無事に他国領主の弔いを終えた。弔いと言っても本当に軍は警護だけだ。大将と副大将が領主の傍に控えているが、それだけで特に何をすることはない。ともすれば眠ってしまいそうになりながらもその仕事を終え、客人を迎賓館に送ると聖は吉野を先に本部へ戻らせた。聖はその後瀬能を部屋に送り届け、そのまま中に留まっている。
 瀬能は疲れたのかぼんやりと執務室の机に座っていたが、聖の顔を見て立ち上がると手招いて奥の私室に入って行った。


「瀬能様、お疲れでしたらお休みになられたらどうですか?」

「その前に、話があるんだ」


 真面目な顔で瀬能がそう言うので、聖は意外そうな顔で瀬能を見つめて彼に続いて私室にお邪魔する。領主の執務室と私室は繋がっているので、私室に入るためには執務室を通らねばならない。逆に言えば私室に直に侵入できない。
 まだその部屋には前領主の残り香が残っていて、聖はほんの少し目を眇めた。きっと彼はまだ、悲しんでいる。


「大将に、お願いがあるんだ」

「聖でいいですって。その言い方気持ち悪ぃ」

「じゃあ、聖」


 瀬能は私室の椅子に腰掛けると目の前の椅子に聖を促すように手を動かした。聖は何気ない仕草でその椅子に腰掛け、優雅に足を組む。瀬能は緊張した面持ちで座っていて、傍から見ればどちらが領主か分かったものではない。緊張している瀬能の内心を読み取りながら聖がそろそろ煙草が吸いたいなと思っていると、瀬能がじっと聖を見上げて口を開いた。


「私は、本当に領主になってよかったのだろうか」

「今更何を言っているんですか?」

「周囲から人形領主といわれているのを知っている」


 いつの間にか潤んだ瞳で、瀬能は聖を見つめた。その瞳に聖は口を閉じる。この姿だと、思い出す。頑張って立っている痛々しい姿。これを自分は護ろうと思った。
 確かにまだ年若い瀬能では、一人で政治を行うのは無理だろう。そうなると後見を務める角倉がその補佐に付くだろう。それはもとから分かりきっていることで、誰もがそうなると予想し、それ故に大半の貴族が瀬能の後継を望んだ。そして角倉は、それを狙って真坂と手を組んだ。
 内情を知り尽くしている聖は目を伏せたが、その沈黙を何らかの肯定と受け取って瀬能は口惜しそうに唇を噛み締めた。


「私は、父のようになりたいんだ。父のような、良い領主に」

「それで、俺に何を?」


 故領主である瀬能の父は民から信頼の厚い人物だった。よく町で民の声を聞き声をかけ自らは節制し、税は周辺の国よりも遥かに低く、常に民のことを考える領主であった。しかし逆に一部の貴族からは反感を買い、殺されたのではないかと言う噂すら実しやかに流れていた。
 軍部は行政とは一線を画しているといわれているがその実、各行部が総督に統括されているのと同じく、その管理下にある。聖が角倉の名を持つことで今はその力は皆無と言って良いくらいだが、それはただの自分勝手なエゴでしかないことを聖は知っていた。そしてその事実は逆にこの国の全てが『角倉』の手のひらにあるのと同じことを示している。


「聖が角倉の人間だということは知っている。でも軍部は私を護ってくれるんだろ?」


 不安そうな瞳で聖を見上げて、瀬能は言葉を紡いだ。軍部の存在意義は、国の守護つまり領主を護ること。誰に統括されていようとも、最後の目的はそこにある。そして何よりも、領主の言葉は絶対の決定権を持っている。


「聖は私を護ってくれるのだろう?」

「護って欲しいんですか」


 真剣な瀬能の瞳に、聖は口の端に笑みを刷いた。護ってくれと叫ぶ瞳には、護れという意志が含まれているように感じる。聖はゆっくりと足を組みかえて、緊張したままの瀬能の足の先からじっと彼を眺め上げた。この青年に、どれほどの覚悟があるのだろう。護るということは、そう容易いことではないのだと聖は知っている。


「聖は、絶対の忠誠を誓ってくれた」

「それなら貴方の命をください」


 決して護れと言わない力の主に聖はゆっくりと立ち上がった。聖の言葉を聞いた瞬間瀬能の顔が不安そうに歪むが、その顔に聖は決して内心を読ませぬ笑みを浮かべる。瀬能の顔にはほんの少しの怯えがあった。聖自身に怯えているのか命と言う大きさのものに怯えているのか判断はつかないけれど、聖はこのラインを譲る気はなかった。命を預けられないものに、自分以下たくさんの兵士の命を渡せる訳がない。
 じっと聖を見つめていた瀬能が、意を決したように引き結んだ唇をゆっくりと開いた。彼の顔からほんの少し視線を降ろすと、膝の上で握り締められた手が白んで震えていた。


「私の命でも何でもくれてやる」


 怯えながらもはっきりと言った言葉は、僅かに震えていた。その小さな姿に聖は口の端を笑みの形に歪める。ゆっくりと彼の隣に膝を折り、慣れた仕草で頭を下げた。その姿は軍人を超えた優雅さで、誇りを感じる。聖の澄んだ声が大きくないはずなのに部屋に響き渡った。


「我等の命を、貴方に預けましょう。命を懸けて貴方をお守り致します」


 聖の声に、瀬能は深く頷いた。握り締められた手が白み、顔を上げた聖は重いものを持ったことがないようなその手に爪の食い込んだ跡がつくのではないかと変な不安に襲われる。きっとこれから何度も、そんな気持ちになるのだろう。
 聖はゆっくりと立ち上がると俯いたままの瀬能をそっと抱きしめた。耳元に優しく囁いて髪を撫でると、瀬能の体が微かに強張った。


「俺の胸なら貸します。いつでも泣いて」

「……私は泣かないぞ」

「俺の胸以外ではね」


 聖がおどけたような声音で言って、瀬能を離した。俯いたままだが、翳った頬がほんの少し赤くなっているのを聖はさっきまで触れていた体温で知っている。軽く肩を竦めて、聖は椅子に腰掛けなおした。中々瀬能が顔を上げないのでだいぶ気が軽くなって、聖はポケットから煙草の箱を引っ張り出す。惣太が買ってきた甘い苺味だと言うパッケージに苦笑して煙草に火を点けて紫煙を吸い込むと、ほんのりと口内が甘かった。


「お疲れ様でした」

「………うん」


 紫煙を吐き出して、聖は外に視線を移した。いつの間にか空は薄い青から橙に変化している。もうこんな時間かと思うと同時に、長かった弔いに目を眇める。弔いとは名ばかりの、領主の会談は瀬能には疲れるものだっただろう。そして何よりも聖はあの男の言動が気になった。知っているようなあの視線に背筋が冷えたのを覚えている。
 懐から懐中時計をそっと取り出して確認して、聖は煙草を銜えたまま立ち上がった。ゆっくり顔を上げた瀬能に微笑みかけて、手を振る。


「ゆっくり休んでください。明日からは政務でこってりですから」

「聖」

「んー?」

「ありがとう」


 聖は瀬能に背を向けて、苦笑した。「どういたしまして」と笑みを含んだ声で返事をして、しかし顔を向けずに部屋を出て行く。彼の私室の扉を閉めて、聖は耐え切れない笑みで肩を揺らした。クツクツと笑いながら、自分自身を誤魔化すように口元に手を当てる。領主の執務室の警備をしていた兵たちが笑いながら出て来た大将に目を剥いたが、声を掛けたら命が危ないので黙って顔を伏せていた。










 本部に戻るなり上着を脱ぎ捨てて、聖はソファに倒れこんだ。執務机で次々上がってくる報告書に目を通していた吉野は、その姿に苦笑を浮かべて立ち上がった。聖の分のコーヒーを熱いお湯で淹れてやりそっとテーブルに置くと、聖は微かな呻き声を上げて顔を上げる。


「お疲れ様でした。これで一段落ですね」

「まぁ、な……」


 どうせ聖は一番しんどいのに平気なふりをしていたのだろう。サボりがちな聖にしては珍しい超過任務ではあるが、彼が重要な仕事になればなるほど自身で背負うことを吉野は知っている。今回に関しても誰よりも睡眠時間を削って仕事をしていた。
 聖は目元を押さえながらコーヒーに手を伸ばし、苦いそれで目を覚ましてから資料に手を伸ばそうとする。しかしその手は吉野に叩かれて力尽きたようにソファに落ちた。


「報告なら目閉じて聞いてください」

「別に目ぇ通した方が早いだろ」

「痛むんでしょう?」


 吉野の言葉に聖は舌でも打ち鳴らしたくなって手で目を覆った。そのまま起こした体をずるずると滑らせてソファに寝転がる。吉野には自分の全てを読まれているようで楽ではあるが、たまに心地が悪い。けれど自分が無理しているのは事実だから、聖は大人しく言う事を聞くことにして目を閉じた。


「……悪いな、親友」

「分かればいいんですよ、親友」


 いつもと同じ掛け合い。それに安堵して聖はそっと息を吐き出す。今まで詰まっていた息を吐き出すような長い吐息に吉野は目を眇めたがそれに聖は気付かない。聖が息を吐き終わるのを待って、吉野は数種類の書簡を手にしてさっと目を通しなおした。自分で納得し直してから、口を開く。


「まず東関の件ですが、以前膠着状態です。北軍からの報告では鎮圧も出来るそうです」

「いい、圧力だけで」

「芳賀の兵ですが、攻めて来るような素振りはありません。明日領主の帰国と共に引き上げるでしょうね」

「……芳賀のボス送る人数増やせ」


 眠そうな声で聖がややおいて呟いた。吉野が「なぜですか?」と訊くが聖はぶっきらぼうに「勘」と答える。しかしその言葉にはそれ以上の言葉が隠れているようで、吉野はそれ以上言葉にするのをやめた。聖の声は相当眠そうで、こういうとき声を掛けると適当な答えしか返ってこないことは分かりきっている。だから代わりに吉野は違う書簡を手に取った。


「英子様はただ若垣と繋がっているだけで、特に何もありません」

「遺体解剖の結果は?」

「まだ出ません、明日には出ると思います」


 前領主には、毒殺された可能性がある。それを裏から探らせていたのだが、特に成果はなかった。領主を殺して得をするのは英子以下彼女を支持する貴族の面々だろうと探ったが、証拠は出てこなかった。上手く隠したのだろうとまだ調べは続けてはいるが、成果が出る気はしなかった。
 全ての報告を終えて吉野が書簡を置くと、寝てしまったのかと思うほど長い沈黙の後聖がゆっくりと体を起こした。一口だけ飲んだコーヒーに手を伸ばして、微かに目を眇める。


「ちょっと引っかかることがあんだけど」

「何です?」


 聖の真剣な声に吉野は目を細めて彼の前のソファに腰を下ろした。聖はカップの中に広がる波紋を眺めて、視線をそのままに口を開く。その嫌悪と懸念が合さった複雑な色を浮かべた顔を、三年ほど誰よりも聖の近いところにいた吉野ですら見たことがなかった。


「芳賀のあの顔、なんか引っかかる」

「どういうことですか?」

「分かんねぇけど、何か含んでやがる」

「……何か、ですか」

「嫌いな感じ。舐め回されるような、そんな……」

「珍しいですね、聖さんが嫌がるなんて」


 聖は言いかけて口を噤んだ。視線を中に彷徨わせて考えるようにコーヒーを含み、吉野が黙っていると何か納得したように「あー」と気の抜けた声を上げて数度頷いた。
 あの時感じた嫌な感覚は子供の頃に感じた視線と同じだ。本来はありえないようなものを欲するあの下卑た視線が聖は大嫌いだった。それと同じ視線を、あの男から感じる。


「明日帰るし、害はねぇか」

「無害なんですか?じゃあ気に病まずに寝てください」


 聖がそう呟くと、吉野は微笑んだ。笑顔のはずなのにその声からは笑みは感じられず、聖は背筋を振るわせた。なんでこんなに怒っているんだと顔を上げるが、それを訊くと命を取られそうなので何も言わずに立ち上がると奥の部屋に向かった。
 次に聖が目を覚ましたのは、他国領主を送っていくのに何もなかったと報告を受けたときだった。





-続-

長かった領主編が終わりました!
危うくスタート地点にすら辿り着けないかと思いました。
聖さんはどれだけ自由奔放だったら気が済むんだ。