竜田国の周りは山で覆われていて、北部では林業で栄えている地域もあるほどに国中にも緑は多い。だからだろうか、国の中枢でもある中央も緑が豊かだ。町は整然と区画が分けられ人々が生活しているが、館や本部の裏には丘のような小さな山があるし、貴族の庭には見事な自然が整えられている。
 視界一面が薄紅色に覆われているような錯覚を起こして、聖は微かに目を細めた。館の裏の小さな山は桜が満開に咲いていて、いつの間にか春だと言うことを思い出させる。


「柊、走るところぶぞ」

「大丈夫です。兄上、桜が降ってきますよ!」


 ぱたぱたとはしゃいで無邪気に走りまわる柊姫を目で追いながら、聖は自分の一歩先を歩いている瀬能を視界の端で捕らえた。さっき自覚した恋心は奇妙なものとして聖の中で影を落としている。不思議と相手は男なのだということは浮かんでこなかった。瀬能が小柄で護るべき対象だからだろうかと思うが、それとも何か違う感覚が胸を支配している。昔、たった一度本気の恋をしたあのときとも少し違うこの感覚が恋だとは言いがたいかもしれないけれど、聖はこれを恋だと思う。初恋のような、淡い恋心。
 たった九歳で両親ともなくしてしまった幼姫は、にこにこと笑って兄の腕を取って急かした。いきなり引っ張られたことに多少前のめりになりながら、瀬能は小走りに柊の後を走る。


「柊、ひっぱったら危ないだろう」

「兄上、うぐいすが鳴いてます!」

「……本当だ。聖、見えるか?」


 ほんの少し離れた距離を埋めるために聖が歩幅を広げると、瀬能が振り返って問いかけてきた。聖が一度顔を上げて耳を澄ますと遠くからうぐいすの鳴き声が聞こえてくる。かなり遠いことは分かっても、どこにいるかは分からない。聖はポケットに手を突っ込んだまま肩を竦めて笑って見せた。


「さすがに分かりませんよ。遠いとは思いますけど」

「そうですか……。柊はうぐいすを見てみたいです」


 しゅんとした柊だったが、すぐ横を蝶が通った時にはもううぐいすのことは忘れて蝶を追いかけることに夢中になっている。彼女は心の底から笑っているのだろうか、それとも周りを不安がらせないようにああやって笑っているのだろうか。
 うぐいすとは違う気配を感じ取った聖は、気付かれない程度に眉間に皺を寄せた。一体どこのどいつが仕掛けてきたのか知らないが、聖は今武器を所持していない。得物はソファの上に置いてきてしまったし、通常軍服だから武器を仕込んでいない。ポケットの中にあるのも、煙草とライターくらいのものだ。
 至極真面目な顔で柊を見ていた瀬能が、不意に聖の顔を覗きこんだ。急に近くなった瀬能との距離に聖は虚を突かれて軽く驚きの表情を浮かべる。


「な、なんですか?瀬能様」

「……考えたんだがな、それやめよう」

「それ?」

「敬語だ。何だか変な感じがする」


 違和感がつきまとっていたという瀬能に聖はぽかんと瀬能を見ていた。大抵の貴族は、地位にこだわる。それは貴族の上に君臨する領主の直系の瀬能なら当たり前のように持っている感情だと思っていた。実際聖に苦々しい顔で頭を下げる人間もいるほどで、聖は大抵の場合頭を下げる必要がない。
 けれど瀬能は一人でしきりに頷いて真面目腐った顔でまっすぐに聖を見た。聖が小さく「地位を考えて発言してください」と言っても聞く耳を持たず、あとでばれたら真坂殿に殺されると聖は直感で感じた。


「聖は二十だろう?私よりも四つも年上だ」

「そういう問題じゃないと思うんですけど」

「それに、聖は私を護ってくれるんだろう?そんなに距離があったら護れないではないか」

「……そうですか」


 護ってくれと、言われた。聖は自然に笑みを浮かべて目を細めた。その顔を直視してしまったのか、瀬能が顔を赤らめてぱっと逸らす。男と分かっていても聖の顔には魔力のような力がある、それを瀬能は初めて知った。
 確かに聖は護ると言った。けれど実際どう護るのか全く分かっていなかったし、軽い気持ちで言ったのだろう、何も考えていなかったように思える。ただ試したかったのかもしれないし、ただ自分の存在意義を確かめたかったのかもしれない。けれど確かに瀬能は命をくれた。背中を護る約束の言葉を、躊躇いもなく口にしていた。あの時思ったのは、全てを包みたかった。身体を護るだけではなく、心まで護ってあげようと思った。だから、胸を貸すと冗談交じりに言ったんだ。


「じゃ、お言葉に甘えて。瀬能って、呼んでいい?」


 聖は笑ったけれど、その名前を呼んだ瞬間心臓を掴れた気がした。近づけた歓喜なのか戻れない戦慄なのかわからないけれど、もう戻ることはできないのだと本能的に感じた。
   自分すらも誤魔化すように聖は笑みを刷き、瀬能に一歩近づいた。瀬能は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで歩調をそのままに視線の先では柊を追いながら歩いていく。一瞬消えた柊の姿だが、すぐに木立の間からあわられた。


「柊様、あまり遠くに行かないでください」

「はぁい」

「そういえば、聖と初めて会ったのは二年ほど前だな」


 駆け戻ってきた柊をしゃがんで埋めとめながら、瀬能が思いついたように視線を上げた。まっすぐ聖の顔を見て、初めて会った頃の彼を思い出す。あれは、秋の事だっただろうか、聖の髪は今よりももっと短かった。
 瀬能と聖が初めて会ったのは、まだ瀬能が十四のときだったから聖は十八だった。新しい軍大将に任命された聖が領主に面通りしたときに瀬能も顔を合わせた。瀬能は分からないが、あのときの聖は飢えた獣の目をしていたと彼をよく知る人間は言う。たしかに今よりも近寄りがたい雰囲気で見ているこちらが冷えるような目をしていた。今いる聖とは姿はあまり変わらないのに、確かに纏っている空気は柔らかくなっている。何が彼を変えたのかは分からなかったけれど、確かに聖は変わったのだろう。


「角倉の方はずっと小さい頃からお会いしているが、聖はあのときが初めてだった」

「変な敬語」

「まだ慣れないんだ。弓月様にも美月様にもお会いしたのは幼い頃だった」

「弓月さんはまだしも、美月さんとも会ってるんですか」


 本来、貴族の子女はあまり外に出て人と会うことはない。それは幼い頃ならなおさらで、だからこそ聖は驚いた。国屈指の名門角倉の子女が幼い頃から領主の倅とはいえ容易に姿を晒していたなどとは考えられなかった。もともと領家と近い三家は家の女を領主付きの侍女にしたりはしているので現在では聖の母にもなっている弓月と会ったことがあるのは分かるが、幼い頃から娘まで道具にしていたというのか。自分の父親ながら腹が立つが、その血が半分自分に流れているのかと思うと聖は身震いを禁じえない。


「美月様は最近お元気か?」

「さぁ?俺も最近会ってなくて。多分元気だとは思うけど」

「軍はそんなに忙しいのか?」

「へ?」

「だって、帰っていないのだろう?」


 真剣な瀬能の表情に聖は真実を語れなくなった。家に帰りたくないからと言う理由で、月の四分の一は花街通いだし、残りは賭場で遊んでいたり呑んでいたりソファで寝たり馬屋で寝ていたりと自由奔放に生活している。それをこの心配そうな顔をしている純粋な少年に言っていいものだろうか。汚れた大人の自覚がある聖は、口にすることが出来そうになかった。


「忙しいっつーか……俺が帰らないだけ。帰ったら色々言われそうで」


 誤魔化すように笑うと、瀬能は「ふーん?」と納得していないような声を出しながらもそれ以上追及してこなかった。
 聖が安堵の息をばれないように吐き出したとき、背後に気配を感じた。瀬能も柊も気付いていないようで聖は意識を背後に移して現状を窺った。周りを桜に囲まれているこの山の中で、敵の気配は桜吹雪にかき消されてよく分からないけれど、多分一人だろう。どこの莫迦がやってきやがったと思いながら、聖はさっと周りに視線を巡らせた。少し行けば開けた場所に出るだろうから、そこで迎え撃つべきだろう。場所はこっちに地の利があるし、聖自身が丸腰だ。


「柊様、あっちにたんぽぽ畑がありますよ」

「たんぽぽですか?」


 興味を引かれたのか柊が目を輝かせて聖を見上げた。極力平静を装って聖が笑顔で頷くと、柊は我慢できないようで聖が指差した方へ向かって走り出す。すぐ後を追うように、聖は瀬能の手を取って大股で柊のすぐ近くを歩く。瀬能が驚いて「ひ、聖!?」と声を上げるが、聖は答えずにただ柊を護るようにして歩く。聖は大股で歩けばいいが、瀬能は小走りになってしまう。
 すぐ近くだと思っていたたんぽぽ畑までは意外に距離があり、着く頃には瀬能の息は上がっていた。柊も息を切っていはいたが、目の前に広がる桜とは違う色の濃い黄色一色の世界に歓声を上げて花畑に倒れこんだ。しゃがみ込みそうな瀬能をその場に突き倒して、聖は体を反転させた。


「聖!?いきなり何す……」

「どこのどいつだオイ、さっさと出てこいよ」


 たんぽぽの中に転がって、瀬能は文句を言いながら体を起こした。しかしそのときには聖は瀬能に背を向けて顔に掛かって邪魔な髪を適当に結い紐で結い上げている。瀬能が立ち上がったとき、何かを感じ取ったのか柊が瀬能に駆け寄ってその手をぎゅっと握った。瀬能が安心させるように握り返した瞬間、聖が睨みつけていた木立から黒装束の男が姿を現した。黒い布で口元を覆っているので顔は分からないけれど、くぐもった声は聞き取れた。


「よく分かったな。天才、角倉聖大将」

「何の用だ。お前は……岩浅あたりか?」

「よく分かったな。悪いが竜田国の領主の身柄をお借りする」

「させるかっつの」


 聖が口にした地名は、竜田国の南側に位置している国だ。臼木や芳賀とも接していて、比較的豊かな国だといわれている。今まで変な噂なども聞かなかった国の者がいきなりなんだと瀬能が混乱している間に相手は腰の刀をすらりと抜いた。妙に現実感のない世界に陥っていた瀬能だが、太陽の光を反射させて光った刀身だけは現実感を呼んで背筋を凍らせた。
 聖は冷静に相手を見て目を眇め、ちらりと周りを見る。広場のほぼ中央に、もうはるか昔からだろう立派な桜の樹が立っていた。


「瀬能、あの桜の樹まで柊様連れて走れ」


 聖が瀬能の耳元に囁いたのと同時に、対峙していた男が間合いを詰めてきた。動けない瀬能を突き飛ばして「速く!」と叫ぶと、瀬能は悲鳴のような声を上げながら背を向けて走っていく。柊も一緒のことを端目で確認してから聖は目の前に迫った男が振り下ろす刀を紙一重で避けた。腕が下がりきって無防備な顔に男の腰から鞘を奪うと力の限り殴る。けれど紙一重で男は刀を捨ててそれを防いだ。無意識に舌を打ち鳴らして、聖は男とじりじりとにらみ合う。


「ひ、聖!」


 切羽詰った声に呼ばれて聖が反射的に振り返ると、瀬能が木に辿り着いたようで背を預けて妹を抱いている。一瞬安堵したのも束の間、周りの森から目の前の男と同じ黒ずくめの男たちがじりじりと詰め寄っていた。
 マジかよと吐き出して、聖が落ちている刀を拾おうと体を屈めた瞬間気配が生まれ、本能的にその場を飛び退る。聖が飛びのいたその刹那、男のもう一本の刀がその場に突き刺さった。着地から体制を建て直しもせずに聖は手にした鞘で男の横っ面を殴りにいき、防がれる。男が同じ手が二度通用するかとばかりに鼻で笑うが、聖はにやりとした笑みを返しただけだった。その直後、聖の長い足が遠心力を伴って男の後頭部に直撃した。


「瀬能!」


 男が倒れる前に手から刀を奪い、聖が駆け出す。もとも動き辛い格好が嫌いな聖は、通常軍服のファスナーは開けっ放しかダブルチャックを真ん中で止めている。動きやすさを最大限に利用して、聖は手近な男に殴りかかった。刀を持っているわりには素手だ。一人を簡単に殴り倒したところで瀬能の悲鳴のような声が聞こえて顔を上げると、一人の黒装束が瀬能に殴りかかっているところだった。自分の愚かさに舌を打ち鳴らして、聖は瀬能が避けることを願って右手に持った鞘を投げつける。


「避けろ、瀬能!」

「わ……っ」


 聖の声に反射的に瀬能が柊の頭を庇って蹲った。鞘は男の頭に当たらずに幹に当たって跳ね返ったが、男は一瞬動きを止めた。その隙に聖が手にした刀を手の中で回して横殴りに男の胴にめり込ませる。くぐもった呻き声をもらして男が吹っ飛び、肋骨でも折ったのだろう起き上がらなかった。聖の手のひらには肋骨を折る感触が残っていたがそんなものを気にしている場合ではないので素早く瀬能と柊を背に庇う。完全に囲まれる形になるが、これ以外に方法はない。誰にはばかることなく舌を打ち鳴らして、聖は刀を構えた。


「し、死んだのか?」

「峰打。でもこんだけ人数いたらンな甘いこと言ってらんねぇ」


 泣きそうな声で尋ねた瀬能に聖は切羽詰った低い声で返し、二人に目を閉じているように小声で促した。正直言えば彼らの前で人を殺したくはなかった。だからせめてその現場だけは見ないで欲しい。聖自身、自分がどれほどの獣に成り下がるか分かっているのだから、できるだけその姿を晒したくはない。
 二人が目を硬く閉じたのを端目で確認してから、聖は刀を握りなおした。今度は、人を殺せる持ち方で。


「殺されたくなきゃとっとと帰んな」

「まさかこんな所で貴殿と合間見えられるとは思わなかった。岩浅軍一同、感激だ」

「そうかよ。目的言え」

「今は、内緒だ」


 そう言ってリーダー格の男が口元に指を一本当てて、笑った気配がした。それと同時に周りにいた二人の男が同時に斬りかかってくる。左は持っていた刀で受けて、右は体を半身ずらして避けると男の手首を握って拘束した。拘束している間に左手一本で刀の均衡をずらして跳ね上げ、仰け反った相手を容赦なく袈裟懸けに斬り殺し、すかさず右手を引くとバランスを崩した男に刀を突き出す。しかしそれを男は防いだ。聖はそれを読んでいたのだろうか、すぐさま男のわき腹に蹴りを放ち見ているだけのリーダー格の男の方に吹っ飛ばした。
 男は軽くそれを避けると無造作に刀を抜いた。聖たちを囲んでいる残りの二人に目配せすると、彼らは黙って刀を納めて倒れている戦友を抱え上げると後ろに下がる。


「何のつもりだ」

「こう見えても無駄なことって嫌いなんだ。貴殿と戦って勝てると思うか?答えは簡単だ」

「そいつはありがてぇけどな、そう思うんだったら初めから仕掛けてくんじゃねぇよ」


 聖の凶悪な声に、瀬能はほんの少し瞼を押し上げた。聖の後姿と、全身黒ずくめの男が対峙しているのが分かる。彼の後ろには同じ格好をした者が二人たち、各々二人ずつ抱えている。恐怖で震える妹を抱きしめて、瀬能は自身にも無事を言い聞かせた。聖が守るといってくれたのだから、大丈夫だ。仮令、状況が劣勢だとしても。


「我々の任務は竜田国新領主殿を攫うことだ。貴殿と戦うつもりはなかった」

「それで一人だったわけか。ま、無理だと踏んでたんだろ?」

「よくお分かりだ。まさかこれほどのものだとは思わなくてね、大事な部下を死なせてしまった」


 心底残念そうに男は緩やかに首を振った。得体の知れない男だが、部下に慕われているのは伝わってきて聖は口の端を引きつらせた。ずいぶん自信があるようだが、ずいぶん回りくどい言い方だ。まだどこかに仲間が潜んでいるのだろうか、視線をめぐらす。なぜこういうときにうちの諜報はいないのか腹が立ってくる。けれどいないものはいないので、聖は刀を高めに構えた。相手から感じる殺気に自身も身震いして、構えを変える。高く構えていたところから刀身を横に寝かせ、それを視線の高さに持ってくる。切っ先を支えるように下に手を沿え、聖が目を眇めた。


「目的を言え」

「それは、貴殿が本気になった証拠と思って良いのだろうか」


 低く唸るような声と独特の構えに男が嬉しそうに言った。聖のこの構えは、吉野ですら滅多にお目にかかったことがない。聖が本気になっているときにしか出さない構えだ。竜田軍の中でも見たことのある人間は極端に少ないだろう。その体勢のまま聖が不機嫌に顔を歪めると、男はすっと刀を構えた。


「本気の貴殿と戦えるなんて光栄だ。私が死んだら、この者たちはみな諦めて帰ることを約束しよう」

「信じられねぇな」

「これ以上大事な部下を犬死させる訳には行かないのは、貴殿も分かるだろう。何、私を殺してみれば分かるさ。無理だろうけれどね」


 男が口布の下でにこりと笑った気配がした。その瞬間ザザッと風が吹き、視界を桜の花弁が真っ白に染める。動いたのは、二人同時だった。視界が開けたのを合図にしたかのようにお互いが体を沈めて距離を縮めにかかる。
 開けた視界の先に聖の双眸を確認して、男は息を詰めた。こんな人間の表情を、見たことがなかった。漆黒の双眸に目を奪われ、離すことが出来ない。野生の獣に睨まれているような寒気を背筋に感じて男はその場から逃げ出したくなる。けれど絶対に逃げられないことをその瞳は語っていて、男は刀を握る手に力を込めた。あんな構え方では剣筋が簡単に分かる。隣国で噂される天才とやらも大したことないな、と自身を奮い立たせて、男は聖の刀の動きを見る。けれど、どんなに近づいても聖の刀が動くことはなかった。


「っぅわぁああ!」


 耐え切れなくなって、男が先に刀を振り下ろす。自分の刀が確かな重さを伝える前に、目の前に迫った白銀が太陽の光を反射して強く光った。近づいた聖の顔に、男が息を飲む。目の前の奇麗な顔が微笑んだと思った瞬間、男は競りあがってくる熱の塊に顔を歪めた。腹を綺麗に真一文字に斬られたのだと理解するのにそう時間はかからず、血を吐きながら倒れる。刀の血を払いながらそれを見下ろして、聖は遠巻きに見てた男たちに笑いかけた。その顔は飢えた獣のようで、頬を真っ赤な血が汚す姿は妖艶ですらあった。


「勝ったけど?」


 刀をカチンと鞘に納めて放ってやると、男たちは情けない悲鳴を上げて自分たちの仲間の亡骸を抱え上げると一目散に逃げて行く。特に追う理由もないので聖は興味無さそうにそれを見ていたが、彼等の姿が見えなくなると後ろでしゃがみ込んで肩を震わせている瀬能の横に膝を着いた。


「目を開けて、もう大丈夫」

「……聖……」

「帰りましょう」


 聖は小さく震えている瀬能の腕を引っ張って起こし、腰が抜けたのかしゃがみ込んだまま恐怖からだろうぼろぼろ涙を零す柊を抱き上げるとにこりと笑って見せた。その顔に未だ狂気が混じっていることに気付いた者は、誰もいない。
 ふと瀬能が聖の頬に一筋の斬り傷が出来ていることに気付いた。うっすら血を滴らせているそれに手を伸ばしたが、触れる前に聖と目が合って、何故だか恐怖を感じて顔を逸らした。





-続-

岩浅(いわあさ)
弓月(ゆづき)

初めは熊を素手で倒す予定でした。