すっかり夏の気配が過ぎ去って秋といえる時期になった。竜田山の木々は綺麗に色付き、燃えているような様相をしている。その山を眺めて、聖はとても億劫そうに細めた。佐保の領主が来ると実際に言われたのはだいぶ前で、それが現実味を帯びたのは一週間ほど前だ。国境まで今は吉野と惣太が軍を率いて迎えに行っている。今回は珍しく聖が留守番だ。吉野曰く、初めから貴方が行ったらカルチャーショックです、だそうだ。


「佐保の千秋様は、どのような方なのだろう」

「聞く話では寛大で聡明な名君だそうですよ。あれ、緊張してます?」

「あぁ……」


 吉野から昼過ぎに着くと連絡を貰っているので、聖は瀬能や国の重鎮たちと一緒にその到着を待っている。そわそわ落ち着かない瀬能の会話に応じつつ、煙草を吸いに外に出たいと思うのはここの空気が重いからだろう。どの人間も佐保の領主が来ることには賛成だが、聖がここにいるのが気に喰わないようだ。
 よほど緊張しているのだろう震える声を出す瀬能に苦笑し、彼の耳元に唇を寄せて誰にも聞こえないくらいの声量で囁いた。


「光定殿よりも怖いなんてことありえませんから、大丈夫ですよ」

「……聖、後で顔を貸せ」

「やだな、聞こえました?」


 聞こえないように言ったはずなのに聞こえてしまったのか、真坂が苦い顔をしている。誤魔化すように聖が笑って視線を逸らすと、目に飛び込んできた山は真っ赤だった。その裾野を行列の緒が通っている。そろそろだな、と思ったら部屋の扉がノックされて小田原が姿を現した。彼は真っ直ぐに聖の許に歩み寄り、顔を寄せる。


「到着しました。副将から伝言だ、あちらの大将は大層な巨漢らしい」

「……なんだよ、そのどうでもいい伝言」

「さぁね」


 クスリと笑って、小田原は部屋を出て行ってしまった。
 聖は溜め息を一つ吐いたが、到着したことを瀬能に口早に伝えた。彼は緊張に顔を引き締め、席を立つ。出迎えは残留した軍人全員が行い、迎賓館に入ってもらった。これから面会するのは瀬能と意見者の真坂、そして総督の角倉だろう。聖は彼ら三人の後に付いていきながら早く煙草が吸いたいと切に思った。


「柊は?」

「柊様は今夜お会いいただきます。これから行われるのは領主同士の会談です」


 歩きながら首を傾げて妹の姿を探した瀬能に角倉が厳しい声で釘をさす。びくっと肩を震わせた瀬能に聖は僅かに同情した。そんな怯えさせるようなことなどしなければいいのに、かわいそうに緊張と重圧で苦しそうな顔をしている。
 外に出て迎賓館に向かう道すがら、警護に行って来た兵たちが点々と倒れていた。みるとそれは迎賓館から大正門へと伸びている。一体こいつらは何をしていたんだ。思わず聖は一人の兵の許にしゃがみこんで顔を一発叩いてみた。


「おい、どうした?」

「師、範……師範代、が……」


 一度目を開けた兵は、頬を赤くして薄く目を開けた。けれど師範代がと言っただけで力尽きてガクッと今度こそ気を失ってしまう。全く要領を得なかったけれどどうせ吉野が何かしたのだろうと合点して無視することにする。鬼の副将に任せた時点でこうなることは少し予想していたので、今言及しようとは思わない。


「聖?」

「今行きます」


 数歩進んだところで待っている三人の影に聖は肩を竦め、立ち上がった。ポケットに指をねじ込んで長い足を持て余すように歩き、追いつくとすぐに彼らも足を進めた。迎賓館の周りには佐保の兵たちが立っていた。躾が良さそうだと感心しながら、聖はポケットの中の煙草を弄んだ。










 佐保の領主がいるという部屋の前には吉野と惣太が立っていた。何だか吉野は楽しそうに笑っているが反対に惣太は疲れ果てたようにげっそりとしている。対照的な二人に聖はかける言葉を見つけることができなかった。縋る視線で見上げてくる惣太から逃げるように顔を逸らし、近くに控えていた鉄五郎に「代わってやって」というので精一杯だ。
 部屋に入ると、品の良さそうな男性が静かに座っていた。彼の後ろに控えているのが噂の巨漢大将だろうか、確かにでかい。


「瀬能殿、大きくなられましたね」

「あっ……えっと……」

「貴方は覚えておられないかもしれませんね。何せお会いしたのは貴方が生まれて間もない頃でした。母君の葬儀にも窺えず、今回も……」

「いいえ、こちらこそご無沙汰してしまい申し訳ございません」


 初めからとても親近感が持てる男性だ。優しげな微笑にも気遣わしげな言葉にも、瀬能は安心したようだ。笑顔を浮かべている。聖は政治的な話はあまり興味がないので、瀬能の後ろに控えながらつまらなそうに窓の外を眺めていた。ここからでは風景を眺めることはできないが本部前の大通りが見える。点々と転がっているのはうちの軍人だが、どうしたらいいのだろう。


「そちらが軍大将ですか?話は聞き及んでおります。いやぁ、噂どおり美しいですね」

「へ?あ、どうも……。竜田軍大将の角倉聖です」


 いきなり話を降られて驚いたが、条件反射のように微笑んで軽く頭を下げた。先ほど真坂が控えていた兵に何かを指示していたと思ったら、数人の女性が酒と肴を運んできた。どうやらこのままゆるりと話を始めようと言うわけらしい。行っていることがさっきと違うじゃないかと瀬能を窺えば、予想通りに固まっていた。さっきは領主の会談だとか言っておきながら、こうも非公式な雰囲気にされても若い領主が対応できる訳ないと思うが。


「おやおや、豪華なおもてなしですね」

「これくらいしかできませんが、どうぞお寛ぎください」

「いやいや、十分です」


 少し愛想をよくした真坂が言いながら瀬能を促した。彼は一瞬意図が分からなかったようだが、すぐに相手の盃に酒を注ぐために手を伸ばす。まだ緊張しているのか震える手で差し出した酒を、彼は悠々と受けた。彼も返しに瀬能に酒を注ぎ、乾杯して同時に空ける。それを見ていたら酒が飲みたくなった。
 でもアルコールよりもニコチンの方が体は欲しているらしく、口が寂しくて仕様がない。早く終わらないかなと思いながら、聖は僅かに興味が残っている相手の大将を見た。聖も長身だが、彼はそれよりも更に大きく見える。がっちりとした体つきに相応な顔をしている。中性的の色合いが濃いが、女性的とも取れる聖の顔とは正反対の位置にあるのだろう。醜いというわけではないが、あまり凝視して気持ちのいいものではない。


「竜田国のお話は良く耳にしますよ。中でも軍の噂は一品で」

「ありがとうございます。私はまだ情勢に詳しくありませんが、佐保様の軍もお強いと聞きます」

「そんな、角倉大将には勝てる気はしません。なぁ、春美」

「全く同感であります」


 主人の言葉に呼応して、その厳つい男は頷いた。聖はその野太い声とか態度とかではなく、名前に驚いた。この顔で春美か。けれどその驚きを表情に出さずに微笑で止めていると、目の前にいるその男は何の恨みがあるのか知らないが聖をきつい目で睨んだ。敵対されることも羨望されることも多々ある聖にとってその視線は慣れたものだが、何となく居心地が悪い。


「ですがこの馬鹿も若輩者です。そちらの大将の方が器がございましょう」

「何を仰います。天下に名高い竜田の天才には及びません」

「そう言っていただけると、嬉しくなります」

「瀬能様、馬鹿が付け上がりますよ」

「でも真坂殿、聖は本当にすごいんだぞ」


 自分のことのように喜ぶ瀬能を真坂が諫める。客人の前で自国の戦力大将を馬鹿にしていいのか少し気になったが、聖は僅かに眉を寄せただけで何も言わなかった。言ったところでメタクソに言われるのがオチだ。かと思ったら瀬能が庇ってくれた。素朴な言葉だったけれどそれ故に妙に恥ずかしくなって、緩む口を誤魔化しきれない。頑張ることも無駄だろうと早々に判断して、聖は適当に今夜の準備があるとか言い繕って部屋を出た。何となく春美とか言う軍大将の視線が気になるが、とりあえず無視して部屋を出て吉野に代わってもらい吉野がいた場所に背中を預けた。手早く煙草を引っ張り出して火を点けて一服する。


「師範?なんか慌ててません?」

「ヤニ切れ。あー、生き返る」


 紫煙を深く吸い込んで、うちに燻る嬉しさを一緒に吐き出す。けれどそれは出て行かずに結局にやにやしながら煙草を吸った。珍しく軍礼服なんて着ているのでそのせいもあるのだろうが、息苦しいのでジャケットは脱いで鉄五郎に預ける。
 半分吸殻にしたところで中から春美大将が出てきた。竜田とは違うデザインの軍服をかっちりと着ている。鋭い目付きで辺りを見回すので、その視界に入った鉄五郎がびくっと体を竦ませて聖の後ろに隠れる。彼は聖を見つけると、にたりと笑って聖の正面に立った。前に立たれると圧迫感があり、聖はつい癖で下から睨みあげる。


「何か用スか」

「ちょ、師範!?何喧嘩売ってんですか!」

「あ?売ってねぇよ」


 男はじっと聖を見ていたが、不意に表情を和らげるとげらげら笑い出した。不可解な行動の意味が理解できず口の中で煙草を噛み潰してしまい、苦味が口いっぱいに広がる。男は一しきり笑った後、手を後ろに組んで廊下の壁に背を預けた。にやにやと聖の全身を見て満足そうな表情を作るが、全く意味が分からない。


「だから何だよ」

「これがかの有名な天才か。気に入った」

「は?」

「俺と一勝負しようじゃないか」

「……意味分かんねぇ」


 突然持ちかけられた提案に流石の聖もぽかんとその男を見た。一体どこを気に入られたのか知らないが、どうしてそんな話になるのか。しかもこっちにはメリットも何もないので、聖は短くなった煙草をプッと吐き出してポケットに手を突っ込み舌を出した。鉄五郎が吸殻を踏み消して拾い上げているのが目の端に入った。


「やなこった」

「勝ったら一つ言う事を聞くというのでどうだ」

「それ、俺に勝てる気で言ってるわけ?」

「無論」


 男がさも当然のように笑うから、聖は面白くなって口の端を引き上げた。勝てる気満々の奴をぶっ倒すのが一番楽しいのは知っている。自分の優位を信じて疑わなかった奴が相手との実力差に怯えて絶望するあの瞬間の表情が溜まらない。
 聖の変化に気づいて鉄五郎が「師範!」と咎めるような声を上げる。他国との無駄な争いはご法度だとよく言い含められているのだが、これは争いじゃあない。ただの力比べだ。


「いいぜ、相手してやる」


 聖はにたりと笑った。その瞬間に男の顔も恍惚に歪む。よほど自信があるのか、意気揚々と室内に戻って己の主人にこの勝負の許可を得ている。何の勝負だって負ける気なんてない聖は、隣で鉄五郎が文句を言うのも無視して彼からジャケットを奪うと吉野に伝言に走らせる。ジャケットを着て、聖も室内に戻った。


「そんな訳で命知らずに果し合いを申し込まれました」

「……聖」

「売られた喧嘩は買う以外の方法を俺、知らないです」


 心配そうな顔をした瀬能に「負けたことありませんから」と聖は笑って見せた。それは本当のことだったし、瀬能の心配を取り除きたくもあった。聖の瞳が楽しそうに笑っていることに気づいたのは瀬能だけではなく、真坂は唸るような声で「クソガキが」と呟いたけれど聞こえないふりして誤魔化した。
 領主の話し合いの結果、明日の正午に決闘を始めることになった。佐保の軍人は詰所の空き部屋を宛がっているし、日常生活は竜田と合同で行うことになる。そのために数日前から掃除やらが大変だった。吉野の不思議そうな顔ににたりと笑いかけ、聖は踵を返して部屋を出た。ここは吉野に任せて、そのまま真っ直ぐ道場に向かう。どこからかまとわりついてくる視線が気持ち悪い。





−続−

喧嘩っ早い筆頭は彼です