北よりの広い草原には人工的に障害物となるように木が植えられていたり岩が落ちている。一体ジャングルにしたかったのか荒野にしたかったのかはっきりしてほしいものだ。
 山を向こうに見るように集合して、惣太は緊張を鎮めるためにゆっくりと息を吐き出した。総合演習のためにくじ引きで二チームに分かれ今対峙している。惣太は鉄五郎と同じチームになれて嬉しいが、大将チームになったので敵将は師範代。怖すぎる。


「例年通り勝ったチームが宴会、負けたチームが見張りだからな。気合入れてけ」


 聖から妙な気合を感じられて惣太は思わずぐっと腰の木刀を握った。毎年打ち上げと称して勝ちチームは花街を貸しきって宴会に流れるのだが、負けチームの面々はその裏で通常任務と言うことで夜番をしなければならない。それは大将もそうなので、勝ったら聖は花街に繰り出せるが負ければ執務室に篭ってお仕事。そんなに仕事をしたくないのか殺気すら感じられる。
 演習は大将の参戦は認められておらず、大抵は先陣を切って突っ込んでいく聖は今回に限り後ろに下がっていなければならない。だからだろうか、言葉に鋭さを感じた。


「作戦頭に入ってんな?」

「大将、取れるんなら副将の首取りに行っていいですか!?」

「行けるもんならな。吉野の策だ、普段の戦みてぇに楽にいけねぇぞ」


 聖本人が硬い表情を浮かべるのでこちらが負けてなるものかという気になってくる。しかも今日は領主がやってきて観戦している。大将に格好つけさせてやりたい。きっと副将は逆のことを考えているだろうが、そうはさせない。させたくない。
 聖の作戦を頭でもう一度確認していると、戦闘開始の合図である鐘ががらんがらんとけたたましく鳴り響いた。


「よっしゃ、行って来い!」


 聖の声に後押しされ、集まっていた兵が三手に分かれて各々の方向に駆け出していった。大半の人数が五人程度の小隊を組んで正面に突っ込んでいく。惣太は左右に別れる部隊に選ばれている。出発のタイミングがまだなので、しばらくは聖の隣で待機だ。大将がいる場所は少し高台になっているので戦場がよく見える。副将部隊が少し斜め気味に横一列で隊形を形成している。引き換え大将部隊は少数部隊が方々に展開している。ここに聖の指示はなく、勝手に動けという曖昧な言葉だけしか与えられていない。けれどそれによって敵方は陣形を崩さざるを得ない。


「あー、やべぇな」

「何がですか?いい感じで押してますよ」

「マジでそう見えんの?あっち、囲んできてるじゃねーか」


 聖がひどく億劫そうに頭を掻いて不機嫌に顔を歪める。確かに大きく展開しているが、まだ囲まれるまでは行っておらずここから分断することも可能そうに見える。各部隊は囲まれて苦戦しているみたいだが、その隙間を縫って別部隊が侵攻しそれも潰されればまた別のと上手く機能していた。


「さすが師範代ですね」

「でもありきたりな策だろ?」

「でも……」

「大丈夫、負けねぇよ。ほら、お前らもそろそろ行って来い」


 大局を見ながら聖は手元の煙草に手を伸ばして一服つけた。直接参加できず、指示のみを送る大将職は聖にとって暇でしょうがないのだろう。だからなのか勝手が違うからなのか聖の作戦はいつもよりも無謀に思えた。不安そうに惣太が聖を見ているけれど、聖はさっさと行けとばかりに手を降るけれど、ここに揃っている約十人動くことができなかった。
 いつも聖は守りなんて考えないで、それどころか先陣切って戦場を駆ける。普段なら鬼神とすら称される聖の心配なんてしたら失礼ですらあるが、今回ばかりは不安で動けそうもない。だって相手はあの吉野で、聖は戦えないのだから。


「本当に守らなくていいんですか?」

「いいって。守る暇があったら攻めろ」


 吉野側にはちゃんと守備がいるだろう。それを突破するのが惣太達の役割だが、だからってその間に侵攻されたらどうする気だか。けれど聖がへらりと笑うと何でもないような気になってしまう。それはきっと良くない癖だが、彼が大丈夫だといえば全て大丈夫なそんな気がする。


「じゃあ、行ってきます!」

「おう。俺を退屈させんじゃねぇぞ」

「まっかせてください、その前に帰ってきます!」


 最後に見たのは完全に副将軍に囲まれてけれど最も手の薄い一箇所を突破して再び広がった自軍の活躍で、それを見ながら聖が微笑むからこれは負けられないと思った。絶対に勝手、聖にその表情を浮かべさせるのは自分たちの仕事だ。










 戦場の様子を見て、吉野は面白そうにいつもと全く違う見ている者が凍りつくような笑みを浮かべた。
 予想通り聖が奇抜な策で来るとは分かっていた。けれどあえて正攻法で迎え撃ったつもりだが、その策も端から破られている。層を厚く隊形を組めば、まず突っ込んでくる形が少数多隊で陣形を崩され、更にどうにか囲んだ所で突破される。なんというか、実力以上に気合を感じるのはどうしてか。


「さすが聖さん、やりますね」

「師範代、そろそろ後続が出たほうが……」

「まだです。相手の人数だって少ないですよ」

「ですが、あの人数を防ぎきれません」

「慣れた包囲戦ですからね。今飛び出したらあの男の思う壺です」


 竜田軍の戦法は包囲戦が多い。しかも人数が少ないから大抵囲む方ではなく囲われる方だ。だからこそその策には強い。それも見越しての作戦だろう、本当に戦場になると強い男だからやっかいだ。こうしている間にも包囲を突破した兵たちがこちらへ向かって押し寄せてくる。これは少し耐えなければ作戦も何もなくなってしまう。
 口惜しさにギリッと奥歯を噛み、吉野は待機している兵に声をかけた。


「仕方ありません、半分であれを止めなさい」

「はい!」


 吉野は手元に五十人程度の人数を残しておいた。本来なら守備に使う人数だが、もう止むを得ない。半分の人数を残しておけばまあ問題ないだろう。別働隊も今聖の首を取りに行っているから勝負がつくのは時間の問題だ。
 増員し、一気に戦況は吉野に傾いた。もともと相手よりも少ない人数で戦っていたのだから、それで均衡を保っていたら同数になったら押せるに決まっている。


「……でも、まだまだ甘いですよ」


 吉野はそう呟いて微笑を浮かべた。聖の策なんて簡単に読める。奇策で相手を翻弄するスタイルは変わらないし、いつもと勝手が変ったら余計にそれに固執するだろう。器用に不器用なんだ、あの男は。そんなことは長い経験で知っている。
 好転している戦況を見下ろしながら首代わりであるマネキンが置いてある聖の隣に視線を移すけれど、まだ誰も到着していないようだった。


「そういえば師範代、領主様がお見えになったんですよね」

「えぇ。今は東関におられます、ここもバッチリ見えますしね」

「なんか見られてると思うと緊張しますね」

「硬くなってるとその分動きも鈍りますから、気にしたら負けですよ」

「そうですけどね……緊張はしますよ」


 領主が来ていると思い出して吉野は彼がいるだろう東関へ視線を移した。遠くて影は見えないが、確かにいて見ているのだろう。主に聖のことを。だから吉野は負けられない。聖が勝って瀬能にいい格好を見せるなんてつまらない。だったら負けてみっともない格好を晒した方が何倍も面白い見世物じゃないか。けれどきっと聖もそんなことを考えてはいないのだろう。吉野同様すっかり忘れている。それは戦場に立てば全ての思考を目の前の敵だけに集中できる根っからの軍神の癖であるし、そもそも聖は瀬能に本気で恋したとは思いがたい。


「師範代!大将軍の奇襲です!」

「何ですって!?」


 この手薄の状況で奇襲をかけてくる力があったのか。戦場を見るとこちらの防衛線は機能しているからそこを抜けてきたわけでは無さそうだ。だったら別働隊、しかも裏から来る奇襲か。奇襲は聖の得意技だけれどこの状況で使ってくるとは思わなかった。惚れた相手が見ていたらもっと派手に勝ちに来ると思っていた。それが誤算か。


「東より侵攻!」

「……やっぱり、甘く見てましたね」

「どうしますか副将!?」

「全員で潰しにかかりなさい!それ以上の伏兵はいないはずです。全軍に撤退命令、防御を固めます」


 吉野の言葉に間髪入れずに待機していた兵が降りていった。侵攻しているのが東なら、そちらを早めに駆除すればいいだけの話だ。聖のことだ、陽動にほぼ全員の人数を使って別働隊には五人程度しか人数を割いていないだろう。大半の戦なら勝てるだろうが、吉野相手にそれは少しぬるい。
 守護を任せて伝令を走らせるとそれが瞬時に伝わって、戦場に駆け回っていた兵たちがこちらに戻ってきている。これで完全防御は完成する。視線を聖のいる陣営に移せば、別働隊が到着したようで自軍の兵が数人周りを固めている。


「これで勝負あり、ですね」


 吉野は無意識にほくそ笑んだ。これで聖は大将でありながら副将に負けるという面目丸つぶれな事を領主の目の前で晒すのだ。信頼どころか男としての株が下がってひどく落ち込むだろう。高笑いしたい気分だ。
 瞬間、背後に殺気を感じて反射的に腰に手をやったが刀は生憎持っていなかった。


「それはこっちの台詞です」


 首に冷たい感触、それは唯一の武器である木刀だろう。後ろにある気配は五つということは大まかな読みはあっていたが最後に守護陣の戦闘力が劣っていたということか。別働隊に主力を使ってしまったので聖が寄越した最精鋭には敵わなかったのだろう。あまりにもあっけない幕引きだが、こんなにも力の差があることが分かった。


「おやおや、流石に強いですね。それにしても二十五人相手にして早かったですね」

「二十五人?俺たち真っ直ぐこれましたけど」

「……違うんですか」


 読み間違えたのか。あっけない幕引きと意外な結末に吉野は笑い出したくなった。角倉聖と言う男はこちらがどれだけ知った気でいてもいつもそれ以上に予想外のことを簡単にやってのける。飽きない男だ。ここまで来たメンバーは聖と馴染みが深い五人で、その中にはもちろん惣太も入っている。マラソンで第一チームを組んだあの五人かと思いながら、降参代わりに軽く手を翳す。


「降参です」

「よっしゃ、太鼓鳴らせ太鼓!」


 首を獲った知らせにお互いのマネキンの横に太鼓を置いている。先に鳴らしたほうが勝ちという単純至極のルールだが、これを実際にやられるととても癇に障る。そもそもこっちの兵だっていいところまで行ったのに先を越されるなんて悔しいような精鋭の成長が嬉しいような。
 太鼓が鳴り響くと、さっきまで敵だった兵たちはお互いの健闘を労いながら中心に集合する。これで今日のメインの演習は終わりだ。気がつけば日も暮れ始めている。










 兵たちには罠を張った山の中で食材を探させ、まさに弱肉強食の世界を見せた。けれどその最中に大将と副将は汗を流していないはずなのに優雅に温泉に浸かっていた。東関に温泉ができると彼らは優雅でいい。


「僕の兵の方が早く着いたと思ったんですけどね」

「ありゃお前の人選ミスだ。俺見てあいつらなんて言ったと思う?」

「皆目見当もつきません」

「『大将のご尊顔に傷などつけられません勘弁してください』」

「…………」


 狙うのはマネキンだから顔に傷つかないしそもそもご尊顔て仏か何かか。大将大好きなのは結構だが変なところで弊害が出てしまったと吉野は溜め息を誤魔化す為にお湯を掬って指の間から零した。空には星が輝いていて先ほどまで戦っていた演習場からは大きな火が上がっているが、その周りでは悲鳴やら不吉な声が聞こえてくる。これも夏の風物だ。


「ま、引き分けってことで」

「情けなんていりませんよ。よかったですね、瀬能様に格好つけられて」


 作戦のネタばらしなどをし終えて、そのままこれからの作業確認に入る。普段ならば明日の演習の確認をして帰りの手配をするところだが、今日はこれから領主謁見という硬いんだか軽いんだか分からない行事が待ち構えている。食事を取りながらとのことで大将副将はいいものを食べられる。これがばれたら下で木の実とか捕まえた肉とかを奪い合いしながら食べようとしている兵たちに反乱を起こされそうだ。


「謁見って誰が来てんだろうな。俺たち軍服どころかシャツしか持ってねぇぞ」

「いいんじゃないですか。急だったんですから」


 暑いときに軍服なんて着ていられるかと演習に持ってくる持ち物はTシャツで構わない。一応軍服もあるが着る気は起きない。そもそも浴衣があるからそれでいいのかとまるで温泉旅行のような結論に至り、聖は満足そうに一人湯船に浮かんだ杯を持ち上げる。


「とりあえず乾杯するか?」

「演習は明日まで続きますよ?」

「でも明日は帰るだろ」


 地獄の軍事演習とはよく言ったもので、兵たちに寝る時間など与えられない。だからこれから打ち上げと称して勝ちチームが花街に繰り出した所で全員疲れ果てて広い部屋に雑魚寝がオチだ。折角軍事費で女を抱いてもいいと言われているのに。それだけ疲れるのは一週間まともに疲れを癒すことができず極限状態に追い込まれるからだろう。
 下の騒ぎを見てから吉野も微笑み、杯を持ち上げた。お互いに注ぎ合って水面に映る歪んだ月に一度視線を落とす。それから、軽く手を上げた。


「乾杯」


 お互いの声が重なって、同時に杯を傾けた。吉野は一杯だけのつもりでこつんと杯を置くけれど、聖は手酌でまた注いだ。このままで呑ませて領主に会ったときにすでに出来上がっていたらヤバイと思ったけれど吉野は止めなかった。それはそれで面白いことになるし、そもそも聖は酒に強いから少しくらい大丈夫だろう。





−続−

聖さんの大丈夫に根拠なし!