約束どおり惣太を貪婪に連れて行き、その三日後に竜田軍は精鋭を引き連れて夏の演習へ向かった。例年よりも早い出発のために書類提出などが間に合わず、佐竹に口頭で行ってくるからと一言伝えただけで出てきてしまったので、真坂には逃げたと思われただろう。瀬能はどう思っただろうか。けれどいくら詮のないことを考えようとも、今の聖には逃げることしかできそうにない。
 通常ならば到着直後から国一周マラソンが始まるけれど、今回は初めからどこかに隠してある大将のマネキンを探す演習が行われた。広大な敷地の中に聖のマネキンと思われるものが隠してあり、それを各組で探していく。お互いの組の潰しあいは許可されていることと夜中でも狙われることはマラソンと変わらないが、いつ終わるともしれない状況は兵たちに焦りを生んだ。


「……聖さん?」

「んー?」

「なんでもないです」


 窓枠に状態を預けるようにして外を俯瞰し紫煙を吐き出している聖の後姿を見ていた惣太は、恐る恐る声をかけた。けれど返ってきたのは彼の背中かの雰囲気とは全く違ういつもどおりの軽い声で、惣太は何も言えなかった。聖の背中にどうしたんですかも、何があったんですか、も聞けない。


「惣太」

「はい!」

「……なんでもね」


 聖は何かを悩んでいても絶対に惣太になんて言わない。それを寂しく思うときもあるけれど、聖はいつだってたった一人で考えて答えを出すから。誰かに相談している姿を、惣太はまだ見たことがなかった。アンニュイな背中は見ることがあってもこんなにも消えそうな背中を見ることなんてそんなにないから、惣太は聖が消えるんじゃあないかと思って手を伸ばす。けれど、触れる前に我に返った。


「聖さん、それ吸い終わったら打ち合わせしますよ」

「あー……おぅ」

「惣太君も、そんなに心配することないですよ」

「吉野さん……」


 足音もなく部屋に入ってきた吉野の方こそいつもどおりで、惣太はなんだか拍子抜けした。聖の様子がおかしいときは吉野も少しおかしかったような気がしたから、彼の方が変わらないことが妙だった。惣太が目で追っていると、吉野は部屋を回るようにして資料を机において窓際の聖に近づき同じ窓から空を見上げる。つられて惣太も空を見上げれば、空は突き抜けるように青かった。


「珍しいですね、いつまでも悩んでるなんて」

「……うるせぇ」

「今さら悩むことなんですか?」


 惣太は聖が何を悩んでいるのか知らないけれど、吉野は知っている。昔はそんなことはなかったのに、それが少し悲しい。いつのまにか聖にとっての吉野は惣太以上の存在になってしまったような気がした。
 少し冷たくも聞こえる声で吉野が言って、窓枠から離れた。机に置いた資料を再び手にしてぺらぺらとそれを捲りはじめる。ゆったりと聖の吸う煙草の煙が風に流れて室内に流れ込み、僅かに鼻を突く。これが聖の匂いだと思うと安心すると共に、緊張した。短くなるまで煙草を吸って、聖はそれを壁で押し消すと振り返ってふわりと笑った。その笑みが妙に色っぽくて、なんでか惣太は逃げたくなった。


「おや、まとまりましたか?」

「全然。でも、やっぱり俺の中じゃあ譲れねぇから」

「そうですか」


 きっと惣太は、この大人の雰囲気に一生ついていくことはできないだろう。自分の交わることが許されないような世界は惣太の立ち入る隙を残してはいない。だったら自分は聖の傍にいて何ができるのだろう。確かに一緒に出かけることも多いけれど、でも真の心を分かり合うことはできない。一体いつの間に、こんなに離れてしまったのだろう。いつまでたっても、惣太は聖の背中を追いかけているだけ。


「さて、それじゃあ聖さん。総合演習の作戦でも立てましょうか」

「その前に温泉じゃね?」

「こっちが先に決まってるでしょう。いつまで頭腐らせてるつもりなんですか」


 温泉と言ってにっと笑みを浮かべた聖の顔面には、書類の束が飛んできた。それを見て惣太は今までの感情を振り払うように首を横に振ると、温泉行ってきますと言って背中に聖の罵声を聞きながら温泉に向かった。行ってみたら既に待ち組がみんな使っていて、惣太は安心して笑ってみんなの笑い声に混じった。










 軽く説明を聞いたけれど、疲弊している精鋭に向かって元気な部隊が突っ込んで行ってやつらを蹴散らせ、と言うものだった。こんな簡単な演習でいいのかと疑問に思うけれど、竜田軍の底力は楽観していいものじゃあない。おそらく半分の人数でかかっていったら負けるだろう。負けてたまるかという本人たちの意地以上に大将を負け戦の将になんてさせてたまるかと思うから最後まで頑張れる。だったら今日はどうなるのだろうか。
 戦っている兵士たちには、聖本人を狙っても言っているから本当は隠されていないマネキンよりも聖に突っ込んでくるのは火を見るよりも明らかで惣太は気合を入れて木刀を握った。


「よっしゃ、行くぞ!」

「はい!」


 気合を入れて、一気に突っ込んだ。惰性的に刀を交えていた兵たちがこちらを見て目の色を変える。温泉でぬくぬくしていた奴らに対しての反応としては当然だけれど、本当に殺されそうな目で怖かった。特にこっちは聖と古参の勇士が惣太を含めて七人しかいない。吉野の古参兵は二十人程度いるけれど、今はどこにいるか分からない。話では一緒に行動するはずだけれど、どこにいったのか。


「止まんなよ!相手はぼろぼろだ、突っ込め!」

「惣太、右任せた!」

「はい……うわっと!」


 聖を囲むように七人で隊を組んでひたすら直進する。群がってくるぼろぼろの兵たちの目は死んでいるように見えて中央にはギラギラとした光を宿らせている。足で蹴飛ばしながら刀を振り回し、どうにか凌ぐけれど相手の気合の方が惣太のそれを上回った。一人が肩口の軍服の布を、一人の木刀が口元の皮膚を掠めていく。


「つーか俺たちどこ向かってんの!?」

「正面っ!」

「先に行くな馬鹿!」


 倒しても倒しても湧いてくるような兵に絶望を覚えそうだった。最終的には仲間だからそこまで怖くはないけれど、これが敵兵だったらどれだけ怖いだろう。倒しても倒しても湧いてきて、何度でも生き返る執念。倒せない、勝てない。そんな恐怖が、仲間に対しても芽生えた。
 惣太たちが苦労しているのに、聖は一人で楽しそうに一歩抜きん出た。慌てて追うけれど、群がってくる兵を振り払うために追いつけない。


「お前らだけ何温泉入ってんだよ!くたばれ!!」

「うるせぇ!帰りに入ればいいだろ!?」

「ちょっと待て!今回って勝ち組どっちになんの!?」

「ずっと師範の傍にいやがって、いい関係になったのか!?おいしい関係か!?」

「アホかぁぁぁぁあ!」


 話の混戦具合もひどいけれど、言われることがひどかった。お前たちは何をされたかったんだと突っ込みたかったけれど、それを言ったら最後本当にその言葉が返ってきそうな気がして怖くなってやめた。一日でも精神の磨耗は激しいし、休むまもなく襲ってくる木刀に腕が悲鳴を上げた。どっちが辛いのかわかったもんじゃあないから、やっぱり夏の演習らしい。特に刺してくる日差しが肌を焼いて汗が吹き出してしてくる。


「俺も師範と一夜過ごしたかったぁ!」

「だからっ!だれも過ごしてねぇっつーの!」


 悲鳴を上げて軋む腕で重い木刀を受けて、惣太は腕を跳ね上げる。どうにか相手から木刀をもぎ取ったけれど、息を切れて立っているのも辛いくらいだった。七人が七人とも猛攻に一気に体力を消耗している。長期戦で消耗するのも短期で消耗するのも辛いけれど、実際の戦では泣き言を言っていられないから。だから、無理矢理腕を持ち上げて聖の姿を探して視線をめぐらせた。
 その瞬間、驚きのものを目にする。どこかにいた吉野たち二十余名が、聖に向かって走っていた。全く負傷していないその姿で潜んでいたことが知れる。


「聖!」


 その名前は誰が発したものだっただろう。その声が届いて惣太が我に返ったのと聖が木刀を持ち上げて振り下ろされる一撃を防いだのはほぼ同時だった。慌てて駆け寄るも、足はもうガクガクと力が入らなくなっている。それでも、聖を敗軍の将になんてしたくないから。だから、必死で。


「囲みなさい!」


 聖が一人のところ狙って、吉野が号令をかける。聖だってさっきまでぶっ続けで木刀を振るっていて、いくら普段から何人もの兵を相手に道場で竹刀を振るっていたところで所詮道場稽古は戦場とは違う。この緊張感は、体力を根こそぎ奪う。懸命に動かした足は、聖が囲まれる前にどうにか間に合って聖と吉野兵の間に滑り込んだ。異常に重い腕を持ち上げて竹刀を構えるが、一撃でも食らったら落としてしまいそうだった。


「おや、間に合いましたか」

「吉野さん……。何でですか!?」

「勝ちたいから、ですよ。潰しなさい!」

「惣太!」


 まるで、昔みたいだ。純粋に惣太はそう思った。昔、まだ軍に入る前。街では聖の下についたはみ出し物と吉野のチームが存在していた。当時の代表格がここに揃ってあの頃のように喧嘩を繰り返している。聖が鋭く呼ぶ声に反応して、惣太は腰を低く体勢をとって受ける構えを取った。相手の一撃を真上から喰らってその衝撃に膝を折って地面に逃がす。そうして反撃に転じて腕を引き寄せて近づいてきた腹にするっと滑らせた木刀の柄を叩き込む。折られた体の腹部に向かって思い切り効き足を叩き込んで吹っ飛ばした。


「惣太にばっかりいい思いさせてたまるか!」

「伏せてろよっ!」


 外からは囲うほど人数がいない。惣太は自ら開いた穴から脱出すると、逆に吉野兵を囲うように体を反転させて木刀を聖と同じに構えた。当の聖も集団から恐らく惣太と同じ方法で抜け出し、少し離れたところに立っていた吉野に向かってかけてきた。だったら自分たちは、聖が集中して戦えるようにここにいるべきだと判断する。その外側では、大勢の兵がぼろぼろで事の成り行きを見守っている。彼らにとって聖と吉野の古参は同じ親衛の兵で、きっと今の対立が分かっていない。


「お前、マジで最悪な」

「何とでも言ってください。楽しかったでしょう?」


 聖が一閃させた木刀を吉野は居合いの要領でどうにか受け止めた。それ以上は出させないために深く踏み込もうとするけれど、体重を移動する前に鞘滑りを利用して振りぬかれる。聖が飛び退ったその場所を吉野の木刀が一閃して見せた。一瞬二人で見詰め合って、そうしてお互いに駆け出す。惣太は目の前の男を倒すのに必死で見えなかったけれど、四度、五度と木刀のぶつかり合う音が聞こえた。
 どうにか七人で吉野兵の木刀をすべて弾き飛ばした。そうして、大将たちの戦いに視線を向ける。これ異常ないくらい緊迫した雰囲気に、近づくことは愚か声をかけることもできそうにない。


「ま、吹っ切れた」

「じゃあ、いきましょうか」


 へらりと笑った聖は、それでも目は笑っていなかった。きゅっと握りなおした木刀を下段に構えて、駆け出したのは吉野と同時。冗談に構えた吉野が振り下ろしてくるそれを絡めるように下段から捕らえて跳ね上げる。大きく開いた体に当身を喰らわせたけれど、吉野は飛び退って体勢を崩しはしなかった。少し低くなったところに聖が距離をつめてつきを繰り出すが、それは吉野の刀身が受け止める。そのまま横の滑らされ、聖の方がバランスを崩した。前のめりの体に横から叩きつけられる木刀を予想して転がり、ブーツの底でどうにかガードした。


「相変わらず……反応は、いいですねっ」

「うるせっ」


 昔からそうだった。吉野と聖の喧嘩には終わりがなかった。何となく今回もその喧嘩の延長になるんじゃあないかとどこか安心していた節がある。けれど、今回は違った。腹筋で跳ね起きた聖が一拍で吉野の後ろに回りこみ、そこから突きを繰り出した。紙一重で吉野が避けたところでそのまま木刀を横に薙ぐ。これが見事に吉野のわき腹にめり込み、そのまま膝を付かせた。


「スッキリした。ありがとな」

「げほっ……馬鹿力が」

「悪ぃ悪ぃ。立てるか?」


 膝を突いて咳き込む吉野に聖は笑って手を出した。けれどそれは払いのけられて、手持ち無沙汰にそれを見て目を瞬かせている。自力で立ち上がった吉野は軽く咽ながら木刀を持ってしっかりと周りを見回した。誰が勝ったとも負けたとも言いにくい、妙な空気だ。強いて言えば勝ったのは大将と言うことになるのだろうか。


「帰ったらみんなで宴会しましょうね」


 聖さんの誕生日も近いですし、と笑った副将に兵が歓声を上げた。一泊休んで帰って宴会、というのを予想していたのは今の時間がまだ夕方に差し掛かったところだったからだけれど、この後に出た鬼畜な副将の台詞に涙が出そうになった。なんだって、これから帰るなんて言い出すのか。
 けれど荷物もなく帰りますよと言い切る副将に逆らうこともできず、兵たちはへろへろの体を引きずって帰路についた。





−続−

昔っから喧嘩ばかりしていた二人