外交部と法部で打ち合わせをし作戦を練っていると夜が明けてしまい、作戦決行は翌日正午となった。
 正午、法長官自らの手で行政本部全体に英子様捕縛及び若垣の他国との癒着の疑いが知らされた。同日同刻、竜田軍詰舎の前に千二百人が集合していた。全員が全員、刀を佩いて出陣が今かと待ちわびている。


「分かってると思うが、生け捕りな。ただし……」

『抵抗するものは斬り捨ててよし!』


 聖の言葉尻を捕まえて、兵士たちが声を揃えた。血気盛んな奴等だと溜息を吐いて聖は隣で改めて手元の資料を確認している吉野を見た。その視線で彼は一つ頷き資料を閉じた。
 こんなに大きな捕り物は彼らにとって久しぶりだから楽しみでしょうがないのだろう、どの兵も目を輝かせている。東関とドンパチやった兵は今東関の方に異動してもらい代わりに中央が東関の兵を手元に置いてあるので、ここにいるのは聖が心から信頼していてドンパチをやらかしていない兵だ。だから人数は少ない。けれど聖はどうしても信用していない人間を連れて行きたくないようで、元東関の兵は全員留守番だ。


「皆さん準備はいいですね?では行きますよ」


 全員の準備が出来ていることを確認して、吉野は全軍を進めた。千二百人の軍隊はそこから更に八百と四百の二手に別れそれぞれお互いの戦地へ赴いた。八百を率いるのは聖で、目的地は英子の邸だ。彼女は何をしてくるか分からないので主に精鋭で固めている。それに対して小田原率いる四百の兵は諜報の人数が多く、若垣の拘束に向かった。
 先頭でポケットに手を突っ込んで黙々と歩く聖の後ろを歩きながら、惣太はじっと黙っていた。惣太が処刑を志願してから聖は機嫌があまり良くない。煙草を銜えたが火を点けずに黙っていた聖が、空を見上げて不意に呟いた。


「……もう梅雨に入ったのか」

「え?あ、そうですね。最近天気悪いですよね」

「梅雨が明けるまでにはケリがつくといいな」

「そうですね」


 空は重い鉛色で、今にも雨粒が落ちてきそうなほどだった。それが何となくこの作戦に嫌な影を落としているようで、惣太は思わず聖の軍服の袖を掴んだ。すると聖が不審そうな顔をしたけれど俯いて言葉が出てこなかった。今彼と目を合わせることができない。目を合わせたら泣いてしまいそうだから、顔を上げることもできなかった。
 黙々とそのまま歩いていくと、不意に聖が立ち止まった。危うくぶつかりそうになって足を止めて思わず顔を上げると、聖の大きな手が降ってきて頭をグシャグシャとかき回された。思わず体が傾いでしまうけれどそんなものは気にならない。ただ、聖の手が温かかった。


「ひ、聖さん?」

「全軍ストップ。証拠一つ残すなよ、突撃!」


 聖の鋭い声に惣太ははっとして周りを見回した。もう英子様の邸の前で、門番が二人立っている。大きな邸は彼女の勢力を物語っているが、その邸ももうどこかみすぼらしいものになっていた。彼女の時代はもう終わったのだ。
 一気に兵たちが突っ込んで行ったのを見て、惣太はぐっと拳を握った。彼らは全員が突っ込むまねをせず、半数が周りを固めている。それを見て吉野が笑った。


「訓練の成果ですね」

「失敗したら全員火炙りだ」


 聖が軽く笑って、銜えたままだった煙草を吐き出した。火が吐いていなかったそれはケースから出したままのとなんら変わりがなかった。ただ、湿気で少ししなっとしている。隣で鉄五郎が「惣太、行かないのかよ」ともどかしそうに言っているが、惣太にその意志はない。自分はずっと聖についていくと決めたのだから。


「じゃ、俺らも行くか」

「……武運を、親友」

「お前も、死ぬなよ」


 奇麗に笑って、聖は悠々と歩き出した。門の前には誰もおらず、ただ中に向かって血のあとが点々と続いていた。きっと抵抗した門番を斬ったのだろう。血に飢えている。軍人は獣のようだ。誰かがケダモノだと罵っていたけれど、それは違う。崇高でプライドの高い、血に飢えた獣だ。ただ強く強く力を求めることしかできない、野獣。


「随分とみなさん好き勝手やってますね」

「いいんじゃねぇの、別に」

「片付けは誰がすると思ってるんですか」

「あいつら」


 聖と吉野の会話を聞きながら、惣太は思わず唇を噛んだ。酷い光景だ。四散した血と人間の死体、そして証拠を集めようと調度品を荒らしまわる様はまるで夜盗のようだ。これは確かに好き勝手と言って吉野が呆れるのも無理はない。となりでは鉄五郎も顔色を悪くしている。
 そう言えば鉄五郎は竜田軍の本当の意味での戦闘には初参加だ。東関での戦闘のときは娘を任されたので本当の意味で参加はしていない。


「鉄?顔色悪いけど大丈夫か?」

「う、うん……」

「なんだ、鉄。どうした、戻ってるか?」

「大丈夫です、一緒に行きます」

「そっか?」


 行くと言い切った鉄五郎に対して聖はそれ以上何も言わず、代わりに惣太に「任せたぞ」と囁やいた。
 聖は迷いなく中庭を沿った廊下を歩きながら目を眇めた。廊下は綺麗なものだ。だが一歩でも部屋の中に踏み入れればそこは地獄絵図のようで真っ赤な血が飛び散ってその中にいる人間をも染めている。聖の姿に気付いた兵たちは、顔や体に血をべったりと付着させたまま誇らしそうに「師範!」と呼びかけた。


「……あれは、私兵ですかね」

「だろうな。衣装が違う」


 どの兵も同じ服を着た人間の屍を前にしていた。本来竜田国では貴族が私兵を持つことを禁止している。あるのは領家に仕える軍隊だけで、他は持った瞬間に謀反と見なされる。領主に敵対する力など、必要ないのだ。だからどこの貴族も軍人に用心棒を依頼したり門番を使用人にやらせてしまう。だから軍服を着られるのは竜田の軍人のみなのだ。


「……雨、降ってきたな」


 聖の言葉で中庭を見ると、見えないほど細い雨が降り出していた。霧のようなそれは音もなく、けれど確かに降っている。べたつく空気がまるでここが血の中のような錯覚を与えてくれる。それはここが血の匂いが充満しているからだろうか。血の匂いと雨の細さに、目眩すら覚えた。
 廊下の突き当たり、玄関から中庭を挟んだ奥はひっそりとしていた。まるで誰も近づけはしないのだと誰かが守っているようなそんな気配がひしひしと伝わってくる。その襖の向こうに目的の人物がいるのだと、確信した。


「俺が突っ込む」

「……どうして貴方はいつもいつも一番危険なことをするんですか」

「俺が危険なことしないで誰がすんだよ」


 吉野の呆れたような言葉に笑って、聖はすらっと刀を抜いた。彼の足が襖を蹴り飛ばしたと思ったら中に踊りこんで、そのまま刀を振り下ろした。正直驚いてその場から動けなくなった。惣太が立ち竦んでいる間に聖は部屋の中にいた男を三人斬り倒した。蹴り飛ばされた襖は真ん中から折れて向こう側に落ちている。それが正面からずれているのは、今惣太の視線の先に男がいるからだろう。見たこともない男だった。


「謀反の疑いだけだったのに罪増やしやがって」

「聖さん」


 吐き出した聖は刀の血脂を払って肩に担いだ。部屋の奥で静かに正座していたのは英子であり、貴族らしい豪奢な着物を纏っている。こんなにも部屋が血まみれになってもうろたえる様子も恐怖を覚えた様子もなかった。彼女の前で彼女を守ってる男は何者だろうか。
 聖が室内の雑魚を一掃したのか、部屋には英子と男二人しかいなかった。じっと膠着状態が続くんじゃないかと思われたが、その前吉野が刀を抜いて男に斬りかかっていた。その隙に聖がゆっくりと足を進めて英子に近づく。けれどまだ彼女は動かなかった。


「女性の部屋に、何と不躾な入室をなさる」

「すいませんね。俺の入室を拒む女性はいなかったもんで」


 きっぱりとした彼女の言葉に聖は薄く笑みを浮かべた。刀をすっと鞘に戻し彼女の隣に膝を付く。すっと彼女の髪を一房掬って指に絡め、それを流してから背筋が疼くような甘美な声を彼女の耳朶に落とした。


「気丈にしてられるのも今だけだ。その綺麗な顔に傷がつく前にさっさと立て」

「これ以上の無体は許しませぬ。私を誰と思っておるのですか」

「あのなぁ、今ここで俺に手篭めにされても文句言えねぇの分かってんのか」


 いくら前領主の姉であり権力があると言っても今はもうただの犯罪者に過ぎない。今は自分を護る者たちすら命を落としあるいは落しかけているというのにこの堂々とした態度はさすがと言うべきだろうか。けれど聖は億劫そうに頭をかいた。
 彼の後ろでは吉野が敵と激しく刀を交えていた。時々火花が散り、今近づいたらこちらが殺されてしまいそうだった。いつも優しい吉野の目が、野生の獣のようにらんらんと輝いている。


「私はどうなっても構いません。息子は岩浅に保護を頼みました、じきに岩浅の兵がせめて来るでしょう」

「残念だが無理な話だ」


 英子の話に聖は鼻で笑った。事前に外交部に岩浅に圧力を掛けて兵が動かないようにしてもらったし、岩浅との関所がある南関には兵を厳戒態勢で待機させている。更に岩浅との出入りする人間には目を光らせているので出るのも入るのも非常に厄介なことになっている。
 聖が説明を終わらせるのと同時に、吉野の手から刀が飛んだ。それが宙を舞い、一瞬無防備になった吉野に敵の凶刃が向けられる。けれど聖が事態を察知して振り返る前に吉野は身を低くして間一髪それを避けた。


「吉野さん!」


 吉野が体勢を立て直そうとしているところを更に刃が煌き、惣太はたまらず叫んだ。けれど吉野にそれが刺さる前に男の腕から力が抜けたように崩れ落ちた。男が完全に倒れこむと、その向こうに呆然とした表情の鉄五郎が立っていた。惣太だけではなく吉野も驚いた表情でいたが、やがてにっこりといつもと変わらない笑みを浮かべた。


「ありがとうございます、鉄五郎君」

「さて、仲間はこれで全部消えたな」


 聖がにっこりと笑って立ち上がるとバタバタと廊下を走ってくる音がした。丁度いいところに来たと吉野が落ちた刀を拾い上げて顔を上げると、それは予想していた兵ではなく小田原の部隊にいるはずの諜報の軍服だった。彼は顔を真っ青にしながら荒れた息を整えることもせずにただ叫んだ。


「師範、小田原軍団長より伝令です!若垣の邸が炎上いたしました!」

「は?燃えた!?」

「はい。小田原軍団長は即時消火と周辺を固めましたが、まだ中に人がおられるかもしれないとのことです」


 兵の報告を聞いた聖は口の中で「そっか、そうきたか」と小さく納得したように頷いていたが惣太には全く分からなかった。ただ聖がイラついたように頭をかき回しその兵に英子の捕縛・連行を任せて大股で廊下を玄関に向かって歩き出した。


「精鋭!俺と心中したい奴等は全員ついて来い!」


 聖の声の緊迫感が妙に緊張を煽って、手にじっとりと汗を掻いていた。これが梅雨の湿気が影響しているのかどうかは分からないけれど、ただ胸の奥に先ほど感じた嫌な予感だけはしっかり感じていた。










 炎上した邸を見据えながら、小田原は自制して大きく息を吐き出した。もうすこし貴族の思考を読んで考えるべきだった。周りを兵に固めさせているし消火もしているが、これでは証拠は残らないかもしれない。梅雨で多少の効果はあるかもしれないが、この陰雨では微々たるものだ。逆にまとわりつく空気が鬱陶しい。
 火を放つなど簡単に思いついてもいいことだった。証拠は消えるし、火を点けた理由は侮辱に耐えられなかったのだと言い張ることができる。どうせ死ぬ気がないくせに、貴族と言う奴は図々しく口だけは達者なのだ。


「申し上げます!大将以下精鋭軍が揃ってこちらへ向かっております!」

「彼らはあっちの担当だろう。あっちはどうしたんだ」

「精鋭以外に任せてきたのではないかと思われますが……」

「分かった、分かったよ。それでは人数が少ない、こちらから半分をあちらへ向かわせ終わり次第合流して消火作業だ」


 小田原は指示し終えるとふと空を見上げた。まだ降り続ける雨のおかげで自分が汗をかいているのか雨に降られているのかが分からないくらいだ。ただ少なくとも寒さは感じなくなった。火のそばは暖かいだろうかとどうでもいいことが浮かぶくらいに。
 そうしてどのくらい待っていただろうか、恐らく少しの時間だったのだろう。聖以下精鋭軍が息を弾ませて到着した。聖は小田原を見つけるとすぐに状況を問い、それに答えて小田原は肩を竦めて見せた。


「周りを固めさせてはあるが、重要なものはもう火の海だろうね」

「突っ込んで証拠捕まえて来い!」


 聖は躊躇いなくそう号令した。この火の中に飛び込んでいくなんて無茶苦茶だとここにいた人間は全て止めた。しかし精鋭軍はそれを全く無視して何の躊躇いもなく邸に飛び込んでいった。誰一人としてたった一瞬でも怯んだものはいなかった。それが精鋭軍なのだと見せつけられて小田原の背筋に寒気が走る。それほどまでに大将に忠誠を誓い、命を明け渡している。それができるからこそ、精鋭でいられるのだろう。


「……いつもいつも、無茶ばかりする」


 いの一番に突っ込んでいった聖の背中が消えてからも小田原はじっとそこを見つめていた。まるで聖がそこから帰ってくるんじゃないかと信じてるかのようにずっと、目を離さなかった。










 中に突っ込んだ聖は、躊躇いなく奥を目指した。貴族の邸は大抵の作りは変わらない。家の一番奥に大切なものは仕舞われている。玄関の方は火が回っているようでところどころ柱が折れたりしているが奥に行くとそうでもないようで火の手は徐々に少なくなっている。
 全員で進んでいたが、部屋を見つけると兵たちが証拠を集めに散っていくので、最奥にまでたどり着いたのは聖と吉野、惣太と鉄五郎だけだった。


「ったく、火なんて点けんなっての」


 ひとりごちて、聖は奥のまだ火の手のまったく届いていない部屋の襖を開けた。まるで初めから答えがわかっていたかのように何の躊躇いもなく入ると、部屋の中には女性が一人、座っていた。彼女はゆっくりと顔を上げると聖を恨みがましそうな目で見る。彼女の目が揺らめいてるのは聖への恨みか廊下の向こうの炎のせいか判断がつかなかった。


「吉野、奥に当主がいるはずだ」

「……そちらへ」


 聖が隣の吉野に耳打ちすると、吉野は鉄五郎を連れて奥へと足早に向かった。それを止めようと腰を浮かした女性の肩を押し留めて、聖は奇麗な顔で笑った。けれど女性は顔を青くして怯えるように聖の腕を振り払う。


「婚約者の言うことは聞いといた方がいいですよ、雛生さん」

「私に貴方の言うことを聞く義務などございません!」

「死にたいんですか」

「貴方と夫婦になるくらいなら死んだほうがマシです!」


 彼女の言葉に聖は深く長い息を吐き出しただけだった。惣太は初めて聖が困っているのを見た気がした。困ることはある。けれどこんな女性に対しての困った姿を見たことがなかった。聖にとっての婚約者はいいものではないと話には聞いていたけれど、まさかこれほどだったとは思わなかった。彼女は既に泣きそうに顔を歪めて体を縮こまらせていた。


「……しょうがねぇな」

「いやっ!離して!」


 聖は小さく呟くと問答無用で彼女を担ぎ上げた。悲鳴を上げて抵抗する彼女の声が耳障りだとでも言うようにはっきりと顔を歪め、結局彼女の首筋に軽く手刀を叩き込んで意識を落とした。ぐったりとした彼女の体を再び大切そうに抱きかかえ、聖は笑った。
 それとほぼ同時に吉野も初老の男性を担いで戻ってきた。


「聖さんが女性に拒絶されている所を初めて見ました」

「あ、それは俺もです」

「うるせぇ。いいから戻るぞ、惣太と鉄は悪ぃけど道開いてくれ」


 聖の言葉に惣太は鉄五郎と顔を見合わせて大きく頷いた。ここから戻ることはできないだろうと思い勝手口を目指して部屋を出て左折する。邸の見取り図は頭に入っているから一応大丈夫のはずだが心配だから聖に聞いたが、あっていたので安心して前に進んだ。
 進んだら進んだだけ火が強くなっている気がしてしょうがないが道はこれしかない。退路は塞がれ、ただ前にだけ道がある状態だった。それを歩いていると、不意に視界がぶれた。背後から舐めつけてくる炎から逃れようと慌てて左折するが、そこももう火の海だった。逃げ場が、ない。道を探している間にも振動は大きくなり、立っているのが段々困難になってきた。そして次の瞬間、惣太は目の前の真っ赤なそれが絶望に見えた。パラパラと上から降ってくるのは、天井のカケラだ。それに気づいて見上げた一瞬の後には、天井がこちらに向かって赤々と落っこちてきていた。
 鉄五郎の悲鳴も聖の舌打ちも聞こえたはずなのに、ただ鼓膜は炎の渦巻く音しか捉えてはくれなかった。





−続−

竜田軍精鋭部隊は大将が大好き。