軍部に戻ると、吉野が難しい顔をして押し黙っていた。重要な用件でも基本ステータスである笑顔は装備しているはずなのに、この緊張感は一体なんだ。暑いのが我慢できずにシャツのボタンを全部外し、それでもあきたらず扇子をパタパタやりながらだった聖は思わず扇子を隠したほどだ。


「何だよ、何事?」

「……大変なことになりましたよ」

「な、なんだよ……」


 何があっても「それは大変ですね」の一言で済ませてあまり大変な感じをさせない吉野が重い声で大変だと言った。その不可思議さも聖の不安を煽った。とりあえず落ち着こうと執務机に座った吉野を目で促してソファに移動させ、その間に熱い茶を淹れてやった。いつもなら自動的に茶が出てくると思っていたが、そういえば惣太がいない。


「そういや、惣太は?」

「今日は非番ですから、ご実家じゃないですか?」


 お茶を啜りながら呟いた吉野に聖はあまり納得していないように返事して煙草のケースとライターをポケットから出しテーブルの上に置いた。普段、非番だからと言って休む兵はあまりいないし、惣太だって非番の癖にここにいることが多い。もちろん鉄五郎も非番なのだが、当たり前のようにここにいる。


「で、何が大変なんだ?」

「町外れからの嘆願なんですけどね、あの辺てお墓があるじゃないですか」

「あぁ」


 城下町とも呼ばれる中央の町外れには町人の墓が集まっている。貴族の墓はその家の敷地内にあるのが常なのでそこからなにか要望があるわけもないし、兵の遺体は要望次第では竜田山に葬られることになっている。ともかく、それ関係となれば墓荒しでも出たのだろうか。竜田軍は軍といえど警備組織も担う何でも屋のような存在なので、この手の話もよくある。そういえば、梅雨の前に直した井戸はちゃんと使えているだろうか。


「そこで出るんだそうです」

「墓荒し?」

「幽霊」


 やっぱり墓荒しかと呆れ混じりに言いながらお茶を啜るが、予想外な吉野の言葉に危うく吹きかけた。逆に吸い込んで熱いし気管に入るしで思いっきり咽かえる。鉄五郎だけが心配して背を摩ってくれたが、吉野は哀れなものを見るような視線だった。


「幽霊って……」

「何人も見てるらしいですよ。青白い火の玉」

「それをどうしろってんだよ」

「退治してください」

「無理言うな」


 幽霊なんていないし、いたとしても触れられたものじゃない。どうやって退治しろと言うんだか。むせ返って気分も悪くなり、聖は煙草に手を伸ばした。引っ張り出した一本に火を点けて、紫煙で落ち着こうとする。
 吉野の話を詳しく聞きながら報告書に目を通せば、演習から帰ってきた辺りから出始めたらしい。初めは荒しかと思って近づいたが、ただ何もないところに火の玉が浮いていただけだった。それが一度ならば幻だ見間違いだといえただろうが、すでに目撃者は片手では足りない人数になっているようだ。そこで漸く軍に乞うて来たというわけだ。


「墓場って朱門の向こうか」

「そうですね。さっそく調べてきてください」

「……俺が?」

「貴方、他にやる事あります?」

「ねぇけど」

「じゃあ問題ないじゃないですか」


 にこっと吉野が笑ってくれるので、聖は抵抗すらできずにガックリと頭を落とした。まあ、この暑い夏に怪談はもってこいだと思う。もってこいだと思うがそれは話の中だけであって、現実に妖怪退治とかは別問題だ。けれど吉野が逆らったら何を言われるか分からない笑顔を浮かべるから、これはもうしょうがないと諦めて聖は立ち上がった。










 クソ暑い中軍服を羽織って、聖はとりあえず現地調査と言うことで鉄五郎と一緒に城下を歩いた。もしかしたら惣太抜きで一緒に歩いたのは初めてかもしれない。鉄五郎を拾ってもう一年近く経とうとしているが、考えてみたらいつだって惣太や吉野がいて純粋に二人きりになったことはなかった。


「聖さぁん、お出掛け?」

「ども。仕事ッスよ」


 考えながらも歩いていると、そこら中で声をかけられた。思わず立ち止まって二言三言言葉を交わしてしまうものだから、中々先に進めない。みな聖がこの時間に出歩いていると軍服を着ているにも拘らず暇だとでも思っているのだろうか。城下の声を聞くのも仕事のうちでよかった。


「あら残念。お茶でも飲んで行ってもらおうと思ってたのに」

「寄り道すっと怒られるからさ、また今度誘ってよ」

「あ、そうそう。美味しいスイカがあってね、でも今邪魔よね。届させるわ」

「サンキュ。そこら辺の兵に預けてくれればいいから、今度お礼しに来んな」


 にこりと笑って聖はその場を離れた。五分と立たないうちにまたこんな風だから、惣太はすぐに怒った。けれど鉄五郎は怒らないようで黙っている。気が付けば親しい者たちからの申し出でバーベキューくらいができそうな食料になっている。これを一々貰っていたら大変なことになるだろう。夕方には食材をもった兵たちが本部に行って吉野を困らせることになるだろうが、気にしない。そんな後のことは後このとだ。


「師範、あれ惣太じゃないですか?」

「どれ?」


 朱門の前まで来たとき鉄五郎が指差したのは、朱門の門外で向き合っている少年とまだ見習いだろう少女だった。確かに着物の少年の方は惣太だ。聖が昔から度々連れて回っていたからとうとう初めての置屋遊びだろうか。思わずにやりと笑みが浮かんでくるが、なんだって見習いと言葉を交わしているのだろう。やはり置屋遊びには合点がいかない。


「惣太?」

「ひ、聖さん!?」


 後ろから近づいて声をかけると、惣太は裏返った声を悲鳴にも似せて上げた。人をバケモノ扱いしやがって、と軽く口の端を引きつらせながら見習い少女を見ると、本当にまだ幼い風貌だった。しかも、見覚えがある。軽く記憶をひっくり返し、聖は思いあたる顔を引っ張り出す。


「貪婪の見習いちゃん?」

「聖様、いつもお世話になっておりますっ」

「こんな所で何やってんだ?」

「聖さんこそ!昼間っから何やってんですか!」

「俺はアレだ、仕事。な、鉄」

「はい!惣太こそ何やってんの」

「俺のことはいいんだよ!じゃあまた、行きますよ聖さん!」


 急にまくし立て、惣太は聖の背を押すようにして朱門から離れようとした。深々と頭を下げて見送る少女に聖が笑顔で手を振ると、はにかみながらも手を振り替えしてくれる。まだ見習いの少女は初心な所があって可愛い。聖にとっては年端も行かぬ子供を見ているようで和むのだが、惣太にとっては違うらしい。悲鳴のような喚き声を上げている。


「何だよ、うるせぇな」

「だってだってだって聖さん!」

「何がだってだっつの。つーか俺、あっち側に用があんだけど」

「迂回してください!」

「惣太どうしたの?とりあえず落ち着こうよ」


 混乱しているのか口早に「だって」と繰り返している惣太を鉄五郎が宥めるので、聖は軽く頷きながら振り返った。これで吉野に調査できなかった言い訳が出来るのはありがたいしそれ以上に面白い土産話が手に入った。相手は貪婪の見習い芸妓。聖も面識はある。一体何があったのかは知らないが、もしかしたら遅い春が来るのかもしれない。


「惣太」

「何ですか!?」

「あの子なんて言ったっけ」

「ど、どの子ですか?」

「あの見習いちゃん」

「知りませんよ!俺が知るわけないじゃないですか!」

「怪しいよな、鉄?」

「怪しいですね、師範」


 にたっと笑って鉄五郎と示しをあわせると、惣太は初め顔を真っ青にして固まったが、次第に泣きそうな表情を浮かべて許しを乞うて来た。それを認めるほど、聖は甘くも優しくもない。










 貪婪の見習い芸妓、姫菜。聖も何度か膳を運んできたのを見たことがある。聖はよく惣太を連れて行ったし、聖が居続けしているときに迎えに来るのも惣太なのでそのときに親しくなったのだろう。十五になった惣太が大人になる日も近いかもしれない。


「それが理由ですか?」

「……仰るとおり」


 本部に戻って嬉々としてその話をしてやっても、吉野はにこりともしないどころか優しげな声に明らかな怒気を含ませて問うてきた。今は惣太と鉄五郎に現地調査をさせているが、一体それに意味があるだろうかは疑問が残る所だ。本当に火の玉だったら証拠も何もあったものじゃない。
 聖の見立てでは幽霊じゃない。いくら夏で怪談が流行するからと言って実際怪談話をふっかけられても困るのだ。けれど断定でいる材料もないのは事実で、こうして考えざるを得ない。


「でもさ、惣太の初恋かもしれねーぞ」

「惣太君が、見習いさんとですか」

「いいじゃん、可愛くて。今度惣太誘って呑み行くか」

「あまり悪い遊びを教えたらいけませんよ。惣太君は佐々部の長男なんですから」


 惣太が女に興味を持つことは喜ばしいことだ。特に聖にとっては、遊んでも言われる文句が減るだろうという目論見がある。けれど彼は貴族の嫡子だ。遊びなら構わない。聖のように好きだの何だのと言っていられるのなら誰も心配したりしない。けれど、あの年頃の少年がそう簡単に割り切れるものではない。だからこそ、問題があることに本人も気づいていないだろう。


「でもさ、マジで惣太には一回女ってモンを教えた方がいいとは思ってんだ」

「……そうですね。それはいいと思いますよ」

「よりにもよって、花街の女か」


 聖が少しだけ淋しそうに呟くから、吉野は言葉を失った。聖は花街の女の腹から生まれた。角倉の人間だと言われていてもその実、当主が遊女に産ませた子供に過ぎず物心つくまでは花街で暮らしていた。だからだろう聖は黒門には頑なに行きたがらない。だからこそ思うことも多いのかもしれない。少なくとも雰囲気が何か言葉では言い表せない感情に震えている。


「人の恋路に手を出している暇があったら幽霊退治の方に精を出してください」

「へいへい。大輔、今どこにいる?」

「医部に訊かないことには分かりません」

「ちょっと行ってくる」

「いってらっしゃい」


 これ以上聖と一緒にいたら吉野ですら堪えに急須問いに出くわしただろう。いつもなら出かけに文句の一つでも言うのに、今日はひらひらと手を振って見送った。軍医は軍に属して入るがその主は医部であり、医部で薬の研究をこなしているものが多い。大輔もその一人だし、その筆頭はやはり皇里だ。
 医部は軍部の一階上にある。エレベータを降りて左側の手前の部屋だ。普段余り来ることはないが、今日は大輔を連れて行かねばどうしようもないだろう。こういうときは沼賀の人間がいてよかったと実感できる。エレベータで一つ上がり、スタスタと医部の前まで来ると聖は軽くノックした。中から返事がって、少ししてからドアが開く。


「はい……、角倉大将」

「うちの軍医で沼賀大輔ってのがいると思うんだけど、いるか?」

「少々お待ちください」


 出てきた医部官は小声でそう言って戸を閉めた。聖は医部をどうも好きになれない。何となく陰気臭い所かもしれないし愛想のないところかもしれないが、とにかくどこかが相容れないのだ。ダメなものを克服する気力もないので何もしないが、だから二階以外の部署に連絡するのは惣太たちに任せるのが一番なのだ。貴族の長男で愛想のいい惣太がいればこそ、スムーズにことが運ぶのだろう。こう考えると惣太はすごい役に立つ。
 しばらく待っていると大輔が皇里と一緒に出てきた。別に皇里は呼んでないと聖がばれないように口を尖らせると、なぜか不機嫌に皇里は奥に引っ込んでしまった。一体なんだったのだか。


「お呼びですか、師範」

「ちょっとついて来い。お前にしか頼めない仕事だ」

「はい!」


 ぱっと顔を輝かせた大輔を連れて聖は今度は一階に下りた。一階は聖が一番苦手としている所だ。けれど今回どうしても気になることがあったのだからしょうがない。大輔を伴って一階の入り口側右手、ちょうど軍部の真下になる部屋をノックさせた。祠官長には聖は完全に嫌われている。必要な用があったとしても門前払いは当たり前なので、聖はここに来る時は大抵大輔に行かせている。
 祠官は祭祀を司る。領主の墓もそうだし、寺などの信仰の類も一列に並んでいる。だったら、と聖が思うのも当たり前だろう。軍部は基本形在るものを相手にするのだ。無形のものは相手にできない。


「沼賀大輔でございます。兄の次麻呂はいらっしゃいますでしょうか」


 扉の向こうから呼びかけると、中から返事があった。けれどそれはひどくか細い。もしかしたら毎回同じような手を使うから今回は誰が来たのか分かって居留守でも使うかもしれない。そうなっても別に構わないと思いながら待っていると、意外にもドアが開いた。


「何かあったのか、大輔」

「角倉大将がお話があるそうです」

「角倉、大将……」


 聖の姿を認めて、次麻呂は苦虫を噛み潰したような表情になった。それにへらりと笑って見せるが、彼は更に表情を硬くしただけだった。もしかしたら聖のこういう軽いところがダメなのかもしれない。


「用件は手短に」

「単刀直入に聞きますけど、おたくって幽霊退治とかしてます?」


 つっけんどんな態度なので、聖はさらっと言った。けれどあまりにも簡単に言ったからか次麻呂は自分の聞き間違いではないかと目を大きく見開いていた。信じていないようなのでもう一度同じ言葉を大きめの声で繰り返せば、彼は怒ったように真っ白な顔を赤くした。


「幽霊などいるわけがないではないか!からかっているのか!?」

「信じてないならいいです、聞いてみただけなんで」


 やっぱり普通にいる訳ないんだなと今更な感想を抱いて、聖はさっさと踵を返した。祠官では受け持ってくれそうにないようだ。だったらやはり自分たちでやらねばならぬようだ。やっぱり惣太に任せようかと思いながら、聖は足早に本部に戻った。戻ったらたくさんの食材が届いていて、吉野が呆然としていた。





−続−

夏の風物詩と言ったら怪談。