演習から帰ってきてやる事と言ったら負け組は詰所で不貞寝、勝ち組は花街豪遊だと慣習で決まってしまっている。その例に漏れず聖は勝ち組を引き連れて馴染みの店に入った。皆楽しみにしていた宴といえど、やはり演習帰りはしんどいのか少し呑んだら半数が脱落した。
「ひっじーりさんっ」
「りーこちゃん。あれ、可愛くなった?」
「やぁん、お上手なんだから」
後ろから細い腕が回ってきて聖は顔を上げた。背後の確認すれば、甘えた顔をした馴染みの芸妓が少し酔ってでもいるのか酔った振りをしているのか体を押し付けてきている。豊満な胸が背中に押し付けられているのを感じながら聖が笑うと、彼女はするりと聖から離れて隣に座ると自然な仕草で酌をはじめた。
「今日こそあたしの相手してくださいね?」
「オッケオッケ、俺りーこちゃん大好きだし」
「……師範が大好きって言うの、珍しいですね」
となりでお茶を飲んでいた鉄五郎がぼそりと呟いた。その隣では相当疲れていたのか惣太が大の字になって眠っている。意外なところから出た意外な疑問に聖は思わず鉄五郎を見た。普段、明るく振舞っていてもふとした瞬間に陰鬱な表情を見せる鉄五郎がそんなことを思うのが以外だった。そういえば、惣太と一緒にいないときはそんな表情が多いかもしれない。
「そっかぁ?あー、俺結構好きとか嫌いとか口に出さねぇから」
「でも聖さん、言っても冗談ばっかり」
「だから、マジで好きって言わねーの」
「何で何でぇ?」
甘えながらも酌をしてくれるので適度に呑みながら聖は鉄五郎の頭をくしゃりと撫でた。もしかしたら鉄五郎が明るく振舞っているのは惣太に気を使っているからかもしれない。だったら気を使わせないように、そのくらい親しくなって欲しい。少なくとも惣太はそのつもりで鉄五郎に接している。
頭を撫でられると意外そうに、少しだけ泣きそうな顔を鉄五郎は作った。その表情の意味は理解できないが、ただ慣れていないだけだと理解した。
「だってマジで好きになれねーもん」
「あたしは聖さんのこと大好きなのに」
「だから俺も大好きだって」
「どこがぁ?」
「胸でかいとこ」
「やぁん!」
ケラケラ笑って彼女の袷から手を突っ込むと、悲鳴を上げながらも笑った。そろそろそのまま宴会の席から消えても良いかと思ったが、鉄五郎がじと目で見てきたのでやめて手を引っこ抜いた。どちらかというとこれから楽しみたい所なのは彼女も一緒のようで、僅かに不満な顔をしてみてくる。
「聖さぁん?」
「まだそんな気分じゃねぇ」
「えー」
「……師範は、婚約者がいらっしゃるんですよね?」
鉄五郎の口から出てきたのは、ここでは聞きたくない話題だった。よく知っているというかこの国になじんできたというか、嬉しいような嬉しくないような感じだ。それにまだガキの証拠かそういう細かい所に真剣でこういう隠れた遊びが許容できないようだ。その点惣太はもう諦めているのかもしれないが、文句は言わないし婚約者云々言ってこない。それが惣太と鉄五郎の間にある年季の差なのかもしれないが。
確かに聖には婚約者がいるが、今微妙な状況であると昨日真坂に耳打ちされた。婚約解消の方向で話が進んでいるらしい。これだから政略結婚は面倒くさい。
「あのな、鉄。婚約者がいようとここでは関係ねーの」
「だって、浮気じゃないですか」
「そんなこと誰も気にしないわよぅ。みぃんな遊んで大きくなるんですもの」
「りーこちゃんの言うとおり。だからそんな顔すんなよ」
「……師範の女好き」
「気にしてるのは小田原の若様くらいかしら」
むすっとした鉄五郎を宥めることに時間を割こうと思った聖の耳に飛び込んできたのは面白そうな言葉。小田原の若様と言ったら小田原家の出世頭、小田原秋菜。確かそこそこ綺麗な奥方が一人いたんだったか。ここでそんな面白い話が聞けると思っていなかったので聖は思わず鉄五郎を放ってそっちの話に食いついた。
「何、秋菜ちゃんここ来んの?」
「一族の会合とかにお使いになるんだけどね、小田原の若様だけが帰ってしまわれるの」
「うわ、空気読めねー奴」
「でも婚約者いるのにこんなに頻繁に来る聖さんも珍しいですよ?」
「それはほら、ご愛嬌」
確かに月の四分の一以上ここで過す男もそういないだろう。けれど聖の目的は実は好色ではなくただの現実逃避とか単純に実家からの逃避だったりするので、そんな変なイメージもない。周りの女性太一は何かもう聖がここに住んでいるんじゃないかと思っている節もある。造形が美しいものだから気色悪い感じも全くないので、別に噂にもならない。これが脂ぎった男だったら大層な噂になっているだろうに。
「鉄?……何だよ、寝ちまったのか」
「お布団用意します?」
「いい、転がしとけば」
話が途切れた正に一瞬で眠ってしまったようで、鉄五郎の手は箸をしっかり握っていた。危ないからと箸だけは取って軽く転がすと、惣太の隣で身を丸めて歳相応な幼い寝顔を晒す。なんだかんだ言ってもまだ若すぎるほどに若いのだ。こんな所にいるのが不自然なくらいに。
今日は部屋中を回って世話を焼いてたみどりが少年たちに気づいて毛布を持ってきてくれる。何となくみどりと目が合って微笑みあう。それを見ていたからか、りーこが甘えるように擦り寄ってきた。
「じゃああたしたちも……そろそろ楽しいコト、しよ?」
「……そーするか」
「聖さん、昨日お誕生日だったでしょ?たっぷりサービスしてあげる」
「そーだっけ?まぁいいや、じゃあ俺もすっげ頑張る」
せっかくだし、たとえ勝ち組全員が力尽きて寝ていようと起きているんだから何をしても構わないだろう。そのために金も払っているし。聖は死屍累々な部屋を見廻して演習の恐ろしさを痛感しながら、これも誕生日プレゼントだと理解して超笑顔で立ち上がった。
しっかり楽しんでしっかり眠って本部に帰ってくると、なぜか瀬能に呼ばれていると言われた。別に公式なものではないというので、適当に着替えて聖は瀬能の部屋に向かった。さっきまで着物を着ていたけれど一応領主との謁見なので軍服を着ているが、夏真っ盛りの暑い時期に着ていられないのでシャツだけ。
「瀬能様ー、俺です」
領主の部屋の前でだいぶ砕けた呼び方で名乗り方も適当に聖は返事を待たずに部屋に入った。執務室にいないので中を回って私室にノックもなしに入ると、悶々と何かを考えていたらしい瀬能がばっと赤い顔を上げた。何だか泣きそうな顔なのでこっちが驚く。
「瀬能?熱でもあんのか?」
「な、何でもない!」
熱っぽい顔をしているので近づいて額に手を伸ばすが、触る前に熱い手に叩き落とされた。悲鳴にも似た声を上げられて若干どころか相当凹む。なんでいきなりこんな仕打ちを受けなければ分からなくてちょっと凹みながらも聖は瀬能の机に浅く腰掛けて彼の顔をじっと見た。
「俺なんかした?」
「……覚えてないのか?」
「…………覚えてないこともない、けど」
酔っ払って膝枕で眠ってしまったことだったら朝謝った。あれも誕生日の恩恵と思うことにして自分を慰めていたが、もしかして瀬能はずっとそのことを考えていたのだろうか。嬉しいような嬉しくないような微妙な心境になれる。
「膝枕で怒ってんの?」
「…………」
「何だよ、膝枕くらい」
「くらいって!」
聖にとっては膝枕くらい、だ。たぶん眠くてそこにいたら好きでも何でもない女に強請るし、いなかったら惣太の膝を枕にする可能性だってある。それをたったそれだけでこんな真っ赤になって無理矢理何かしたみたいな表情を浮かべなくたっていいのに。何となく、彼女を思い出すから。
「もしかしてさ、瀬能ってそういう経験ねーの?」
「そういう、経験?」
言ってから聖はしまったと思った。相手は領主だ。政治の中心に生まれたときからいた。その人間に対して惚れた腫れたの経験があるわけがない。どうせ恋だってしたことがなくて、結婚も政略の一つだと思っているのだろう。真っ赤な瀬能からはただの初心しにか見えないが、多かれ少なかれそういうものだ。
言ってしまった言葉をどう誤魔化そうかと思ったが誤魔化しようもなく、ただ自分のだらしなさが露見しただけだった。
「いい、なんでもない」
「何でもないって……ひ、聖は馴れているんだろうが、私は……」
「いや、別にだからっ」
「だって聖は!」
思わず声を荒げたが、それ以上に声を張った瀬能の我に帰って落ち着くためにポケットから煙草を取り出して一服つけた。本当は領主の部屋で煙草を吸うのはよくないのは分かっているが、それどころじゃない。
「落ち着け瀬能、俺が悪かった」
「……だって、聖が」
「俺は結構そういうとこ適当だから、婚約者も怒らしてばっかだし」
「聖のそういうところ、嫌いだ」
「…………マジで凹むんだけど」
「だから、直せ」
好きな人に嫌いって言われることほど辛いことはない。聖は始めて向けられた負の感情にドカンと打ちのめされながら、続いた台詞に思わず胸をときめかせた。悪い所を見てなお絶望してくれない人間がいる。今まで好きな人に対して悪い面を見せまいと虚勢を張ったこともあったけれど、きっと彼女に許されたらこんな気持ちがしたのだろう。
それにしても今日は妙に彼女のことを思い出す。夏が来たからだろうか。だから夏はあまり好きじゃないんだ。
「善処する……」
「よし」
「もしかして、俺が呼ばれたのってそれだけ?」
瀬能が満足そうな顔をして頷いて口を噤んだので、もしかしたらこれ以上何もないのかと思わず聖が言うと瀬能は少しばつが悪そうな顔で頷いた。もしかして、これはいい方に解釈してもいいだろうか。思わず聖の顔にも笑みが浮かぶ。
「それとも、俺に会いたかったとか」
「う、うるさい!さっさと行け!」
「えー、俺折角誕生日だったんだからちょっとは素直になっとこうぜ」
ぼっと赤くなった顔に聖は確信した。瀬能は少しでも自分に気がある。茶化すように笑いながら言うと今度は瀬能がきょとんとした顔をしてじっと見つめてきた。こういう顔はまるで少年のそれだ。歳よりも幼く見える。歳と言えば瀬能は十六、自分は二十一。犯罪だろうか。
「聖、誕生日だったのか?」
「昨日で二十一」
「行ってくれればよかったのに!お、おめでとう。でも何も用意してない……・」
「別にいらねーよ。その言葉だけで十分」
昨日から兵士たちに祝われ花街でも祝われ今日帰ってきてみれば祝われたので、そろそろ祝いも終わりにして欲しいと思っていたところだ。締めが瀬能の「おめでとう」だなんて今年は何だかイイ事がありそうじゃないか。
ついでに瀬能から頬に唇でももらおうかと思わず考えていると、外から兵の濁声が響いてきた。
「師範、いらっしゃいますか!師範代がお呼びです」
「……なんで俺が呼び出されなきゃいけねーんだよ」
普通大将が呼び出すもんじゃねーの?と疑問が浮かぶが、吉野が呼びに来させるということは結構重大な話だろう。そうでなければ内容も伝えてくるはずだ。多少嫌気が差しながらも瀬能に別れを告げて部屋を出た。
夏真っ盛り、蝉が煩いくらいに鳴いていたことに今になって気づいた。
−続−
聖さんは巨乳好き