一睡もする猶予もなく夜が明けてしまったようで、聖は白んだ窓の外に視線を移した。
 芳賀の領主との面会を終えて本部に戻り、吉野にグチグチ言われながら届いた報告書に目を通していた。自分にだって臼木と東関の癒着は勘でしかなく、ただ若垣ではないだろうなと思っただけのことだ。何となく理不尽な思いをした気がして聖は休憩とばかりに机の上に無造作に置いてある煙草に手を伸ばした。しかし生憎中は空で、聖は忌々しげに舌を打ち鳴らすとグシャっとケースを握りつぶしてごみばこに投げ捨てた。


「おはようございまーす」


 眠そうな声と共に正面の戸が開き、聖は顔をそちらに移した。惣太と鉄が二人、軍服を着崩した格好のまま入ってきた。聖はYシャツ姿が多いが、惣太と鉄五郎は相当疲れているのか昨日と同じ白いパーカーだった。


「早ぇな」

「だって、芳賀様が……」

「早朝から、散歩に……」


 どうしようもねぇな、と聖は溜息を吐いて立ち上がった。惣太と鉄五郎は昨夜は迎賓館の夜番に当たっていたはずだ。客人は深夜遅くまで呑んでいたようだし、相当疲れているのだろう。報告にも力がない。
 しかし、それもしょうがないことかとも思う。いくら鍛えているといっても惣太はまだ十五だ。鉄五郎に至っては十三歳。本来は無邪気に遊んでいていい年頃だ。それをこんなに重労働しているのだから、大丈夫な訳がない。
 聖は微かに眉を寄せると二人の頭にポンと手を置いた。不思議そうに見上げてくる二人ににこりと笑みを向けてやると、彼らは一瞬顔を青くした。


「煙草買ってこい」

「はい?」

「まだオレたちこれから大広間の片付けがあるんですけど」

「煙草切れた。それ終わったら帰って休め」


 「これ命令」と言って、聖は二人の頭をぽんぽんと叩いた。鉄五郎は不審そうな表情を浮かべるが、惣太は申し訳なさそうに眉を寄せて立ち上がった。鉄五郎の手を引っ張ってさっさと出て行く彼らを見送って、聖は誰にもばれないように溜め息を吐き出す。本当にこれ以上何もないと良いのだけれど。


「苦労しますね、大将?」


 さっきまで黙っていた吉野が顔を上げて苦笑するので、聖は「全くだ」と呟いて立ったついでに茶を入れて吉野の前に置いた。心労も何もかも受け取ってくれる親友のおかげでこうして考える余裕が持てているのだと思うと、感謝はするが、恥ずかしいのでそれを口に出さないでいた。










 パーカーのポケットに手を突っ込みながら、惣太は俯き加減に本部を出た。忙しそうに通り過ぎる軍服の裾は眼に入らず、ただ自分の運動靴の先だけが見える。
 聖が自分たちに煙草を買いに行かせた理由はよく分かる。子供だから、だ。もう聖と出逢ってから三年になるだろうか、竜田軍の中で惣太が一番聖と長く接している。あの頃から変わらない彼は、いつも優しい。そして時にその優しさは惣太を苦しくさせた。


「そんなに俺たち、信用ないかな」

「は?」


 足元を見つめながらポツリと呟くと、隣を歩いていた鉄五郎はきょとんと首を傾げた。「そんな事ないだろ」と足元の石を蹴った鉄五郎をちらりと見て、惣太はポケットの中の手をきつく握った。
 初めから、角倉聖と言う人間はそうだった。一人で生きているような雰囲気をまとって、けれどからから笑っていた。何かを求めているようで何も必要としていない、そんな不思議な人間だった。掴みどころのないといってしまえばそれまでだけれど、彼は捕まれないようにしているのではないかとよく思った。そんな彼だからこそ、惣太は惹かれたのだろう。


「どうせ師範は俺たち休ませて、その隙間を自分で埋めるんだ」

「師範だって忙しいんだからそんな事ないだろ?」

「昔っからそうなんだよ。師範、適当な振りして全部自分でやるんだ」


 まるで誰も信頼していないとでも言うように。実際そうだったのかもしれないけれど、今はもう違う。信頼して欲しいし、任せて欲しい。頼って欲しいとまでは思わないけれど、せめて安心して欲しい。それは、惣太のエゴだろうか。
 何も知らない鉄五郎は分からないだろうなと惣太が隣の彼を見ると、鉄五郎は考えるように眉を寄せて腕を組み、やがて惣太を見て笑った。


「でも今は師範代がいるだろう?」

「そうかもな。俺さ、師範と初めて会ったの十二のときなんだ」


 あの日、親と喧嘩して雨の中家を飛び出した。帰るわけにはいかないけれど行くところもなくひざを抱えて古い境内で蹲っていると、腕をだらりと下げて傷だらけの美人が飛び込んできた。その奇麗な顔に惹かれたことも事実だけれどそれ以上に彼の瞳に惹かれた。獣のような恐怖を引き出す、けれど純粋に美しい瞳に、魅了された。


『あ、あの……大丈夫ですか?』

『あ?あー、たぶん』


 自分のことに無頓着なのか、腕が折れているのにたぶんと言って微かに笑った。口に溜まった血を吐き出して、彼はきょろきょろと周りを見回す。何か添え木になるものを探していたのか、一本の板を見つけるとそれを適当な長さに折って腕に添えた。それから着ていた服を全て脱ぎ、Tシャツを口の端で破く。それを包帯代わりに器用に口で巻きつけて、彼はにやりと凶悪に笑った。


『あの、俺!惣太って言います』


 今思えば、相当勇気があったと思う。怪我した悪人顔の人外の美人にいきなり名乗るなんてどうかしていた。けれどあの時、何故か駆り立てられた。
 惣太が名乗ると彼は不思議そうに惣太の全身を眺めやり、それから『聖』とその奇麗な名を名乗った。それが二人の出逢い。花街でイチャモンを付けられ喧嘩になったが、相手が仲間を呼んだため流石に相手をしていられなくなり逃げたらしい。帰るところのなかった惣太は、そのまま彼と行動を共にするようになった。
 結局それからすぐに家に連れ戻されたんだけど、と笑って話を締めた惣太に鉄五郎は苦笑した。


「なんか師範らしいな」

「まぁな。でも師範、あれからちゃんと笑うようになった」


 話しているといつの間にか本部から一番近い煙草屋が目の前に迫っていた。よく聖は見廻りの際ここで煙草を買っていくのだが、最近は忙しく見廻りに入るのではなく本部での書類仕事をしていた。
 惣太が顔を出すと、まだ早朝だというのに店主である老婆が別段驚いた風もなく出てきた。惣太の顔にしようが無さそうに笑っている。


「すいません、聖さんのお使いです」

「はいはい、あの坊も自分で買いに来ればいいものを」

「今、聖さんも忙しくって。なんか面白いの入ってます?」


 聖のことをよく知っている店主は口で文句を言いながら見慣れない煙草を一箱と見慣れた煙草を数箱出してきた。聖がよく訪れるので、惣太も彼女とは顔見知りだ。昔からよくお使いで聖の煙草を買いに来ている。慣れたものなので、惣太は彼女が出したものの中から三種類を選んだ。新発売だという甘そうなピンクの可愛らしいパッケージのものと、眠気覚ましにもなるらしいきつい物、それからよく好んで吸っている珍しい銘柄のもの。聖は、銘柄をコロコロ変える。というか一種類に執着しないのだ。面白そうな新商品だとか、そういうものばかりを選ぶ。


「今度は自分で来るようにお言いな」

「はい、ありがとうございました!」


 買った煙草をポケットに突っ込んで、惣太は鉄五郎と共に本部に戻る道を歩き出す。たぶん、昼を過ぎた頃から他国の領主の弔いがあるだろう。聖も吉野も昨夜は寝ていないようだったし、休んでもらわないとあの人たちが力尽きそうだ。少し歩調を上げると、鉄五郎が歩調を上げて着いてくる。


「……師範て、格好いいよな」

「当たり前だろ」


 ぽつりと呟いた鉄五郎に、惣太はそう言って笑った。それから、本部に向けて一本道を走り出した。少しは信頼して欲しいから。子ども扱いしないで欲しいから。彼に認められるくらい頑張ろうと、そう思った。










 惣太と鉄五郎が走って本部に駆け込むと、聖と吉野は慌しく着替えたり上がってくる報告書に目を通したりしていた。軽く修羅場だ。しかしその中で第二軍団長の小田原秋菜が優雅に紅茶を飲んでいる。一体何事だと思いながら惣太は足音を忍ばせて中に入った。


「師範、煙草買ってきました」

「おう、んじゃそこ置いて寝ろ。さっさと寝ろ」

「ニコチンが届いた所で話をしようか、落ち着くだろう?」


 軍礼服の手袋をつけた聖は小田原の言葉に微かに目を細めた。ゆっくりと机に歩み寄って煙草の封を切りながら時計に目を移す。聖が火を点けて一度紫煙を吐き出したところで、漸く小田原は口を開いた。吉野もそれを待っていたのだろう、書類をまとめている手が止まった。


「芳賀が中央入りに伴って芳賀方面の兵が少し近づいてきた。臼木が中央入り、やはり東関と何かあるね。東関にも怪しい動きが」


 彼の言葉に吉野がゆっくりと聖を見た。まだ留まっていた惣太たちも出て行きづらくなり、ついその場に立ったまま動かないでいる。聖は思案するように視線を遊ばせたまま紫煙を大きく吐き出し、空気に消えてからゆっくりと口を開いた。


「諜報は引き続き情報収集、東に集めた兵で圧力かける」

「いつもながら見事なお手並みで」

「つっても俺が出てくわけにはいかねぇから……そうだな、指揮権は北軍第一師団に任せる」


 「その言葉が見事だというんだ」と呟いて、小田原は立ち上がった。了解の意を示して軽く頭を下げる。小田原が出て行くのを待って、吉野は溜め息を吐いて口の端を綻ばせて煙草をふかしている聖に視線を移した。誰よりも疲れているはずなのにそれを顔に出さない彼に苦笑を漏らす。


「これが終わったら本当の一段落ですよ」

「だな。ほら、お前等も寝ろよ」


 灰皿に灰を落としながら聖が言うので、惣太と鉄五郎は軽く頷いてソファに飛び乗った。二人の行動に聖が奇麗な顔に青筋を浮かべるが、惣太は恐れることなく聖をにらみつけた。疲れているのは自分だけじゃないから、少しだけ役に立ちたかった。本当に、少しでいいから。


「ここで寝ます。留守番もします」

「あのな、それは休んだうちに入らないだろ?」

「だって師範だっていつも似たようなもんじゃないですか。ガキ扱いすんな」

「俺に口答えか、オイ」


 言うと、聖が不機嫌に顔を近づけてきた。この人に勝てるわけがないと分かっている惣太は早々に負けるかと思ったが、その前に吉野が聖の髪を引っ張った。聖が文句を言うのを全く聞かずに吉野は二人分の毛布を持ってきてにこりと笑った。


「じゃあお願いしますね。聖さんもさっさとしないと遅れますよ」

「……わぁった」


 漸く聖が諦めて手早く髪を結い上げると、ブレザーコートを羽織る。面倒だと行きたくないとブチブチ文句を言いながら、聖はポケットに手を突っ込んだまま吉野に引っ張られて出て行った。その後姿を見ながら、あの日から少しだけ近くに行けたと思った。





-続-

惣太ってば本当に聖さんが大好きですよね