみな揃っているのか開いている席はたったの四つだった。軍人の二席と、法官の二席。画鋲でも仕込んであるんじゃねぇか、と内心くだらないことを考えながら聖は奇麗な姿勢のまま席に着いた。一歩遅れて吉野がその隣に座る。
 ちらりと聖の横顔を窺って、吉野は改めて感心した。いつもは飄々と笑ってどうしようもない男だが、やはりこういう場では驚くほどにいい男だ。彼の奇麗な顔と誇りがそれを可能にしているのだと思わされる。


「聖さんに婚約者なんて初耳ですね」

「だから会ってねぇんだって」

「女好きの貴方にしては珍しい」

「俺にも好みってモンがあんだよ」


 小声で囁き合っていると、ギィッと大広間の扉が開いた。新領主の登場だと今まで小声で話をしていた者たちも口を閉じ、じっとまだ若い新領主に視線を移した。
 正装した瀬能は緊張しているのか、動きが固い。それを見て聖は苦笑した。自分ですら護れないのに、国を背負う覚悟をした小さな背中。彼のその背に今、どれだけの重責がのしかかっているのだろう。どれほど躊躇ったのだろう。


「……可愛いな……」


 無意識に呟くと、横から吉野にじと目で睨まれた。聖は気付かないふりをして微笑を浮かべる。
 自分は、この小さな軍を手に入れたときに、耐えられなかったから。手のひらに持て余して投げ捨てそうになったこともあった。一年経ってやっと、他人に預けられるようになったものもたくさんある。たった十六の彼に、それができるだろうか。


「第二十八代領主嫡男瀬能、本日この時を持って第二十九代領主を世襲する」


 まだ、幼い声だ。緊張を含んだ声に聖は素直にそう思った。まだ何かを背負うには重過ぎる、子供の声。自分は、この色を持ったことがあっただろうか。そんな疑問を抱きながら、聖は瀬能の斜め後ろに立っている自分の父を一瞬だけ視界に入れた。しかし視線が重なることはない。代わりに聖は更にその後ろに視線を移した。軍礼服姿の惣太が、緊張した面持ちで立っている。
 聖の目の前を、佐竹が副官を従えてゆっくりとした足取りで瀬能の前に歩いて行って、膝を折った。


「第二十九代領主、瀬能様。法長官の名を持ってここに正式にお迎えいたします」


 佐竹の言葉に瀬能は微かに頷いた。それを見て佐竹は書簡を差し出して更に頭を深く下げる。任命書を瀬能が受け取ったのを確認して、佐竹は立ち上がった。彼と入れ違うように聖がゆっくりと立ち上がる。一瞬ざわついた会場にそれと分からない程度に目を眇めて、聖はコツ、と床を踏み鳴らした。
 自分は、護るべきだから。この幼い新たな主を。この胸に抱いているのが恋心でもそうでなくても、護るべきなのだと思うから。
 聖は瀬能の前で足を止めると、すっと膝を折った。背後で、吉野も倣うのが分かる。透き通るような色を持つ低音が、響いた。


「竜田軍大将、角倉聖。貴方に心よりの忠誠を」


 妖艶に笑んで、聖は顔を上げた。会場中が、聖の美しさに酔っているようだと吉野は思う。角倉聖という男の顔は奇麗過ぎる。悪い性格をカバーしても余りあるそれはたまに何かの呪いなのではないかとも思ってしまう。それほどにこの男は力を持っている。
 言い終わって聖が席に戻ると、何対かの熱い視線を感じた。その向こうから、冷たい視線も感じる。いつものことだと苦笑して、聖はゆっくりと目を閉じた。










 無事に就任式も終わった頃には、外は暗くなっていた。欠伸を噛み殺しながら聖が外に出ると、春とはいえまだ冷たい外気が肌に触れた。


「まさか就任式で爆睡するなんて思いませんでしたよ」

「しょうがないだろ。ああいう退屈な所は寝るしかやることねーんだし」

「いい大人が何言ってるんですか」


 ポケットに手を突っ込んでさっきお預けを喰らった煙草を引っ張り出して、慣れた仕草で口の端で一本引き出して火を点ける。肺の奥まで紫煙を吸い込んで、聖は大きく息を吐き出した。これで、一段落だろうか。紫煙の溶けた空を見上げると、細い月が浮かんでいた。


「臼木の方はどう絡んでくると思う?」

「若垣との癒着じゃないんですか?」

「なんか引っかかってさ」


 「しっくりこないんだよな」と笑った聖の顔に、吉野は顔を曇らせた。この男はたまに突拍子もない真実を語る。今度もそんな気がして、どうにか外れてくれることを祈った。惣太曰く、出逢ったときも。大将になったときも、この間の戦のときも。全て聖の思い通りになっている気がして、背筋が冷える。
 眉を寄せた吉野に、聖は煙草を銜えたままにこりと微笑んだ。そして吉野の後ろに視線を移す。


「相変わらず仕事早ぇな、秋菜ちゃん」

「ちゃん付けはやめろと言ってるだろう。結果だけ報告するけれど、若垣は白だ」

「やっぱな」


 軽く笑って、聖は結っていた髪を解いた。適当に手櫛で梳きながら、早々に仕事を終わらせて報告を持っていた小田原から視線を逸らし、紫煙のくゆる空を見上げる。聖の生み出す白煙を見上げながら、小田原は淡々と報告するが、飛び出してくる言葉に吉野は口を出せずにいた。


「詳細は本部に届けた。それから、芳賀領主が迎賓館入りした」

「早ぇな。他は?」

「臼木は東関に留まっている」

「じゃ、そっちで決まりだ」

「地方官の弔いが始まっている。東関は代理で子息が中央入りした」


 そこまで聞いて、漸く吉野は理解した。臼木と癒着しているのは若垣ではなく東関の者だろう。理解したら簡単な図式だ。けれど許せないことがある。何故この男は副将の自分に黙って事を進めようとしているのか。聖の顔を見たら苛々してきて、吉野は不機嫌に溜め息を吐き出した。
 聖はそこまで聞いて小田原に北南に配置した兵の半数ずつを東に集めるように指示を出し、短くなった煙草を地面に落とした。革靴の踵で火を揉み消すと、隣から不機嫌な声が聞こえた。


「随分一人で分かっていたみたいですね?」

「ただの勘。何となく若垣ではないだろうなって思っただけ」

「次同じことしたらその顔殴りますよ」

「そりゃ、気をつけねぇとな」


 軽く肩を竦めて聖はブレザーコートのボタンを器用に片手で外した。上着は好きだが、聖は動きにくい服は好きではない。固い生地でできているブレザーコートは動きにくいのでさっさと脱ぐに限るようで、しかしその下はノースリーブに二の腕に届くほどの手袋。やはり寒いのか肩からブレザーコートをかけた。
 本部の正門を入ったとき、鉄五郎が飛び出してきた。大将たちの姿を見つけると、脇目も振らずに走ってくる。


「師範!今、連絡あって、瀬能様が、迎賓館でご挨拶を。で、護衛を、師範たちにって」

「へーへー」


 だいぶ走り回ったのだろう低い位置にある息を切らした鉄五郎の頭を頭をくしゃくしゃと撫でて、聖は脱いだばかりのブレザーコートに腕を通した。口では文句を言いながらもさっきよりも低い位置だが髪をさっさと結い上げる。


「迷惑な時に来やがったな。着替える時間ねぇじゃん」

「聖さん、他国の領主との挨拶の護衛で通常軍服着る気ですか?」

「……そーですね」


 くだらない会話をしながら迎賓館に行くと、既に正装した瀬能と惣太、そして角倉の姿があった。遠目からその姿を見て聖が小さく呻くが、ここで帰る訳にも行かない。気合を入れるように一つ頷くと、聖は笑みを貼り付けて合流した。


「お疲れ様でした、瀬能様」

「……おつかれさま」


 本当に疲れているのか、瀬能の声に元気がなかった。緊張からの疲れだろうと聖が思って彼を支えようと腕を出すが、その前に角倉が自分の息子に厳しい目を向けて迎賓館の中に瀬能を促した。
 石造りのエントランスから中に入ると、広いホールが広がっている。本来他国からの訪問時に使用する場所なので一階には食堂等があり、ホールの中心に設置された大きな階段が二階に繋がっている。吹き抜けになっているから広々としているが、代わりに掃除は大変だった。
 二階に上がるのではなく、食堂に行くとでっぷりとした男性が家臣たちと優雅に酒を呑んでいた。


「芳賀様、遅くなって申し訳ありません」

「竜田国領主の瀬能と申します」


 角倉が瀬能を芳賀の領主の前の席に促すと、瀬能は頭を下げて腰掛けた。当然のように角倉は彼の隣に腰を下ろす。聖たちは無言で彼らの背後に立つ。
 大国芳賀の領主、兵衛。年齢は四十程だろうか、でっぷりとした体格で彼がどれほどの生活をしているのか簡単に想像がつく。彼の見た目の悪さと何か悪寒のする目に聖は無意識に瞳を眇めた。


「この度はお悔やみ申し上げます。良い方でしたのに、残念です」

「こちらこそわざわざお越しいただいて、ありがとうございます」

「それにしてもまだお若いのに大変でしょう。何かあったら遠慮なく、いつでもお力添えいたしますゆえ」


 粘つくような視線を向けられて、瀬能は無意識に背筋を振るわせた。それを聡く見つけて、聖は視線を険しくする。確かに他国の領主との面会の警護は軍礼服の方が良いだろうが、それは正式のものであるだけで周りにろくに警備体制を敷いていない現状では無謀すぎるだろう。自分のミスに舌を打ち鳴らしたくなって、聖はその奇麗な顔を歪めた。


「父のような立派な領主になれるよう努力していきたいと思っております。至らないところもあると思いますが、よろしくお願いいたします」

「私でよろしければ、どうぞ頼りにしてください。それにしてもお若い…そちらの護衛の方もお美しい」


 いきなり声をかけられて、聖は反射的に微笑んだ。しまったと思ったけれどもう遅く、聖の笑顔に相手がにんまりと下卑た笑いを漏らす。その表情に寒気がして、聖は後ろに組んだ手を握り締めた。
 芳賀と英子の接触と国境に配置された兵力、臼木と東関の癒着。面倒ごとが積み重なる中、早々に中央に入ってきた芳賀。一段落ついたかと思ったが、まだ明日何かあるなと本能的に悟って、聖は細く息を吐き出した。





-続-

段々楽しくなってきました。
でもいい加減に女と絡みたいです。