己の所業をこんなにも後悔したことはない。普段聖がどんな失態を犯したとしても本人の責任であってざまあみろとまで思うが、今回ばかりはそうも言っていられない。大将の責任はそのまま副将の吉野の責任に早変わりしてしまうのだ。
 唐突に視察に来た領主の謁見に軍服がないからと浴衣という時点で間違っているのだが、今回はそれ以上にひどい。これは正直予想外だ。


「あれ、真坂殿じゃないっすかぁ」

「……何のつもりだ」


 演習に勝って、まだ明日のこともあるので温泉で軽く疲れを取りながら思わず熱燗一本だけは許した。しかし吉野が見ていないところでいつの間にかそれ以上呑んでいたようで、先に上がって聖が出てこないのを不審に思って露天風呂を覗くと、聖が酔いつぶれていた。これから謁見だといっていたのに何を考えているんだこの男は。
 だから、湯上りの出来上がった酔っ払いは妙に馴れ馴れしい仕草で眉間に皺を刻んだ真坂の肩に腕を回した。


「こんなトコまで俺のこと追っかけてきたんですかぁ?」

「……筧君、どういうことだ」

「酔っ払ってるだけです、気にしないでください」


 いっそいないことにして話をしようかと吉野はニッコリ笑うと聖の腹に問答無用で拳を叩き込んだ。しかし鍛えられた筋肉が衝撃を吸収し、さしたるダメージにもならないで聖の美顔を歪ませただけに終わった。恨みがましい涙目でにらんでくるので、文句を言われる前に呆然と立っている瀬能のほうにたたき出す。瀬能と文句では瀬能が勝ったようで何も言わずに瀬能に抱きついた。領主に対してこれでいいのか疑問が湧くが、すべて酔った上での失態でケリがつく。


「ひっ聖!?」

「それで、いきなり視察とはどういった意味がおありなんですか?」

「それは瀬能様に聞いてくれ」

「瀬能様、一体どのような理由でこのようなところへ?」

「その前に助けてくれ!」


 一緒に来たのは真坂だけのようで、今夕食の膳を挟んでは四人しかいない。聖が瀬能に抱きついたまま動かないので無視して進めているが瀬能が悲鳴を上げた。見れば聖は瀬能の膝の上で眠っていて、その顔は実に幸せそうだった。
 こう言っては何だが、聖はここのところ道場に詰めっぱなしで睡眠は取っているが疲労は相当溜まっているはずだ。眠っても仕様がないといえなくもないが、何も領主の膝で寝ることもあるまいに。


「寝てしまったならそのままにしておいても害はないでしょう」

「真坂殿!」

「それよりも、ここに来た理由です」


 吉野が聖に蹴りでも食らわせようかと思ったが、真坂ガその前に必要ないと彼を制した。たぶん領主に対してはありえない映像だが、ここには四人しかいないのでそんなに問題ではないのだろう。瀬能の膝に頭を預けて寝入ってしまった聖を無視して話を進めることにする。瀬能は居心地が悪そうだが、気にすることもないだろう。何かあったら吉野が叩き斬ればいい。


「それで、どうして前例もないのにこんな所に?まだ地方は危険でしょう」

「それは、私が未熟だからだ」

「はい?」


 瀬能は膝の上の聖が気になるのか視線を落として居心地悪そうにしている。しながらも必死で考えているのか言葉がしどろもどろながら伝えたいことを伝えようと必死になっている。


「私は知らないことがいっぱいあるから、少しでもいろいろな事を知りたいと……思って。だから、少しずつでも経験を重ねていけたらと、思って……」

「それはそれは……若いのに殊勝な心がけですね」


 普段盲目な部下たちを扱いている吉野にしてみれば、広い視野と経験を持とうとしている若き領主が立派に見えた。思わず驚きを声に乗せてしまう。領主が食べるほどしっかりした食事ではないが、外で野宿している兵たちから見たら天国のような食事に手を付けながら吉野は改めて弱冠十六歳の領主に不安を覚えた。しっかりしようと努力するし姿勢は認めるが、それで国政が回るのだろうか。まだ大切な時期だろうに中央を空けておくのは問題がないのか、疑問ではある。


「明日には帰るからな。息抜き程度だ」

「あぁ、そうですか。それなら一つ、提案があります」

「提案?」


 にっこりと吉野は笑って、いい加減に聖を叩き起こした。明日も朝から演習なのだ。しかも、聖にしたら演習のメインにあたる精鋭対その他だ。演習は中央の精鋭だけを引き連れてくるものだが、最終日には各地に配属されている精鋭が終結し、本当に精鋭部隊が揃う。だからこそ楽しい、中央対地方の決戦になる。
 吉野の提案を真坂は面白そうに瀬能に「何事も経験です」といけしゃあしゃあと言って賛成してくれた。










 翌朝日の出と共に法螺貝の音で目を覚ました惣太達は、朝食もそこそこに昨日と同じ場所に集合した。今日は忙しい。百五十対三百五十の人数差がある演習をした後、ここから走って中央まで帰る。それで地獄の演習が終わるのだ。


「そういえば、今日って師範の誕生日ですね」

「そーなのよ。昨日の演習も勝ったしさ、戻ったらなんかしてやろうな」


 隣に小声で声をかけると、年嵩の先輩はにこっと笑った。夏真っ盛りとは言えないが相当暑くなった七月の終わりは聖の誕生日だ。毎年兵たちはどうやって聖の誕生日を祝おうか頭を悩ませていた。去年は確か、でっかいケーキでお祝いした。
 こそこそ話をしていると、聖に不機嫌な顔で睨みつけられた。何だか顔色も青いみたいだが大丈夫だろうか。しかも聖の後ろには領主様もいたりなんかして、一体今年の演習はどうなるのだろう。


「ラストだ、気合入れていけよ。中央対地方、人数は二倍以上だ。楽勝だと思うが、気張れ」

「今回は領主様と意見者様がいらっしゃったので特別ルールです。瀬能様が我が陣営の総大将、地方組の総大将は真坂意見者にお願いしました」

「えぇ!?」

「あちらはある程度戦える大将ですが、こっちは戦えない大将ですからね」


 いつもなら中央組大将が聖で、地方組大将が東の軍団長だ。それを何故戦いを知らない物にやらせるのだろう。けれど見ると聖も何となく腑に落ちない顔をしていて、その隣で吉野が微笑しているので彼の独断だということが分かる。一体何がしたいんだ、あの人は。


「向こうの大将は少しは戦えるみたいですから、どうぞ安心して突っ込んでください」

「作戦説明するぞ」


 大抵、戦の時は聖が前線に出てそこから指示を飛ばすのだが、今回は戦えない総大将の守護をするので前線に赴かないらしい。一騎当千と叫ばれる竜田軍だ、たかが二倍でも油断はできない。聖の言葉に真剣に耳を済ませたが、聞いた言葉を疑った。


「全員突っ込め。どうせあっちは裏を掻くとか考えるはずだ、ねぇ裏は掻けねぇ」

「全員理解しましたね?では行ってらっしゃい」


 吉野の言葉とほぼ同時に、法螺貝が鳴り響いた。演習開始の合図だ。まず大将への誕生日プレゼントは勝利だとばかりにみんなで雄叫びを上げて、木刀を引っさげて駆け出した。正直作戦に心配はあるが、聖が大丈夫だと提示した作戦だ。それに、総大将が瀬能だろうと聖が負けるわけがない。
 相手は挟み撃ちに来たのか、二手に分かれている。それをまるで無視して全員一丸となって突っ込んだ。相手は少し怯むが、容赦なく打ち込んでくる。それを身を低めて交わし、起き上がりざまに片手で打った。浅いが、当たり所がスネなので一瞬動きを封じられる。


「惣太、危ない!」

「うわっとぉ!?」


 悲鳴にも近い声を上げながらも、惣太は気配の方に容赦なく木刀を薙いだ。数人の脇腹にめり込んで一掃。そのままの勢いで木刀を持ち替えて反対方向に振り回す。近くの敵を片付けたらまた走り、隣の鉄五郎にニカッと笑いかけると鉄五郎も笑った。
 鉄五郎は初めての演習なのによくついて来ている。惣太が初めてのときなんて、いつもいっぱいいっぱいだったのに凄いものだ。国では普通に生活していたというのに。もしかしたら才能かもしれない。


「鉄、大丈夫か?」

「大丈夫!惣太こそ」

「馬鹿にすんなよっ!」


 いいながら、正面から打ち込んできた相手の懐に入り込み鳩尾を強打。吹っ飛んだ相手の隣を通ろうとした瞬間に、足首を強い力で掴まれて鉄五郎と一緒に転倒した。木刀の柄尻で叩いたから悪かったのか、敵はまだ生きている。思わず手をついて、顔を上げようと思ったら影が落ちてきた。しまった、見事に罠にはまった。どうせこいつは囮で、周りに何人か待機していて動けない所を叩く所だろう。大したものだ。
 衝撃が来ることを覚悟したけれど、衝撃の変わりに姿を知らない二人の呻き声が聞こえた。


「大丈夫か惣太!?」

「た、助かりました……」

「おっけ、無事だな。ここは任せて行け」


 守ってくれた先輩たちには申し訳ないが行かせてもらい、惣太はさっき倒した男の額を打って抵抗を外しまた駆け出した。目指すは正面、敵の総大将だ。
 ちらりと後ろを振り返って聖を窺うと、本当に具合が悪いのかぐったりとしゃがみこんでいる。昨日までピンピンしていたのにどうしたのだろう。これで二日酔いとかだったらこのまま全軍で叩きに行くのだが。


「惣太、あっち!」


 少し乱れかけた相手の軍勢の間を縫うようにして侵攻していると鉄五郎が指を指したところにどんと構えて真坂が座っていた。本当の大将と言うのはああいう事を言うのだろうと少しだけ納得してしまう。いつも聖はヘラヘラ笑って戦場に一番槍は渡さないとばかりに突っ込んで行く。本来の大将はあのように後ろで構えているものだろうに。


「この勝負もらった!」


 後一ふんばりだとばかりに敵将の本陣のある小山を登った。おかしなことに誰も敵が出てこず、ここで大量に精鋭部隊と衝突するだろうと思っていた惣太は拍子抜けを通り越して何かあるのではないかと辺りに素早く視線を動かした。
 惣太とてまだ十五とはいえ数々の修羅場をくぐってきている。初めは聖の腰ぎんちゃくとして喧嘩の場に赴き軍人になってからも数々の戦を聖の隣で常に最前線を見てきた。それなりに感覚は研ぎ澄まされている。


「ラッキー!行こうぜ惣太」

「待った。何かある……」


 突っ込もうとする鉄五郎を制止させて、体を木に隠して下を振り返る。まだ演習場の平地では小競り合いが続いている。初めは綺麗だった陣形も、中央組が相当引っ掻き回したのだろう最早見る影もない。人数もだいぶ減っているから大健闘だ。更に向こうの本陣に目を移すと、聖が吉野に足蹴にされてそれを領主が止めている。何だ、この図。
 ドンドンドンと、太鼓が鳴った。


「へ?太鼓?」


 どう聞いても聞き間違いはない、終了の太鼓だ。惣太達が一番前を走っていたように感じていたし事実さっきまで人の姿は見えなかったのに、先に到着した奴がいるのだろうか。それとも裏切り?
 わけが分からないしここからでは何も見えないのでとりあえず本陣に駆け込んだ。そして愕然とする。真坂が両手を挙げさせられ、見事に降参している。太鼓を叩いているのも木刀を突きつけているのも、さっき助けてくれたはずの先輩たちだ。


「おぅ、惣太。遅かったな」

「なんでいるんですか……」

「俺たちの勝ちー」


 本当にどうしてか分からないが、にぱっと笑ってくれた先輩に体から力が抜けた。その場にへたり込むと鉄五郎が思いやるように背中をなでてくれたが全く嬉しくない。何だ、このやるせない気持ちは。


「勝ったのにそんな落ち込むなよ。チームワークの勝利だろ」

「……そーですけどね」


 聖さんに褒めてもらいたかったという言葉を辛うじて飲み込んで、惣太は立ち上がった。太陽は天頂を少し過ぎた頃。これからここの片付けをしてお昼を捕獲し、それから帰路につく。もうすぐ眠れると思ったら、やっぱりなんだか楽しくなった。





−続−

演習編も終わります。
聖さんが21歳になりました。