どういうことだと問い詰めても惣太は報告を持ってきた兵からそれしか聞いていないと自分自身も驚いた表情で首を横にふった。吉野と小田原を睨みつけても彼らも何も知らないと首を振るだけで全く要領を得ないので、聖は軍服を羽織りもせずに部屋を飛び出した。処刑が決定したということは、法部が関わっている可能性が高い。さっきまでいたのにと顔を歪めながら法部の扉をノックもせずに開けた。


「佐竹テメェ!」

「大将?どうなさいまいた、長官は先ほど館の方に向かわれましたが……?」


 怒鳴り込んできた聖に仕事をしていた次官がポカンと聖を見た。聖の剣幕に気圧されながらも長官の居場所を告げると、聖は何も言わずに踵を返す。走り去った美麗な大将の焦ったような顔に、法部の次官は図らずしもときめいてしまった。
 館は領主の住居でもあり政治の場でもある。本部の後ろにある形になるので向かうには本部の正面を出て裏に回りこむように通るのでとても大回りになる。けれど聖はその次官すらももどかしく二階の踊り場の窓から近くの木に飛び移るとそのから飛び降りて領主の執務室に駆け込んだ。入り口で見張りをしている兵たちが聖の表情に思わず目を見開いていた。


「失礼します!」


 口上もそこそこに聖が部屋に飛び込むと、その中はシンとした雰囲気が支配していた。凍りつくようなその空気に思わず聖の少しだけ乱れ始めていた息が止まる。テーブルを挟んで四人の視線が向けられて、やっと自分が取り乱していることに気づく。


「……聖」

「遅かったな」


 息を整えて気を落ち着かせるために意識的に息を多く吸いながらゆるゆると肩から力を抜いていくと、瀬能の泣きそうな顔と真坂の査定でもしているかのような視線に刺される。その座にいた佐竹はただ視線を落としていた。
 落ち着く為にゆっくりと瀬能に近づくと、そこで漸く自分が朝と同様草履を履いていたことに気づいた。そういえばコートを羽織っていないから肌寒い。ともすれば震えそうな視線を窓の外に走らせると、重い空から雨粒が涙のように滴り落ち始めた所だった。


「あの娘の処刑は明日の正午だ」

「ちょっと待ってくださいよ」


 告げられた事実に聖は思わずストップをかけて頭をかき回した。処刑の段取りは軍部に一任される。法官が刑を決定して領主、意見者、総督が処刑を決定する。確かに彼女が密偵をしていたならば相手は領家の血を継ぐ人間なだけに処刑は免れないだろう。けれどそれを唆したのは軍部だ。それは聖の責任だと換言できる。彼女の意志ではないのだから減刑ができるはずだ、それも東関の娘と言うことで失われる権利なのだろうか。


「何も小娘一人処刑しなくても」

「その小娘に内偵をさせたのはお前だろう。偶にはまともなことをするものだと思ったが、口だけか」


 ぽつりと告げられた総督の言葉に聖は思わずカッとなった。確かに聖の責任だ。今更自分のせいだというつもりは無い。いつまでも決断できなかった己の非はきちんと認めている。けれどだからこそ胸糞が悪いのも事実だ。
 父の言葉に舌を打ち鳴らし、聖は拳を握りこんで口を噤んだ。これ以上口を出す権利は無い。行動を起こしたのは吉野たちで、聖は責められはしても彼らを非難する権利は無い。


「それで、内偵の結果はでたのか?」

「……はい。結果はおって報告させます、失礼します」


 それ以上この空間にいるのも辛くて、聖は踵を返して部屋を後にした。その背中を瀬能の泣きそうな視線が追いかけていたのを、聖は知らない。










 ポケットに手を突っ込んで帰ってきた聖に惣太は思わず目を見張った。ぼんやりとしたあの瞳はどこを見ているのだろうか。感情なんてどこかに置いてきたようなその表情に思わず過去を思い出す。いつか聖は同じ顔をして笑っていた。


「おかえりなさい、聖さん」

「……あぁ」


 ちらりと吉野を一瞥しただけで聖はそれ以上何も言わずに奥の部屋に入って行った。ややあってドサッと倒れこむ音がしたので、ソファベッドに横になったのだろう。それからしばらくは物音が聞こえてこなかった。


「惣太君、申し訳ありませんがそこの資料をまとめておいてくれますか?」

「はい……。あの、吉野さん」

「何です?」


 テーブルの上に聖が飛び出す前に放った資料を集めながら、惣太はちらりと吉野を見た。いつもと変わらない風に笑ってはいるけれどその顔には少し苦しそうだった。吉野も後悔しているのだろうか、彼女を死なしてしまうことを。それとも聖を傷つけたことに後悔をしているのだろうか。
 書簡から顔を上げた吉野から顔を逸らして、惣太は小さな声で問いかけた。


「どうして聖さんに黙ってたんですか?せめて俺に教えてくれても……」

「僕の仕事だからですよ」


 吉野の言葉に、突き放されたように感じた。それは自分の仕事だと突き放しているような言い方は誰も守られない。惣太は十二の時に聖に出会った。吉野に出会ったのはそれから半年ほどしてからで、仲間になったのはそれから更に半年ほど経ってからだ。一年もの差が今ここに表れているような気がした。
 吉野は一瞬だけ眉を寄せたがすぐに顔を綻ばせて惣太に笑みを向けた。けれど惣太はそれを正面から受け止めることはできなかった。


「惣太君、そろそろ聖さんにお茶を持って行ってあげてください」


 その言葉を救いに、惣太は手際よくお茶を準備すると逃げるように奥の部屋に体を滑り込ませた。その部屋では、聖がソファに寝転がってぼんやりと煙草をふかしている。目を閉じているから分からないけれど、憂いを秘めた貌はとても美しかった。
 お茶を差し出して机に置くと、だるそうに体を起こした聖が短くなった煙草を灰皿に押し付けて不機嫌な半眼を惣太に向けた。数年前と同じ瞳に思わず背筋を震わせると、聖が不意に表情を柔らかくして微笑んだ。


「全軍に通達。あの娘を捕縛、牢に入れとけ。明日正午、処刑する」

「………はい」

「指揮は小田原に任せる。諜報が捕縛の段取り決め手精鋭が動け」

「はい……聖さん」

「何だよ」

「……何でもないです」


 何でもないことのように笑った聖に惣太は口の端に登った言葉を思わず飲み込んだ。聖が前線に出て行かないなんて珍しい、なんて言えなかった。彼はきっとそれを逃げだと思うだろう。これ以上彼を苦しめたくない。彼は、とても優しいのだから。惣太が部屋から出ようと踵を返した瞬間、何か質量のあるものが落ちる音がした。反射的に振り返ると聖の姿がない。けれど惣太は何も言わずにその部屋を出た。


「師範代、師範が娘さんの捕縛指揮を小田原軍団長にって」

「はいはい。分かってます、僕が全て片付けますから安心してください」


 吉野だって全てを自分で背負おうとしている。その姿に文句を言いたくなるけれどどうにか飲み込んで、惣太は奥歯を噛み締めた。大将も副将も辛いことは全て自分で背負おうとする。そんなものはもっと下っ端にでも任せればいいのに、自分を犠牲にして傷ついている。それを見ていて耐えられないのは、こっちなのに。みんなみんな師範が大好きだから文句を言うのに。
 惣太が聖に出したお茶を下げてきた時、控えめにノックされた。思わず惣太と吉野が顔を見合わせ、惣太が対応に出た。


「はーい」

「すまない、聖はいるだろうか」

「瀬能様!?」


 突然訪ねてきた領主に惣太は思わず叫び声を上げて吉野に助けを求めるように顔を向けた。けれど吉野はおかしいような呆れたような微笑を浮かべているだけで返事は返ってこなかった。その間に瀬能の方が焦ったように目的を告げてくれた。


「聖にちょっと話があったんだが、不在ならばまた来る。すまないな」

「……案内します。吉野さん、ちょっと出かけてきます」

「いってらっしゃい。あぁ、惣太君」


 惣太は聖の居場所を知っている。知っているというよりも見当がついていると言った方がいいだろうが、あの場所にいるはずだ。それは吉野にも予想がついているのだろう吉野が微笑みながら聖の軍服を投げて寄越してくれた。外は寒いし今は雨が降っている。シャツ一枚ではすぐにびしょ濡れだ。惣太はそれをありがたく受け取って、傘を二本握った。










 さっきまで均等な大きさの粒が落ちてきていたのにいつの間にか大きな粒が当たるたびに痛いような大きさになってきた。初めは守られていたこの場所も時間が経つにつれて雨に冒されすでにシャツは雨で張り付き体は冷え切っていた。けれどそれは聖にとってとてもどうでもいい。彼に大切なものなんて、一つもない。
 火を点けずに咥えただけの煙草に火を点けようとしたけれどしけってしまったようで点かなかった。つまらなそうにそこで吐き出すと細いそれはヒラヒラと舞い落ちて湖に静かな波紋を起こした。それはすぐに雨にかき消されて消える。結局、聖の中に残るものなんて一つもない。けれど傷つけることもできないくてその弱さに吐き気すら覚える。


「……聖?」


 ガサガサと草を掻き分ける音がしたかと思うと、瀬能の声が聞こえた。一瞬空耳かと思ったけれど視界に入ってきた姿は確かに瀬能のもので、思わず聖は彼を見下ろして目を見開いた。この場所は誰も知らないはずだ。惣太くらいしかここまでの道を覚えていないはずだけれど彼の姿は無い。けれおど眼下できょろきょろと視線を彷徨わせている瀬能は本物のようで、聖は思わず飛び降りた。


「瀬能」

「聖!?」

「どうした、こんな所まで」

「お前こそ、何で上から!?」

「あそこにいたからに決まってんじゃん」


 いきなり目の前に現れた聖に瀬能が驚いて頭上と聖を見比べた。聖は背の高い桜の木に登っていて今そこから飛び降りたのだ。中央と東を結ぶ場所に小さな山がある。それを東山と呼ぶ人間もいれば狭間山と呼ぶ人間もいる。その山の奥に小さな湖があり、そこは春になれば満開の桜が映えてとても美しい。今は重い雲と一度も止まらずに打つ雨粒に美しさはかき消されてしまっているが、それでも十分風情がある。
 聖が木の幹にもたれかかるようにして座ると、その隣に瀬能が立った。促すように隣を叩けば、瀬能がそこに遠慮したように少し距離を置いて正座した。ぶつからない肩の分、気持ちが遠い。


「聖、寒くないのか?」

「……別に、平気」

「濡れたままだと風邪を引くぞ」


 そう言って瀬能は惣太から預かった軍服を聖の肩からふわりとかけた。驚いてこちらを見てくる聖の奇麗な顔を直視して思わず赤くなり、ぱっと顔を逸らした。けれど聖の顔が見たいので、視線だけはちらちらとそっちにやる。


「筧副将が渡してくれたんだ。佐々部君だったかな、彼がここまで案内してくれた」


 瀬能がそういうと、聖は目を閉じて空を仰いだ。投げ出した長い足を軽く引き寄せて立たせ、右手で表情を覆ってから深い溜め息を吐く。「参ったなぁ」と呟いたけれど、彼が何に参ったのか瀬能には分からなかった。


「聖。私はあの子を処刑になんてしたくないんだ」

「……その話か」

「だって彼女には何の罪もないだろう?どうして処刑されなければならないんだ」

「罪ならある。密偵の罪は重い」

「それはやらされたから……」


 瀬能の言葉は、自分の言葉だ。そう気づくと彼の言葉が苦々しくて、諭すように自ら紡いだ言の葉が偽善のように思えた。そんなことは分かっている、ただ後悔の方が大きい。他に方法はあったんじゃないかと何もしなかった自分を責め続ける。


「やらされる原因があっただろう?」

「それは……それは彼女が悪いんじゃない!」

「でも瀬能、事実は起こってしまった」


 その言葉を口にした瞬間、心臓が握りつぶされたかと思うほど痛かった。今更何を言っても言い訳に過ぎないんだ。事実は事実としてどの角度から見ても変わらない形で鎮座している。彼らはもう動かないのだ。
 沈黙してしまった瀬能を煙草を引っ張り出しながら見ると、俯いて肩を震わせていた。ところどころ枝から落ちてきた雨だれで濡れているけれど、彼の膝に置いて白くなるほど握られた手に落ちたのはただの水ではなかった。紫煙を一つ吐き出して、聖は己の肩に掛かっている軍服をふわりと瀬能の肩に乗せた。驚いて見上げてくる彼に、極上の笑顔を向ける。


「……瀬能こそ風邪引くぞ」


 離れようと思った。けれど震える肩がとても細く小さく見えて、思わず聖はそのまま瀬能の肩を抱き寄せた。ぬれそぼった胸の中に線の細い少年を閉じ込めると生きている熱が伝わってきてそれがとても熱かった。この若き領主は、とても一生懸命生きている。


「好きだ」

「……えっ?」

「好きだ、好きだ好きだ」


 思わず口を吐いた言葉は一度自分から離れると止めることが出来なかった。馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返して伝えると次第に瀬能の肩の震えが大きくなって堰を切ったように彼の眼から涙が零れた。既に冷たい雨に濡れた胸に瀬能の熱い涙がふれて聖の胸を溢れさせる。ただきつく瀬能を掻き抱いて抱きしめると、くぐもった嗚咽が耳に掠れて届く。いつの間にか落ちてきた雨垂れが火種に落ちて、煙草の火は消えていた。





−続−

聖さんが告った…!