雨の中外に飛び出した聖を追って外に出たところで惣太が目にしたのは、体中にうっすらと傷を付けながらも素手で敵と対している大将の姿だった。先ほど殺した敵から奪ってきた刀を持ったまま白刃の下をくぐりぬけて、惣太は聖の背にようやく追いついた。トンと背中を合わせて手にした刀を渡すと、聖が笑ったのが分かった。
 刀を手にした瞬間、聖の気配が変わったのがわかった。もう惣太の手なんて必要としないくらいの力で刀を振るい、確実に一撃で敵を沈めていく。それは場違いながらひどく淋しい。けれどよく考えてみれば自分たちの大将の仇打ちをしに来た人間ならば大将よりも弱いのは当たり前で、だったらその大将を倒した聖が負けるわけがない。


「お前らの本当の目的はなんだ?」


 最後の一人と切り結びながら、聖は低い声で問うた。岩浅が何かを仕掛けてくるのは分かっていたけれど、それが謀反の噂とは結びつかない。分からないのならば直接に訊けばいいとばかりの質問に、相手は憎々しげに顔を歪めて一度距離を取るように聖から離れた。すでに周りには三つ分の黒ずくめの死体が転がって、雨が流れ出す血を洗っている。
 きっと彼らも尊敬する大将のためにやって来たのだろうけれど、本当にこれでいいのだろうか。惣太の中に僅かに沸いた疑問は、けれど鉄のぶつかり合う硬質な音にかき消される。決して考えさせてくれないという意志を持っているようにその音は思考をかき乱す。


「岩浅を脱して敵将の仇打ちたぁ見上げた根性だ。褒めてやる」

「貴様に何がわかる!」

「でもな、どうしてあんな噂を流した?意味はあるのか?」


 調べればすぐに出どころの分かる噂は、どう思考しようともその意味を捉えることはできなかった。無意味だと考えるしかないのだろうかと考えていたが、そうとも言い難い。筋の通った岩浅の行動のそれだけが不可解だった。
 聖が掬った刀にバランスを崩した男は、雨でぬかるんだ地面も手伝って必要以上の距離を取って下がった。そうして聖の言葉の意味を考えている。しかし答えは見つからなかったようで、訝しげな声で「何のことだ」と呟いた。それを復唱するように聖の唇が僅かに動く。それを見ながら、自然に惣太の足が前へ出た。なんだか、間違っている。何がとか理屈ではなく、心がそう伝えてきた。


「俺にやらせてください」

「惣太?」

「俺が受けて立ちます」

「意味がわかんねぇよ」

「俺に守らせてください!」


 相手は尊敬する大将を殺された。きっと惣太だって聖が殺されれば復讐を考えるはずだ。でも聖が仇打ちを望むかと言えばそんなはずがない。この人は自分が死んでも惣太が生きていれば十分だと笑うに違いないのだから。だから、だったら惣太が受けて立つべきなのではないか。大将を殺した男への直接的な自殺で、聖が気に病む。大将を殺し、彼が守った部下までも結果的に皆殺しにしてしまうことに心が痛まないほど聖は無情ではない。だから惣太が、聖を守るという名目で、殺す。そうすれば全てが丸く収まると、そんな気がした。
 聖を睨みつけていると、やがて諦めたように表情を緩ませて聖が血脂の浮き始めた刀を惣太に押し付けた。一緒に感謝はしねぇぞと小さな声が降ってくる。大きな声で頷いて、惣太は刀を構えた。


「邪魔するなら誰だって殺す!」


 激高した男が倒せるほど、惣太は子供じゃあない。叫び声をあげて大ぶりに振り回される刀をひらりと避けて、惣太の繰り出す銀線は確実に急所を狙う。喉仏をうっすらと裂き、急所から僅かにずれた脇腹を貫通する。いつしか惣太は返り血で白いパーカーが赤くなっていた。しとしとと降り続ける雨が体温を奪って死臭を洗い流す。冷たくなりすぎて刀を握る手に力が入らなくなっても、気力で刀を握り続けた。


「もう一度だけ聞く。お前らの目的はなんだ。あの噂は何の意味がある」

「知るか!」


 聖はいつの間にか軒下で煙草を吸っていた。あのタイミングでどうやって持ってきたのか疑問に思ったけれどそんな瑣事を気にしている場合じゃあない。ぎゅっと刀を握り締めた手にも無数の傷跡が付いていて、そこから血がわずかずつでも流れ出しているのが分かった。これが最後の一太刀になるだろう。それが何となくわかって、惣太は奥歯を噛みしめて聖と同じように刀身を寝かせた構えを取った。喚きながら向かってくる敵がやけにきれいに見える。そうして、刀が頭上に振り下ろされるのよりも惣太が横に薙ぐ方が早かった。
 惣太の刀が男の胴を根こそぎに裂いて、そこから血が噴き出した。真正面から噴き出したそれをもろに被って、惣太の全身から力が抜けた。倒れていく男の向こう側から大勢の足音と揺れる火を見て。ようやく助けが来たかと安堵できた。けれど今、昔に聖と一緒にいたような高揚感さえ感じていた自分もいる。今も昔もこの男の傍にいられることができて、涙が出るくらい嬉しかった。


「無事ですか大将!?」

「遅ぇよ、お前ら」

「惣太!大丈夫か!?」


 駆けつけてきた仲間たちの姿をしっかりと目にする前に、惣太は気を失った。最後に感じたのは聖が頭に手を置いてくれたことと、その奇麗な少し皮肉気な笑顔。彼を守れたことがひどく誇らしかった。








 惣太が意識を取り戻したのは、悲鳴を上げるくらい体中が痛みを感じたからだった。目を見開いて、巨大な光が目を痛めて思わず閉じてゆっくりと再び目を開ける。それが映したのは見慣れた天井だった。それが執務室の天井だと理解するには数秒も掛からない。


「痛ってぇよ!もっと優しくしろって」

「うるっせぇ馬鹿。こんなに傷こさえやがって、ちったぁ反省しろ馬鹿」

「皇里、しっかり灸を据えてくださいね。おや惣太君、目が覚めましたか」

「……おはようございます」


 ひりひりと痛む体を起こして辺りを見回すと、どうやらソファに寝かされていたようだった。向かいのソファでは聖が白衣の長身に脱脂綿を当てられて騒いでいる。聖も相当の傷を受けたはずなので、夜半に起こされた過保護な軍医が怨みも込めて治療しているのだろう。そういえば目が覚めるきっかけになったのは皇里の治療なのではないだろうか。眠っていてよかった。


「起きたか惣太」


 惣太が目を覚ましたことに気付いたのは初めは吉野だったが、すぐに皇里も聖も気付いて顔を回した。聖の奇麗な顔にはところどころ傷テープが貼ってある。勿体無いというか箔がついたと言い換えるべきか悩む所だが、とりあえず顔を逸らしておいた。傷が残らなければいい。
 目を覚まして状況を察しようとして辺りを見回すと、窓の外では朝日が昇る所だった。じんわりと明るくなっていく山の端は紫色に染まっている。それに気付いたのか、吉野がいつもの微笑で惣太が気を失ったのを聖が背負ってここに運んできたのだと説明してくれた。皇里は聖が持つと聞かなかったと口を挟んだが、直後に聖が無言で机を蹴っ飛ばして怒鳴られた。


「惣太君、良く頑張りましたね」

「……はいっ!」


 にっこりといつもの笑顔で吉野が笑ってくれたので、惣太は満足して大きく頷いた。大将だからではなくそれが聖だから、惣太は守りたいと思った。そうしてそれが達成できたことがひどく嬉しい。聖の手も吉野の手も心地良いから、きっと吉野が危険に陥っても惣太は体を張って助けに行くのだろう。
 まるでそれで話が終わったかのように、不意に吉野が目を険しくして聖を見た。一通り治療の終わった彼は手にも包帯を巻いて随分大怪我そうだ。守れたはずなのに、どうにもやるせない。


「それで、岩浅方は?」

「総勢五人、単独行動だ」

「噂は?」

「この騒動に便乗したんだろうな。あいつらは全く知らなかった」


 邪魔そうに頬の傷テープを爪で引っかいていた聖は、逆らいがたい筆頭軍医に睨まれてぎこちない仕草で手を下ろした。けれどどうにも落ち着かないようで、結局煙草に火を点ける。いつもなら文句を言う吉野も、流石に今日は何も言わずに無言で灰皿を差し出した。それに一度灰を落として、紫煙を吐き出しながら目を閉じる。その瞼の裏に何を思い描いているのか、惣太にも分からない。


「……本当のいい大将ってのは、あぁ言うのを言うんだろうな」

「何言ってるんですか。貴方だって惣太君が命を懸けた大将ですよ?」

「そうかよ」


 目を閉じたまま聖は紫煙を吐き出すけれど、その口元がゆっくりと笑みをかたちどったのを惣太は見逃さなかった。
 聖の脳裏に浮かんでいるのか、かつて対峙したその大将のことだろう。惣太はもちろんあったことなどないが噂だけは聞いたことがあった。実直な人物で誰からも好かれていたといわれている。初めて聞いた時は聖とは全く逆の性格をしていると感じたけれど、もしかしたら違う出会い方をしていたらいい友人になれたのではないだろうかと思う。


「吉野さんは?やっぱり復讐を企てるんですか!?」

「企てるって……。そんなことする訳ないじゃあないですか」


 吉野がひどく他人事のようにいうものだから、惣太は思い切って聞いてみた。そもそも聖が軍人に鳴ったのは吉野が誘ったからのようなものだし、それ以前から彼らは親しくいつの間にか一緒にいるようになっていた。普段の態度から吉野だって聖のことを信頼し慮っているはずだ。だからきっといい返事が返ってくると思ったのに、そんなことは全くなかった。それどころか、吉野はさも楽しそうにそんな無駄なことはしないとまで言い切った。


「命を奪うことでする復讐なんて自己満足ですよ」

「でも……」

「そもそも聖さんが負ける相手に僕らが勝てるわけないじゃないですか。そんなことしたって聖さんは喜びませんしね」

「ま、そうだな」


 正論だけれども論理だけのひどく味気ない答えが不満で惣太は頬を膨らませたが、当の聖がさらりと肯定して見せた。確かにこんな冷めた関係だと分かってはいたけれど、戦では背中を合わせて信頼しきっていたではないか。でも確かに聖の方は命がけで助けそうだけれど、吉野はさらっと裏切ってくれそうかもしれない。
 惣太が一人悶々としていた時、吉野は極上の笑顔を浮かべてのたまってくれた。


「そんな陳家なことをするよりも、一国潰してみせます」

「吉野さん……」

「吉野、お前……」


 予想以上の過激発言に、惣太は思わず感激してしまった。確かに吉野の腹黒さをもって一騎当千の竜田軍を束ねれば、一国潰すことなんて容易いかもしれない。吉野自身にまとめるだけの魅力がなくとも、聖のためならばより強い団結を見せてくれるだろう。
 ただ聖の呆れたような声が部屋に大きく響いた気がした。でも何となくこの空気が昔みたいで、惣太は楽しくなったと同時に眠くなった。


「惣太君、そろそろ朝番が起きる時間ですから入れ替わりで寝てきたほうが良いですよ」

「……そうします」

「聖さんも寝てきます?」

「ん?あぁ」

「駄目です。聖さんは夏の演習計画作ってください」

「…………自分で訊いたくせに」


 容赦のない吉野の言葉はいつも通りで、なんだか日常に戻ってきたことがとても嬉しかった。そんな他愛のない話は、けれど聖と惣太が同時に溜め息を吐き出した直後に吉野の雰囲気からは優しい笑みが消えた。どこかを遠くを見ているように鋭い視線で、天井を睨みつける。


「それで、小田原軍団長は一体何をしていたのでしょうか」

「何だ、秋菜ちゃん近くにいたのかよ」


 するりとドアから入ってきた小田原に、けれど今回は惣太は驚かなかった。苦笑を浮かべた彼は、少し困ったような顔で窓の外を眺めているがいつものような軽口は出てこなかった。彼なりに聖の危険に間に合わなかったことを気にしているのだろうか。
 けれど聖はさして気にした風もなく銜えていた煙草を灰皿で押しつぶすと、何の気もなく立ち上がる。


「別に気にしてねぇよ」

「助けを呼びに行ったのは私なんだけどね。それから秋菜ちゃんて言うな」

「そこにいたなら助けじゃなくて得物を寄越せってんだ」


 軽く笑って、聖は財布をポケットに突っ込むと優雅に長い足を投げ出すように歩き出した。空は大分青くなってきているが、まだ何をするにも早すぎる。花街に戻るには遅い時間だし、一体どうしたのだろうかと惣太も慌てて後を追いかけようとした。けれど気配だけで悟ったのか聖は息で笑って惣太の頭に大きな手を置いた。


「煙草買いに行くだけ」

「一緒に行きます!」

「寝ろよ」

「帰ってきたら寝ます!」


 笑ったら傷テープが引きつったのか聖がすぐに顔を歪めたが、惣太は全く気にせずに聖の後ろについて行った。ほんの僅かだけ垣間見えた聖の昔の姿は、もうここにはない。確実な月日の流れがそこにはあり、それを共に過せたことが惣太の人生で最も誇らしいことだと、確信できた。





−続−

惣太が聖さん大好きな話になってしまった