植林と温泉の建設が終了したと連絡が入ったのは一週間ほど経ってからだった。あの規模の山の修復を人数がいるとはいえ温泉と平行して行うとは根性があるというか怖ろしいというか。中央の若い兵と違い元々聖に対し忠誠を誓っているとは思えない人間が良くやったものだと鬼の師範代の所業を思い浮かべてしまう。
 聖と惣太、鉄五郎はその確認の為に東に向かった。吉野は本部に残って通常業務を行ったり東関の後始末を任されている。惣太が是非一緒にと言ったのは、単に温泉が目当てだった訳ではない。決してないのだけれど、温泉を目の当たりにして入らないわけがない。


「よくこの短い間に作ったな」

「ですねー。しかも絶景ですよ」

「しあわせー!」


 見晴らしの良い高台に作られた露天風呂にさっそく浸かって、聖が感心したように呟いた。惣太も感動気味に応じ、鉄五郎は満面の笑みで口元まで湯に浸かっている。作られたのは山の中腹で、軍の駐屯場所だ。今までシャワーしかなかったところに絶景の露天風呂。地方に飛ばされるのならば是非東がいい。


「極楽極楽」

「師範オヤジくさっ!」

「馬鹿野郎、温泉の醍醐味だろうが」

「そんなことより師範、仕事も忘れないでくださいよ」


 はしゃいでいる聖と鉄五郎を無視して惣太が覚めた声で言うと、聖が一瞬不機嫌に黙り込んだ。ここに来る際、惣太は吉野にくれぐれも聖をよろしくと頼まれた。羽目を外しすぎる聖が仕事をしないと困るので目付けをして欲しいと言われたけれど、惣太自身聖を止められるとは思っていない。けれど仕事はしなければ、とちゃんと思う。
 東関で蔑ろにされていた書類などを調べた結果、たくさんの依頼書が放置されていた。盗みや事故などはすべて無視していたようだ。それを多少なりとも解決して来いと吉野にきつく言われていた。


「貴金属盗まれるってのだろ?同一犯の可能性が高い」

「こうして入っている間に師範のアクセも盗まれてたりして」

「俺のはシルバーだから大丈夫だろ」

「そんなことはどうでもいいんです。ちゃんとやってくださいよ?」

「……惣太、鉄。俺違う仕事するからそっちはお前等に任せた」

「ちょっと!人に押し付けないでくださいよ!!」

「俺だって忙しいんだ。ここにいる間にやらなきゃならねぇことが一杯ある訳」

「だからって!」

「だから、任せた。お前等に任せたんだからな?」

「えー」

「はい、任せてください!」


 渋る惣太が文句を言おうとするけれど、それをかき消すように鉄五郎がやる気満々で拳を握った。鉄五郎が引き受けてしまった手前惣太がいつまでぐずっている訳にもいかず、渋々了承すると聖は満足そうに笑って軽く手を振った。
 本当に仕事をするのか疑わしいけれど、滞在日数も限られている。惣太は鉄五郎を連れて温泉を出て、軍服に着替えてからとりあえず聞き込みを始めることにした。










 事件は相当昔から起きていた。盗まれたもので共通しているのは貴金属であること。置きっぱなしにしてしまったものや一瞬目を離した隙になくなっている。いずれも高価なものであり、被害も大きかった。大きな事件として取りざたされてもいいのに、事件は扱われてもいなかった。しょうがないことだとは思うけれど、やはり同じ軍人として心苦しい。


「でもさ、竜田でこんな事件初めて聞いた」

「こんなにでかいのはな。大体大きくなる前に収拾つくから」

「何でここはつかない訳?」

「職務怠慢だからだろ」


 元々軍は行政とは別の独立した位置にいる。けれどやはり地方は行政と密接に付き合ってお互いに助け合って仕事をする必要が出てくる。けれどあくまで独立していなければならない。他の地域はうまく言っているはずだけれど、東だけは先日の事件からも分かるように古参の権力者が癒着して結束してしまい少数の独立派だけでは通常業務すら行われなくなってしまった。上からの指令が潰されているのだから当たり前だ。
 鉄五郎にそう説明すると、感心したようにしきりに頷いていた。今、おとりと称して惣太の宝物を置いて見張っているところだ。こんな子供だましの罠に引っかかるとは思えないけれど、もしかしたらということがある。もしかしたら、相手超馬鹿かもしれないし。


「すっげぇ。竜田ってだから平和なんだな」

「ひとえに俺たちの雑務のおかげ」

「それにしても、あんな安っぽいもので掛かるか?」

「安っぽくて悪かったな!あれは聖さんに昔貰ったんだよ!」

「惣太、騒ぐと敵もこないぞ?」


 惣太は一瞬プッチンしかけた。二つ年下の十三歳の鉄五郎。親もなく、たった一人竜田国にいる親友。自分の方が年上だし、色々世話を焼いてやらなければと思い辛うじて留まったが、何発か殴りたかった。息を潜めて待っても敵は表れる様子がなかった。ただ、頭上をカラスが飛び交っている。


「んで、師範に貰ったんだっけ?」

「そー。多分聖さん自身ももらい物なんだろうけどさ、指輪」


 龍をかたどったゴールドの指輪は惣太の指には緩く、派手なアクセサリーを身につけるのも気恥ずかしかったので鎖に通してネックレスにしていた。見えないけれど、いつも首から提げていた。きっと聖はもう覚えていないのだろうあの日の事を。けれど惣太には、とても大事な思い出だ。忘れたくても忘れられない、失くしてはいけない品物。


「いいな、そういうの」

「鉄……」

「俺も何か強請ってもらおっと」

「今度、何か買ってもらおうぜ」


 鉄五郎がなんとも言えない顔をしたように見えたから、惣太はただ微笑むしか出来なかった。
 惣太には両親も兄弟もいる。けれど鉄五郎にはどれもない。友達すらいない。今まで聞いてはいけない気がして訊けなかったけれど、鉄五郎はどうして内紛に巻き込まれたのだろうか。本来、戦争は軍人同士の争いで一般人は巻き込まれることはない。それとも、それは竜田だけの常識だろうか。国から出た事のない惣太には分からなかった。


「あの、さ……」

「うん?」

「内乱って聞いたけど……お前、どうしたか訊いていい?」

「話してなかったっけ?内乱っていうか焼き討ちにされたんだ、俺の住んでた村」

「焼き討ち……?」

「村の大人たちはみんな国政に不満があったみたいで、それで。俺は逃がしてもらって命からがらって訳」

「そうだったんだ……」


 焼き討ちなんて知らない。惣太が知っている戦闘は殴りあう喧嘩とか刀同士とかであって、絶対に戦う意志のある人間としか戦っていない。女の人とか子供とかは敵であっても保護しなければならないと教わってきた。それなのに臼木ではそんなことが平然と行われている……。前に奴隷の話も聞いたけれど、臼木とはどんな国なのだろうか。帰ったら調べてみようと思っていると、一瞬視界が真っ暗になった。


「うわっ!」

「惣太、あれ!」


 慌てて刀の鯉口を切って乱暴に振り回すけれど、手ごたえはなかった。必死に自身を守りながら鉄五郎の声に反射的におとりのアクセに視線を送ると、カラスが一羽、鎖をクチバシに引っ掛けて飛び去ろうとしていた。そうはさせるかと懐からナイフを抜いて投げるけれど、襲われているせいで狙いは逸れて切り株にぶつかった。


「何なんだよこいつら!?」

「連携プレー?」

「そういうことを訊いてんじゃねー!」


 まとわり着いている黒い物体も、カラスだった。カラスが集団で人を襲うなんてことは聞いたことがないのでもしかしたら本当に連係プレーなのかもしれない。それはそれで見事だけれど、カラスごときに宝物を奪われる訳にはいかない。何箇所か突かれながら、茂みから飛び出して飛び上がったカラスを追う。


「待て!」

「待つ奴もいないけどな」

「気分の問題なんだよ!」


 一々鉄五郎の言うことに突っ込みながら、二人して必死にカラスの後を追った。そういえばカラスは光物が好きだという話を聞いたことがある。竜田山は演習などでよく利用するので地理は完全に把握している。植林直後なので向こう半分は見通しもいいだろう。いくら鬼副将と優秀な軍人だからと言って、もっさり木を生やす訳がない。少し安心しながらカラスを追いかける。カラスに追われながら。時々太陽の光に反射されて鎖が光るので、惣太はその度にドキドキした。


「待てー!」

「あそこに降りた!」


 しばらく追っていくと、急にカラスが落下した。そこが巣なのだろうかと期待が大きくなるけれど、そこに近づく分カラスからの攻撃も激しさを増した。髪は突かれてボサボサだし、この分では多分体のいたるところに痣が出来ているだろう。あの温泉に何かしら効果はないだろうか。例えば打ち身に効くとか。


「惣太、こいつらどうしよう!?」

「とりあえず巣のところまで行こう」

「いたたたた、痛い!」


 激しく突かれて、鉄五郎が悲鳴を上げた。惣太も懸命に刀を振り回して抵抗するが、ちょくちょく突かれている。
 何とか食われることもなく、巣であるらしいところにたどり着いた。大きな木の低い枝の所に、異常に大きいから巣が悠々と座っていた。普通大のカラスが子供に見えるようで、ぎろりと睨まれて思わず数歩後ずさってしまった。


「……怖いんだけど」

「でも、絶対犯人こいつらだし」

「でかいし、強そうだし」

「俺らが倒さなきゃならない敵なんだよ!」


 聖にもらった大切な指輪。それを取り返すためには、形振り構っていられなかった。周りにくっついてくるカラスを無視して親分に突っ込んでいく。周りの奴等があまりにも邪魔すぎて中々ボスカラスに辿りつけなかった。ムシャクシャに振り回して周りを払おうとすると、今度はボスから致命的な一撃を喰らいかねない。
 苦戦しながら相手の懐に入り込もうとし、けれど漆黒の翼を薙がれて、危うく飛び退った。するとカラスたちに突かれる。


「惣太!雑魚は俺に任せて!」

「鉄……」


 自分もボロボロだというのに飛び出してきてカラスたちを引き受けてくれた鉄五郎に惣太は友情を感じた。お互い視線を絡ませて一度力強く頷き、惣太はぐっとボスカラスを見据えると唇をきつく結んで懐に潜り込むべく体を低くして駆け出した。










 夕焼けが綺麗だ。惣太と鉄五郎が行ってから少しだけ上がって書類をまとめ、多少のめどがついたところで再び聖は温泉に戻った。元々風呂が好きなので、どれだけ入っていても飽きることはない。普段から本を持ち込んで読んだりして吉野に怒られる。露天だからのぼせるということもなく、倖せの一時だ。ただ、惣太と鉄五郎の帰りが遅いのが気がかりだった。


「やだ、聖様ったらしんみりムード?」

「別に。夕焼け綺麗だなって思っただけ」

「アンニュイな聖様も素敵」


 露天風呂で月見酒、美人のお酌つき。この上ない贅沢をしながら聖は微笑して軽く猪口を口に運んだ。東の花街で上等の女を寄越してくれたのは東関長と親しくしていた東関で地位を持つ貴族の男だった。もらえる物はありがたく貰うけれど、こればっかりは聖ではなく中央の人事部の管轄だということは言ってやらない。


「夕焼けも綺麗だし両手に花だし酒は旨いし。もっとイイことしとく?」

「やぁだぁ」

「まだお日様があそこにいるじゃない」


 戯れが堪らなく楽しいのは酒の力も手伝っているからだろう。一人の女性の腰を抱き寄せて、濡れた髪に唇を寄せてみると、彼女はクスクスと笑ってまた酒を勧めた。惣太と鉄五郎が帰って来た足音がしたけれど、そうでもよかったので無視して酒を煽ると脱衣所と風呂を隔てている扉が何の遠慮もなく開いた。


「ただいま戻りました……ギャッ」

「どうした、そんなにボロボロで」

「その前に師範何やってるんですか!」


 女性経験どころか初恋も疑わしい少年たちが顔を真っ赤にして体を反転してしまったので、聖は妙に面白くて笑った。女性たちはバスタオルを体に巻いているので恥ずかしがることはないのに、全く初心な奴等だ。何度か朱門にも連れて行ってやったけれど、今度はちゃんと相手を宛がう所までしてやろうかと変な画策も浮かぶ。


「俺は温泉を楽しんでるだけ。それより、犯人捕まったか?」

「は、はい……。盗まれたものも全部あったので、返してきました」

「にしてもボロボロだな。風呂ン中でいいから一応経緯、話せ」

「入るんですか!?」

「入んねぇの?」

「俺入ります!」

「鉄!?」


 大慌ての惣太を放って置いて、鉄五郎が脱衣所に駆けて行った。惣太はちらりと聖を見たけれどニヤニヤ笑っているだけなので、仕方なく服を脱ぎに自分も脱衣所に向かう。仕事をサボって酒を呑みながら女性と戯れているこの事実を吉野に絶対に報告してやるとそっと誓った。





-続-

惣太と鉄五郎の胸には北斗七星の形の痣ができ(以下略)