昨日から降りだした雨は午前中は耳鳴りのように大きな音を立てて降っていたが正午が近づくにつれて弱くなり、処刑が開始される時間には青空すら覗かせていた。まるで太陽が処刑を見物に来たようだと聖は思わず目を眇めた。処刑の段取りをすべて吉野にまかせきりにし、聖はずっと奥に篭っていた。特にやらなければならないことがあった訳ではない。単に気が乗らなかったのだ。女性と戯れる気にもなれず、結局いたずらに時間を浪費した。
 正式な公開処刑は軍部が主催する。各省庁の長官は必須参加で特等席が誂えられ、その他庶民から貴族まで自由に見物できるようになっている。軍部の長として聖も軍服姿で瀬能の斜め後ろに位置を定めた。


「……私の、せいかな」

「まだそんなことを仰っているのですか」


 聖の前方では瀬能と角倉が小声で言葉を交わしている。瀬能はこの処刑が自分が当主になったからだと思っている。もちろん他の誰も思っていないけれど瀬能はそう思っている。それは聖がこの事実を己の罪と思っているのと同じことだ。
 公開処刑の場合、軍人は軍礼服ではなく通常軍服で構わない。全員が黒の軍服に身を包み要所に立っているけれど全員が全員頭の中には大将のことしかなかった。今中央にいるのはみな聖に命を預けた人間ばかりだ。だからみな聖のことが気になって仕様がない。ここ数日の大将はここではないどこかを見ているように遠かったのだから。


「私が当主にならなかったら東関は反乱なんてしなかった」

「今が時期だっただけのことです。貴方が気に病んでどうするのですか」

「……なぜ彼女なんだ」

「仰っている意味が分かりかねますが」

「どうしてあの東関は内々に処理されたのに、あの子は公開で殺されなければならない!」

「利用価値がなくなったからですよ」


 角倉の言葉に瀬能は息を飲んで黙り込み、後ろで何とはなしに聞いていた聖も思わず拳を握りこんだ。確かにあの男は利用価値がなくなったから反乱に失敗して首をとったと公表したため、要人のみが立会いの下処刑した。それに対してその娘には公開処刑だ。内偵の罪と、先の東関の娘と言う罪で見せしめだ。
 自分の行為と彼の言葉とは同様のはずなのに傷ついた己を叱るように聖は掌をきつく握りこんでただ黙っていた。そうしていると、視線の下の処刑場に縛られた少女と軍人が二人現れた。彼らは少女を中央の一番高い位置にある処刑台に縛り付けると処刑場を出て行き、入れ違いに吉野と惣太が太刀を佩いて入ってきた。思わず聖は大きく目を見開くが、どうにか声だけは飲み込んだ。


「落ち着いて、大将」

「何でお前がここにいるんだ!?」


 いつものこととはいえ背後から現れた小田原に聖はいつもと違い酷い剣幕で彼を睨みつけた。公開処刑は二人の処刑者によって行われる。その任を聖は吉野と小田原に任せたはずだ。けれど眼下には惣太がいる。惣太にだけはこの仕事を与えたくなかった聖としては小田原につかみかかりたいところだ。
 けれど小田原は涼しい顔をして聖の一歩後ろに並んで立った。小さな声で聖の耳に笑みを含んだまま唇を寄せる。


「彼が志願したんだよ。代わってくれって」


 そういっている間に、剣舞が始まった。竜田の公開処刑は一種の芸術だといわれている。武人が荊軻と言う名の剣舞を披露する。それは優雅でそれでいてとても鋭いものだった。惣太もいつの間に覚えたのかぎこちないながらもしっかりと舞えていた。


「誰が許可したんだよ」

「大将は彼に人殺しをさせたくないようだね。けれど分かっているかい?戦場に出た時点で彼はもう人殺しなんだよ」

「……でも、こんな殺し方はないだろ。そんな辛いこと、させたくねぇんだよ」


 聖を諭すように囁く小田原の言葉を跳ね退けて聖は子供のように更に小さく呟いた。彼の言うことも分かるのだ。惣太は既に人を殺している。それが戦場だからだとか言い訳は一切通用しない。なのに人を処刑させたくないと言うのは矛盾している。綺麗事に過ぎないけれど、聖はその綺麗な言葉を守っていきたかった。けれどそれも、もう遅い。
 舞いも終盤に差し掛かった。最後には二人の剣が娘の喉笛を交差して突き破るのだ。血の雨が降り、それで舞台は終わる。


「大将は全てが自分の罪だと思っている。それは違うよ」

「一緒だ。辛い思いをするのは俺だけで十分なんだよ」

「……誰か本当に、貴方の気持ちを分かる人がいればいいのに」

「………いらねぇよ、もう」


 聖が呟いた瞬間、二人の剣先がキラリと太陽を反射させた。けれど惣太は躊躇ったのだろう一瞬遅れて少女の喉を掻き切って血が朝方の雨を思わせるほどに降り滴った。










 処刑の時間を見計らったように晴れた空は再び雲に覆われて、血を全て洗い流すかのように激しく降った。聖は片付けも仕事も全てを任せ、朱門の馴染みの店に揚がった。あの敷地内のどこにも居場所がないような気がして逃げてきたのだ。その事実が更に己を抉ると分かっているのに、逃げることはやめられなかった。
 一週間も経っただろうか、雨が止まないのを理由に居続けたがそろそろ帰らないと夏の軍事演習の事前書類の締め切りが来てしまう。それでなくても毎日毎日惣太と鉄五郎が迎えに来ているというのに。


「大将、お帰りなさいませ。丁度良かった、角倉美月様がお呼びです」


 しぶしぶ傘を片手に高下駄で着物の裾が汚れないように気をつけながら帰ってきたら、門番にそう言われた。どうしてこんなところでそんな伝言を聞かなければならないのかと一瞬思って欠伸を噛み殺しながら首を傾げると、兵は付け足すように手元に視線を落とした。どうせならカンペごと見せて欲しいものだ。


「柊姫様のことでご用事がおありだそうです。柊様のお部屋へ、とのことです」

「柊様?まぁいいや、行ってくる」

「はい、行ってらっしゃいませ!」


 美月が柊姫の教育係になってどれくらい経っただろうか。よく覚えていないがそこそこ務めになっているらしいというのは風の噂で耳にした。
 聖はとりあえず着替えに本部に行き、部屋に入ったら中にいた吉野と鉄五郎と目が合ったけれど何も言わずに奥に行って着替えた。まだ礼も伝えていないと聖自身分かっているが、礼を言う気にはなれなかった。それが子供染みた意地だとしても、だ。軍服に着替えて髪を軽く手櫛で梳いて、さっさと部屋を後にする。
 今度は階段で降りて正面から出て、館の方に回りこんだ。入り口の兵に軽く言葉をかけて二階に上がる。柊の部屋は瀬能の私室の向かいにあり、聖はあまり入ったことがない。ノックして声をかけようとすると、執務室警備の兵に「柊様は執務室の方にいらっしゃいます」と言われたので聖はそのまま執務室の扉を軽くノックした。


「柊様、おいでになりますか?角倉です、失礼します」


 あまり力の入らない声でそう言って扉を開けると、部屋の中には誰もいなかった。おかしいなと聖が遠慮なく部屋に入り、いないので奥から続いている瀬能の私室の扉も叩いて見た。返事がある前に開けると、瀬能と柊、美月の姿があった。その向こうにいるのは惣太だろうか。初めにこちらに気づいた惣太が一目散に駆け寄ってきた。


「師範、おかえりなさい!」

「……ただいま」


 にこっと今までと全く変わらない惣太の笑顔に聖は微笑を浮かべてその頭をくしゃっと撫でた。それから視線を正面にめぐらせると、泣きそうな顔をした柊と困った顔の美月、瀬能の視線がこちらに向いていた。一体どうしたことかと訊こうと思ったけれど誰に聞けばいいのか分からないので、隣の惣太に問いかける。


「どした?」

「柊様の社会勉強に街に遊びに行きたいらしいんですけど、瀬能様の許可が出ないんです」


 惣太の説明で要領を掴み、聖は瀬能と柊の顔を順番に見た。遊びたい盛りの柊にとって勉強はつまらないものであり、街に遊びにいくことに魅力を感じるだろう。けれど心配性な兄はそれを許さない。もともと貴族の姫はあまり外を出歩かない。それが領主の息女ともなると、自分の国だというのに館の敷地から出たことが無いのではないかと思われるほどだ。
 膠着して泣きそうな顔を向けてきた柊に聖は苦笑を浮かべて瀬能の肩を軽く叩いた。


「少しくらいいいじゃないですか」

「だ、ダメだ!」


 聖が触れた瞬間真っ赤になった瀬能に聖は僅かに首を傾げた。一体何があったのか分からないけれど瀬能がおかしい。どこか突き放すような言い方にも違和感を感じざるを得ない。すると兄の言い方に半泣きになった柊が聖のコートにしがみ付いて「しはぁん」と見上げてきた。ここぞとばかりに美月も瀬能に言い募る。


「危ないと仰るなら聖さんもご一緒してくれるから大丈夫ですよ。ねぇ、聖さん?」

「え?あぁ……はい」

「兄上も一緒に参りましょう!柊は街を見てみとうございます」


 女性の瞳には力があると聖は常々思っている。どうしても勝てないのだ。それは九歳の少女だって同じのようで、その瞳には逆らえなかった。柊に見つめられ、瀬能のようやく渋々と言ったふうに頷き、一緒に行くと言い出す。すると今度は護衛するのが聖一人ではまずいんじゃないかとなり、結局惣太が鉄五郎を呼びに行った。
 瀬能も柊も簡素な服に着替え、他の重鎮に見つからないように館を抜けて街に向かう。


「瀬能様も初めてですか?」

「いや、私は……一度、父について視察に行ったことがある」

「そうなんですか。私は初めてですの」


 にっこりと笑った美月に聖は思わず溜息をついた。美月も角倉の大切な娘だ。そう簡単に外に出してもらえる訳もなく、当たり前のように初めてだ。一体どこの世界の住人だと聖は自分の姉ながら呆れてため息の代わりに紫煙を吐き出す。まだ少し雨がぱらついているので聖が傘を差して瀬能を入れ、惣太が柊に傘を差している。美月は角倉の使用人に傘を差させていた。


「……ひ、聖」

「はい?」


 女性たちは出店や小間物屋に興味を惹かれて惣太を引っ張ってあっちに行ったりこっちに行ったりしているが、単にお目付け役に近い聖と瀬能は特にやる事もなく彼女たちの行動を見守りながら数歩後ろを歩いていた。しばらく黙っていたのだが、瀬能が急に真面目な声をかけてきた。


「元気を出せ」

「いろんな意味で元気ですけど?」

「いや、そうじゃなくて……あの処刑でなんだか、辛そうだったから」


 元気じゃなきゃ一週間も花街に居続けなんてできやしない。聖が茶化して笑うと、瀬能は頬を薄く染めて俯き小さくこぼした。瀬能にすら見破られて気にされてしまったのかと聖はばつが悪い思いで思わずぎこちなく微笑んだ。瀬能のほうが辛いはずだ。人の死をそんなにも間近で無機質に見たことはないだろう。彼にとっての死とは両親で経験したとても悲しいものだったはずなのだから。
 その瀬能に慰められる罰の悪さから、聖はしばらく黙っていたが煙草が短くなるころには柔らかく微笑みを浮かべられた。


「大丈夫、ありがとう」


 瀬能の頭をなでて笑うと、途端に瀬能は顔を真っ赤にして固まってしまった。反応がどこかおかしくて聖は原因を探りながら首を傾げて煙草を吐き捨てると軍靴の底で揉み消した。聖の微笑で固まる女性は多々おれど、こんな反応は見たことはない。


「瀬能?さっきから俺、なんかした?」


 正直に問いかけると、やや置いて瀬能は上目遣いに聖を見た。その目はなぜか泣きそうで、聖は原因が思い当たらないだけに首を傾げるしかなかった。黙って言葉を待っていると、瀬能が周りの雑音に消されてしまいそうなほど小さな声で呟く。それは聖には予想外のことだった。


「だって聖が、この間……私のことを好きだとか、いうから」

「……あ、あぁー…あれか」


 一瞬何のことか分からなかったけれどすぐに思い当たった事実に思わず苦笑を浮かべる。思わず漏らした本音をすっかり忘れていたが、瀬能には忘れられないことだったようだ。それはそれで嬉しくはあるが、あんなに弱った所を見られては恥ずかしいとしか思えなかった。今更嘘だということもできないし、言ったらここで全てが終わってしまう。だから聖は、にっこりと笑って瀬能の肩に腕を回して傘の中に入れる振りをして引き寄せた。


「嘘じゃない。結構マジ」


 瀬能の耳に囁きを落すと、触れ合った体温が急激に上昇したのが分かった。そんな瀬能に微笑みかけて、聖は団子屋の前で足を止めている彼女たちに追いつくためにまだ赤い瀬能と一緒に歩き出した。










 適度に街を案内して、聖は惣太と鉄五郎と共に軍部に戻った。何となく気が逸ってエレベータの中で煙草をひっぱりだし口に銜える。けれど惣太達が無言で睨んでくるので火は点けず、エレベータを降りてから火を点けて軍部の扉を遠慮なしにあけた。


「おかえりなさい」

「ただいま帰りました!」

「……ただいま」


 少し遅れて返事して、聖は軍服を脱ぐと何気なくソファにかけて自分の椅子に体を沈めた。手に触れる感触だけで灰皿を引き寄せて深く紫煙を吐き出すと、吉野が溜め息を吐く音が聞こえた。彼も少しよそよそしい感じがするのは聖が自ら距離を感じているからだろう。吉野が立ち上がって聖の軍服をいつもの位置に片付けている。


「脱いだら脱ぎっぱなしにしないって何度言ったら分かるんですか」

「……悪いな、親友」


 一体何について謝ったのだろう。聖にしてみたら幼い少女の処刑にまつわる諸事に謝ったつもりだ。けれど吉野はそうと取っただろうか。聖の心配はよそに、吉野は僅かに微笑むとすぐに聖から視線をはずして軍服をかけながら穏やかな口調で告げた。


「どういたしまして、親友」


 すべてが通じている。聖が何について謝ったのかも吉野が何に対して微笑んだのかも全てが胸に溶け込んできて、聖は安堵したように紫煙を深く吸い込んで笑った。視線のすぐ先で長い灰になったそれを灰皿に落としてまた銜えなおすと机の上に散らばっている書類とこの間借りてきた資料を手に取った。これですべてが吹っ切れた。事を起こすなら、今だ。


「英子様を引っ張るぞ」

「分かりました。準備はできてますが、岩浅方には?」

「外交部に手を回してもらう。それから法官にもだ」

「これで全て終わりですね」

「あぁ、終わりだ」


 吉野の嘆息にも似た息と一緒に吐き出された言葉に聖も力強く頷いて短くなった煙草を灰皿に押し付けた。瀬能が当主の跡目を継いだのはまだ梅が咲き始めたときだった。それからもう三月経っている。そうしてようやく、終わりが見えた。
 聖は資料をすべて吉野に預けると、コートをまとって外交部に交渉に出かけた。





−続−

え、まだあるの?