当初の予定通り朝もや立ちこめる時間に出発し、のろのろと進んだおかげで昼前に東の村に到着した。普段なら九時くらいにつくはずだが、今日は先を急いでいなかった。朝、早文を東関に飛ばしたのだ。これから、視察に赴くと。これによって相手が警戒するであろうことは分かっている。惣太にはどうして聖がそんなことをするか分からなかった。
「……文なんて出さない方が安全じゃないんですか?」
「バッカ。体面ってのがあんだよ」
笑って愛馬から降りた聖に倣って惣太もひらりと降りた。東関の背後には竜田山がそびえていて、いつも演習の時に見る景色だというのに全く違って見えて思わず汗ばんだ掌を握りこむ。もしかしたらヤマのすぐ向こう側に臼木の兵がいてこちらを待ち構えているかもしれない。緊張でのどが渇いて喘ぐように息を吸って、ふと眼に入った鉄五郎に自分以上の緊張を感じた。鉄五郎は臼木の出身で、内乱に巻き込まれて捨てられたのだ。こんなに近いところにいて緊張しない訳がなかった。
自分が緊張している場合じゃないと言い聞かせて、惣太は腰の刀に軽く触れた。大丈夫、守れる。
「二人とももうちょっと楽にしてください?喧嘩に来たんじゃないんですから」
「喧嘩に来たんだって」
にこやかに微笑んだ吉野に呆れたように銜えていた煙草を吐き出して、軍靴の踵で揉み消しながら聖は腰の得物を二本確認するように柄を撫でた。出迎えてくれた数人の門番から左内を選んでマミを任せ、石造りの建物に足を踏み入れた。
関所とは本当に他国との堰であり、荷の点検などの役割しか持たない。けれど文や人間も通るので果たす役目は大きい。そのおかげで関所の一階は簡素な造りをしているが二階奥の関長の行政室は豪華な造りになっている。どこの関所も同じ造りになっているため初めて入るわけではないが、聖は注意深く中を見回しながら促されるまま据え置かれたソファに得物を降ろして腰を下ろした。招き入れてくれた初老の男性は口ひげを蓄え、惣太には野心の塊のように見えた。
「これはこれは、このようなところに角倉大将自らお越しくださるとは光栄の至りでございます」
「東の長殿もご健勝そうで何よりです」
「して、ご用件は?」
聖の隣に吉野も刀を外して腰を下ろした。一介の軍人が同席する訳もなく、惣太と鉄五郎はそのままソファの後ろで立っていた。にこりと心にもない事を言う大将の背中からどす黒いものを感じて急に不安になる。聖さんがこういうときは、良くないことが起こるから。このまま平和に話し合いで事がすめば言いなんて思う。
聖の代わりに吉野が「東関の人事変更の任命書をお持ちしました」と告げると彼がぴくりと口元を動かした。けれど言葉を発する前に一人の少女が入ってきた。年のころは惣太と同じくらいだろうか、幼い顔立ちをしているけれど可愛いというよりも綺麗と表現したい美少女だった。
「おぉ、美奈。丁度良いところへ。大将、娘の美奈です」
「可愛らしいご息女ですね」
聖はにっこり笑って少女を見、彼女はその視線にぽっと頬を赤らめた。けれど惣太には分かる。心にもないその言葉の裏で自分を傷つけることを楽しんでいる。少女を傷つけるように見せかけて自分を傷つけて、自虐的に笑っている。
東関長は娘を隣に座らせると、にやりと口ひげを引き上げて聖と吉野の顔を順番に見た。
「貴方たちの真の目的は何ですかな?」
「俺たちは軍人ですから?もちろん罪人の護送ってとこでしょーね」
真実を上手く潜めて聖は笑った。吉野は口を開かない。まだ東関が罪人であると決まった訳ではない。「癒着の可能性が濃厚」と言うだけで法官からも領主からも罪人であるとは決定付けられていない。軍の独自の調査でも決定的な証拠となるものはない。見つけたのは、既成された事実だけだ。
けれど聖の言葉遊びに見事に嵌った男はクッと顔を歪めて指を一つ立てた。どうしてか惣太は不思議でしょうがない。ばれるのが、罰が怖ろしいのなら罪を犯さなければいいのに。
「取引をしましょう。娘を貴方に譲ります、このことはなかったことに……」
「悪いんですけど、俺ガキに興味ないんで」
にっこりとした聖の笑みを見て惣太は背筋を冷やした。この人、こんな顔して怒ってる。確かに大人の汚い取引に怒りを覚えるかもしれないだろう、けれど何となくそれとは違う気がして、惣太は思わず唇を噛む。
東関長は一度苦々しく唇を引き結んだが、すぐに「そうですか」と唇だけで呟いて手を打ち鳴らした。反射的に聖と吉野が立ち上がり、得物を引っ掴む。
「交渉決別。ならば致し方ありませんな」
一瞬のうちに部屋には東に配置させた兵が詰めかけ、聖たちを包囲した。部屋に詰め掛けた兵は配置した人数の約半数だろうか、戸の外に意識を持っていくとまだ待機しているようだ。何重にも張っているのだろう、ここから逃れるのは指南の業だ。
果然楽しくなってきた、と聖は口の端を引き上げてすらりと刀を抜いた。周りにピリピリと意識を張り巡らせながら余裕の顔で東関長を見た。
「これで立派な反逆罪、だな」
「貴方にはここで死んでもらいましょう。それとも命乞いをなさりますか?じきに臼木の応援も来る」
「そっちこそ減罪の台詞考えとけよ、豚マン」
「な、なんだと!?」
ケラケラ笑って聖は無造作に刀を振るった。キラリと一閃した銀線が目に映ったと思ったら、近くにいた兵が呻き声を上げて蹲った。隣で刀を抜いた吉野が目を眇めて周りを見ながら問いかける。斬りかかってきた兵士に慌てて惣太と鉄五郎も背を合わせて刀を抜いた。
「斬るんですか?」
「ただでさえ少ねぇ兵殺すかよ。峰打だ、峰打」
勇ましい声を上げて襲い掛かってくる兵に悲鳴に近い声を上げて惣太も刀をひっくり返して応戦した。弱いとかバカとかお坊ちゃんとか言われていても惣太とて聖について実戦で主に喧嘩の仕方を学んできた。道場では弱くても実戦では負けない。だから、精鋭軍にいる。
襲い掛かってくる奴を的確に峰打で仕留めながら、惣太は聖ににじり寄った。
「聖さん、これどうする気ですか!?」
「いいじゃねぇか。分かりやすくて」
「単細胞。単純馬鹿。考えなし」
「うっせ。結果良ければ全て良し!」
吉野の呟きに聖が吐き捨て、懐からライターと掌に収まるサイズの球状のものを取り出した。それにライターで火を点けて、窓の外に向かってぶん投げた。それは勝ち誇った顔をしている東関長の顔の横すれすれを通って窓を突き破り、重力に従う瞬間に破裂してけたたましい音を立てた。
「祭の、はじまりだ」
聖の声は小さかったはずなのに部屋全体に響き渡ったようだった。聖が投げた爆発に呼応するように竜田山の方から爆音が上がった。断続的に響いてくる振動に東関長の顔は青くなるけれど逆に聖の顔には笑みが深く刻まれた。手筈どおり、聖の合図と同時に竜田山が爆発して臼木からの応援の兵はこられない。そしてこの音を聞いて東の村の南北に待機している兵が外から包囲し、彼らからの連絡を受けて中央から約半数の兵が圧し押せてきて包囲網が完成する。
「なんだ、今の爆発は!?」
「こけおどし」
爆音に騒ぎ出した東関長に聖はさも面白そうに笑ってテーブルを蹴っ飛ばした。確かに音はこけおどしだけれど、効果は十分。相手の兵力は半分以下になった。
もともと東には他地方の半数の兵しか置いていない。中央から近いこともあるが、こうなることが初めからわかっていたから置いていなかった。更に、兵の大半は古参の人間で新しい大将に忠誠を誓いはしないだろうと思っていた。代わりに仕事の多い中央に他地方の一、五倍の兵を持っている。初めからこうなることは予測していた。
「師範!ちょびヒゲと娘さんはどうするんですか!?」
「落すなよ。最後にちょっと悪戯しようぜ」
鉄五郎の質問に聖は笑って答えて扉の向こうに飛び出した。吉野が止めるのも聞かずに敵兵に突っ込んでいくので、反射的に惣太は聖を追った。昔っから聖の背中を追いかけていたのだから。聖が刀を鞘に納めて敵兵を殴り倒しながら進んでいるのに追いつくと、とたんに鋭い声がした。
「吉野!そいつら任せた!」
「はいはい。無茶しないでくださいね」
「鉄、小娘任せたぞ!」
「はい!お気をつけて!!」
聖は辺りを気にしながら真っ直ぐに階段を降り、地下室を目指した。倒しても倒しても出てくる兵を倒すものだから、いつの間にか拳が赤くなってきている。顔や軍服に付着した返り血が聖を鬼神のように見せたけれど、惣太には涙に見えた。
惣太は刀の棟を相手の腹に叩き込みながら赤くなった拳を冷やそうと息を吹きかけている聖を見上げて唇を噛んだ。獣のような目をして、聖は相も変わらず血をかぶっている。
「惣太、ちょい頼むわ」
「任せてください!」
惣太は壁に背を預けた聖の前に立ち、聖を守るように周りを睨みつけた。じりじりにじり寄ってくる奴等を手当たり次第に殴り伏してちらりと背後を見ると、聖はポケットから晒しを引っ張り出すとそれを口で細く引き裂いて拳に巻きつけた。聖の拳にも血が滲んでいたようで、晒の表面にじわりと赤が滲んだ。
「よし、行くか」
「はい」と頷いて惣太は駆け出した聖に続いて地下室に向かった。地下室には臼木から密輸入した武器弾薬が眠っているか持ち出されているかしているだろう。少なくても目ぼしい物はたくさんあるはずだ。それを持ち帰るのが裏の目的でもあるので、聖は吉野に外を任せ相手の懐の中に入った。
初めから見取り図は頭に突っ込んである。順調に階段を下りながら聖は残りの兵の人数を勘で「四百くらい」と推測して段々人の少なくなる地下室への階段に首を傾げる。外にはまだ三百くらいの兵がいるはずだがこちらに来ることがなと言うことは南北の兵が到着したのだろうか。
「……何で段々兵が減っていくんでしょうね?」
「なんもねぇのかな。…な訳もねぇだろ」
「じゃあどうして?」
「差し詰め全部が上がっちまったんだろ」
何気く辺りを見回しながら最後の一人を殴って倒し、聖はぷらぷらと右手を振りながら晒しを解いて血が滲む部位をぺろりと舐めた。薄暗い地下内で見せた狂気染みた表情に、惣太は獣を思い出す。血に餓えた、狼を。
刀を納めながら辺りを見回すと、大量の刀と防具が置いてあった。端には火薬が詰まれている。この量で攻めてこられたらもしかしたら勝てなかったかもしれない。「うわ、すご」。思わず惣太の口から漏れた言葉と同時に、カチッと石を摺った音がした。一拍置いて深く息を吐き出す音がする。漂ってきた慣れたヤニの匂いに慌てて振りかえった。
「聖さん!こんなところで何考えてるんですか!?」
「一服」
「馬鹿なこと言ってないでください!」
叫んでも聖は煙草を消そうとはしなかった。壁に背を預けて美味そうに目を細めた聖に溜め息を吐いて、惣太はその場に腰を下ろした。聖の口元を照らし出す印象的な赤い光を見て、煙草の匂いにも妙に安心して目を閉じた。
聖が煙草を一本吸い終わった頃、階段を下りてくる足音が聞こえた。音は二つだ。惣太は反射的に背筋を伸ばして刀に手をやったけれど、聖はただ顔をめぐらせただけだった。
「聖さん。粗方片付きましたよ」
「ご苦労さん。出てきた?」
「いいえ。本当に繋がっていなかったのかもしれません」
残念そうな吉野の様子に聖は「そうか」と呟いた。立ち上がって背を伸ばした聖に吉野は今気付いたように眉を寄せてじとりと聖を見るけれど、聖はポケットに手を突っ込んで素知らぬふりをかます。
「こんな所で煙草を吸うなんて何考えてるんですか」
「さて、片付け片付け」
カラカラ笑って地下室を出て行く聖の背中を見て、吉野は苦笑に似た微笑みを浮かべて彼の後に続いた。それを見て、惣太はただ嬉しくなって小走りに先を行く彼らの背中を追いかける。地下室から上がって近くにいた兵に地下室から荷物を運び出すように言って、聖はポケットから煙草を引っ張り出した。そこで吉野が聖の手の傷に気づいて眉間に皺を寄せた。
「その手、どうしたんですか」
「摩擦傷」
「今衛生兵を」
「いらねぇよ。舐めときゃ治る」
「消毒しなさい」
吉野に睨まれて、聖は口を噤んだ。落とされた声は吉野が本気の証拠だ。このくらいの怪我大したことはないと言いたいけれど、これ以上怒られるのはごめんなので黙って煙草を吹かすと吉野が軍医を近くの兵に呼ばせて外に出た。
「大将!大将ご無事ですか!!」
「無事無事。さっさと働けよー」
「大将!お怪我をされたとか。大丈夫ですか!?」
「大げさなんだよ、どいつもこいつも」
溜め息に似た声を吐き出して、聖はどかっとその場に腰を下ろした。するとやってきた軍医はテキパキと治療の準備を始めた。ただの擦り傷に対して大げさだが、それだけこの竜田軍の兵たちは大将が好きなのだ。右手に消毒液をぬられて包帯を巻かれ、それをみて聖はどうしてこいつが軍医なんてやってるのかと目を眇めた。
「大したことなくて良かったです」
「だからいらねぇって言ったじゃねぇか」
この軍医の名を沼賀大輔という。現在の祠官長である沼賀次麻呂の弟に当たり、まだ十四と言う若さで何故か親族の多い祠官ではなく軍医を志望した。血統主義で聖を毛嫌いしている沼賀の人間には珍しく、聖のことを慕っている。
真新しい包帯を巻かれた手を数度握って感覚を確認し、聖は南北の兵には半数がここに残るように、中央の兵には罪人の護送をするように指令を飛ばした。
本部に戻ってきた聖は、顔に張り付いて乾いた血を詰め所のシャワーで洗い流し、濡れたままの髪を適当に梳かして吉野と共に領主の執務室に向かった。東関長は詰め所の地下牢に繋がれていて、現在交替で兵が見張っている。あの娘は迎賓館の一室で軟禁に近い形の待遇を受けている。
瀬能の執務室にノックをして入ると、しんとしている室内の四対の視線が刺さった。瀬能と光定、父と人事の長が向かい合って座っていた。聖はどうしようかと思ったけれど座ることを諦めて立ったままポケットに軽く手を引っ掛けた。
「ただいま戻りました、瀬能様」
「聖、筧副将も。無事でよかった」
「早かったな。どうなった」
ほっと表情を綻ばせた瀬能とは対称に光定が冷たい声で問いかけになっていない声をかけた。聖は簡単に事のあらましを語り、現在の東関は南北の兵に守らせていることと、臼木との国交は断絶するかもしれないことを告げた。但し、竜田山を吹っ飛ばしたことは告げていない。
「ならば早めに東関の次の長を決めねばな」
「それよりも、あの男をどうするかですよ」
反逆罪に問われ、極刑にされるだろう。そんな分かりきったことの話をするのかと聖は僅かに顔を歪めるが、その前に言わねばならないことがあるので目を細めてゆっくりと口を開いた。
「あの男、しばし預けていただけますか?」
「……何をする気だ」
「不穏分子を一掃します。まだ全てが終わった訳じゃない」
「勝手にしろ。それからあの娘だが」
父の言葉に聖がピクリと反応した。それを吉野だけが見逃さない。聖は女に対して非常に敏感なのだ。きっと出生が関係あるのだろうけれど、何よりも女性と言う生き物に気を配っている。きっと今だって、あの美奈とかいう少女のことを気にかけていただろう。
「遊郭に売り飛ばすのも手だが?」
「下働きでは駄目なのか?」
聖が口を挟む前に、瀬能が泣きそうな声で言った。初めて発された声に誰もが彼の顔を見る。言おうとしていた言葉を奪われ、聖は妙に笑いたくなって思わず肩を揺らした。
彼女に関しては意見がまとまらず結局は保留となって、聖は少し安心して部屋を後にして軍部ではなく詰め所に向かった。
-続-
聖さん同様戦闘シーンがとても楽しかったです。